「あの、俺、雲雀さんのご両親にご挨拶に伺いたいんですけど」
Vuoi sposare con me? / 僕と結婚したい?
高校を卒業して、適当に会社を設立してみて、適当に仕事っぽいことというか好きなことをやりながら、相変わらず群れている集団を路地裏で咬み殺していたら、懐かしい声に名を呼ばれた。振り向けば草食動物が一匹、薄暗い空間に立っている。アスファルトに伏している男たちをこわごわと、嫌そうに、それでいて申し訳なさそうに踏まないよう近づいてきて、沢田綱吉は「お久しぶりです、雲雀さん」と頭を下げた。相変わらず草食動物だと雲雀は思った。そして「ちょっとお茶でも飲みませんか、そこのファミレスで」と言う言葉を切って捨てて気に入りの喫茶店に向かうと、後ろから草食動物もついてきた。不必要な詮索をしないマスターがコーヒーを二つ運んできて、一つは雲雀の前に、もう一つは何故か当然のように向かいの席に座っている草食動物の前に置く。砂糖とミルクには手をつけないままカップを持った綱吉に、ブラックで飲めるようになったのかと、雲雀は動物の成長を垣間見た。そして言われたのが、前述の台詞。
「・・・・・・何? 君はうちに嫁にでも来るの」
「へ?」
「両親に挨拶ってそういうことでしょ? それとも殴りこみでもするつもり?」
「あ、どちらかといえばそっちに近いかと」
へらっと綱吉が笑う。高校三年になって体格も平均並にはなったというのに、その顔は相変わらず気の弱さを感じさせる。こういった面が雲雀が彼をまだ草食動物と呼ぶ所以であり、今年六歳になる家庭教師が眉を顰めている点でもある。
「リボーンから聞いたんです。雲雀さんがボンゴレに入ってくれるって」
「あぁ、その話。名前だけだよ。僕は好きに動くから」
「それでもいいです。ありがとうございます」
やはり綱吉はへらりと笑う。頼んでもいないのにマスターが何故かチョコレートケーキを運んできて綱吉の前に置く。ありがとうございます、と綱吉が礼を述べると、マスターは皺のある目尻をにっこりと下げた。雲雀には一度も振舞われたことのないサービスに、草食動物は狩らなくても餌を得られることを思い出す。
「えーと、それでですね。大切な息子さんをお預かりするっていうか、命の危険に晒すところに連れてっちゃうわけですから、やっぱりご両親にご挨拶するのは必要だと思いまして」
フォークでチョコレートケーキを一口大に切ると、綱吉はそれを雲雀に差し出してくる。はいあーん、と言わんばかりの行動に従ってやる気はないのだが、クリームが唇に触れたので仕方なしに口を開けてやる。意外にビターな甘さが舌の上に広がった。自分も一口食べ、美味しいと草食動物は笑っている。
「スーツも作りましたし、クッキーの箱詰めも準備しましたし、示談金もジュラルミンケースに入れましたし、殴られる覚悟も出来てますし。『息子さんを僕に下さい』ってつっかえずに言えるよう練習もしましたから、準備万端です」
「赤ん坊、最近エスプレッソ飲むの控えてるんだって?」
「そうなんですよ。何でなんだろう」
草食動物は首を傾げるが、その行動が家庭教師の胃を痛めているとは露ほどにも思っていないのだろう。先ほど動物の成長を思ったが、草食動物は何だか微妙な方向に育ちつつある。肉食動物の皮を被ろうとして失敗したんだか大成功なんだか分からない感じだと雲雀は思う。
「両親への挨拶ならいらないよ。僕は自分の好きなように生きるからね」
「そうは言ってもやっぱり雲雀さんのご両親じゃないですか。お腹を痛めて産んで育ててくれたわけですし、雲雀さんは一人息子ですし、そんな雲雀さんを頂くんですからやっぱりご挨拶に行かないと」
「息子さんを僕に下さい?」
「『大切にします』って言いますよ、俺。イタリアだしマフィアだし、命の危険も日常茶飯事で辛いこととか痛いこととか苦しいこととかいっぱいあると思いますけど、それでも俺、頑張りますから。大切にします。責任持ちます。ひょっとしたら俺の方が先に呆気なく死んじゃうかもしれませんけど、それまでは絶対に大事にします。大好きです。愛してます」
チョコレートケーキを平らげ、綱吉は笑った。へらり。
「だから雲雀恭弥さん、あなたの一生を俺に下さい」
草食動物の右手の親指で古ぼけたリングがきらきらと光っている。指導者を司る指に嵌められているそれと同種のものを雲雀も一応持っている。まだ舌の上に残っているチョコレートの甘さはくどくなく、及第点を雲雀は与えた。
「僕の両親、洋菓子より和菓子が好きなんだけど?」
「あ、じゃあ買いなおします。えーと、羊羹と最中、どっちが好きですか?」
「横浜の喜最中。明日の午後七時でいいね」
「はい、必ず伺います」
ワイシャツの下からリングを取り出し、通しているチェーンを軽く引きちぎって丸ごと手渡す。フォークを置いて受け取った手はそのまま雲雀の指を捕らえ、左手の人差し指に雲の指輪を差し込んだ。密かな誓いを司るそれを眺め、雲雀はふぅんと頷いた。
「一夫多妻制。いい身分だね」
「奥さんたちが格好よすぎて尻に敷かれること間違いないですよ。来週は京子ちゃんのとこに、了平さんを貰いに行かなきゃいけないし」
「駆け落ちもいいんじゃない?」
「そうならないことを祈ってて下さい」
コーヒーを飲み干して、草食動物はへらりと笑った。ふわふわと四方八方に飛んでいる髪は茶色で、ライオンの鬣のようだと雲雀は思う。その色は校則違反だと窘めようと思ったこともあったのだが、別にいいやと流してきた過去が懐かしい。鬣はオスの証。百獣の王、獅子とも言う。そういえばライオンも一夫多妻制だと雲雀は思った。群れもなすし、家庭教師は獅子の子落しだし、また眠れる獅子は起こすなとも言う。意外に似合いの髪かもしれない。そのくせ笑みはまだ草食動物。
「大事にしますね、雲雀さん」
その言葉に雲雀も笑った。肉食動物の顔で。
「大事にしてよ、綱吉」
綱吉の愛は世界を救う。
2007年5月26日(2007年9月5日再録)