御者は親友、最強パートナー





理一にとって健二は、姪のようであり娘のようであり、戦友でありながらも、目をかけているとても優秀な数学者だ。陣内家の女性とは対極を成すようなおとなしさを持ちながらも、その芯はしっかりと硬い。三年前のラブマシーン事件で目の当たりにした控えめな、それでいて確固とした強さは、今も理一の中で尊敬という形を取っている。男の子のような名前をしていて、服装もいつもパンツルックで、それこそ同性の夏希にフィアンセの役を頼まれてしまうようなユニセックスな少女ではあったけれど、理一にとって健二はいつだって可愛らしい女の子だった。それこそ陣内家の某少年が彼女を口説き落とせなかった際には、自分が名乗りを上げてもいいと考えているくらいに。それくらいに理一は健二を好ましく思っていたし、可愛がってもいた。
『健二の親が離婚したのは、あいつが大学に受かってから入学するまでの一ヶ月足らずの間ですよ。その間に離婚を成立させて、親権やら何やら区分して、元のマンションは父親のものに、母親は職場に近いマンションを買って、健二は大学に近いアパートを押し付けられた。多分、前から決めてたんじゃないですか? 健二の卒業と同時に離婚って』
健二を華やかな美容室に放り込んで、理一と侘助は近くのファミリーレストランで時間を潰していた。きらきらした美容師に捕まって泣きそうな顔をしていた健二は可愛らしかったが、可愛い子には旅をさせるのもまた真理である。ヘアメイクを任せている間に、ドリンクバーを注文してモバイルパソコンを開く。OZに接続して知人の状況を確認すれば、目当ての人物はログインしておりすぐに捕まった。
「何で教えてくれなかったのかな?」
『健二が言わないのを俺が言うわけにもいかんでしょう。これでもあいつの親友なもんで』
「は、立派なもんだ」
『いやぁ、ありがとうございます』
侘助の揶揄にも、チャットの向こうの相手は堂々と応える。3Dだって滑らかに描き出してみせるOZにおいて、あえて平面のドットアバターを用いているところに相手の拘りを覚える。実際、ラブマシーン事件では様々なステージをOZに送り込んでみせたプログラマーなのだから、その才能は侘助に近いものがあるのだろう。佐久間敬は、自他共に認める健二の親友だった。現在も同じ国立大学に通い、学部こそ健二が理学部の数学科、佐久間が工学部の情報工学科と違いはあれど、大抵はふたりでつるんでキャンパスライフを謳歌しているらしい。主にパソコンの前に座って。
『健二も遠慮してたんじゃないですか。あいつ、あなたたちのことが本当に好きだから。変に気にされたくなかったんでしょう』
「だとしても・・・水臭いな。健二君はもう、立派な陣内家の一員なのに」
『あはは、それ、あいつに何度でも言ってやってくださいよ。絶対喜ぶから』
ドットアバターが自分のことのように嬉しそうに笑っている。親友を思うその心に、うん、と理一は意味もなく画面のこちらで頷いた。冷めかけのコーヒーに無駄に砂糖とミルクを注ぎ込んでいる侘助を、こら、と窘めていると、チャット画面で佐久間が動く。
『一年半かけて地味に立ち直ってきてたんですけど、今回思い切り振り回して吹っ切らせてやってくださいよ。当時の健二は、そりゃあ酷かったんで』
「酷かったって、どんな風に?」
『高校の卒業旅行がネズミーランドだったんですけど、あいつ来なくて。どうしたのかと思って家に行けばP≠NP予想を解いてました。リビングの床に座り込んで電気もつけずに延々と。携帯の充電も切れてたんで、多分二日くらいは』
その様を想像して、侘助は目を瞠り、理一は眉を顰めた。P≠NP予想といえば、数学上の未解決問題のひとつとして有名であり、100万ドルの懸賞金さえかけられている難題だ。名だたる数学者が解き明かそうと躍起になっているが未だ解明されていない真理であり、いくら才能があれど今の健二ではまだ答えに辿り着けないことは本人も分かっているだろうに。それでも解きたかったのか。それとも解けない問題をいつまでも解いていたかったのか。数学を前にすると時間と限界を忘れて没頭する彼女を知っているからこそ、理一も侘助も何も言うことが出来ない。
「・・・その証明式、残ってんのか?」
『あいつは捨てたかったみたいだけど、俺がこっそり回収しました。今度見ます? 鼻血と涙でぐちゃぐちゃのレポート用紙、711枚』
言葉にならない。だからこそとでも言うのか、佐久間は明るく告げてくる。
『なんで、あいつをめちゃくちゃ甘やかしてやってくださいよ。俺は親友だから無理ですけど、理一さんや侘助さんなら年上だし任せていいですよね? 本当は夏希先輩でも良かったんだろうけど、先輩だと健二が余計な気を使いそうだし』
「分かった。ありがとう、佐久間君」
「明日のあいつの講義は代返しとけ」
『俺に女の健二の声真似しろって、そりゃないでしょ。とかいって、そんなときのためにボイスを録音してあるんですけど』
「周到だねぇ」
思わず笑ってしまえば、佐久間のアバターも同じように平面の瞳を細める。健二と佐久間は良いコンビだと思っていたが、今回の話を聞いて理一はその印象を確たるものにした。互いに補い、鼓舞しあって、何かあるときはブレーキの役目も務めるのだろう。パートナーとして文句のない存在だが、それが親友から恋人に格上げされてしまうと問題だ。どう牽制しようかな、と理一が些か物騒な画策をしていると、佐久間がそろそろログアウトする旨を告げてきた。
『そんじゃ、健二のことお願いしますね。ドレスアップしたあいつの写真、是非送ってください』
「それは構わないけれど、着飾った健二君を見て好きになられると困るな」
『あーそりゃないから心配しなくていいですよ。俺と健二はあくまで親友だし、それに俺、OMCはそこそこだからキングのライバルは務まらないですしね』
「それは良かった」
率直に言い合って、理一も佐久間と一緒に笑った。侘助はドリンクバーにコーラを取りに行き、その間に挨拶を済ませてパソコンを閉じる。腕時計を確認すれば時間はもう22時近くになっており、健二の支度も頃合だろう。ストローをがしがしと噛む侘助を窘めて、理一は伝票を手に取った。
美容室で披露された健二はやはり泣きそうな顔をしていたけれどもとてもとても可愛くて、ああ、甘やかしてあげたいなぁ、と理一の庇護欲を一段と誘ったのだった。





健二さんと佐久間君の出会いは、中学で出席番号順が前後だったとか隣だったとかそんな感じ。
2009年10月18日