明日、テニスコートで会いましょう。





ついに始まったU-17合宿。いきなり「空から降ってくるテニスボールを手にした者だけに参加資格を与える」なんて難題を押し付けられて、コートは騒然となった。高校生同士で醜い争いが繰り広げられる一方、ひとりで何個も掴む中学生たちがいた中で、裕太もどうにか危なげなくボールを手にすることが出来た。その後も高校生から難癖をつけられたり、そこに現れた上位コートの実力者たちに諭されたりといろんなことがあったけれども、ようやく中学生五十人も合宿所へと案内された。前を行く他校のジャージに着いていくように、裕太もラケットバッグを抱え直す。いよいよだ。緊張と興奮、僅かながらの恐れを抱いて一歩を踏み出す。
「失礼。不二、裕太君?」
「え?」
名を呼ばれて振り向けば、まず視界に広がったのは芥子色のジャージだった。心臓の位置に刻まれる学校のロゴに、反射的にぎくりと身体を強張らせる。立海だ。そう理解した瞬間に思わず唾を呑み込んでしまった自分は悪くないと、後に裕太は自身に言い聞かせる羽目になる。今年は青学に敗れて全国二位に甘んじたけれども、やはり立海大付属中は、テニスをしている男子中学生ににとって「王者」という印象があまりに強い。段違いの実力。裕太の所属する聖ルドルフ学院は、立海と直接の関わりを持ったことがない。何で、と思ったのが顔に出たのだろう。相手は眼鏡に遮られて瞳を見せずに、それでも口元で優雅に微笑み雰囲気を柔らかなものに変えた。
「突然話しかけてしまい申し訳ありません」
「え、いや・・・。立海の、柳生さん、ですよね?」
俺に何か用ですか、と面食らっているのと少しばかりの硬直で震えそうになる声で問えば、柳生はひとつ頷く。そうして放たれた次の質問は、裕太のまったく予期できなかったものだった。
「柳沢慎也君と木更津淳君は、今回の合宿には来ていないのですか?」
柳生の口から発せられたチームメイトの名前に、少し先を行っていた観月が振り返る。聖ルドルフからこのU-17合宿に召集されているのは、彼と裕太のふたりだけだ。柳沢と木更津は呼ばれておらず、寮の入り口で「いってらっしゃい」と手を振って見送られたのは今朝方のこと。ついでに柳沢に「冷蔵庫に入ってる裕太のシュークリームは食べといてやるだーね」なんて言われたことまで思い出してしまい、裕太は思わず眉間に皺を寄せる。しかし目の前の柳生が返答を待ち続けているのに気づき、慌てて表情を戻した。
「あ、ええと、柳沢先輩と木更津先輩は来ていないです。ルドルフからは俺と観月さんだけで」
「そうですか」
くるりと柳生が半身を返す。その先に鮮やかな銀髪が見えて、裕太は再びぎくっとしてしまった。一目見たら忘れられない派手な容姿を持つ彼は、柳生のダブルスパートナーである仁王だ。立海の誇る無敗ペアがどうして。ぐるぐるぐるぐると裕太の思考が空回る。
「仁王君、おふたりともいらしてないそうですよ」
「そうか。残念ナリ」
「ええ、本当に」
肩を竦める仁王に対し、柳生も眼鏡を押し上げて同意している。そこにあるのは心から惜しんでいるといった空気で、裕太には何が何だか意味が分からない。どうすればいいのかと思っていれば、観月が戻ってきて裕太の隣に立った。睫毛の長い目はデータを取るように、立海のふたりに向けられている。
「立海大付属中学校の柳生君、仁王君ですね。あなた方はうちの柳沢と木更津とお知り合いなんですか?」
「いえ、知り合いではありませんね」
「ではどうして、ふたりが来ているかどうかを気にするんです?」
それは、と柳生はやはり笑って答える。その微笑みが優しく感じられた理由を後に裕太は理解するけれども、それよりも告げられた内容を理解するので精一杯だった。
「私たちが、是非おふたりと対戦してみたいと思っているからです」
ひゅっと息を呑んだのは、裕太だけでなく観月もだった。仁王が肩を竦めて銀髪を揺らす。
「関東大会にはおまんら出て来んかったしのう。うちは少なくとも県代表クラスじゃないと練習試合も組まんし」
「選抜合宿ならもしかしたら、と思ったのですが残念です」
「仕方がなか。やっぱり学校強襲しかないのう」
「駄目ですよ、仁王君。少なくともアポイントメントを取ってからでないと失礼です」
「っ・・・対戦してみたいとは、どういうことです? あなたたち立海ともあろう選手が、どうして柳沢と木更津なんかに」
我に返った観月が噛み付くように問えば、何やら不穏な計画を企てようとしているらしいふたりが、くるりとまるで双子のような相似で振り返る。仁王は意地悪く唇の端を吊り上げ、柳生は咎めるように眉を顰める。
「自虐は笑えんぜよ」
「チームメイトを『なんか』などと言ってはいけませんよ」
「いいから質問に答えてください!」
きんと耳に響く観月の高い声に思わず裕太は身を震わせてしまったが、柳生と仁王は意外にも叱責されることに慣れているのかもしれない。うるさいといった感じに表情を変えることもなく、そういえば立海の副部長は真田さんだっけ、と裕太は思い返す。テニスコートであろうと敗北したチームメイトに制裁として平手打ちを食らわすような人だ。腹に響くような怒鳴り声は他校の裕太でさえ聞いたことがあるし、確かにあの迫力のある説教を毎日のように受けていれば、観月のお小言くらいどうってことないかもしれない。柳生はにこやかに微笑んで、歩きながら話しましょうか、と三人を誘って他の中学生たちの背を負うように合宿所へ向かい始める。
「・・・どうしてあなた方が、柳沢と木更津と試合をしたがるんです」
苛立ちを含んだ観月の再度の問いかけに、柳生は答えとは微妙に異なった言葉を返す。
「柳沢君と木更津君は、とても良い選手だと思いますよ。柳沢君は人を食ったような言動をされますけれども、冷静な判断力とゲームメイクは見事なものです」
「木更津はあの芸術肌のテクニックがいいのう。観察眼が鋭くて試合を動かすタイミングを知っているぜよ」
「都大会ではアクシデントにより青学の海堂君と桃城君のペアに敗れてしまいましたが、あの試合はそのまま続いていればルドルフの勝ちだったと我々は考えています」
「スコアは7-5ってとこかのう」
「・・・ですが、それだけで試合をしたがるとは、僕には到底思えませんね。ましてや立海の常勝ダブルスであるあなたたちが」
探るような眼差しに、柳生と仁王は顔を見合わせて笑みを交わし合う。ひとつしか年の違わない彼らに対し、裕太は何故か大人だなぁ、と感想を抱いていた。王者立海という威圧感からなるものなのかは分からない。大人のような顔をして笑い、柳生と仁王はついに本心を口にした。今度こそ観月も裕太も目を丸くしてしまった。
「似ているんですよ。柳沢君と木更津君が、仁王君と私に」
「一年前ナリ。二年のときの俺らにそっくりじゃ」
堪え切れない様子で笑いを漏らしたふたりに、裕太は呆気に取られてしまった。似ている? 柳沢と木更津か、目の前のこの仁王と柳生に? だーねだーね、くすくす。特徴的なふたりの口癖が思わず思い出されてしまって、え、と裕太は呟いてしまった。観月は観月で目を見開いており、まだ動揺しているのか口を開こうとはしない。
「仁王君は今でこそ落ち着きましたが、かつては『如何に相手の精神状態を甚振って自滅させるか』に力を尽くしていたときがありまして。軽快に話し振る舞うことで相手を苛立たせ、ペースを崩して手玉に取る。そのときの仁王君の言動が、今の柳沢君にそっくりなんです。もちろん柳沢君の方が断然スポーツマンシップに則っていますが」
「柳生こそ今でこそシンプルな速球に落ち着いたけぇ、二年のときはテクニックに拘っとったからのう。木更津のあの空中回転ドロップボレー、あれはこいつもよくやってたぜよ。知った技は全部試そうとしてたナリ。対戦相手なんかヒッティングマシーンくらいに考えとったぜよ。そこらへんは木更津の方がよっぽど人道的じゃ」
「何か言いましたか、仁王君」
「おまんこそ何か言ったか、柳生」
隣り合って歩きながら、互いを見ることなく扱き下ろす様は、何だか言葉とは裏腹の親密さを感じさせる。そういえば、と裕太は今頃テニスクラブで練習をしているか、あるいは寮で遊んでいるかだろう柳沢と木更津の姿を想像した。あのふたりも、あのふたりにしか持ちえない一種独特の雰囲気を持っている。ふたり揃うことで空気が二倍になるというか、二乗になるというか、一見合わなそうに見えてまるでパズルのピースのようにぱちりと嵌り込むダブルスなのだ。昨年の柳生と仁王を知らない裕太は、そういった点に二組のダブルスペアの共通点を見出していた。しかしデータとして昨年の立海を知っているのだろう観月は、くるりと指先に自身の黒髪を巻きつけて何やら考え込んでいる。
「勝ち方に拘るのもまた、どこか似ている感じがしますね」
「拘り過ぎて真田によく怒鳴られたぜよ」
「私としては幸村君の微笑みの方が記憶に深いですか」
「『遊び過ぎだよ』ってグラウンド百周させられたのう」
「・・・あなた方の言いたいことは分かりました」
はぁ、と溜息を吐き出す観月の横顔が、何故か裕太にはルドルフの学生寮で何か悪戯をしでかした柳沢と木更津を前にしたときのものに見えて仕方がない。髪から指先を離して、観月は肩を竦める。
「柳沢と木更津には、僕から話をしておきましょう。合宿が終わり次第、空いている日にちを連絡します。柳生君、携帯電話の番号とメールアドレスをお伺いしても?」
「もちろんです。お手数をおかけしてしまい申し訳ありません」
「んふっ。こちらとしても、王者立海のデータを直に取れる貴重な機会ですからね」
「ほう? うちの参謀でさえ俺の正確なデータは取れんがのう。観月、おまえさんにそれが出来るんか?」
「ルドルフは柳沢と木更津だけじゃないことを教えて差し上げますよ。ねぇ、裕太君?」
「は、はいっ!」
話を振られて反射的に返事をしてしまったが、よくよく考えればこれは願ってもない機会だ。大会はすべて終わってしまった。三年生である柳生と仁王と対戦する機会は、裕太が高等部に上がるまでもうない。東京と神奈川で離れているため、地区予選でも当たらない。ならば、どんなに無様に負けようとも挑んでおく価値がある。ぐっと拳を握り締め、裕太は顔を上げた。
「あ、あの! 俺とも試合をしてもらえませんか!?」
「ええ、もちろん喜んで」
「ありがとうございます!」
頷いてくれた柳生の後ろでは、仁王が「俺は赤澤の方がいいのう。あいつのメンタルは中々ぜよ」なんて言っている。じわりと胸の内が熱くなってきて、目の奥から涙が滲みそうだ。前方から、チームメイトが少し遅れていることに気が付いたのだろう。芥子色のジャージが振り向き、あの赤い髪は丸井だろうか。さっさと来いよ、と手招きしている。ラケットバッグから携帯電話を取り出し、赤外線通信をしていた柳生も顔を上げた。
「それでは、良い合宿にしましょう」
「ええ。こちらこそよろしくお願いします」
「行きましょう、仁王君」
「行くだーね、柳生」
「えっ!?」
仁王の声が余りにも柳沢本人のそれにそっくりだったため、裕太が驚けばにやりと意地悪な笑みを向けられる。イリュージョンという仁王の技は知っているけれども、この程度の声真似ならそんなもの使わなくても楽勝らしい。礼儀正しく会釈をしてから、柳生はやる気なさそうに歩く仁王を伴って、先を行くチームメイトへと合流していった。ふたつの背を見送って、裕太の胸に満ちたのは感動に近い。
「・・・観月さん。俺、今、すごく・・・嬉しいです」
合宿には呼ばれなかったけれども、それでも認めてくれる人がいる。共に戦ってきた仲間なのだ。それを知ってくれている人がいる。そのことが嬉しくて堪らなくて、裕太は滲みそうになる目尻を手の甲で拭った。観月は何にも言わないけれども、このきつそうに見える先輩の本質がそうでないことも、裕太はちゃんと知っている。仲間なのだ。共に戦ってきた。仲間なのだ。
「行きますよ、裕太君」
「はい!」
少しばかりの不安と気後れを感じていたU-17合宿も、もう怖くはなかった。そう、自分は聖ルドルフを代表してここにいるのだから、無様な真似は許されない。例え実力で劣っていようと、その悔しさをばねにして必ず何かを掴みとってみせる。観月の後を追って、裕太も駆けだした。今夜は柳沢と木更津に電話をかけよう、そう思いながら。今はもう、この厳しい合宿が楽しみで仕方が無かった。





何となく似てるな、と思ったので書いてみた。どっちもメンタルが強いので、面白いダブルス試合になりそうです。
2011年5月22日