あれ、と思ったときには、すでに綱吉の体は糸の切れた人形のように床にへたり込んでいた。隣を歩いていた白蘭が不思議そうに首を傾げて見下ろしてくる。尻餅をついた体勢で、綱吉は気がついた。
あぁ、自分はここまでなのだと。
終末幸福論
「つーくん?」
呼びかけてくる白蘭と、今日は会食の予定だった。中学生のときには時空を超えていろいろあったが、今はボンゴレファミリーのドンとミルフィオーレファミリーのドンとして平和な関係を築いている。ありていに言えば、友達に近い。思えば白蘭は昔から自分に変に好意的だった気がする。俺は普通の中学生だったはずなんだけど、と綱吉は関係のないことをぼんやりと考えた。
「つーくん、どうしたの? 蝸牛が中った?」
「せめてエスカルゴって言おうよ、ランラン」
口はまだ動く。そのことにほっとしていると、白蘭が細い狐のような目をぱちりと瞬いた。いそいそと目の前に座り込まれ、白いミルフフィオーレの制服の裾が床に着き、汚れちゃうなぁと綱吉は少しだけ気にする。しかし白蘭は気にならないらしく、上機嫌に笑っている。
「つーくんがそう呼んでくれたの、初めてだねぇ。ずっと呼んでって言ってたのにさ」
「リボーンに言われてたんだよ。他のファミリーの人間と馴れ合うなって」
「ふーん。で? ちみっこの言いつけを破ってまで呼んでくれた理由は?」
「あぁ、いや、うん」
言葉を濁しながら、綱吉は頬を掻こうとして、けれど手が持ち上がらないので諦める。そんな綱吉の違和感に気づいたのか、白蘭は笑みを収めた。ごめん、と綱吉は先に謝る。
「どうしよう。俺、身体が動かない」
「・・・・・・食事に何か、入ってた?」
「いや、そこらへんの毒じゃもう死なないし」
だけどごめん。綱吉はもう一度繰り返し、困ったように眉を下げた。
「俺、ここまでみたいだ」
何が原因なのだろう。思い当たることが多すぎて、綱吉には分からない。中学生の頃から撃たれ続けてきた死ぬ気弾かもしれないし、数多く経た戦闘かもしれない。慣らすために含んできた毒かもしれないし、いろいろな要因から痛めていた胃かもしれない。とにかく何が理由かは分からないが、自分の身体が動かないのは事実なのだ。動かせる気もしない。もう無理なんだなぁ、とそれだけを綱吉は思う。
「・・・・・・感覚は?」
しばらく黙っていた白蘭が、綱吉の手を持ち上げる。ゴムの人形のようにだらりとうねったそれが自分の一部とは感じられず、綱吉は思わず笑ってしまった。
「笑ってる場合じゃないよ、つーくん」
「あは、あはは、ごめん、ランラン。あ、ランランってパンダみたいだから止めた方がいい? びゃっくんにする?」
「感覚は?」
「ないよ。っていうか、動ける気がしない。喋れるのも不思議な感じ」
腕が回されて抱き上げられる。いくつか年下の白蘭に抱えられてしまう自分は、そういえばいつ成長を止めたのだろう。もともと背の高かった山本とは、頭一つ分の差がついてしまった。凪よりは高いけれども、男の中では低い方に分類される。身体だって鍛えているのにいつまでも薄く、貧弱なのが綱吉のコンプレックスだった。
「どうしよう、ランラン。俺の息子、まだ五歳なんだけど」
「黙って、つーくん。舌噛むよ」
「ランランの運び方、優しいから平気だって。リボーン、俺の子を教育してくれるかなぁ」
「ちみっこはまだつーくんの家庭教師なんでしょ? 怒るんじゃないの?」
「怒るだろうなぁ。みんなすごい、怒って泣きそう。でも大丈夫だよ。たぶんもうちょっと俺、生きられるし。寝たきりになるかもしれないけど、その数年で次代ボンゴレを準備するよ」
遊びにきてよ、ランラン。お姫様のような状態のまま見上げれば、白蘭は飄々とした彼には珍しく眉を下げた。
「正ちゃんが泣いちゃうよ。正ちゃんは、本当はボンゴレに入りたかったんだから」
「知ってる。一緒に遊びに来てよ。歓迎するから」
「必ず行くよ。パンダのぬいぐるみを差し入れしてあげる」
「あはは、楽しみにしてるよ」
会食の部屋を抜けて、廊下を歩む。白蘭がとても気を使ってくれているらしく、スピードは速いのに、綱吉は少しも揺れていない。部下たちの待つ部屋まで三十秒もせずについてしまうだろう。困ったなぁ、と綱吉は思った。きっと彼らは泣いてしまうだろうから。困ったなぁ、と思わずにはいられない。泣かないでほしいのに。
それでも腕の中から見上げる白蘭の顔もとても悲しそうに見えてしまって、綱吉はほとほと困るのだった。
『つーくんとランラン』の原型となった話です。
2007年6月8日(2008年1月12日mixiより再録)