二歩前を行く横顔は、初めて見たときから変わらずに整っている。所謂「女顔」だとトルフィンは思う。それでもクヌートが女性でありえない証明は、彼の浮かべる表情にあった。最初の頃の臆病だった少年の面影はどこにもない。玉座まで後一歩のところまで来ている彼は、柔和な笑みと姦計を覚え、その美しい顔で必要ならば死体すら踏み潰すような人間に成長した。それが良いことなのか悪いことなのかトルフィンには検討もつかないし、興味も無い。ただ、クヌートを王の器だと見込んだアシェラッドが生きていれば、きっと満足げに笑ったことだろう。父の仇を思い出し、トルフィンは鋭く舌打ちする。
「どうした、トルフィン」
振り返り、クヌートは己の長い金髪を指先で払う。宝石のような瞳はこの場に自分とトルフィンだけだからか、常の酷薄さを少しばかり緩めて輝いていた。
「何でもねぇよ」
「そうか。それにしても今夜は冷えるな」
「だったらさっさと天幕に戻ったらどうだ」
「それは断る。こんなに闇が綺麗なのだから、見なければ損というものだろう?」
誰より地面を見下ろし、その大地に根を張り巡らせることを望んでいるくせに、クヌートは空を見上げて唇を緩ませる。出逢いから時を経て、今やトルフィンもクヌートも大人と呼ばれるまでに成長した。それでも身長ではクヌートの方が少しばかり高くて、そのことをトルフィンは内心で悔しがっている。名高い戦士だった父のトールズに似れば、トルフィンだってもっと大柄に育っただろう。しかしそうでない現状は、間違いなく自分を育んだ環境にある。憎憎しいアシェラッドにトルフィンは再度舌打ちした。視線を下ろしたクヌートが呆れ気味に肩を下ろして、今度は足元の雪を見つめる。
「白いな」
「馬鹿か、てめぇは」
「雪を見ると思い出す。おまえたちと出逢ったのも冬だった。村を襲い、食べ物を奪い、罪無き村人を皆殺しにした。その上に私は生きている」
さくり、さくり、確認するように足元を慣らすクヌートに、トルフィンは目を眇めた。
「ラグナルが殺され、おまえとトルケルが決闘し、アシェラッドが私に下ったのも雪の季節だった」
「だったらどうした」
「今でも思い出す。ビョルンという男が、死を前にしてアシェラッドに告げた言葉を。懐かしい。あれはもう、何年前のことか」
数いるヴァイキングのひとつとして、アシェラッドは兵団を率いていた。トルフィンは父の仇であるアシェラッドを討つためだけにその兵団に属し、折に触れて決闘を申し込み、そして敗れていた。クヌートと出逢ったのもひとえに兵団の報酬を見据えた策略の結果だった。その後アシェラッドがクヌートに下ったせいで、トルフィンも今こうして彼の隣にいる。当のアシェラッドが死に、果たすことの出来なくなった復讐を抱えたまま。
「いい機会だから言っておこう」
くるりと、クヌートが全身で振り返った。王子殿下の証である、重々しいマントが円を描いて揺れて落ちる。戦場では動きにくいことこの上ない服装に、クヌートは自ら進んで身を包むことが多かった。自らがスヴェン王の第二王子クヌートであると、敵に知らしめるために。そして何より味方を鼓舞するために。必要なパフォーマンスを示してみせるその姿は、アシェラッド以上の策略家だとトルフィンは思う。
「トルフィン、おまえは私の友人だ。おそらく、生涯でただひとりの友だろう」
「はっ! 俺がいつあんたのオトモダチになった」
「きっと出会ったときからだ。トルフィン、おまえは私の友だ。決して誰にも渡しはしない」
微笑むクヌートの表情が、トルフィンは苦手だった。思えば、彼が王としての資質を示し始めた頃から気に入らないと感じていた気がする。酷く脆い橋の上に立っているような、そんな気がしてしまうのだ。近くにいたくない。寄れば腕を引かれて谷底に落とされそうな、道連れにされそうな、そんな印象を抱かせる。かつてそれをぽつりと漏らしたとき、トルケルは笑うでもなくトルフィンの頭を一度撫ぜた。あの男は本能で、クヌートの持つ業の深さを理解していたのだろう。
「ラグナルが死んだ。アシェラッドも、トルケルも死んだ。私が心から信用する相手は、トルフィン、もうおまえしかいない」
「俺はてめぇの部下じゃねぇ」
「おまえは神にだって渡さない。私の許可無く死んでみろ。ヴァルハラに殴りこんで、戦乙女からすらもおまえを取り戻してみせよう」
「だから俺は」
「トルフィン、おまえは私の友人だ。私の元を去ることは許さない。どこへ行くこともだ」
雪が音も無く空を舞い、クヌートの髪へと降り注ぐ。白いそれは金色に溶けることなく、花のように彼を彩っていく。足の裏から来る言い様のない感覚に、トルフィンは奥歯に力を込めて対抗した。どろりとしたそれは、おそらくクヌートから発されている。柔らかな笑顔の下、蔓延っているのは友情でも執着でもないだろう。愛なんて偽るのさえおこがましい。じりじりと削られている砂の大地から、クヌートは微笑んで腕を伸ばしているのだ。トルフィンが指先だけでも触れようものなら、自分の側へと引っ張り込むように。そして共に砂に埋もれるように。離さないと、彼は言う。
「ひとりで戦うのが怖いなら、最初から王に喧嘩なんか売ってんじゃねぇよ」
「・・・・・・これだから、私はおまえが好きなんだ」
「嬉しくねえ」
「いいや、トルフィン。おまえは私の友だよ。そして私も、おまえの友でありたいと思う」
ふふ、と笑ってクヌートが歩いてくる。すれ違い様にトルフィンの肩を叩き、天幕に向かって足跡を刻んでいく。くそ、と小さく呟いて、トルフィンはその後を二歩の距離で追った。
「必ずアイスランドに帰ってやる」
「追いかけるさ。そうだ、今度はおまえの姉も一緒に連れて帰ろう」
「来んなっ!」
「私の正妻の席は空いているのだからいいだろう? トルケルの血縁で、尚且つおまえの姉ならば文句を言う輩もいないさ」
明日スヴェン王を殺すおまえならな。囁くようにして告げたクヌートに、やはりトルフィンは舌打ちをせずにはいられなかった。こんな厄介な人間を置いて先に死にやがったアシェラッドを、それこそヴァルハラから引きずり出してきてやりたいと考えながら、明日の戦いに思いを馳せる。
父の到った戦士の極致に、トルフィンはまだ辿り着けない。むしろ真逆を往く自分を感じながらも、トルフィンはクヌートの隣に並んだ。





旅路の友





(ヴァルハラは私の隣さ。)
2008年8月1日