四校合同合宿対戦実現(千歳・財前VS手塚・乾)





ちりちりちりちり、肌を焦がすプレッシャーを千歳は感じていた。これは財前の気迫だ。四六時中不遜や不機嫌、愛想のなさを振りまいているような後輩だが、本当の意味で感情を発したときはそれを表情に出さない。けれど、空気は如実に語る。生半可な精神では隣に立てない。立つことを許さない。財前は人を選ぶ。選び抜かれた者だけが、寄り添うことを許される。
「・・・ゲーム、千歳・財前。3-1」
審判を務める、鳳の声が僅かに震えた。ざわっと周囲が揺れる。少しずつ少しずつさざめきは大きくなり、信じがたいといった呟き、あるいは単純に感嘆がそこここで漏らされる。ごくりと唾を飲む者も多かった。
「コードボール・・・もう、五回連続だぜ・・・!?」
「マジ? 狙ってやってるよな、あれ」
「狙わなきゃ出来ねぇだろぃ。全ボレーをネットに当てるなんて」
ガムを膨らませ、自ら割って丸井が奥歯で咀嚼を繰り返す。同じくネット際のプレーを得意とするジローも、目をきらきらと輝かせてコートを食い入るように見つめている。四天宝寺の希望が実現した対戦だった。全国大会準決勝のダブルス1と同じ面子が顔を合わせ、違うのは四人全員がきちんとコートに立っていること。参ったな、と乾が頭を掻いて、僅かにずれた眼鏡を直す。これはノートが書けないときに彼がする、データの修正方法だった。手塚は無言でガットの張りを確認する。準決勝で勝利した彼らが今、二ゲーム差で負けている。勝っているのは四天宝寺。千歳と、財前。
呼吸ひとつも、足を踏み出す動きでさえも、何の音さえ立つことがない。それでも傍目から見ていて不安になるほどに、財前は大量の汗を流している。常にセットされているスマートな黒髪が乱れており、時折ふらつく身体からも身を削るように疲弊しているのは明らかだったが、その眼だけは鋭く、力を失っていない。財前の手はラケットを握り続けている。
サーブ権が青学に移る。ボールを高くトスした手塚が、零式サーブを使うのかはフォームからでは判断出来ない。だからこそ後衛である千歳は、すべてのサーブをバウンドする瞬間に打ち返す。乾のウォーターフォールに対しても同じレシーブをしてみせるのは、何度も繰り返すことでひとつのタイミングを作り上げているからだ。ダブルスでは本来の能力を発揮出来ない「才気煥発の極み」をそれでも限界まで使用して、ボールのすべてを千歳はコートを左右ギリギリまで走り回って打ち返す。長かったり短かったりラリーは続き、そして忘れた頃にすっと入ってくる存在がある。―――財前だ。
視線を決して逸らしているわけではないのに、彼はきちんとそこに存在しているというのに、その一瞬だけ財前は自然のすべてと同化する。一歩でネットに近づき、その腕が緩やかにしなやかに動く様だけを周囲の目に焼きつけさせ、そしてラケットのフェースはボールと静かに接触する。すべてが手塚の元へ戻るように回転をかけられている「手塚ゾーン」さえ、無へと帰すほどの柔らかく正確なタッチだ。相殺されて無回転となったボールに乾が気づいてダッシュをするけれども、もう遅い。ボールはネットの僅かな厚みの上に降り立ち、数秒してからゆっくりと向こう側へ落ちていく。財前が得たポイントはこれで十を超えた。そのすべてがネットを掠めて落ちるコードボールだ。手塚が細く息を吐き出す。鳳の手元で、ストップウォッチがけたたましく空気を切り裂いた。
「っ・・・30分です! 時間制限により、試合終了となります。ゲームカウントは4-2、現在リードしている千歳・財前ペアの勝利です」
わぁっと謙也や金太郎たち、四天宝寺から歓声が挙がる。二ヶ月前とは違う結末に多くの者が驚いていたが、贈られた拍手は純粋な賞賛だった。前衛から決して下がることのなかった財前は、まだ手の中のラケットを下ろせない。纏う気配は未だ剣呑で、トランス状態から意識が戻っていないのだろう。試合中の財前は異常なほどの集中力を発揮していた。声援ももしかしたら聞こえていなかったかもしれない。心も身体も精神も、すべてを注ぎ込んでこの試合に当たっていた。それだけ、財前にとって全国準決勝は屈辱だったのだ。
「光君」
時期だけを見定めていた意識がようやく解けたのか、千歳の声にゆっくりと振り返る。瞳にすでに威圧はなく、後ろにいた千歳の存在をたった今思い出したかのような顔だった。部活でも滅多に見ない汗だくの先輩の様子に目を見開き、肩まで持ち上げられた手のひらに視線を移す。ハイタッチだと理解した瞬間、財前の手は千歳のそれを全力で叩いていた。
「―――っしゃ!」
財前も千歳も、満面の笑顔だった。ネットを挟んだ反対側では、「やられたな」と乾が肩を竦めている。手塚はそれに頷いて同意した。手塚ファントムはまだ出していなかったし、時間制限がなければどうなったかは分からないが、それでもこの二ヶ月で財前が見せた成長は確かな形となって現れた。人は変わる。そして今回、それは努力だ。見事だ、と手塚は心から勝者へと喝采を送った。





今回は財前のためにひたすら走り回ってボールを拾い続けた千歳。
2010年9月26日