彩七家の一つ、紅家当主が代替わりしたという噂は静かに、けれど確たる響きを持って彩雲国中に広まっていった。普通ならばいくら彩七家とはいえ、当主交代がここまで民に知られることはない。せいぜいがそれぞれの名のつく州内で発表されるくらいであって、州牧を招いて拝命を行い、宴を開く。それくらいのものだ。しかし、今回だけは違った。
新しく紅家の当主となったのは、まだ十七になったばかりの、うら若き少女だったのだ。
彼女の名は紅秀麗。先の当主黎深の兄であり、紛れもない紅本家直系の血を引く長男・邵可の一人娘。
それは彩雲国にとって初めての、女性当主の誕生だった。
紅に立ち臥す
「申し訳ありませんけれど、わたくし、馬鹿王に下げる頭は持っておりませんの」
凛然とした力強いまなざしで玉座の劉輝を見やりながら、新参の紅家当主―――秀麗はきっぱりと言ってのけた。
彼女の言い分に一瞬の間が空き、ざわりと朝賀の会場が揺れる。しかしそれは同席している臣下や兵士のみであり、同じ場についている彩七家当主らは動揺を見せることはなかった。襲名した直後以降、初めて三人揃って朝賀に出席した藍家三当主は、堪え切れず笑みさえ浮かべている。
その中でも最も唖然としているのは、「馬鹿王」呼ばわりされた劉輝本人に他ならない。無礼だと咎めることさえ彼方に忘れ、彼は自分より年下の、艶やかな紅家当主を見つめ返す。
秀麗はにこりと笑みを浮かべる。真紅の着物をまとい、丁寧に化粧している彼女は、持っている雰囲気も相まって、すでにこの場の誰よりも存在感を発揮していた。
「今ここで言っておきますけど、私、今後の当主朝賀には一切出席するつもりはありません。正月はこちらも忙しいんですよ。挨拶回りに加えて、治安警備にも人員を割かなくちゃいけないし、一年の計も立てなくちゃならない。わざわざ貴陽までちんたら日数かけて来てる暇ないんです。今回は当主就任直後だから顔見せのために来ましたけれど、来年以降はまた玖狼叔父様に来て頂くつもりですので、主上もそのおつもりで。もう二度と顔を合わせることもないでしょう。さっさと結婚して男子一人だけ産ませて穏やかな余生をお過ごし下さいませ」
もはや無礼どころの話ではない。ついに藍家三当主は噴き出し、揃って肩を震わせている。他の当主らも快活な物言いに笑みを浮かべていたが、唯一茶家当主の茶克洵だけは秀麗と劉輝の間でおろおろとしていた。
「・・・・・・紅秀麗殿といっただろうか。そなたは、余に何か不満でもあるのか? 確かに余はまだ若い、到らない王ではあると思うが」
「不満? はっ! そんなものあり過ぎて三日三晩どころか千日千晩語っても語り尽くせないわね!」
顔を引き締めて劉輝が問うたが、それは一笑に伏された。まだ少女の輪郭の残る顎を反らせ、秀麗は侮蔑するように劉輝を睨みつけ、そして唇を噛んだ。次いで発された声は高いけれども落ち着いており、聞く者をはっとさせる。
「わたくし、八年前の王位争いの際、貴陽にて暮らしておりましたの」
息を飲んだのは、当主以外の面々だ。劉輝の顔が蒼白に変わる。けれど逃げも甘えも許さないと、秀麗は王を睨み続ける。
「その頃、民がどんな暮らしをしていたか主上はご存じなのかしら? 私もその頃は紅家から離縁されていましたから、民と何ら変わりのない生活を送っておりました。むしろ敷地だけ広い家の維持費が嵩んで、食事は民よりも質素だったかもしれませんね。だけどそんなもの、どうだっていいのよ。生き延びれただけ、私は幸せだわ」
着物の下、細い手が握りしめられる。それは決して姫君の手ではない。だからこそ秀麗は自らの手に誓っていた。こんな思いをする民がいなくなるように、守る力を欲して紅家当主の座についたのだ。
「あなたたち馬鹿な王家の争いで、どれだけの民が死んだか知っているの? 今すぐ府庫に行って過去の鬼籍録を漁るのね。八年前だけで一棚以上はあるはずよ。あなたたち王家のせいで、何万もの民が死んだのよ!」
だんっと卓が叩かれる。所詮は女の手、大した音はしなかった。けれど並び控えている兵たちでさえ、その威圧と迫力に身を震わせた。
「あのときほど王に、政治に、絶望したことはなかったわ。だから私は紅家当主の座についたのよ。この力があれば、少なくとも紅州の民くらいは守れる。守ってみせるわ。王なんかの力は借りずに」
彼女は笑う。それは皮肉気な、けれど悲しみを帯びたものだった。少女などではない。紅秀麗は立派な、一人の施政者だ。
「あなたはせいぜい朝廷を荒らさないように気をつけるのね。後継ぎ問題なんてもっての外よ。起こす気配でもしたら、紅家の影が王家すべてを抹殺してやるわ」
「・・・・・・しゅう」
「軽々しく呼ばないで。王家に名を呼ばれるなんて寒気がする」
乱暴なしぐさで秀麗は立ち上がる。本来ならば、王より先の退室は許されない。けれど彼女を止めることの出来る者など、今この場にはいなかった。鮮やかなまでの紅を刻みつけ、言い放つ彼女は君臨者だ。
「彩雲国は王の物ではありません。あなたは民に生かされているだけなのだということを、お忘れなく」
きびすを返して去っていく後ろ姿を、劉輝はただ呆然と見送るしかなかった。鈍器で殴られたかのように、頭が衝撃に揺れている。血のように深い紅が、目に焼きついて離れない。
お見事、と藍家三当主が揃いの拍手を送った。
秀麗ちゃん紅家当主バージョン。婿候補は藍家五男とか碧家直系とか。もちろん婿養子しか認めません。
2006年11月10日(2006年11月30日mixiより再録)