少年と少女
社会科準備室で、黒川花は思い切り舌打ちした。自分の容姿が可愛らしい部類ではないと分かっているものの、いつもの彼女なら学校でこんな振る舞いはしない。けれど今、周囲には誰もいなく、加えて彼女は苛立っていた。それゆえに出た舌打ちだった。行儀悪く棚の一つを足で蹴りつける。
「世界地図にワークブックとプリント? こんなに持てるかっつーの」
棚の上で資料がバランスを崩すが知ったことではない。これなら教師に呼ばれたときに、相方の男子を行かせればよかった。日直は男女一人ずつなのだから、教師だってこれだけの荷物を運ばせるのなら男を指名すればいいものを。使えない、と呟いて花は再度舌打ちをする。
忌々しいけれどいつまでもこうしているわけにはいかない。もう予鈴は鳴ったし、すぐに五時間目の授業が始まってしまう。面倒だけれど分けて運ぶか。そう考えて溜息を吐きながら世界地図を手に取ったとき、僅かに開いていた扉の向うを横切る影が目に入った。
「―――沢田!」
思い切り呼び止めてから、ちょっと待って、と花は思う。確かに沢田綱吉は性別は男だけれど、背は花より低いし身体だって細い。何より「ダメツナ」だ。荷物なんてたいして持てないに違いない。
そう思うと呼び止めたことを後悔しかけたが、すでに綱吉は不思議そうに社会科準備室のドアを開けている。
「何だ、黒川か」
「何だって何よ。悪かったわね、京子じゃなくて」
「そ、そんなこと誰も言ってないだろっ!」
顔を真っ赤にさせる綱吉は年齢以上に幼く見える。まぁいないよりマシか、と内心で結論づけ、花はワークブックを指さした。
「これ教室まで持ってくの手伝ってよ。後で京子に褒めておいてあげるから」
「いいよ、そんなの! 黒川って今日、日直だったっけ?」
「そうよ。こんなに荷物あるなら男に来させればよかった」
「男って誰?」
「獄寺。あんたちゃんと躾けといてよね」
「・・・・・・とりあえず言っとくよ」
出てきた名前に顔を引きつらせながらも、綱吉はワークブックを持ち上げる。そのあまりの軽い仕草に、花は一瞬あっけに取られた。目を瞬いている間に綱吉はプリントに気づき、一度ワークブックを棚の上に戻してからそれを上に乗せ、再度持ち上げる。
「他に持ってくものは?」
尋ねてくる綱吉に、花は我に返って世界地図を握りしめた。それでも驚きはまだ止まない。
「・・・・・・ないわよ、それだけ」
「そっか。じゃあ早く行こう」
「そうね」
並んで準備室を出る。鳴り始めた授業開始のチャイムに、綱吉は「あー・・・」と天井を見上げる。
「始まっちゃったよ」
「大丈夫でしょ。先生が持って来いって言ったんだから」
「それもそっか」
静かな廊下を歩き始める。綱吉の半歩後ろの位置から、花はじっと前を行く背中を見つめた。身長はやっぱり綱吉の方が低いのに、彼の腕には40人分のワークブックと、プリントの山が載っている。花には持てなかった重みにも耐え、細く見える腕はびくりともしていない。
「・・・・・・沢田」
「何?」
「・・・・・・何でもない」
振り向く顔は相変わらず幼いのに、身長だって花より低いのに。それなのにそんな力を持っているなんて知らなかった。悔しいと思ったことなんて絶対に言ってやらない。じわじわと熱を持ち始めた頬をうつむけ、花は固く心に誓った。ダメツナのくせに。
ちょっとカッコイイじゃない、なんて思ったこと。
絶対に言ってやらない。
京子は知ってるの? こんな、沢田のこと。
2006年10月10日(2006年11月10日再録)