平和って素晴らしい。普通って素敵。学校万歳。最後の台詞だけ聞かれたのなら、きっと風紀委員にスカウトされることだろう。けれど「雲雀の傍=平穏とのお別れ」という公式を知っている綱吉は、それらを言葉にすることなく心の中だけで叫んでいた。
今日も一日何事もなく授業を終え、片思いの笹川京子を含めたクラスメイトにバイバイと手を振って、綱吉はのんびりと家路をたどる。下手な鼻歌は見逃してほしい。それほどまでに彼は今の生活を満喫していたのだ。
戦いのない人生って素晴らしい。そんなことを実感する綱吉のワイシャツの下では、古ぼけたリングが一つ、チェーンに通されぶら下がっている。





大空カミングホォム





鼻歌がいつの間にか校歌になっていたあたり、綱吉は風紀委員の資格があるのかもしれない。もしくは雲雀に近づきすぎたのかもしれない。知らぬが仏を地で行っている綱吉は、ゆっくりと歩んでいた足を止めた。視線の先数メートルの道路中央に、不審な物があったのである。
それは都内は基より、今では結構な都道府県で見かけなくなって久しい、黒いゴミ袋だった。懐かしいなぁ、なんて綱吉は思う。
「あ、そういや獄寺君に用があったんだっけ。今日はこっちの道から帰ろうっと」
わざとらしく大きな声で言うと、ゴミ袋がぴくりと動いた。綱吉が実際に右を向いてみれば、それはススススと音もなく移動し、そちらの道路中央へと鎮座する。
「でもやっぱり明日でいっか。今日はまっすぐ帰ろ」
向きを戻せば、ゴミ袋もススススと元いた位置に戻る。面白い。そう思った綱吉はおそらく間違っていない。
よくよく見ればゴミ袋のように縛り口があるわけではなく、何かがビニール製のマントのようなものを被っているらしかった。気づかない振りで横を通り過ぎれば、それはスス、スス、と控えめに後をついてくる。
歩幅を狭めて、綱吉はのんびりと空を眺める。
「イタリアに帰ったと思ってた」
「・・・・・・帰れるわけないよ。ボスに殺される」
「大丈夫だろ。こんなこと言うのは嫌だけど、あいつも俺に・・・・・・一応、負けたんだし」
黒い塊から聞こえてきた幼い声は、久しぶりに聞くものだ。自然と笑みを漏らしながら、綱吉は首から下がるリングを指でなぞる。
「だめだよ。うちはもういっぱい。ランボにイーピン、フゥ太にビアンキ。凪もときどきご飯食べに来るし、獄寺君や山本、ハルも出入りしてる。それに何より、リボーンがいる」
「・・・・・・僕、役に立つよ」
「役になんか立たなくてもいいんだよ。そういうことで決めるものじゃないだろ?」
「家賃も払うよ。食費も水道代も、光熱費、ちゃんと払うよ」
「いや、それは・・・・・・。そういやランボたちの生活費ってどうなってんだ? あいつらが払ってるとは思えないし・・・やっぱ父さん? あぁでも、そういう問題じゃなくて。払ってもらえりゃ、そりゃ助かるけど、でも赤ん坊から金なんて取れないよ」
ぴたりと一瞬、黒い塊の動きが止まる。次にススススと動き出すと、先ほどよりも綱吉との距離が縮まった。綱吉は空を見つめたまま、のんびりのんびりと家路をたどる。
「好きなところに行けばいいのに。何もリボーンがいる俺ん家なんか選ばなくてもさぁ」
「・・・・・・リボーンなんて怖くないよ」
「じゃあ喧嘩しないって約束できる? ただでさえランボがうるさいのに、これ以上騒がしくなるのは勘弁してよ・・・」
「約束する。うるさくしない。喧嘩もしないよ」
「じゃあ、最後に一つ」
足を止め、綱吉は後ろを振り返る。二メートルの位置でついてきている黒い塊を見下ろし、優しい瞳で尋ねた。
「マーモン。おまえ、本当にうちの子になりたい?」
黒いビニールが動き、小さな手が端をめくる。やはり目は見えなかったけれど、覗いた唇がしっかりと動いた。
「・・・・・・なり、たい」

「僕は、君の近くに、いたいよ」

次の瞬間、マーモンの小さな体は宙に浮いていた。高い高いをするように抱き上げて、綱吉が笑う。その笑顔の明るさに、マーモンは息を呑み込んだ。
「いいよ、うちの子にしてあげる」
「・・・・・・っ」
「あぁもうおまえ、無事でよかった! 心配したんだぞ? もっと早く出てくりゃいいのに、いつまで経っても出て来ないしさぁ。あーもう本当、無事でよかった!」
ぎゅっと抱きしめられ、マーモンは体を固くする。そんな赤ん坊に気づき、綱吉は面白そうに笑った。けれど手は離さずに、抱えたまま歩き出す。
「母さんは絶対大丈夫だから、問題はリボーンだよなぁ。マーモン、一緒に説得してくれよ?」
「・・・・・・うん」
「どうやって説得しようかなぁ」
考え始める綱吉の腕の中で、マーモンはその小さな手でぎゅっと綱吉のセーターを握りしめた。横顔を間近で見上げながら、その肩に頭を寄せて全身を委ねる。初めて聞く他人の鼓動は、とくんとくんと温かかった。
再び流れ始めた鼻歌はやっぱり音を外していたけれど、マーモンにとってはこの上ない子守歌のように聞こえた。





ツナ、責任持って元いた場所に捨てて来い。 / by リボーン
2006年11月2日(2006年11月23日再録)