何が悪かったのか、綱吉には分からない。ただ、彼はこれだけは自信を持って言うことが出来た。
マフィアになんか絶対になるもんか―――と。
Alla famiglia!(家族に乾杯!)
その日の沢田家は、朝から豪勢な食卓が広がっていた。メインはカツ丼。しかも母である奈々が自ら筋を断ち、小麦粉・卵・パン粉をまぶして揚げ、ふんわり半熟卵で閉じた、自家製のほかほかさくさくカツ丼だ。他にも海老やら鯛やら縁起の良さそうなものがテーブルの上に所狭しと載っている。パジャマのままのランボやイーピンは純粋にご馳走を喜んでいるが、綱吉は逆にうんざりとしてしまった。朝からカツ丼は重い。そんな考えの他に、理由はもう一つある。
「はい、つっくん! しっかり食べて今日は頑張ってね!」
少女のような笑みで差し出されたカツ丼は、並盛ではなく特盛だ。唇を引きつらせる綱吉に気づかず、奈々は菜箸を握ってにこにこと笑い続ける。
「母さんもちゃんと見に行くからね! 分からなくても自信を持って手を挙げるのよ?」
「分からなかったら挙げる意味ないし!」
「大丈夫よ、リボーンちゃんのお勉強の成果がきっと出てるわ。ほら、自信持って!」
「・・・・・・成果、ねぇ・・・」
ちらりと視線を走らせれば、件の赤ん坊は我関せずといった顔で海老フライを咀嚼している。はぁ、と巨大な溜息を吐き出して、綱吉は力なく箸を手に取った。
「いただきまーす・・・・・・」
口に運んだカツ丼はほのかに甘く、美味しいけれどもやはり重い。どんよりとした空気を背負いつつ、綱吉はもそもそと朝食を平らげた。
「・・・・・・いってきまーす」
「つっくんファイト!」
奈々の明るいエールで見送られる。
今日は、並盛中学の授業参観日だった。
いつもより落ち着かない、ざわざわとした学校の雰囲気。この昼休みを過ぎれば、五時間目はついに親が教室に入ってくる。すでに来ている者もいるらしく、廊下からは奥様方の笑い合う声や香水の匂いが漂ってきていた。
「あー・・・・・・やだな。授業参観なんかやんなくていいのに」
箸を握りしめたまま、綱吉はどんよりと両肩を落とす。成績の悪い彼にとって、この行事は針のむしろみたいなものだ。しかも参観に来る母親が「つっくんなら出来るわよ、頑張って!」と無邪気に言うものだから更に手に負えない。
今からぐったりとしている綱吉に、焼きそばパンを食べながら山本がにかっと笑う。
「ツナのところはおばさんが来るんだろ?」
「うん。山本は?」
「うちは店があるからな。オヤジは来れねぇって言ってた」
「あぁ、そっか。獄寺君、は・・・・・・」
反射的にもう一人の友人に尋ねかけて、綱吉は言葉を切った。聞くべき相手は昼休みが始まってからこっち、サンドイッチを手にしたままで固まり続けている。ぶつぶつと聞こえてくる言葉の端々で「アネキが、アネキが」という単語が拾え、彼が何を恐れているのか明らかに表していた。もしかしたら獄寺の方が自分よりも授業参観を嫌がってるかもしれない。小刻みに震えているアッシュグレーの髪を眺め、綱吉はそう思う。
「まぁ、一時間なんてあっという間だろ。数学なんて元々分かんねーし、じっとしてりゃすぐに終わるって」
「うん、そうだよね」
山本の気軽い声に、綱吉も幾分気を緩めて頷く。廊下には着々と保護者が集まってきているらしく、高い笑い声が響くようになってきた。
「母さん、まさかランボとかフゥ太とか連れてこないよなぁ。リボーンとか、絶対に来るなよ」
そんなことを呟いた綱吉は知らない。
リボーンやランボやフゥ太の方が全然マシだと思うような事態が、まもなく起ころうとしていることを。
授業は三分遅れて開始した。理由は本鈴と共に教室に入ってきたビアンキに、数学教師(40歳男独身)が見惚れたためである。中身を知っている綱吉からしてみれば両腕でバツを作って止めたいが、外見だけは確かに美女なのだ、ビアンキは。外国人特有の容姿から、彼女はすぐに獄寺の身内だと判断され、それが一層彼のファンの女子たちに黄色い歓声を上げさせた。せめてもの救いは、ビアンキに全神経を張り詰めている獄寺が、それに気づいていないことだろう。サングラスをしてもらっていても、やはり身についた習性というのは簡単には取れないらしい。警戒し続ける獄寺の背中を見つつ、綱吉はほんの少しだけ彼を哀れに思った。
しかし、授業が始まって五分経っても、十分経っても、奈々の姿が現れない。こういった学校行事を息子以上に楽しみにしている母にしては珍しいと綱吉が首を傾げたとき、がらっと教室の前の扉が開かれて。
現れたのは、レザーパンツにロングコート。全身を黒に染め、襟足にファーをまとっている、どう見てもヤバイ系の男だった。
・・・・・・泣きたいと綱吉は思った。今すぐ消えたいと綱吉は思った。何だってこの男が現れるのだ。どうして、どうして、どうして! がんっと綱吉が机に額を打ちつけた音は、椅子から立ち上がった獄寺と山本にかき消される。
「てめぇ・・・・・・っ!」
「XANXUS・・・・・・!」
つい先日戦った相手のボスに身を固くする。獄寺は両手にダイナマイトを備えたし、山本も竹刀の代わりに学校に持参している変形バットを握った。けれど当のXANXUSは、室内を眺め回し、教壇で固まっている教師に口を開く。
「父兄は後ろか」
「ひぃ・・・・・・っ!」
悲鳴を上げた教師は間違っていない。ボス争いに敗れたとはいえ、XANXUSは正統なるマフィアのボスの血を引いているのだ。威圧感は並大抵のものではないし、容姿だけで十分恐ろしい。恐ろしすぎる。
並ぶ机の間を通り抜けて後ろへと向かうXANXUSに、獄寺が声を張り上げる。
「待ちやがれ! テメェ、今頃何しに来やがった!? 十代目への復讐か!?」
「だったら通すわけにはいかねーなぁ」
山本が爽やかな笑顔でバットを振る。スピードが加減されているのか、まだ刀には変形しない。したら間違いなく銃刀法違反で警察だ。
しかしXANXUSはそんな彼らを無表情に一瞥したかと思うと、あっさりと無視をして、教室内で唯一ひたすら時が過ぎるのを願っている綱吉に向かって言い放った。
「ツナヨシ、手ぇ挙げなかったらぶっ殺すぞ」
「〜〜〜〜〜〜っ何でおまえが来るんだよ、XANXUS!」
「奈々に頼まれた。俺はおまえのファミリーだ。来て当然だろうが、あぁ?」
「人の母さんを呼び捨てすんな! それに俺はおまえのファミリーになんか絶対ならないっ!」
「まだそんなこと言ってんのか、おまえ」
どこか呆れた様子のXANXUSに、ついに綱吉も机を叩いて立ち上がった。突如現れたこれまた外人の、どう考えてもヤバイ系の男が、あのダメツナの身内だということにクラスメイトたちが一様に驚く。けれどそんなことに気づく余裕すら、今の綱吉にはなかった。
「っていうか、母さんは!?」
「親戚の友達の父親の葬式だとよ」
「他人じゃん! しかも何でおまえなんだよ! 父兄ならディーノさんとかディーノさんとかディーノさんとかディーノさんとかっ!」
「あぁ? 俺じゃ不満だってのか?」
「不満に決まってるだろ! 何でXANXUSなんだよ、母さん!」
それで言うのなら、ディーノとて「兄弟子」であって「父兄」ではないのだが、そんなことは今の綱吉には関係ない。授業参観はもとより、学校という施設がこれだけ不釣り合いな男もいないだろう。ずきずきと頭と胃が痛んできたような気さえして、綱吉は震えそうになる手で教室の後ろを指さした。
「・・・・・・とにかく、あっちでじっとしてて」
「手ぇ挙げなかったらぶっ殺すからな」
「勝手なこと言うなよ! 分かんないもんはしょうがないじゃん!」
悲鳴を上げた綱吉を鼻で笑い、XANXUSはさっさと後ろへとたどり着く。彼とビアンキが並んで立つと、そこだけクレーターのように周囲から距離が発生した。ちくちくと刺すような視線に、これならランボたちの方がまだマシだったと綱吉は心底思った。
しかし今日の彼は、常にも増して不幸だった。
「うお゛ぉい! ここか、二年A組ってのは!」
「ボス、自分だけ先に行くなんてずるくねぇ?」
授業開始三十分後。現れたロン毛と王冠に、綱吉は本気で問いかけた。あぁ神様、俺はあなたに嫌われることをしましたか、と心の底から本気で。
やはり前の扉から現れたスクアーロとベルフェゴールは、先だって戦ったときと同じく黒のコートを身にまとっている。遠くへ視線を逃避させた綱吉をよそに、彼らは自分たちの対戦相手を見つけると、それはそれは楽しそうににやりと笑った。
「今日はてめぇらの授業をじっくり見てやるぜぇ!」
「ミスしたら速攻ナイフ投げっから、たっぷりミスれよなぁ」
「テメェら・・・・・・っ!」
「何、今日はおまえらが俺たちの保護者なのか?」
獄寺はやはりダイナマイトを備えかけたが、山本はもう慣れたのか、笑いながら問いかける。スクアーロは得意げに笑って長い髪を肩から払った。
「あ゛ぁ、そうだぜぇ。今頃はルッスーリアもゴーラ・モスカもそれぞれの相手んとこ行ってんだろぉよ」
「マーモンとレヴィは家でお留守番。とりあえず俺たちだけ、うししっ」
あーだから三年生の教室の方から怒号や悲鳴が聞こえてくるのか。トンファーを振り回す雲のリング所持者を思い浮かべ、綱吉は温く笑った。同時に霧のリング保持者である骸が並盛中生でなくてよかったと、心から思った。
とりあえず珍入者はあったけれども、数学教師はどうにか授業を再開した。見事な根性だと綱吉は思う。けれどスクアーロはともかく、ベルフェゴールは学校というもの自体が珍しいのか、教室の後ろでじっとしていることはなく、うろうろと並ぶ机の間を好き勝手に動いている。彼の王冠にか危険物っぽい雰囲気にか、注意できない数学教師に、綱吉は心中で何度もエールを送った。
「あれ? そーいやここ、俺がバトったとこじゃねぇ?」
そーいうことは言わなくてよろしい。綱吉は歩く彼に向けて小さく削った消しゴムを投げつけた。
腫れ物に怯える状態で授業は進められていった。ベルフェゴールが獄寺をからかって一触即発になりかけたり、スクアーロが山本に野次を飛ばしたりなどもしたが、戦闘には至らず平穏無事に授業は進んだ。己の平穏基準がずいぶん低くなってきていることを感じつつ、綱吉は教師の質問に挙手するわけもなくノートを取り続ける。しかし、そうは許さないのが問屋ではなくXANXUSだ。
「・・・・・・ツナヨシ」
ひぃっと声を上げたのは呼ばれた本人と教師だけでなく、クラスメイトの大半も含んでいた。
「何で手を挙げねぇ」
何その不条理な質問! 綱吉は心中で叫んだが、無視すればどうなるか想像に難くない。恐る恐る振り向き、けれどいつの間に慣れてきてしまったのだろうか、しっかりとXANXUSを睨み付けて返事をする。
「・・・・・・分かんないんだから仕方ないだろ。どうせ俺はダメツナだよ」
唇を尖らせた反論に、けれど返ってきた言葉は意外なものだった。
「この前やった問題の応用だろうが」
「・・・・・・は?」
「三日前だ。罰ゲームはレヴィ・ボルタだったな」
何ですかそれ、とクラスメイトに教師と親を含む面々は思ったが、綱吉はぱちぱちと目を瞬かせた後で黒板へと視線を戻す。そういえば、よくよく見てみれば、何か見たことあるような問題の気がしなくもない。えーと、と呟きながら空中に文字を書いて計算する彼は、今やクラス中の注目の的だ。しかし気づかずにどうにか暗算が出来たのか、弱気な声で答えを紡ぐ。
「・・・・・・4?」
「そうだ」
正解の諾否はやっぱり教師ではなくXANXUSから与えられたが、どうやら間違っていなかったらしい。前の席の獄寺が立ち上がって勢いよく振り向く。
「お見事です! さすが十代目!」
「やるなーツナ」
山本にまでそう言われ、綱吉は一気に恥ずかしくなった。けれど何故か拍手を始めたベルフェゴールと、それに釣られたスクアーロにさらに釣られ、奥様方やクラスメイト、ひいては教師までが拍手してくる。
今すぐ穴を掘って埋まりたいと、綱吉は思った。
地獄三歩手前のような一時間が終わり、チャイムが鳴り終わった瞬間にやはり前のドアが開かれた。現れたのは並盛の脅威、雲雀恭弥。身近で明確なヤバイ存在にクラスメイトだけでなく保護者たちまで怯える。しかも今の彼は背後に、やけに大きくてガスマスクのようなものをつけ、指がどう見ても機械で出来ている生物を引き連れていた。怖い。得体が知れなくなって更に怖い。鬼に金棒ということわざを思い出した者は、果たして何人いただろうか。
漆黒の瞳が怒りに満ちて、刺すように綱吉を貫く。
「・・・・・・どういうことか説明してくれるよね、沢田」
シュコーとゴーラ・モスカの鳴く声が聞こえる。だんだんと大きくなってきている了平とルッスーリアの声はやけに楽しそうで、綱吉は心底思った。
俺がマフィアのボスになった暁には、絶対に授業参観なんか廃止してやる―――と。
しかし今の綱吉は14歳の中学生であり、ツッコミはすれど押しには弱い、ただの少年だったりするわけで。
「来週は黒曜でも授業参観があるんです。もちろん来てくれますよね、綱吉君。僕たちファミリーですもんねぇ。クフフフフフ」
ぐったりと帰宅するなり、両手を握られ、青と赤の目ににっこりと微笑まれ、しかもその後ろには尻尾を振っている犬とどこか楽しみにしてるらしい千種なんかがいた日にはもう、綱吉に退路など存在するはずもない。うなだれる以外、彼に何が出来ただろうか。
「・・・・・・マーモンとレヴィを連れて伺います・・・」
どんよりとそれだけ綱吉は呟いた。
絶対にマフィアなんかにならないけど、マフィアのボスになったら絶対に授業参観を廃止してやる。
そう誓った、沢田綱吉14歳の秋だった。
XANXUS! 懇談会なんか出なくていいから!
2006年9月4日