綱吉は後悔していた。それはそれは心底、生まれて初めてかもしれないくらいに深く己の行いを悔いていた。ああ、どうして今日に限って髪ゴムを忘れてしまったのだろう。昨日学校から帰って、洗面台の前で髪を解いて、そのまま置いておいたはずなのに朝起きたら見つからなかった。そういえばお風呂上りに結ぶのに使った気がする。一体どこにいっちゃったんだろう。ルームワンピースのポケットか、それともベッドサイドの引き出しか。帰ったら探そうと綱吉は思う。小さな蝶々の飾りがお気に入りの一品なのだ。帰ったら探そう。もちろん無事に帰れたらの話だけれど。
「肩についた髪は結ぶのが校則だよ」
「ひっ!」
はためいている学ランの下にトンファーがちらちらと見え隠れしていて、綱吉は思わず悲鳴をあげる。ああ、何で今日に限って服装検査なんてものがあるのだろう。校門で捕まった綱吉を遠巻きに、多くの並中生たちがそそくさと逃げるようにして昇降口に駆け込んでいく。ずるい。ちくしょう。ふざけんな。女の子にあるまじき言葉遣いで綱吉が心中で罵っていると、意識が他に逸れたことを敏感に察知したのか、目の前の相手がすっと瞳を眇めた。
「すみません!」
「何が」
そりゃそうだ。しかし恐ろしいものに対して反射的に下手に出てしまうのは、小心者の綱吉には仕方のないことなのだ。何たって今彼女の前に泰然と立っているのは、泣く子も黙る並盛中の風紀委員長様だ。姓を雲雀、名を恭弥。別名、歩く暴力とさえ言われる彼を相手にして平然としていられる人がいるなら会ってみたい。うう、と綱吉は唇を噛み締める。寝坊して焦っていたため、リップクリームを塗り忘れた唇はかさかさだ。
「大体君、その髪の色も校則違反だよ。何その金色に近い茶髪は」
「あああああの、こ、これは、地毛で」
「地毛」
「なななななななんか、お、俺のひいひいひいひいひいひいじいちゃんだか何だかよく分かんない人がイタリア人だったらしくて、それで、えっと、こむら返りだか何だかで俺もこんな髪の色になっちゃって!」
「先祖がえり」
「だから、あの、違反じゃないです! ゴムも今日は忘れちゃっただけで、いつもは結んでますから! だからお願いしますっ! 見逃してください!」
単語だけで喋るのがこんなに恐ろしい人も初めて見た、と頭の隅で考えながら綱吉は勢いよく頭を下げる。だらだらと流れ出る冷や汗がブラウスの襟を湿らせていく。雲雀は男女関係なく、歯向かう相手は端から噛み殺すと評判だ。だから従順に、従順に。死にたくない死にたくない死にたくない。怖いのも痛いのも嫌だ。祈るような気持ちで土下座すらしようとしたのだが、やはり身体は正直だった。正確に言えば、後に目覚めることになってしまう綱吉の超直感は正直すぎた。
「―――っ!」
視界のグラウンドに突如現れた銀色に、ほとんど海老反りのように上半身をのけぞらせる。ちり、と逃げ遅れた前髪が空中に散った。ひい、と悲鳴をあげる一方で、綱吉の耳は雲雀が「ふぅん」と呟いたのを把握する。いやいやちょっと待って、何でそんなに意外そうで楽しそうな声なんですか、なんて叫ぶ暇があるわけもなく。
「うわぁっ!」
「へぇ」
「ひゃあ!」
「うん」
「ぎゃーっ!」
「わぉ」
右から繰り出されるトンファーをぐるんと回って避ける。回りすぎて足元がふらつき、こけかけた。上から降ってくるトンファーを鞄でいなす。買ったばかりの辞書のめきょっと潰れる音がして、財布と貯金箱の中身を心配してしまった。左から放たれる仕込み金具を前転で交わす。髪が砂だらけになって、かなり本気で泣きそうになった。しかし雲雀の攻撃は治まるどころか威力とスピードを増してきていて、にやりという笑みと共に正面から向けられたトンファーを、綱吉は思い切り蹴り上げることで弾き飛ばした。ローファーの爪先がものすごく凹んだ。明日からはスニーカーにしよう。
ううう、と綱吉が眉を情けなく下げていると、何故か次の攻撃がやってこない。まさか時間差攻撃? さすが雲雀さん、と変なところで感心していれば、ぽかんとしている表情と目が合う。何ですか、と問うべきなのかそうではないのか、悩んでいたところに一言ぽつりと。
「・・・・・・苺パンツは、校則違反じゃないね」
何を言ってるんだろうこの人は、と綱吉が考えること五秒。意味合いに気づいて顔を真っ赤にし、泣き叫ぶまで十秒。そして脳天に回転膝蹴りを食らった雲雀がグラウンドに倒れ込むまで十五秒。
「雲雀さんの馬鹿ーっ! あほーっ! 変態ーっ!」
学ランの背中を思い切り踏みつけて、綱吉は校舎に向かってダッシュした。朝からもう最悪だ。泣きたい。二度と髪ゴムを忘れるもんか、と綱吉はきつく心に誓うのだった。





きらきらひかる





(翌日、きらきらの星飾りがついた髪ゴムが下駄箱に入ってた。白レースのパンツも一緒に入ってて、怖かったからとりあえず捨てといた。そしたら帰り、また下駄箱に入ってた。ひいっ!)
2008年8月7日