午前0時の鐘が鳴る





ブティックに放り込まれドレスに近いワンピースに着替えさせられたかと思うと、次いで美容室に放置され髪をふわふわにされた挙句メイクまで施された。時刻は22時を回り、次は何かと身構え半分、諦め半分でいたところ、車はまたしてもびゅんびゅんと街を走り始める。途中で立ち寄ったのはファーストフードのドライブスルーで、ハンバーガーやポテトやアップルパイ、サラダにデザート、Lサイズのコーラやオレンジジュースを山ほど買い込んで、また車は走り出す。ハンドルは侘助と理一が代わる代わる握り、健二は後部座席から彼らの話に参加していた。話題は開発に成功した新しい人工知能に関することだったり、先日の数学雑誌の証明だったり、近所の行儀の良い柴犬の話しだったり。時に侘助がナゲットを寄越せと言えば後ろから差し出したし、横から理一がマスタードをこれでもかというほど載せたりして、車内は明るく騒がしかった。剥き出しの肩や足、慣れないメイクが気にならないほどで、息つく間もなく喋り、笑った。引き摺られるようにして気分が上昇し、酒も飲んでいないのに馬鹿みたいに笑った。
「健二君。おい、起きろ」
「ん・・・・・・ぅう、はい・・・」
腕を掴んで揺さぶられ、くっつきたがる瞼を無理やりに開こうとする。視界が90度回転していて、頬に触れるシートのつるりとした感触に、いつの間にか自分は寝ていたのだと健二は気がついた。身体を起こせばかけられていたジャケットがずり落ちて、おそらくこれは侘助のものだろう。停めた車のドアを開け、覗き込んでくる彼は薄手のシャツしか身につけていない。夢うつつにジャケットを軽く畳んで差し出せば、そのまま手首を掴んで車の外に引きずり出される。途端に二の腕を撫でる風が冷たくて、正確な時間は分からないけれども、すでに明け方に近いことが察せられた。車は海岸沿いに停められており、近くの階段から砂浜へと降りられるようになっている。
「おいで」
三段下から、理一が手招いた。導かれるままに右手を取られて、パンプスでコンクリート作りの階段をゆっくりと下る。吹き付ける風は冷たく、ワンピースの裾が捲り上がり、眼前の海は幾ばくかの波を立てている。砂浜は少し湿っており、ヒールでも歩き難くはなかった。ぼんやりとしていた思考が、波音と共にゆっくりと目覚め始める。闇が薄れ、空が白む。遮ることのない水平線が溶け込んで、ゆるり、美しい球体の縁が顔を出す。
「うわぁ・・・・・・!」
神々しい日の出が、健二の視界を埋め尽くす。青い海を黄金に染め上げ、空さえも徐々に支配していく。これほどまでに美しい円形があるのだろうかと、そんなことを思わせるような刹那。太陽が昇り、照らし出す。影が出来る。この世で最も強大な、満ちた完全が健二の前に晒されていた。どんなに手を伸ばしても届かない、絶対が、永遠が。
「・・・っ・・・」
涙が溢れた。何に対してかは分からない。ただ目尻から溢れ出した雫が量を成して、重力に逆らえず頬の丸みを辿って顎から砂浜へと落ちていく。感動しているわけではない。無力を痛感しているわけではない。何が悲しくて、何が喜ばしいのか。欠片ひとつ分からないけれども、それでも健二の涙は止まることがなかった。はらはらと溢れかえっては次々に砂へと吸い込まれていく。ついにはしゃがみ込み、健二は膝を抱えてしまった。奥歯を噛み締めて、せめて嗚咽を殺しながら。情けなくて、馬鹿みたいで、悔しくて、どうしようもなくて。羞恥を隠してくれるよう、ストールがそっと降ってくる。
無言の優しさが身に沁みて、泣き続ける以外に出来ることがなかった。





あぁ、なんて、僕は無力な。
2009年10月18日