この国には、パートナーという制度がある。人は供給者と補給者に分けられ、供給者は体内で生成してしまう力を補給者に吸ってもらわなくてはならず、補給者は供給者から力を貰わなくては生きていけない。その相手は通常、三・四歳の頃に医者に診断され、同年代で最も波長の合う相手をあてがわれる。パートナーの関係は友達よりも、家族よりも、恋人よりも強いと言われる。
何故なら、力の受け渡しは唇を使って―――キスという行為で、行われるからだ。
金と銀のワルツ - side Marie -
私は毎朝、六時に目を覚ます。枕元の目覚まし時計をうるさく思いながら止めて、腕と足をぐっと伸ばす。立ち上がってカーテンを開き、空を見上げる。ヴェロニーカは曇りの日が好きだというけれど、私は雨の日の方が好き。零れ落ちる雨粒にシルバーが映えて、とても綺麗だから。だけど今日は曇りだ。
ベッドから出て顔を洗い、制服に着替える。下着をつけて、ブラウスを着て、スカートのホックを留める。鏡の前でネクタイが歪まないように結んで、ドレッサーから取り出したブラシを、丁寧に丁寧に髪にかける。眩しいほどに主張するブロンドも、大きく緩やかな癖の巻き毛も、好きではないけれど手入れは欠かさない。うっすらと化粧をして、鞄を持って同室のルームメイトを起こさないように部屋を出る。
まだ七時少し前の学園は、人の気配がまばらにしかない。それでも女子寮を出て、今日は中庭のベンチに腰掛けた。目を閉じて、あたりの気配に耳を澄ませる。朝は本当は得意じゃない。だけどもう慣れてしまった。それは、九年前からずっと。
「あの・・・・・・」
かかった。ゆっくりと、気だるげに瞼を押し上げる。曇り空の手前、見たことの無い男子生徒が私を見下ろしてくる。戸惑いと心配と、そして僅かの興奮。気がつかないわけがないわ。
「あの、どうかしたんですか? 具合が悪そうですけど・・・・・・大丈夫ですか?」
こういうとき、自分の肌が白くてよかったと思う。別に、このために白さを維持してきたわけではないけれど。
「・・・・・・ごめんなさい、何でもないの。ただちょっと、昨日夜更かししてレポートをやったから、力が足りなくなってしまって・・・・・・」
嘘。レポートなんて放課後の一時間で仕上げたわ。
「あっ、じゃあ僕の力を吸ってください! 僕は供給者なんで」
「でも・・・・・・あなたのパートナーに悪いわ」
「大丈夫です! 気にしないでください!」
「じゃあ・・・・・・秘密、ね?」
意識して微笑めば、男子生徒は顔を真っ赤に染めて頷く。こういうとき、私の顔はとても便利。好きで美人に生まれたわけではないけれど、感謝はするわ。
袖口を引いて、ベンチの隣に座らせる。サービスで手のひらを重ねてやる。おずおずと伺うように重ねられた唇から、力が流れこんで来た。
あぁ、不味い味。
この国の子供は、力の生成と受け渡しが必要となる三・四歳くらいのときに保育舎に集められ、そこでパートナーと出会い、以後は全寮制の学校に入ることが多い。
私とヴェロニーカが出会ったのも例に漏れず保育舎で、だけど他の子より遅い六歳のときだった。それからずっと、私とヴェロニーカのパートナー関係は続いている。私が学校に入ったのを追って、ヴェロニーカも同じ学校に入学してくれた。部屋は別々にしているけれど、朝と昼と、毎晩の充電は欠かさない。
私たちの場合は、私が力を吸い取る補給者で、ヴェロニーカが力を与えてくれる供給者だった。
味は最低だったけど、力だけは補給できた。出てきた女子寮にまた戻って、トイレによって髪と化粧が乱れていないか確認する。うがいをしてからリップを塗って、唇を鮮やかに仕上げる。これは私の義務。
ひとつ下の学年の子たちの部屋が並ぶ廊下に行くと、ちょうどヴェロニーカのルームメイト、ダニエラが出てくるところにかち合った。
「おはよう、ダニエラ」
「おはよう、マリー。ヴェロニーカならもう準備が出来てるわよ」
「そう、ありがとう」
すれ違って、目的の部屋の前に立つ。息を吸い込んで、吐いて、右手を持ち上げる。ノックは二回。
「はい」
扉越しに聞こえてきた声は、今日もとても綺麗。ゆっくり三つ数える時間をかけて、心の準備をしながら扉を開く。シルバーブロンドが窓の向こうの曇り空と重なってしまって、よく見えない。だから曇りの日は嫌い。
「おはよう、ヴェロニーカ」
挨拶に頬を染めて笑ってくれるヴェロニーカは、私のパートナーだ。
少しも着崩していない制服は、まるでヴェロニーカのためにデザインされたかのよう。控え目で大人しいヴェロニーカを、くるりと包み込んで守る洋服。スカートと靴下の間に見える小さな膝小僧や、ブラウスの襟から覗く細くて白い首までは隠せないけれど、私よりもずっとずっと、この制服はヴェロニーカによく似合う。綺麗で可愛いヴェロニーカ。
「よく眠れた?」
「うん」
「今日は曇りね。ヴェロニーカの好きな天気」
「うん」
うん、としか答えを返してくれないヴェロニーカに、密かに苦笑してしまう。彼女は何故か、私と話しをするときに緊張してしまうらしい。もう九年も一緒にいるのに、と思わないでもないけれど、私もヴェロニーカと会うときは緊張してしまうから、どっちもどっちなのかもしれない。
机の上に出たままになっているブラシに目を留めて、聞いてみた。
「髪を梳かしてたの? 私にやらせてくれないかしら」
「え? あ・・・うん」
色よい返事を貰えて、扉を閉めてヴェロニーカに歩み寄る。近づくことでもっと鮮明に判る、ヴェロニーカの愛らしさ。私のように手を加えずとも維持できる肌の白さ。月のように静かに存在するシルバーブロンドの髪。気づけば目が離せなくなる透明な美しさが、ヴェロニーカにはある。可愛い、可愛いヴェロニーカ。誰にも見せないよう、隠してしまいたい。
「座って」
そっとヴェロニーカの肩に手を置く。壊れそうに細い肩を、優しく、壊さないように。椅子に座らせてブラスを手に取り、指先をヴェロニーカのシルバーブロンドに触れさせる。控え目で、落ち着いていて、それでいて密やかに美しい、まるでヴェロニーカ自身のような髪。ほう、と吐息を漏らしそうになる。
「ヴェロニーカの髪は綺麗ね。まっすぐでさらさら。羨ましいわ」
「そ、そんなことない。わたしはマリーの髪の方が好きだもの」
ヴェロニーカのこの言葉のためだけに、私は自分の髪の手入れを怠らない。ブロンドも巻き毛もどうでもいいけれど、ヴェロニーカが好きだと言ってくれるなら、それだけで特別に変わる。
「ありがとう。もう少し伸びたら巻いてみましょうか。私とお揃い。・・・・・・嫌?」
拒まれたらどうしよう。そう思って恐る恐る提案してみれば、ヴェロニーカは整えたばかりの髪を乱して首を横に振ってくれた。良かった。それだけでとても嬉しい。ヴェロニーカが私を拒まないでくれている。それだけが、とても嬉しい。
ブラシを置いて、その指をヴェロニーカの顎に触れさせる。余計な肉のついていない、ほっそりとした顎。頬。首筋。鏡の中、ヴェロニーカのブルーの瞳と視線を重ねる。力をこめれば、ヴェロニーカは抵抗せずに顎をそっと上げてくれた。直に瞳が合う前に瞼を閉じられるけれど、頬の紅潮は隠しきれない。ヴェロニーカが目を閉じてくれてよかったと、私はいつも思う。でなければ私は、際限なく彼女を求めてしまいそうだから。柔く、挟む込むようにして唇を触れさせた。
そうして私たちは、朝の充電をする。
朝食を終えて校舎に向かい、途中でヴェロニーカと別れる。周囲の視線がうっとうしいけれど、私に向けられるのならいくらでも向ければいい。ヴェロニーカに注目しないためなら、私のことをいくらでも見ればいいわ。そのための美貌、そのために磨きをかけているんだから。もちろん、ヴェロニーカが好きと言ってくれることが大前提にあるわけだけど。
「マリー」
「・・・・・・アレクシ」
「おまえ、先週のレポートって・・・・・・」
アレクシの言葉が変なところで途切れる。ああ、ヴェロニーカの前だから意地でも堪えてたのに、別れたら一気にぶり返してきたわ。気持ち悪い。吐きそう。
「酷い顔色だぞ。保健棟に行くか?」
「いい。今朝吸い取った相手の力が合わなかっただけだから」
「ヴェロニーカのが?」
「違う。そこらへんの知らない男」
正直に答えたのに、アレクシは顔を歪めた。こいつのパートナーであるラエル一筋なところは知ってるけど、融通の利かない不器用さを馬鹿みたいだと思う。だけど、だからこそ私は、アレクシの前では良い子の振りをしなくて済む。同性のパートナーを持つ、パートナー依存症。お互いにそれだと認め合っているから。
アレクシに鞄を押し付けて、ふらつきそうな足で教室に向かう。
「・・・・・・おまえ、まだそんなことやってるのか」
「何か問題でも?」
「ヴェロニーカが知ったら傷つくだろ」
「知らさないわ。私からも誰からも、絶対に知らせない。補給者から供給者に違和感が伝わらなくて、本当に良かった」
力を生成する供給者が、もしパートナー以外の誰かと充電をしたら、パートナーは次の充電時にそれを察することが出来る。純粋な快楽の中に紛れる、他人の足跡。気にしない人もいるけれど、アレクシは潔癖なほどそれを許さない。そしておそらく、私も。
「そんなことしなくても、ちゃんとヴェロニーカから貰えばいいだろ」
「嫌よ。ヴェロニーカとの充電は一日三回って決めてるの」
「何で」
「気持ちが良すぎるから」
ようやく教室にたどり着く。一時間目から実験だわ。最悪。
「ヴェロニーカは私にとって特別なの。だから、ヴェロニーカの負担にだけはなりたくないのよ」
六歳まで、特定のパートナーを与えられずに保育舎で育った。波長の合う相手が中々見つからなくて、いつもボランティアの人から充電をしていた。周囲の子もどんどん自分だけの相手を見つけていくのに、私だけ置いていかれて、保育舎の中で一人、孤独だった。このまま死んでしまうのかもしれない。そう諦めかけていたときに引き合わされた相手が、ヴェロニーカだった。
初めて会うヴェロニーカは、とても可愛い子だった。これが私だけの人。握手に差し出したては震えた。握り返され、嬉しさのあまり抱きついて名を叫んでしまった。嬉しかった。出会えたことを奇跡だと思った。
そして行った初めての充電はとても甘美で、私はヴェロニーカが気を失うまで力を吸い取ってしまったのだ。
「・・・・・・馬鹿だろう、おまえ」
「ラエル以外の相手と充電して、『気持ち悪い』って言って吐いたあんだほどじゃないわ」
一時間目の授業は、レポートを提出して実験。二人一組なのでアレクシと組んで、全部押し付けてやった。気持ちが悪い。まだ治らない。昼まで持たないだろうから、後で誰かで補充しないと。
「とにかく、それ以来私は自重することにしたの。ヴェロニーカの負担になるなんてもってのほかだわ。ヴェロニーカは私に充電してくれる。量は関係ないわ。その好意で十分なのよ」
実験台の上のキノコを指で突く。潰して練って他の草と混ぜれば、依存性の高い麻薬の完成。だけどそれ以上の依存性を持っている私たちに、そんなものは効きやしない。
「私と波長の合う人間はなかなか見つからない。だからヴェロニーカだけなの。ううん、たとえ他に誰かがいても、私にはヴェロニーカだけなのよ。あの子が喜ぶなら何だってしてあげたい。優等生の仮面だってそうよ? ヴェロニーカは私のことを綺麗だと思ってくれている。だから、その幻想を保つのは私の義務」
「でも、ヴェロニーカがおまえのことを好きなのは、見ている俺にだって判る。それなのにそこまでする意味があるのか?」
「あるわ。だって私、ヴェロニーカに嫌われたら生きていけない」
アレクシが息を呑んだ。動揺しているみたいだけど、知ってるわ。あなたが私と同じ側の人間であること。あたたはラエル、私はヴェロニーカを失ったら生きていけない。これが異性のパートナーなら恋という名もつけられたけれど、生憎同性のパートナーだから名前も形も不明瞭なまま。それでも出会えたことが喜びだから、悲しもうとは思わない。
「私、パートナーが死んだからヴェロニーカが私のパートナーになったんだと知って、喜んだわ。死んでくれてよかったって思った。流行り病と神の気紛れに感謝したわ。むしろその子が死ねばヴェロニーカが私のパートナーになるって知っていれば、私から殺しに行ったかもしれない」
「マリー」
「判るでしょ、アレクシ? こんな浅ましい私を知ったら、ヴェロニーカは私を嫌いになる。それは嫌なの。それだけは避けたいのよ。嫌われたら生きていけない。ヴェロニーカは私のすべてなんだから」
パートナーだから、パートナーだから? どちらかが異性だったなら、簡単に名前をつけられたのに。
「可愛いヴェロニーカ。ヴェロニーカの私」
そう、それだけがすべて。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
何度感謝したか判らない。それでもまだ足りない。
私を生かしてくれるヴェロニーカに、死んでくれた彼女の前パートナーに、心から感謝して止まない。
ありがとう、本当に。
この醜い私を、きっと神様は見ている。だけどそんなもの関係ないわ。地獄にだって落ちてやる。それでヴェロニーカが私のことを好きになってくれるなら、それくらいお安い御用よ。
「マリー」
ヴェロニーカが呼んでくれるから。ブロンドの髪も、優秀な成績も、人当たりのよい性格も、ヴェロニーカが求めてくれるなら、それだけでいい。
瞳を閉じて、今日も私は充電を行う。
断罪と懇願と甘美に溢れた、キスを。
お願いだから見捨てないで、ヴェロニーカ。
2007年10月4日