気がついたら、恋をしていた。
それは骸に向けるような崇拝の念ではなく、少し甘さを帯びた、それでいて胸がちくりと痛むような、切なさを含んだ感情。
そんなものを、凪はいつしか抱いていた。

自分を認めて、守り、救ってくれたボス―――沢田綱吉に対して。





花に臥す





凪にとって、綱吉は恩人だ。心を救ってくれたのが骸なら、綱吉は凪の身体を救ってくれた。ボンゴレリングの争いに勝利し、勝者の権利として、彼は凪の治療を希望した。
そして今、彼女の身体には人工物で出来た臓器が埋め込まれている。柔らかみのない腹になってしまったけれど、自分で立って動き、走ることが出来る。それだけで凪は十分だった。
ボス、ありがとう。泣きながら礼を言った彼女に、綱吉は慌てたように視線をさまよわせながら、俺こそありがとう、と言った。そして泣かないでとも、笑って、とも。
それから間もなくして、凪はいつだって綱吉を目で追っている自分に気づいた。暇さえあればいつだって彼のことを考えている自分に。
骸に笑いながら指摘され、彼女はそれがようやく恋心であることに気がついたのだ。

そして偶然、凪は知ってしまった。
彼女の想いを寄せる綱吉が、クラスメイトの女の子に片思いしているのだと。

ショックはあまりなかった。ただ、そうなのか、と思っただけで。ショックはあまりなかった。
けれどそれは、後からじわじわと凪を侵食してきた。
自分が綱吉のことを考えている間も、彼はクラスメイトの彼女のことを考えているかもしれない。自分が綱吉を想って幸せを感じている間も、彼はクラスメイトの彼女を想って幸せを感じているのかもしれない。もしかしたら自分がいない間に、綱吉は彼女と会話を交わしているかもしれない。微笑んでいるかもしれない。自分には決して見せない、優しい顔で。
そう思ったら、もう駄目だった。



帰りのHRが始まる前に教室を出る。校庭を横切っている際に校舎から骸の視線を感じたけれど、何も言ってこないということは行動を許されているのだろう。どこか笑みさえ含んだ気配に見送られ、凪は黒曜中を後にした。
目指すのは隣町・・・・・・並盛中。
道には迷わない。リング戦のときに行ったことがあるし、骸に連れられて並盛に来訪したことも多々ある。凪はまっすぐ並盛中に到着し、上下する肩をなだめた。昇降口からは人が流れ始めている。どうやらHRが終わったところに間に合ったらしい。凪は正門の柱に背をつけ、目的の人物の登場を待った。

今日、凪がここまで来たのは綱吉に会うためではない。会えたらいいな、と思っていないとは言えないけれど。でもそれ以上に、彼女は一目見たかったのだ。
綱吉の恋をしている相手・・・・・・笹川京子を。

もしかしたら自滅的な行為なのかもしれない。自らライバルを見に行くなんて。けれど凪は耐えられなかったのだ。日々、彼女の中で「笹川京子」の存在は大きくなっていく。いつか不安に押し潰されてしまうだろう。だから、そうなる前にしっかり把握しておきたかった。
綱吉に好きになってもらいたい。だからこそ凪は、彼女を知ることを決めた。
特徴は聞いていた。茶色の、セミロングの髪。大きな瞳、華奢な身体。まるで花のように愛らしい存在。けれどそんなものなくとも、凪には一目で分かった。彼女が、「笹川京子」なのだと。
「あの・・・・・・っ」
「え?」
突然声をかけてきた他校生の少女に、彼女は大きな目を瞬いて振り向く。けれど凪の姿を認めると、小首を傾げてにこっと微笑んだ。
その瞬間、凪は泣いてしまいたかった。



影も闇も傷一つもない、まるでひだまりのような少女。彼女が、綱吉の求める相手だというのなら。
自分なんか、敵わない。

こんな自分じゃ、綱吉を照らすことなんて出来ない。



つうっと頬を伝った涙に、凪ではなく京子の方が驚いた。彼女と帰るため、共に立ち止まっていた黒川花も、ぎょっとして目を見開く。
「どうしたの? どこか痛い?」
「ちょっと何、いきなり。泣くんじゃないわよ」
京子が慌てて顔を覗き込み、黒川はハンカチを取り出して渡す。その優しさが更に凪を悲しくさせた。敵わないと思ってしまった。この綺麗な存在に、自分は勝てない。それが分かってしまったというのに。
「・・・・・・凪?」
呼ばれれば振り向いてしまう。姿が見れて喜んでしまう。その目に自分が映っていることが、嬉しくて、嬉しくて。
「凪!? どうしたんだよ、急に! しかも何で泣いてんの!?」
綱吉が駆けよって来る。その後ろにはいつものように獄寺がいる。唇を噛み締めるのに、凪は嗚咽を堪えることが出来なかった。綱吉と京子の前で、みっともないと思うのに。
絶望を知っても尚、止めることが出来ない。
心配するように伸びてきた綱吉の手を、凪はすがりつくように握りしめた。悲しみと絶望の中で彼女は実感した。
自分は紛れもなく彼に恋をしている。



好きになってもらえなくてもいい。だからどうか、見捨てないで。それだけを凪は願った。
京子の前にそれは、途方もない祈りに感じた。





おねがい、ボス、なんでもするから。だから、どうか。
2006年10月5日