18.梅雨が来る前に





新入生の中で最も早く「心のノート」が作成されたのは、一年一組に違いなかった。かのクラスには沢田バジルというイタリアの血を引く少年が在籍しているのだ。自然な流れだろうと上級生たちは思う。けれど一年の教室で交わされるやり取りは、自分たちまで伝わってこない。故に彼らは部活に入ってきた一年生に、心のノートの作成を義務付けた。なかなかにミーハーになってきた並高生たちは、数年後、社会に出た際に素晴らしいタフさ加減を発揮することとなる。



「こんにちは。バジル君、いるかな?」
四時間目の授業が終わった教室に、並高の救世主は現れた。姓を沢田、名を綱吉。容姿は普通よりちょっと格好いいくらいの彼は、一年生たちがこの学校で二番目に覚えた上級生だ。ちなみに一番は風紀委員長の雲雀恭弥である。彼の名は肉体と精神の痛みと共に刻まれており、生涯忘れることはないだろう。生きるって世知辛いね、と一歩大人の階段を上った新入生たちである。しかしそんな雲雀から逃げる術を教えてくれた綱吉もいることから、人生ってそんなに捨てたものじゃないとも彼らは思っていた。
噂の先輩の登場に一年一組の生徒たちは歓声を上げ、彼らの中から一人の少年が席を立って扉に駆けよる。色素の薄い茶の髪は女子生徒の憧れであり、その整った顔立ちは男子生徒の憧れである沢田バジルだ。同じ名字ということは兄弟あるいは親戚なのだろうか。前者にしては顔立ちが似てないし、二人とも明るい茶髪からするに後者なのかもしれない。ということは二年生の沢田ベルフェゴールも親戚なのだろうか。何か一気に危険度が上がった。一年一組一同はそう思い、先輩の言いつけを守って心のノートを開く。手に持っているのはシャーペンだ。蛍光ペンを用意するような周到さはまだないらしい。
「どうかしましたか、沢田殿」
「ううん、大したことじゃないんだけど。それよりバジル君、その呼び方やめない? ここは一応学校なんだし」
「ええと、それでは・・・・・・さ、沢田先輩では、いかがでしょうか?」
「えっ、あ、うーん・・・・・・何か、バジル君に先輩って呼ばれると照れるね」
どっちかっていうと、死ぬ気の炎に関してはバジル君の方が先輩だし。そう言って綱吉は恥ずかしそうに頬をかき、バジルもそんな彼に同じような微笑みを向ける。けれど一年一組一同は心中で首を傾げていた。死ぬ気の炎って何だろう。しかし分からないながらにしっかりとノートに書き込み、とりあえず赤ペンでアンダーラインを引いてみる。部活のときにでも先輩たちに聞いてみよう。そんなことを考える彼らは、さすが県内トップの進学校に入学した努力家たちである。
「バジル君、もうお昼食べちゃった?」
「いえ、まだです」
「じゃあこれ、良かったら食べて。母さんがバジル君にもって」
「奈々殿がですか! ありがとうございます! 拙者、何とお礼を申し上げれば良いのか」
「いいよ、そんなの。バジル君には俺も世話になってるし」
お世話になっているらしい。一年一組一同は「綱吉先輩がバジル君にお弁当をあげた」とノートに記入するが、彼らはまだその弁当の威力を知らない。それさえあれば、あの雲雀だけでなくベルフェゴールやスクアーロまでおとなしくさせることが出来る魔法のアイテムなのだ。ナフキンに包まれた弁当を受け取り、バジルは大事そうに両手に抱える。
「学校にはもう慣れた?」
「はい。まだ少し購買に戸惑いますが」
「昼は混むからね。でも武器は使わないでね、頼むから」
「もちろんです。一般人に手を上げるなと親方様からも言い含められております」
「ベルはやったんだよ・・・。いや、欲しいパンのリストと金の入った封筒をナイフでレジに投げつけただけなんだけどね。でもまぁ幸い、怪我人もなかったし」
昼に購買に行くのはやめよう。一年一組一同はノートにそう書き込んだ。ぐるぐると丸で囲み、ここまで来るとさすがに蛍光ペンを取り出す生徒も出てきたらしい。入学式の風紀委員長挨拶と、その後の暴力統治に並高の非常識さを感じ始めていたのだが、やはりここでもそれは肯定された。ベル、おそらくベルフェゴール。二年六組のイタリア人留学生。この人にだけは近づくまいと、新入生たちは固く誓う。
「あー・・・・・・それでね、バジル君」
「はい、何でしょう」
「えっとね、一つだけ確認したいんだけど」
「はい」
バジルは首を傾げるが、綱吉は言い辛そうに視線を右へ左へと移動させている。けれど結局、彼は覚悟を決めて問いかけた。
「・・・・・・バジル君って、今どこに住んでる?」
「拙者ですか?」
「うん」
これはもしかしてバジルの住所が明らかになるのかもしれない。女子生徒たちはペンを握り直し、筆記態勢に入る。どんなに早口で言われようとも書き取る気満々だ。美少年の情報というのは多くて悪いことなんて一つもない。にこりと笑い、バジルは答える。
「以前に沢田殿と修業をしましたでしょう? あの山です」
あれ、そんな住所この近くにあったかな、と生徒たちは首を傾げた。
「・・・・・・山のふもとのアパートとか、山の見えるマンションとかじゃなくて?」
「はい、あの山の中でテントを張っております。大丈夫です。拙者、サバイバルも得意ですから」
何こいつ、と誰もが思った。いろいろツッコミを入れたいが、入れたいところがありすぎて呆然と彼を見つめるしかない。爽やかな、笑顔と裏腹、バジル君。そんな俳句さえ浮かんでしまったくらいだ。何だろう。イタリア人とはみんなこんな感じなのだろうか。
問いかけた綱吉はうなだれ、ふるふると肩を震わせている。ああこの人って何か苦労してるのかも、と思った一年一組一同の認識は正しい。
「やっぱりやっぱりやっぱりねっ! どうりで先生が俺に泣きついてくると思った!」
「さ、沢田殿?」
「バジル君、一人暮らしするならちゃんと板の屋根のある場所にしてよ!」
「あ、では」
「トタンをテントの上に載せるとか無しだから! つーか父さん、何でちゃんと手配しないかなぁ!?」
ぎゃあぎゃあと綱吉は叫びだすが、それは最もだと周囲も思った。人とは他人が暴走してくれれば、自身は落ち着いて静観できるものらしい。それに乗っ取り、一年一組一同は心のノートに書き込みを加える。いろいろ加えすぎて早くも次のページをめくる者さえ出てきていた。
「バジル君、放課後引っ越しだから」
同じくらいの高さにある肩を掴み、綱吉は真剣な顔で告げる。
「お願いだから、俺のためにも引っ越して。うちでいい? 父さんの部屋はビアンキが使ってるから、客間か俺の部屋になっちゃうけど」
「そ、そんなご迷惑はかけられません!」
「じゃあベルとスクアーロのマンションにする?」
「そ、それは・・・・・・」
「じゃあ決まり!」
綱吉さん、意外に結構、押し強い。新たな俳句を読み上げていると、爽やかに綱吉が笑った。学年が違うといっても一つだけだし、比較的小柄だというのにどこか巨大なオーラを感じてしまい、一年一組一同は内心で「おおう!」と歓声を上げた。雲雀のように凶悪なものではないし、どちらかといえばこくこくと頷いてしまうようなものだから良いのだけれど、やはりこの人もただ者じゃないと認識を新たにノートへと書き込む。沢田綱吉、一年生に「普通じゃない人」と判定された瞬間だった。しかしバジルはうっすらと頬を染め、嬉しそうに頷いている。そして彼はぺこりと頭を下げた。
「不束者ですが、何卒よろしくお願い申し上げます」
「はい、お願いされます。うるさい家だけどよろしくね」
「いいえ、沢田殿がいらっしゃれば、拙者はそれで」
ほがらかな空気が流れているのであっさりとスルーすべきなのかもしれないが、とりあえず生徒たちは黙って会話のすべてをノートに書き込んだ。何かもう本当、どうすりゃいいんですか先輩、と心の中で呟きながら、新入生たちは思った。何だかとんでもない学校に入ってしまったのかもしれない、と。
そしてそれは十数秒後に割り込んできたベルフェゴールの「俺も綱吉んち住みたい」コールにより、確定形に変わるのだった。





家光はバジル君が沢田家に行ってるもんだとばかり思ってたらしいです。
2007年1月16日(2008年5月3日ミクシィより再録)