基本的にはコーヒー。それかカプチーノ、あるいはエスプレッソ。気分次第ではティーラテ。季節の商品を頼むこともあるけれど、キャラメルマキアートやココアを選んだときは要注意。そういうときは疲れていることが多いのだ。後は、後は。





放課後フラペチーノ





部活を終え、駅までの道のりをのんびりと歩く。今日は幸村と真田は明日の練習メニューについて話し合うため部室に残り、柳はそれに付き合い、丸井と赤也はジャッカルを引きずって割引日らしいケーキ屋に走って行ったため、道程は仁王と柳生のふたりだ。ダブルスペアを組んでいるが、立海はレギュラー同士の仲間意識が強いため、こうしてふたりにきりになることは余り多くない。かといって沈黙が苦になるような間柄でもないので、思い出すようにぽつりぽつりと会話をしては、基本的に静かに街を歩いている。ほう、と仁王の吐き出す息が空気中で白く濁る。年の瀬を控えた夕方、寒さを堪えるには学校指定のマフラーだけでは心許無い。
「寒い」
呟いた仁王に、隣を歩く柳生は呆れた様子で眼鏡の位置を直す。
「ですからコートを着た方がいいと何度も言っているでしょう。もう十二月なんですよ」
「指先が冷たいナリ。氷みたいぜよ」
「手袋もしてください。先日の誕生日プレゼントに差し上げたではありませんか」
「大事過ぎて神棚にしまってあるんじゃ」
「日用品は使ってこそですよ。古くなったらまたお贈りしますから、明日から使ってください」
「考えとく」
ほう、ほう、と仁王は唇で丸を作って息を吐き出しては、それを自ら崩して楽しんでいる。氷みたいだと例えた掌は両方ともブレザーのポケットに突っ込まれていて、このまま転んだら大変なことになりそうだと些か柳生はやきもきしている。もちろん仁王に限って、そのような無様な真似はないと理解しているけれども。
「柳生、コーヒー飲んでこ」
「いいですよ」
仁王の足が通りのコーヒーチェーン店へと向かったので、柳生も頷いてその後を追った。シックな色合いの店は、ふたりにとってファーストフードよりも利用する率が高い。レギュラー全員で行くのなら少しくらい騒いでも平気なマクドナルドやファミリーレストランを選ぶが、仁王と柳生だけなら話は別だ。柳生は元々ファーストフードが得意ではないし、仁王とてジャンクフードを特別好むわけでもない。静かに話をするくらいならメニューも飲み物があれば十分で、ふたりのときに寄り道をするのは専らレストランよりも喫茶店が多かった。自動扉を越えて店内に入れば、すぐにコーヒー豆の香ばしい匂いを鼻が捉える。ふたつあるレジにそれぞれ並び、仁王は前方に掲示されているメニューリストを、柳生はボードにポップに描かれた季節限定商品を眺めた。そして互いに注文と支払いを済ませて品物を受け取り、店内の奥まった席に腰を下ろす。カウンターから持ってきたミルクをテーブルに置いて、柳生は仁王が握っているドリンクに眉を顰めた。
「寒いのに、どうして冷たい飲み物を選ぶんですか」
「美味そうじゃろう? コーヒーゼリーが入っとるんじゃ」
「仁王君、あなたは元々新陳代謝が活発な性質ではないのですから、もっと身体には気を付けないと」
「んー美味いのう。甘いのう」
ストローに口をつけて、ちゅーっと音を立てて仁王がフラペチーノを吸い上げる。白いクリームとキャラメル色のコーヒー、所々に覗くゼリーのコントラストは確かに見事だけれども、見ている側が寒くなってくるのも季節柄当然だ。寒い寒いと言いながらも冷たいドリンクを勢いよく飲む仁王に、柳生は溜息を吐き出す。好きなときに好きなものしか食べないような、偏食に近い仁王なのだ。まったく、と頭を痛めながら、柳生は自身のドリップコーヒーの蓋を開けた。砂糖は入れずに、ミルクだけを傾ける。途端にカップの中が柔らかな色合いへと変化した。
大きなラケットバッグを床に置いて、丸いテーブルをふたりで挟む。ソファーの席に仁王で、椅子には柳生だ。店内に流れるのは歌詞の入っていない音楽で、意識を邪魔しない自然さが休息を落ち着いたものにしてくれる。他の客の聞こえるようで聞こえない会話もまた、放課後を彩るひとつの要因だ。ちゅう、と柔らかいゼリーをストローで吸い上げ、仁王は喉を鳴らして飲み込んだ。
「冷たい。柳生、後は任せたぜよ」
「だから言ったでしょう。刹那の気分に左右されるのはやめたまえ」
押し付けられたフラペチーノは、店内の暖房を受けてかカップに僅かな水滴を帯びている。半分に減っているそれを受け取り、代わりに柳生は小言と共に自身のコーヒーを仁王の前へと置いてやった。一口しか飲んでいないため、中身はほとんど減っていない。カップに両手の指先を添え、伝わる温かな熱に仁王の唇の端がほんの僅かに綻んだことに、ちゃんと柳生は気づいていた。両手で抱えるように、まるで少女のような所作で仁王がカップを唇へと近づける。熱い液体が喉を通り過ぎ、フラペチーノで冷やされた仁王の胃を温めればいいと柳生は思う。そのために柳生はコーヒーに一口しか口をつけなかったのだから。
仁王がちびちびとコーヒーを舐めだしたのを確認し、柳生は一緒に購入していたサンドイッチに手を伸ばす。イタリアンソーセージと種々の野菜をトマトクリームソースで合わせたサイドメニューは、こちらもまだ温かい。家に帰れば夕食が待っているけれども、ただでさえ成長期の身体は部活後ということも相俟って、これくらいは容易く消化出来る。二切れあるうちの片方を、柳生は仁王へ向かって差し出した。
「良ければ食べませんか?」
「貰うナリ。・・・ん、美味いのう」
「ええ、美味しいですね」
サンドイッチにぱくつき、飲み込んでから柳生はフラペチーノに手を伸ばす。仁王がストローをぐるぐると回してかき混ぜてしまったために、すでに色はマーブル模様だ。つっかえる様な吸い込みの後に、つるりと口内に入ってくるゼリーの欠片は、ほろ苦い味がフラペチーノの甘さと丁度いい。しかしやはりコーヒーに比べると甘過ぎる。何となく口の中がクリームだらけになった気がして、柳生は思わず眉を顰めた。けれどその甘さがどこか心地良かったのも事実だ。じんわりと疲弊していた心が少しばかり持ち直す。それからはふたりして、サンドイッチを摘まんでは互いに交換したドリンクを啜った。
「寒いですね」
「寒いのう」
「明日はコートを着てきてくださいね。手袋も忘れずに」
「柳生は今日は早く寝んしゃい」
「そうですね。そうします」
「コーヒー、あったかいぜよ」
ありがと、と仁王が呟けば、私こそありがとうございます、と柳生も返す。そしてやはり沈黙したり、ぽつりぽつりと会話を交わしたりして、仁王の身体が温かくなり、柳生の疲れが癒された頃にふたりは並んでコーヒー店を出る。再び駅へ向かい始める足取りは、いつもの放課後とまったく同じだ。寒いのう、と仁王が呟き、寒いですね、と柳生が返す。来年もよろしくお願いしますね、との柳生の言葉に、こちらこそよろしく頼むぜよ、と仁王も珍しく明るく笑って頷いた。





互いをちゃんと見てる仁王と柳生。今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします!
2010年12月31日