この国には、パートナーという制度がある。人は供給者と補給者に分けられ、供給者は体内で生成してしまう力を補給者に吸ってもらわなくてはならず、補給者は供給者から力を貰わなくては生きていけない。その相手は通常、三・四歳の頃に医者に診断され、同年代で最も波長の合う相手をあてがわれる。パートナーの関係は友達よりも、家族よりも、恋人よりも強いと言われる。
何故なら、力の受け渡しは唇を使って―――キスという行為で、行われるからだ。
金と銀のワルツ - side Veronika -
わたしは毎朝、七時少し前に目を覚ます。枕元の目覚まし時計が鳴ろうとする、三分くらい前。スイッチを切ってから、カーテンを開けて空を見上げる。晴れの日も雨の日も嫌いじゃない。だけど一番好きなのは曇りの日。すべての景色がしっかりと見える気がするから。
ベッドから出て顔を洗い、制服に着替える。ブラウスを着て、スカートのホックを留めて、靴下を履く。ネクタイを手にとって、まだ寝ているルームメイトに近づいて、その肩を軽く揺する。
「ダニエラ、もう朝よ」
「んー・・・・・・」
「パートナーと待ち合わせしてるんでしょ? 早くしないと遅れちゃうわ」
ぽんぽん、と肩を叩けば、ダニエラは気だるそうに頭を振って起き上がる。わたしたちは日に数度力の受け渡し、いわゆる「充電」をしないと、身体が本調子を保てない。パートナーが男子寮にいるダニエラは、毎朝学校が始まる前に待ち合わせの約束をしている。そういうとき、パートナーが異性だと大変だなって思う。
「おはよー、ヴェロニーカ」
「おはよう。今日は曇りよ」
「えー・・・今日の体育は校庭なのに」
はぁ、と溜息を吐き出しながらダニエラも制服に着替える。わたしはその間に、鏡を取り出して髪を梳いた。肩につかない、まっすぐなシルバーブロンド。飾り気のない、わたしの髪。あっという間に仕度を終えてしまったダニエラがわたしの後ろから鏡を覗き込んで、ブリュネットの髪に花飾りのピンを差し込んだ。
「それじゃヴェロニーカ、お先に」
「うん、また教室でね」
「マリーによろしく!」
鞄を手に、ダニエラが部屋を出て行く。それを手を振って見送って、机の引き出しをそっと開いた。ガラス作りの宝箱は、わたしの小さなドレッサー。学校に入る前にお母さんがくれた、小さな真珠の指輪。去年のクリスマスにダニエラがくれたコロン。
コンコン、と扉がノックされて、わたしは急いで引き出しを閉じて立ち上がる。
「はい」
ゆっくり三つ数える時間をかけて、扉が開くのは毎朝のこと。鮮やかなブロンドが、今日も穏やかな空気に映える。
「おはよう、ヴェロニーカ」
綺麗に笑うマリーは、わたしのパートナーだ。
この国の子供は、力の生成と受け渡しが必要となる三・四歳くらいのときに保育舎に集められ、そこでパートナーと出会い、以後は全寮制の学校に入ることが多い。
わたしとマリーが出会ったのも例に漏れず保育舎で、だけど他の子より遅い、五歳のときだった。それからずっと、わたしとマリーのパートナー関係は続いている。ひとつ年上のマリーが学校に入ったのを追って、わたしも同じ学校に入学して。部屋は別々だけれど、毎朝と、昼と夜の充電は欠かさない。
わたしたちの場合は、わたしが力を渡す供給者で、マリーが力を吸い取る補給者だった。
髪の色はたくさんあるけれど、わたしが知っている中で、マリーのブロンドが一番綺麗だと思う。鮮やかな、太陽のような金色。緩い巻き毛を描いているそれは、地上にもうひとつお日様があるみたいで、いつも素敵だな、と見惚れてしまう。綺麗なマリー。
「よく眠れた?」
「うん」
「今日は曇りね。ヴェロニーカの好きな天気」
「うん」
「髪を梳かしてたの? 私にやらせてくれないかしら」
「え? あ・・・うん」
頷くと、マリーは扉を閉めてわたしの方に歩いてくる。制服で決まっている靴なのに、マリーが立てるのはいつだってコツ、コツという硬質な澄んだ音。スカートの揺れも少しだけで、きちんと結ばれているネクタイは乱れがなくて。白い肌も、グリーンの瞳も、長い睫毛も、マリーは全部綺麗。男子生徒の間でも人気があって、そんなマリーのパートナーであるわたしは、よく羨ましいって言われる。
「座って」
マリーの手がわたしの肩に置かれて、椅子に座るよう優しく押される。肩越しに伸ばされた手がブラシを取った。鏡の中のマリーの指が、そっとわたしの髪に触れる。通されたブラシは、すごくすごく丁寧。
「ヴェロニーカの髪は綺麗ね。まっすぐでさらさら。羨ましいわ」
「そ、そんなことない。わたしはマリーの髪の方が好きだもの」
「ありがとう。もう少し伸びたら巻いてみましょうか。私とお揃い」
嫌? と鏡越しに尋ねられて、わたしは慌てて首を振った。わたしじゃマリーみたいに綺麗にはなれないだろうけど、お揃いは嬉しい。思わず唇を緩めてしまうと、マリーがブラシを机に戻した。その細い、爪の形の良い指先が、後ろからそっとわたしの顎に添えられる。鏡の中、マリーのグリーンの瞳と視線が重なる。指に力が込められて、上げられていく顎から、指先が首を辿る。直にマリーの瞳を見ることが出来なくて、瞼を閉じて、スカートの上で手を握って。
そうしてわたしたちは、朝の「充電」をする。
朝食を終えて校舎に向かい、途中でマリーと別れる。上級生の校舎に入っていくマリーを見送っていると、周りの男子生徒の視線もマリーを追っていることに気がついて少し笑ってしまった。マリーは美人で優しいから、男子にも女子にも人気がある。パートナーが異性じゃなくて同性のわたしだから、一層人気があるみたい。
「おはよう、ヴェロニーカ」
振り向くと、同じクラスのラエルがパートナーのアレクシと一緒にいる。ラエルは男子だけど、わたしと同じように同性のパートナーをあてがわれた子だ。
「おはよう、ラエル。アレクシ」
「おはよう」
「マリーはもう教室に行ったのか?」
「はい。先週のレポートを提出しなきゃいけないからって」
朝食のときに言っていたことを思い出して答えると、アレクシが眉を顰めた。ひとつ年上の彼はマリーと同じクラスで、毒キノコの研究をしている。ラエルが横からアレクシの脇腹をつついた。
「アレクシも出さなきゃいけないんじゃないの?」
「ああ。じゃあラエル、また後で」
「うん、昼休みにね」
パートナー同士は充電を頻繁にするけれど、ラエルとアレクシが別れ際にキスをしているのを見たことが無い。前に聞いてみたのだけれど、ラエルが言うには、アレクシは人目のあるところで充電するのが好きではないらしい。「所構わず食事をしてるようなものだ」と言っていたと聞いて、目を瞬いてしまったのを覚えている。かくいうわたしとマリーも、人前で充電をすることはほとんどないのだけれど。
「今日の一時間目、自習だったっけ?」
「うん」
「じゃあプリントを貰ったら図書館に行こうか」
「うん。ラエル、顔色が悪いけど大丈夫?」
「あー・・・今日さ、アレクシが授業が忙しいから昼まで持たせろって、ずいぶん吸い取っていったから」
え、と思わず呟いてしまった。ラエルが振り向いて首を傾げる。
「・・・・・・マリー、そんなこと言ってなかった」
いつもと同じ充電だった。唇に触れて呟くと、予鈴を知らせるチャイムが鳴り始めた。
五歳のとき、保育舎でマリーを紹介されたとき、なんて綺麗な人なんだろうと思った。子供ながらにどきどきして、握手のために差し出された手に、震える手を重ねて、そして勢いよく抱き締められた。ヴェロニーカ! と名前を叫ばれて、グリーンの瞳にすぐ近くで見つめられて。
そして行われた初めての充電を、今も覚えている。
プリントを貰ったその足で、ラエルと並んで図書館に向かう。授業中だから人は少ない。一番奥のテーブルに教科書を置いて、向かい合うようにして腰を下ろした。ラエルの顔色もだんだんと戻ってきている。
「ええと・・・・・・ヴェロニーカは確か、マリーが二人目のパートナーなんだっけ?」
「うん」
重ねた手を見下ろして頷く。
「一人目の子は男の子だったんだけど、五歳のときに流行り病で亡くなって」
その後紹介されたパートナーが、マリーだった。マリーは特定の相手が決まらなくて、ずっと保育舎から相手を決められていたって聞いている。
「マリーとの充電は、一日三回。朝・昼・夜って決まってるの。最初の頃からずっと」
「一日三回? それで足りてるの?」
「わたしは大丈夫なんだけど、マリーは・・・・・・マリーは、他の供給者からもらっているみたい」
呼吸だけでラエルが驚いたのが判った。彼のパートナーのアレクシは、ラエル以外の人から充電するのを嫌うから、そう感じるのかもしれない。でも、パートナー以外と充電するのも、決してありえないことじゃない。特に長期で離れなくちゃいけないときとかは、互いに別の人で充電することになる。本来のパートナーほど体調は保てないけれど、それでも溜め込んでしまうより、不足してしまうよりはいいから。
「・・・・・・ヴェロニーカは、それでいいの?」
「それでいいっていうか、マリーが良いなら、わたしは別に」
笑ってみせると、ラエルは少しだけ眉を顰めた。やっぱりわたしは、マリーみたいに綺麗に笑えない。
「わたしね、マリーのパートナーになれて、すごく嬉しいの。マリーは初めて会ったときから綺麗で、優しくて、頭も良くて、運動神経も良くて。もう十年近く一緒にいるのに、まだ充電のときに緊張しちゃうの。話すだけでもどきどきして、マリーの瞳が見れなくて。・・・・・・おかしいでしょ?」
「そんなことないよ。僕もときどき、アレクシといると緊張するし」
「マリーはとても素敵な人だから、わたし、怖いのかもしれない。いつかマリーに捨てられちゃうんじゃないかって」
声が少し、歪んでしまった。じんわりとこみ上げてくる涙を、笑うことで必死に堪える。話したのはラエルが初めて。こんなこと、ずっと、誰にも話せなかった。耐えられなくて、両手で顔を覆いつくす。駄目よヴェロニーカ、泣いちゃ駄目。
「だってね、ラエル、だってわたし、わたし、思ってしまったんだもの」
意思とは別に涙が溢れる。ごめんなさいと、何度呟いたことか。だけど思ってしまった。マリーと初めて会った瞬間。
「前のパートナーが死んで、良かったって・・・・・・!」
それほどにマリーは綺麗で、彼女の存在は甘美だった。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
何度謝ったか判らない。だけど、それでもまだ足りない。
だって一瞬後に自分は彼女を、思い描いてしまうのだから。
こんなわたし、マリーが好きになってくれなくて当然だわ。こんな醜いわたし、彼女と出会えたことで前のパートナーの死を喜んでしまったわたし、マリーが好きになってくれなくて当然よ。それなのにマリーはわたしに優しく接してくれる。一日に三回も充電をしてくれる。それだけでいいの。幸せなの。
手のひらに指先が触れる。マリーの形の良い爪じゃなくて、男の子の、骨格のしっかりとした指。あらわになってしまった頬を伝って、涙がプリントに落ちてしまう。わたし、きっと酷い顔してる。ぐちゃぐちゃの顔。握られる力が強くなって、かたんと小さく椅子が揺れる。ラエルが身を乗り出してきた分だけ距離が縮まって、影と気配が重なった。
触れたのは、マリーの唇じゃなかった。同じ供給者だから、分かち合えるものも無い。
「・・・・・・アレクシに怒られるわ・・・」
「・・・・・・うん。僕もそう思う、けど」
ラエルの唇が頬に寄せられる。涙が吸い取られて、代わりに柔らかな吐息が感じられた。瞳を閉じて、わたしはラエルのキスを受け入れる。
「マリーも怒ってくれればいいのに・・・・・・」
呟きは図書室の静けさに消えた。
この浅ましいわたしを、きっと神様は見ている。死んだらわたしは、前のパートナーの元へは行けない。きっと地獄に行くのだろう。それでもいいと思ってしまったから、本当に救いようのないわたし。だけど。
「ヴェロニーカ」
マリーが呼んでくれるから。嫌われてても、充電器としてでも、マリーが求めてくれるから。だから、それだけでいいの。
瞳を閉じて、今日もわたしは充電を行う。
贖罪と羞恥と甘美に溢れた、キスを。
お願いだから見捨てないで、マリー。
2007年10月4日