「俺が最初じゃないの?」
意外そうに大きな目を瞬いたリョーマに、月刊プロテニスの記者である井上は思わず笑った。全国制覇を成し遂げたスーパールーキーといえど、やはりまだ中学一年生。驚いた表情には幼さが残り、コートに立っているときは強く大きく見えるのに不思議だな、と井上は思う。
「一年生で全国制覇を成し遂げたのは、リョーマ君が二人目だよ」
「一人目って誰っスか? 手塚部長じゃないし、跡部さんでもないよね? 俺の知ってる人?」
「知ってるよ。今年の全国大会でも対戦してるね」
大きなヒントを与えれば、リョーマは瞳を眇めて首を傾げる。数ヶ月前の歴戦を振り返っているのだろう。少しの後に表情が、あ、と思い当ったかのように変わったので、井上は頷いて答えを教えてやった。
「立海の幸村君だよ。彼が一年生で全国制覇を成し遂げた、最初の選手だ」
君と同じ経歴だね、と井上は笑う。





先駆者





「幸村さん」
かけられた声に振り向けば、そこに人はいない。少しばかり視線を下げることで目に映るのは、他校の一年生ルーキーだ。幸村は男子の平均身長より少し高いくらいだが、長身を誇る真田や柳からしてみれば百五十一センチメートルのリョーマなど小動物に見えてならないだろう。U-17合宿で苦楽を共にしているとはいえ、こうして話をする機会は多くない。リョーマは金太郎とセットで台風の目のような扱いをされているし、幸村は幸村で部長同士の交流が多いのだ。だからこそ幸村は不思議に思って、眼下のリョーマに問い返す。
「何だい、ボウヤ?」
後輩はひとつ下に切原がいるし、ふたつ下の一年生だって立海にはちゃんといる。それでもリョーマが些か特別な位置を占めているのは、自分を破った選手だからだろうと幸村は考えていた。何というか、可愛いけれど憎たらしくて、強いのは知っているのだけれど負ける姿を見てみたいとも心底思う。かといって実際に負ける姿を目にしようものなら、「俺以外に負けるなんて許さないよ」なんてことを言ってしまいそうな自分も幸村はちゃんと見通していたので、面倒くさいなぁというのが本心だ。つまり幸村にとって越前リョーマという後輩は、「対等でありたい好敵手」として特別なのである。だからこそこうして相対してやれば、リョーマは何を思ったのかその両腕を広げてにこっと笑ってきた。おや、と思ったのは幸村だけではなかっただろう。
「ハグしよう、幸村さん」
「・・・ボウヤ?」
「ハグしよう、ハグ。Give me bear hug, please?」
はぐはぐ。滑らかな発音でそう言って、リョーマは細い腕を広げて幸村に近づいてくる。ぽすん、と小さな身体はあっという間に幸村の腕の中に納まってしまい、背中に回された手は発言通りぎゅっと強く抱きついてきた。幸村が驚きに目を瞬いていると、隣で柳が「ふむ」と呟いてから何やらデータを取り始めている。もう一方の隣では、真田が急展開に硬直していた。ぐりぐりぐりぐりと胸元に押し付けられる頭がくすぐったくて、幸村はふっと笑みを漏らし、仕方がないから同じように抱擁を返す。意味もなく笑いが込み上げ、どうしたの、と問う声は甘さを帯びてしまった。
「何かあったのかい?」
「んー・・・特に何かあったわけじゃないけど、幸村さんの偉大さを再確認したとこ。あんたって本当に凄いんだね」
「どこらへんが?」
「いろいろ。手塚部長も凄いけど、それとは違うポイントで幸村さんも凄いと思う。もう人間じゃないんじゃない?」
「それは褒めてるのかな?」
「もちろん。だからこそハグしてるんだし」
リョーマの声もいつもの生意気なそれとはどこか違って、幼い歳相応のものに聞こえる。指先で黒髪をさらってやれば、垣間見えた表情も甘える猫のように無邪気だ。どうやら本気で感心されているらしく、理由は分からないが幸村は素直に受け止めておくことにした。よしよしと頭を撫でてやれば、抱擁はそのままにリョーマが腕の中から見上げてくる。
「ねぇ。俺、幸村さんともっといろんな話をしてみたい。テニスとか、テニス以外のこととかいっぱい」
「俺もボウヤとはいろんな話をしてみたかった。じゃあ手始めに、一緒にお昼ご飯を食べようか」
「食べる。幸村さんって何が好きなの?」
「焼き魚かな。ボウヤは?」
「俺も魚。茶碗蒸しとか和食が好きっス。早く行こう」
「そんなに急がなくても食堂は逃げないよ」
「食堂は逃げなくても時間は減るし」
早く早く、と抱きつく先を身体から腕に変えて、絡めるようにしてリョーマが引っ張る。幸村は笑いながらも振り払わずに、おとなしくその後に着いていく。ふたりの姿があっという間に消えてしまえば、残されたのは硬直から戻る暇を与えられなかった真田と、観察に徹していた柳だけだ。ぎぎぎぎ、と音を立ててようやく真田が復活する。その顔は常以上に険しく、まるで「未知の生命体を目の前にしました信じられません」と眉間の皺の深さで語っていた。
「俺は今、幻を見ていたのか・・・!? 幸村と越前リョーマが、まるで兄弟のように見えたんだが」
「安心しろ、弦一郎。俺にも同じ幻が見えた。おそらく通じるものがあったんだろう。よくよく考えれば、あのふたりは似ているところが多い。越前がそれに気づいて精市に興味を持ったんだろう。精市ももともと越前を気にしていたし、良いことじゃないか」
「だが、幸村が笑っていたぞ」
「弦一郎、それは余りに失礼すぎる。精市だって人間だ、あれでも。慕われれば嬉しいと感じるのが普通の感覚だろう」
「そうか・・・。そうなのか・・・」
「そうなんだ」
しかしあのふたりが並んで食事をしたり、並んでテニスをしたり、並んで風呂に入ったり、並んでテレビを見たり、並んで寝たりする図を想像すると薄ら寒くなるのは気のせいだろうか。ぶるっと同時に身を震わせ、真田と柳は沈黙した。交流するのは良いことだけれども、何だかそれだけでは済まなくなりそうなふたりでもある。寄って親しくなるのはいいけれど、親しくなった分だけ喧嘩もしそうだし、そうなったときの破壊力は想像に難い。未知の生物だな、と真田が呟いた言葉に、柳も今度はフォローを入れることがなかった。
こうしてリョーマと幸村という、前代未聞の偉業を成し遂げたふたりの交流は始まったのだった。





リョマさんが、自分と同じようなことを成し遂げていた幸村様に、ちょっと親近感を覚えるといい。青学内では言えなかったプレッシャーとか、ぽつりと漏らしたりする日がそのうち来るといい。その逆もしかり。
2011年3月27日