ぼやけた月明かりさえ避けるように、漆黒の影が夜の街を走る。ふわりと揺れるコートの裾。まるで極上の舞いを舞うかのように優雅な所作で目標を追い詰め、影は音もなくそのこめかみに拳銃を突き付ける。震えた声で始まった命乞いは十秒。サイレンサーは役目を果たし、夜の静寂を壊さない。
ようやく照らすことを許された月光は、キャラメル色の髪と幼く愛らしい顔立ちを、密やかにそっと浮かび上がらせた。





キャラメルとお月様





ふぅ、と綱吉は溜息を吐き出す。屋敷に入ると同時にコートを脱いで、出迎えに並んでいたメイドに手渡す。下はレザーパンツと固さの目立つブーツだが、上半身は明るいオレンジ色のティーシャツだ。これでデニムにスニーカーを履いていたなら、間違いなく普通の少年に見えるだろう。威厳とはかけ離れている愛らしい顔つきだけれども、彼の後に続いて歩いている部下はそんなもの関係ないらしく、ボスの溜息に心配そうに話しかけてくる。
「どうしました、ボス」
「ううん、何でもないよ、レヴィ。ちょっと疲れちゃっただけ」
「まぁ! 大丈夫なの、ツナちゃん!?」
「大丈夫だよ、ルッスーリア」
「やっぱあの標的、俺が殺せばよかったんじゃね? あんなおっさん、姫さんに殺られるのなんて絶対勿体なかったって」
「うお゛ぉい! 風呂は用意出来てんだろうなぁ!? ワインとケーキも用意しとけぇ!」
「綱吉、ゆっくりシャワーを浴びておいでよ。話ならその後でいくらでも聞くからさ」
「・・・・・・ありがと、ベル、スクアーロ、マーモン。ゴーラも心配させてごめんな」
六人の部下にそれぞれいたわられ、綱吉はへにゃりと笑みを浮かべる。

どう考えても10を少し過ぎたばかりにしか見えない、幼い東洋の少年。
沢田綱吉という名の彼は、イタリアマフィアの頂点に君臨するボンゴレファミリーの独立暗殺部隊―――ヴァリアーのボスだった。



日本人の血を色濃く継いでいる綱吉の好みを反映して、この屋敷には大きな浴室が各部屋に取り付けられている。特に綱吉の部屋の風呂は総檜の純和風で、いたく彼のお気に入りだ。けれどいつもは二時間近くの入浴を三十分で切り上げてきたボスに、やはりヴァリアーの面々は眉を顰める。中央の大きな一人がけソファーにぽすんと収まる姿も心なしかいつもより小さく見えて、部下たちの懸念に拍車をかけた。濡れたままのキャラメル色の髪にスクアーロが立ち上がり、タオルを奪ってがしがしと、けれど丁寧な仕草で乾かしてやる。まるで猫のように、綱吉の目がうっとりと細まった。
「それで、何があったの? ツナちゃん」
問いかけてくるルッスーリアも自室でシャワーを浴びてきたのだろう。トレードマークのモヒカンから、フローラルな香りが漂ってくる。
逆に着替えただけらしいベルフェゴールは、擦り切れたジーンズの足を組み換えた。
「姫さん、名前言ってくれれば俺が今すぐ殺ってくるよ?」
「俺も行きます」
綱吉が心配でずっと控えていたのだろう。帰ってきた時と同じ姿のままのレヴィが、声を固くして同意する。ゴーラは使用した分の弾丸を補充するついでに、マスクも新たなものに交換したらしい。艶光りしているそれが、機械音を出して深く頷く。
「ねぇ、本当に何があったの。綱吉は僕たちのボスなんだよ? 何かあったなら相談してよ。必ず力になるから」
仕事のときとは違う、けれど漆黒のフードを被っているマーモンが、小さな赤ん坊の手のひらを綱吉の膝に置く。彼らの優しさに、綱吉は思わず泣きそうになってしまった。
マーモンの両脇に手を差し込み、膝の上に乗せる。小さな身体を抱きしめて、綱吉は深く息を吐き出した。ブラシを通し終えたスクアーロの手が離れていく。
たっぷり十秒数えた後で、まだ声変わりを終えていない少し高めの声が、流暢なイタリア語を紡ぎ始めた。
「・・・・・・今日さぁ、九代目に呼ばれたから、会いに行ったんだけど」
ボンゴレ九代目。綱吉の遠縁の親戚に当たり、両親を喪った綱吉の面倒を見てくれている養い親でもある。すでに高齢だが、見事な手腕でファミリーをまとめ、ゴッド・ファーザーとまで呼ばれている義父を、綱吉はとても敬愛していた。いつか彼の跡を継いでボンゴレファミリーの十代目になれたら。そう願ってヴァリアーに籍を置き、日々精進している。
――――――それなのに。
ぎゅっと、マーモンを抱きしめる腕に力が篭った。ぐすりと、鼻をすする音が響く。

「俺じゃ、十代目は無理だって・・・ジャッポーネに直系を見つけたから、そいつに、継がせるって・・・・・・っ」

言葉にしたら堰が外れたのか、綱吉はマーモンのフードに頭を埋めてうわああぁんと泣き出した。ヴァリアーに入ってからこっち、九代目に認めてもらうためだけに努力してきた綱吉を彼の部下たちはよく知っている。殺しを日常にまで慣れさせ、超直感を研ぎすませ、死ぬ気の炎も使いこなせるようになるまで、どんなに綱吉が頑張ってきたのか。知っているからこそ初めて見る声を上げて泣く様は、彼らを慌てさせるのに十分すぎた。同時に、怒りを抱かせるのにも。
「あああああっ! 泣かないで! 泣かないでツナちゃん!」
ルッスーリアがあたふたとなだめにかかる。腕に抱かれているマーモンは突然の綱吉の号泣に驚愕して、動けもしない。
歯を見せて笑っていたベルフェゴールの顔から表情が消え、立ち上がった彼はすでにナイフを指の間に挟んでいる。共に立ち上がったスクアーロも、すでに仕込み刀を手にしていた。
「・・・・・・待ってて、姫さん。速攻であのジジイ殺ってくっから」
「う゛おぉい! 行くぜぇレヴィ、ゴーラ!」
呼ばれた二人も武器を手に殺気溢れて続こうとするが、それを止めたのもやはり綱吉の泣き声だった。
「やあああだああああっ! やだ、だめ、九代目を殺しちゃだめえ! ぜったいやああだああっ!」
「何でだよ、姫さん! 姫さん、ボンゴレになりたくて今までヴァリアーやってきたんじゃん!」
「そうだぜぇ! あのクソジジイだってそれを知ってるはずだろぉ!? それなのにてめぇを今更切りやがったんだぜぇ!」
「そうだけど、そうらけろ、やなもんはやだあ! 九代目えっ、殺しちゃやらあっ!」
うわーんと先ほど以上に大きな声で泣き出した綱吉の頭を、我に返ったマーモンが抱きしめられながらも懸命に撫でる。ぐすぐすと嗚咽を繰り返す綱吉に、部下たちはどうしたものかと視線を交わしあった。本当はやっぱり今すぐにボンゴレ九代目を殺しに行きたかったのだけれども、目の前で泣き続ける綱吉の命令を、彼らは拒むことが出来ない。途方に、暮れてしまう。



綱吉はそれから三十分ほど泣き続けたけれども、力が尽きたのか騒ぐのは収まった。涙で真っ赤になった目とまぶたが痛々しく、ルッスーリアの指示でゴーラがタオルを濡らして持ってくる。ありがとう、と礼を告げた綱吉はやっぱり、へにゃんと笑った。そしてぽつりぽつりと話し始める。
「何か・・・・・・さ、俺が生まれる前に、九代目の愛人が別れた後に渡日して、そこで九代目の子を産んでたらしくて」
マーモンが自身専用のティッシュをくるくると巻き取って綱吉に渡す。
「俺より五歳年上だから・・・・・・今年で、19? そいつを十代目に指名するって、九代目が」
綱吉はちーんと鼻をかむ。ベルフェゴールはいまいましげにだんっと床を蹴り飛ばし、ソファーに身を落とした。
「何だよ、それ。ただの堅気がボンゴレ十代目? しかも極東育ち? 耄碌したんじゃねーの、あのジジイの超直感」
「俺もそう思うぜぇ。直系だか何だか知らねぇが、ぽっと出のガキにマフィアが務まるわけねぇだろぉ」
「十代目に相応しいのはボスだけです」
スクアーロやレヴィも口々に言葉を連ねる。綱吉は唇を噛みしめた。
「・・・・・・だけど、九代目はもう、そいつの家庭教師として・・・リボーンを、送ったって」
「リボーン!?」
「って、あのヒットマンの!?」
ぴくりと綱吉の腕の中でマーモンが反応する。出てきた名前は、彼と同じアルコバレーノの一人だ。イタリアマフィアを架ける七色の一つ。
「・・・・・・リボーンっていえば、九代目の忠臣じゃない」
「それだけマジってことかぁ!?」
「裏切りじゃん、姫さんへの」
ベルフェゴールの言葉が、部屋に大きな響きを持って広がる。
「姫さんは十代目になりたくてヴァリアーに入ったんじゃん。人を殺したこともなかったのにさ、すっげー頑張って、俺らだって姫さんの努力と実力を認めて、ボスにだってなったのに。それが全部あのジジイのためだって、あいつだって知ってんだろ? それなのにこの仕打ち、完璧姫さんへの裏切りじゃん」
「ベルっ!」
「だって許せんの?」
誰もが沈黙する。この場にいた誰もが、綱吉の努力を知っている。小さな身体を黒のコートに包んだ日。初めて人を手にかけたときの表情。実力がすべてのヴァリアーを、綱吉は一つずつ確かに昇りつめていった。優しく、だけど厳しく、冷酷であり、慈悲に溢れている。そんな綱吉だからこそ、今のヴァリアーは彼の元に集っているのだ。綱吉が九代目のために在ることを望むから、今まできたボンゴレの命令に従ってきたというのに、それなのに。
行き場のない理不尽な怒りが殺意に膨らむ。自分たちはボンゴレに仕えているのではない。認めたボスはただ一人。彼のためなら、何だって―――・・・・・・。

「だから、ね、俺、ちょっと日本に行ってこようかと思って」

膨張した感情が弾けようとする刹那、ぽつんと綱吉の呟きが響いて。それぞれ武器に手をかけようとしていた彼らは、一瞬遅れて綱吉を振り向いた。もうすっかり泣き止んだ彼は、にこりと笑顔を部下たちに向ける。それはいつもの幼い、愛らしい笑みだった。
「その、ザンザン・・・・・・じゃなくて、ザンザク・・・? ザクザス? とにかくそいつを、一度この目で確かめたいんだ。それで、十代目に相応しい奴だと思ったら、俺は納得するし素直に従う」
「ボス・・・・・・」
「でも、もしそいつが相応しくなかったら、そのときは」
キャラメル色の髪が小さくさざめく。色濃い瞳が一度伏せられ、ゆるやかに開眼されてゆく。そして前を向いた彼は、鮮やかな君臨者。



「ハーフボンゴレリングを奪って、そいつと九代目に、決闘を申し込むよ」



九代目に迷惑はかけたくないけれど、でも、不出来の輩をドンにするわけにはいかないから。
そう言い切った綱吉は、誰よりもボンゴレを愛している。敬愛している義父の家族。そして自分にも優しくしてくれ、ヴァリアーという仲間を与えてくれた。彼らのためなら何だって出来ると綱吉は思っている。だから本当は、十代目なんて形だけなのだ。ボンゴレを導いてくれる人がいるのなら譲ったってかまわない。

このボンゴレファミリーを愛し守ってくれる人になら、いくらだって忠誠を誓おう。

ふっと浮かべられる微笑は、仕事中のものに近い。幼いけれども凄艶。向けられれば背筋すら震えさせるほどのそれは、愛と決意に満ちている。部下たちはぞくりと心を粟立たせながらも、興奮に身を紅潮させた。次いで向けられた綱吉の顔が、年相応以下の無垢に愛らしいものだったからこそ、その感動はさらに募る。
「だから・・・・・・そのときは、俺の、守護者に・・・なってもらえないかな・・・?」
おずおずと、どこか拒まれるのを恐れているような聞き方に笑みさえ浮かんでしまう。ベルフェゴールは爆笑して、ボーダーシャツの腹を抱えた。
「あはははははっ! さすが姫さん!」
「そうよね、そうでなくっちゃ!」
「ボスっ・・・! 俺は必ず、ボスのお役に立ってみせます!」
「だとしたら早く出なくちゃ。日本行きのチケット、すぐに手配させるよ」
「久々に楽しい仕事になりそうだぜぇ!」
ルッスーリアも、レヴィも、マーモンも、スクアーロも、そしてゴーラも皆、綱吉に笑いかけてくれる。その温かさと優しさに、綱吉は泣きそうな顔で笑った。先ほどとは違う喜びの涙を拭い、立ち上がる。かけてあった真新しい黒いコートを勢いよく羽織り、仲間たちに満開の笑顔を向ける。
「―――行こう、日本へ」
颯爽と歩き出す綱吉に、各々黒いコートを羽織った仲間たちが続く。行き先は極東の島国。



こうしてハーフボンゴレリングをめぐる戦いは始まろうとしていた。





ありがちなパラレルで申し訳ない・・・。
2006年9月7日