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新テニ5巻、幸村様に傘を差し掛ける柳生のエピソードより。紅茶やら傘やら柳生さんは幸村様に尽くし過ぎだと思った人、挙手! ・・・つまりはそういう話です。





偉大なる我が君に捧ぐ





三番コートと五番コートの入れ替え戦。最後のシングルス1では、高校生の入江が余裕を持って跡部の挑んだ持久戦に受けて立った。永遠に続くかと思わせるタイブレークに、同じ氷帝学園に在籍する忍足は僅かな焦燥を感じて止まない。あの跡部でさえ、高校生を相手に容易く勝利することは許されないのだ。跡部景吾という男は、いつだって新境地を切り拓く挑戦者であり、そしてその背に仲間を庇い戦う庇護者でもある。自由に見えて、案外不自由な男なのだ。忍足はそれを知っているからこそ、このU-17合宿という機会を歓迎していた。学校に由らない個人の戦いである選抜なら、きっと跡部も何を背負うことなく振る舞えるだろう。しかしその期待は、先ほど合宿を離脱した手塚によって既に打ち破られていた。阿呆やなぁ、と忍足は跡部を思う。けれどもあの男は荷物を背負ってなお強く在ることに意義を見出すタイプだから、しゃーないんかなぁ、とも思うのだ。それでこそ跡部だと、きっと氷帝の誰もが胸を張って言うだろう。
「ありがとうございます。後で必ずお返ししますので」
「いいよいいよ、持って行きな」
試合は未だ続いているが、タイブレークは序盤のため決着がつくにはしばらくかかるだろう。それを見越して、忍足は一度トイレのため宿舎に戻ってきていた。寒いなぁ、と身を震わせながらコートに戻る途中で聞き覚えのある声がしてそちらを向けば、立海大付属中の柳生が、宿舎の清掃員の男性から何かを受け取っているところだった。長いそれは傘に見える。頭を下げてから踵を返した柳生と、忍足の視線が絡む。途端に向けられる紳士的な会釈に、忍足も反射的に頭を下げた。行く先が同じなので一緒に宿舎を出れば、忍足も柳生が傘を借りた理由にすぐに気がつく。
「あー・・・雪かぁ。ついに降ってきたんやなぁ」
「今日は今朝から気温が低かったですし、ましてや山の中ですからね」
「そりゃあ雨も凍るで、この寒さなら」
「コートまでご一緒しませんか?」
「男ふたりで相合傘か? 何や侘しいなぁ」
「女性ではなくて申し訳ありません」
音を立てずに傘を開き、一歩出たところから柳生が招く。軽口をたたきながら忍足が踏み込んでも、傘は意外に大きくふたりの肩が濡れることはない。ゴルフ用なんかな、と見上げながら忍足は持つのを代わるべきか考えるが、柳生と自分では身長がほぼ同じであるため問題はないだろうと結論付ける。もちろん相手が女子なら名乗り出るけれども、男同士でそこまで気を使う必要もないだろうと考えたのだ。
雪は霙よりも少し大きく、牡丹雪のように確かな白い結晶を知覚させてから落ちていく。はぁ、と吐き出す息も濁り、このままではコートに積もって練習が出来なくなるかもしれない。だが、跡部のことだ。勝つまではいくら雪が降り積もっても意地でも試合を止めないだろう。阿呆やな、とやはり忍足は柔らかく思う。
「先ほど私が観ていた時点では、タイブレークは20-20でした。あの様子ではきっとまだ続いているでしょう」
忍足が跡部と同じ氷帝所属ということで気を使ったのか、柳生が状況を教えてくる。おん、と頷いて忍足はジャージのポケットにかじかみ始めた両手を入れた。
「跡部のことやし、100は超えるやろうな。相手の実力にも拠るやろうけど」
「やはり選抜される高校生だけあって、強い選手が多いですね。油断は出来ません」
「とか言うて、試合放り出して傘取りに来とるし。余裕やんなぁ」
「ああ、これは幸村君のためですよ」
当たり障りのない会話だが、柳生はスムーズに流れを作っていく。愛想がいいのか、それとも世渡り上手なのか、そのどちらも当てはまっているような気がするけれども、おそらく素なのだろうと忍足は見当をつける。天然でこれかい、と感心するよりも些か呆れていると、柳生は自分ではない第三者の名前を出してきた。幸村のための傘だと、柳生は言う。そんな彼の手に二本目の傘はない。つまり幸村に差し掛けるためだけに、柳生は傘を取りに戻ってきたということだ。忍足の脳裏に朝の光景が蘇る。琥珀色の美しい紅茶を、幸村へ差し出す柳生。どうぞ、幸村君。ありがとう、柳生。すでに慣れてしまったワンシーンだけれども、それは欠かすことなく毎日繰り広げられている。気にも留めなくなっていたが、頭上の傘によって忍足は違和感を思い出した。紅茶といい傘といい、また他の場面でも、柳生は常に幸村の傍にいる。今思えばそれは余りに自然で、そして見事な奉仕だ。
「・・・どこの執事や」
呆れが呟きとなって漏れてしまえば、不思議そうに柳生が振り向く。お互い眼鏡を愛用する者だが、どうしてか柳生のレンズはその奥を垣間見せない。だが、ひとつ傘の下という至近距離似れば嫌でも分かる。端正な顔立ちやな、と忍足は今更のことに気づき感心した。清廉な容姿はきっと、スマートな執事服が嫌味なく似合うに違いない。
「自分、幸村に尽くし過ぎやないか? お姫様やないんやし、幸村も自分で何でも出来るやろ? 放っといてもええんちゃう?」
指摘すれば、そうですね、と柳生は頷く。歩いていても顔は忍足に向けられており、かといって雪で濡れ始めた道を踏み締める足元には何ら不安がない。そつのない男やな、と常は自分に向けられている評価を、忍足は柳生に向かって下した。
「幸村君は自分のことはすべて自分で出来る方です。これらはただ、私がしたいからしているだけですよ」
「そうなん」
「真田君や柳君がいたらまた違ったかもしれませんが、今いるのは私と丸井君と切原君ですから。丸井君は芥川君のお相手で忙しそうですし、切原君は自分のことで手一杯でしょう。自然、幸村君の傍にいるのは私になります」
「あー・・・すまんなぁ、ジローが」
「いいえ。それに幸村君は病み上がりですから、体調には気を使い過ぎるくらいでいいと思うんです」
「・・・せやな。変なこと言うた。すまん」
くすり、と柔らかく笑うことで柳生は「気にしなくていい」と伝えてくる。外見は決して派手ではないが、質の良さを確かに忍足は感じていた。触れ合い、付き合えば付き合うだけ、きっと柳生の良さを人は理解することになるのだろう。物腰はすでに一端の大人だし、気の使い方や落ち着いた思考回路は、氷帝の中では滅多にお目にかかれない類のものだ。同じ医者の息子ということもあり、何となく付き合いが長くなりそうな予感を覚えながら、忍足は前を向いて歩みを続ける。コートにはもう少し距離があり、ボールのインパクト音はまだ聞こえない。隣を歩く柳生が続ける。
「幸村君は、尽くされるべき方だと思うんです」
穏やかで、冷静というには少しばかり柔らかい響きの声を聴きながら、忍足は王者立海を率いる優美な男の姿を想像する。
「幸村精市というひとりの人間と出会えたことを、私は幸福に思います。彼の不屈の魂には、いくら敬意を払ったところで到底足りません。彼の下で、彼の率いる立海で、彼と共に、ひとつの目標を目指して邁進することが出来たことを、私は心から光栄だと思っています。数年後、道を違えるときが来たとしても、きっとこの思いが色褪せることはないでしょう。幸村君は私にとって尊敬すべき友であり、人間なのです」
忍足の脳裏に、跡部の姿が浮かび上がる。今もコートに立ち続け、タイブレークに挑んでいるだろう勇ましい姿が。
「だからこそ私は、私に出来ることなら何でもしたいと考えています。幸村君の剣として、彼の望みに繋がる勝利を勝ち取り、盾として、降りかかる不要な火の粉を打ち払いましょう。幸村君に献身することは、私にとって喜びなのです」
「・・・その気持ちは、分からんでもないわ」
「鮮烈な部長を頂いているのは、立海も氷帝も同じですからね。うちはヒエラルキーが確固としている分だけ判りやすいのかもしれません。副部長の真田君をはじめ、私たちは幸村君の下に侍る形を作っていますから。氷帝は跡部君を中心に円を描く形ではありませんか?」
「正解や。うちは跡部がおって、後はみんな平等やな。トップがいればナンバーツーはいらんっちゅうのが氷帝の方針や」
「そういう意味では、比嘉中の方が立海に近いかもしれませんね。あそこも木手君に従う形で集った学校ですし」
「強い仲間は誇らしい。それが自分よりも上やったら、生まれるのは反発か憧憬か」
「対等だと自負しています。それでもいざとなったら捨て駒になることを選ぶでしょう。彼の行く道を作れるのなら、と」
「意識しとるのが性質悪いで、自分」
「はっきり自覚しているのは私と柳君くらいですよ。幸村君は私たちが倒れてもその屍を踏んで突き進んでくれると分かっていますから、尚更安心して侍ることが出来るのです」
「跡部は、ちょお難しいかもしれんな。突き進めるやろうけど、悲愴が漂いそうや。あいつは守ることに力を発揮するタイプやし」
「それが跡部君の良さですよ。彼は幸村君とはまた違った意味で、キングですから」
紅茶も、傘も、すべてが柳生から幸村へ贈るプレゼントなのだ。尽くす柳生と、尽くされる幸村。どちらも当然と考えており、そして幸村は柳生の思いを背負って戦い続けることに強さを発揮する男なのだろう。跡部とは違うが、それもまた強者の在り方だ。たおやかで美しく、それでいて強く激しく苛烈に君臨する、その姿勢。どちらが良いという問題ではない。ただ忍足は氷帝で跡部に出会い、柳生は立海で幸村に出会った、それだけの話だ。共に戦った過去があるからこそ今に至る。もしも、なんて仮定の話に意味はない。跡部に尽くしたいという気持ちが、忍足にも確かにあった。柳生ほど具体的な形ではないにせよ、跡部が自由にテニスが出来たら、と願う気持ちは本当なのだ。見せつけられる背中に誇りを抱いて何が悪い。だって本当に尊敬しているのだ。悔しいから決して言葉にはしてやらないけれども。
見えてきたテニスコートでは、まだ試合が続いているようだった。中学生たちの跡部に対する声援は多く、そのことが純粋に嬉しいと忍足は思う。これだけの仲間に慕われる男が、自分たちの部長なのだ。流石やな、跡部。笑って忍足は傘の下から一歩踏み出した。途端に頬に触れた雪は体温で溶けて、僅かな冷たさだけを感じさせる。
「ここでええよ。助かったわ」
「いえ。私も忍足君とは一度話をしてみたかったので」
「俺ら、似とるんかなぁ。医者の息子やら眼鏡やら共通点も多いし」
「仲良くしていただけたら、と思います」
「せやな。部長を支える者同士、頑張ろうや。俺様な部長たちやけど」
思わず笑い合ってから、おおきに、と告げて忍足は右へと足を進めた。このまままっすぐ進めば、跡部のベンチへと辿り着く。自分の姿を見止めて少しでも力としてくれたのなら幸いだが、あの跡部に限ってそれはないような気もする。だからこれは自己満足だ。忍足が跡部の傍にいたいという、傍で彼の勇姿を目に焼き付けたいという、勝手で愛しい要望だ。
ちらりと振り向いた先では、一度雪を払った傘を、柳生が幸村へと差し掛けていた。柔らかなウェーブの髪が艶やかに光り、ジャージに包まれた存外に細い身体が冷気から優しく守られる。顔を上げて幸村は礼を言ったようだった。柳生もそれに応えたのだろう。傘を持ち、彼は微笑みかけている。
その左肩が僅かに濡れ始めていることに気づき、忍足は小さく笑った。傘は幸村ひとりを守り切れば、それで十分に役目を果たすのだろう。柳生の献身はとても美しく忍足の目に焼き付いた。





柳はともかく、真田がいたら柳生はきっとここまで献身しない。その場合、自分の役目は仁王のお守なのだと分かっているので。
2011年3月6日