時は巡ると言うけれど、何もこんなところを巡らなくても。
鉛色の空の下、綱吉は深い溜息を吐き出した。
不束者の戦勝日
ドン・ボンゴレともなれば、屋敷でじっとしている日など一週間に一度あるかないかだ。基本的には下部組織の激励に訪れたり、同盟ファミリーとの会議や会談、表立って貢献している孤児院や企業関係への顔見せも欠かせないし、何より抗争なんかも絶えやしない。それは十代目を継いだ綱吉とて同じで、むしろ彼は同盟ファミリーとの関係を信頼できるものにするため、精力的に外交に手を伸ばしていた。幾ら年を重ねてもティーンエイジャーに見られる顔で、今日も彼はいくつかの商談をまとめて屋敷へと帰還する。柔らかい後部座席で凝った肩をぐぎぐぎ回していると、運転手がミラー越しに話しかけてきた。
「十代目、本日も来ているようですが・・・・・・」
「・・・・・・ああ、そう。じゃあいいよ、ここで下ろして」
「ですが」
「大丈夫だよ、ミルフィオーレは一応同盟ファミリーだし。でもランランには連絡しておいてくれる? それと紅茶の用意を」
「・・・・・・かしこまりました」
不服そうな返事に苦笑しながら、綱吉は後部座席のドアを開ける。鞄や書類などは全部任せたため手ぶらだ。ボンゴレの本拠地である屋敷は巨大で、厚い壁が外界との境界を絶対的なものにしている。クラシカルに見えて時代の最先端の技術で作られている門は、ボンゴレの車は迎え入れれど敵対者に容赦はしない。靴先だけでも許可なく敷地に入ろうものなら、壁の上のレーザーが即座に対象を撃ちぬくだろう。それが分かっているのかいないのか、おそらく後者だろうと予想しながら、綱吉はゆっくりと歩み寄った。門の前に座り込んでいる姿は、ここ一ヶ月で見慣れてしまった。31日間皆勤賞。休み無しアポ無しの突撃訪問。
「いい加減に諦めてよ、スパナ」
溜息と共に声をかければ、門の前で座り込んでいた影がぱっと顔を上げた。顔立ちがイタリア系だからか、今年24歳になる綱吉と同じ年のはずなのに、すでに十分な大人の雰囲気を携えている。つなぎを着ていても分かるすらりとした手足に、実は綱吉も憧れていた。そんな彼の身長はすでに止まりつつある。日本人の平均には達したけれど、暮らしている場所は現在イタリア。結局のところ小さくて可愛らしいと見られてしまい、それがボンゴレ十代目はバンビーノのようだと言われている由縁でもある。
「お帰り、ボンゴレ」
「はい、ただいま」
「お風呂にする? ご飯にする? それともウチ?」
「どこで日本文化を勉強したんだか知らないけど、むしろ教えた奴に日本文化を叩き込みたいけど、とにかく余計な知識だけはふんだんに仕込まれてるよなぁ・・・。疲れているからお風呂、と言いたいところだけど、それより先に足元の工具片付けて。ボンゴレの前でモスカ作らない」
「はぁい」
いそいそと愛用の工具を片付け、作製途中のどう見てもロボットの胴体部分でしかないパーツを近くの軽トラックに載せる。随分進んだなぁ、と呆れ半分感心半分で綱吉はその様子を見守っていた。スパナがボンゴレの屋敷前で座り込みを続けてから、今日で一ヶ月。最初は設計図と螺子ひとつしかなかったモスカが、今は五割程度とはいえ形になりつつある。機械に関するエキスパートという風評は知っていたし、実際に十年前の約十年後で知っていたけれど、それでも何だかなぁと思わずにはいられない。全部片付け終わって正座で見上げてくるキラキラとした瞳も何だかなぁ、だ。
「あのさ、スパナ。何度来られても、君をボンゴレに入れるわけにはいかないんだよ。第一ランランはまだ君の辞表を受け取ってないって言うし」
「ウチは何度も突きつけてるけど、受け取ってくれないのはあっちだから」
「入江君と同じような状況かぁ・・・。つーかランラン、ミルフィオーレを誑かしまくってマジごめん。でも俺は引き抜きなんてしてないから、本当に」
「ボス本人もユニに辞表を出しては突き返されてるらしいし」
「マジかよ!」
謝る先がユニに変更になった。小さな身体でブラックスペルを統べている少女に、今度本気で謝罪に行かないと、と綱吉は頭の中でスケジュールを確認し始める。凪やハル、京子ちゃんたちにも一緒に行ってもらった方がいいかもしれない。ちょっと年は離れてるけど同性同士仲良くなれるだろうし、彼女たちならきっとユニのいろんな相談にも乗ってくれるだろう。それとイーピンと、ラルも十年前の約十年後では戦った相手だけれど、きっと今なら大丈夫だろう。後は甘いお菓子と色とりどりの洋服と、それと沢山のぬいぐるみなんかをユニの好みに合わせて、と綱吉の思考がぐるぐると回る。
「ボンゴレ、ウチがいるのに他の女のこと考えてる」
「いやいやいや、真面目に日本語の使い方がおかしいから。しかも微妙に合ってるところが逆におかしいし」
「ひどい。ウチのこと捨てるのね。愛してるって言ってくれたのは嘘だったの」
「何その棒読み! つーかもともと拾ってないし、愛してるって言ってもいないし。おーいランラーン、そろそろ引き取りに来てくれよー」
「白蘭サンなら、今日は正一と出かけてる」
「どこに?」
「日本」
「・・・・・・何しに?」
「ボンゴレのお母さんに挨拶して、養子に入れてもらうんだって」
「いきなり兄弟かよ! つーか本気でありえないし! ちょ、えーっとえーっとえーっと、とりあえず父さん! ランランと入江君をうちに上げないで! でもって養子縁組の書類を出されてもサインしないで! 『ご近所の回覧板です』とか言われても録に読みもせずサインしないで!」
慌ててスーツの内ポケットから取り出し、海外通話もオッケーの携帯電話で自宅にかける。しかしコール音が鳴り続けるだけで、相手の出る様子は一切ない。時差を考慮してもまだ起きている時間だろうに、まさかランランの流れるようなエスコートで食事にでも行ったんじゃ。ざぁっと顔色を青褪めさせてメールを高速で打ち始める綱吉を、スパナは正座したまま見上げていた。さすがウチのボンゴレ、女子高生にも負けない速度。スパナがそんなことを考えているなど知る由もない綱吉は、取り急ぎ父と母にメールを送信し、ほっと安堵の溜息を漏らす。
ぴゅうっと吹いた風が綱吉とスパナの髪を揺らした。冬に向かい始めたイタリアの気候は冷ややかで、スパナが小さくくしゃみをすると、彼特有の工具型キャンディがつなぎのポケットから転がり落ちた。
「もう冬だもんなぁ」
鉛色の空を見上げて、綱吉がぽつりと呟く。いい加減、風邪引くよなぁ。続けられた声に、もう来るなと今度こそ語尾を強めて言われるのかもしれないと思い、スパナは小さく身震いした。そもそも綱吉の機械すら越える潜在能力に惚れ込んで、スパナが勝手にボンゴレ入りしたいと訴えているだけなのだ。ファミリー間の摩擦を好まない彼にとっては、迷惑以外の何物でもないだろう。それを分かっていて甘えているのは自分だという自覚が、スパナにもある。だからこそ拒絶の言葉が苦しくて俯いてしまうと、振ってきたのは声ではなく温かい手のひらだった。ぱちりと目を瞬いたスパナの視界で、一枚のカードが指に挟まれて翻る。
「はいこれ、ボンゴレの入場許可証」
ただの薄っぺらい名刺のようなそれにも、想像もつかない技術が費やされているのだろう。本業だからこそスパナにはそれが分かったし、実際に手にしてそのあまりの軽さにボンゴレ技術班の真髄を見た気がしたけれども、何より喜びが彼の内を凌駕していた。カードの表面には、スパナの名前が筆文字で書かれている。酢に半濁点のついた花で、スパナ。日本語のその記名を綱吉が書いてくれたことは明白で、ぷるぷると感動にスパナの身体が震えた。言っとくけど、とスーツの腰に手を当てて綱吉が注釈をつける。
「門での認証チェックと持ち物検査は外せないからな? 基本的に記録媒体の持込は禁止。図面はいいけどその他製作物の持ち込みも禁止。どうせ作るならうちの中で作って、でもって置いてって。完成するまで通えばいいし、ちゃんと部屋も用意してあげるから。もちろんボンゴレ内部で見聞きしたことは他言無用。俺の新技開発に携われるかは、守護者たちとリボーン、それと技術班諸々との交渉次第」
「・・・・・・ウチ、ボンゴレに入ってもいいの?」
「ファミリーには入れられないけど、屋敷程度なら。俺もさ、スパナのことは信頼してるんだよ。だけどドン・ボンゴレとしての態度も示さなくちゃいけないから、諸手を挙げて受け入れるわけにもいかない。分かってくれる?」
「うん。ウチ、喜んでボンゴレのものになる」
「・・・・・・何か、微妙に話が噛みあってない気がするんだけど気のせい? まぁいいけど、分かったなら今度からは外じゃなくて玄関ホールの中ででも待っててよ。ついでにお茶とお菓子とか用意しててくれると、疲れて帰ってきた俺がすごく嬉しい」
照れ隠しを含めてへらりと笑ってみせれば、スパナはまるで宝物のようにカードを両手で抱きしめた。きっと彼は用いる最高の技術でもって、その入場許可証を失くさないように所持していくのだろう。紐を通して首にかけるのが一番手っ取り早いと思うんだけど、と考える綱吉は知らない。一見名刺でしかないその入場許可証が、彼を慕う人々からしてみれば喉から手が出るほどに欲しい品なのだと。一ヶ月の通いと待ち伏せでゲットできた幸運なスパナは、石畳の地面に三つ指をついて頭を下げた。
「不束者のウチですけど、末永くよろしくお願いします」
「いやいやいや、だから微妙に合ってて間違ってるところがおかしいよな!?」
びしっとツッコミを入れる綱吉を、他所に、スパナは嬉しくて堪らなかった。これで綱吉の傍にいられる権利を得ることが出来たのだ。次のステップは、ミルフィオーレに辞職願を受理してもらうことと、ボンゴレに転職願を認可してもらうこと。ウチ頑張る。新たな目標を胸に、スパナは工具型のキャンディを口に含んだ。
そんな部下の行動を知ったミルフィオーレの一部の幹部がボンゴレ屋敷の前で座り込みを始めるのは、その一週間後のことである。
ユニ、あの、本当にごめんな・・・? お詫びにもならないけど、これ、ユニの入場許可証。いつでもボンゴレに遊びにおいで?
2008年11月8日