その日の宰相会議には、本来ならば出席できない位の官吏が参加していた。諮られる議題によっては、担当している専門官が招聘されることもあるので、驚く人物はいない。それに加え、彼らはすでに宰相会議では見慣れた顔だったのだ。
門下省御史台所属、葵長官の秘蔵と名高い、陸清雅。
尚書省戸部所属、黄尚書の秘蔵と名高い、紅秀麗。
まだ二十代半ばでありながら宰相会議の常連となっている二人は、紛れもなく朝廷の未来の担う逸材だった。
会議場で逢いましょう
会議はいつも静かに、つつがなく進行される。挙げられている議題を尚書令の鄭悠舜が担当に振り、説明と意見の交換が行われていく。朝廷でも屈指の名官たちが出そろう会議は、さすが手際よく進められていた。
「それでは次、米に関する規制について。黄戸部尚書、お願いします」
「その件につきましては担当に当たっている紅秀麗より報告させて頂きます」
仮面に遮られ、くぐもった声が交代を告げる。上司に促されて立ち上がった女性は、二十代半ばを迎え、凛とした美しさを備えていた。意思の強さを示す瞳が、一際彼女を誇らしく見せている。数年前、及第したときの幼さは消え、今や彼女は立派な美女になっていた。
「それではご報告させて頂きます。先日門下省から提案されました米の専売についてですが、現段階での実行は適当ではないと判断します」
高すぎず低すぎず、耳によく馴染む声が会議場に響く。
「藍州での洪水と黒州での豪雪、これら災害に費やした予算を回収するのに専売はやりすぎです。特に米は民にとって必要不可欠な食べ物であり、専売すれば確かな収入を見込むことが出来ますが、だからこそ決して取るべきではない手段です。酒・塩・米に関しての専売は、国民のためにも却下します」
「―――米がなきゃ麦を食えばいいだろ」
始まった。その場にいた誰もがそう思った。
秀麗の落ち着いた声に被さるようにして響いた、涼やかな声。発したのは王である劉輝から見て四角の右側の列。左側の列にいる秀麗からは丁度正面の位置に座っている男だった。断りのない発言だけれども、彼の上官に当たる葵皇毅も、門下省長官である旺季も咎めない。
しばらく睨み合いが続いた後、秀麗はくいっと顎を動かした。座り切った目と相まってとても高飛車な仕草だったが、それすら今の彼女には似合っている。ふっと鼻で笑い、男―――清雅も立ち上がった。
「前々から思っていたのですけれど、門下省はずいぶんと専売を推奨されていらっしゃいません? 理由を是非お聞きしたいわ、陸官吏」
「理由も何も、国家の財政が芳しくないことは、戸部に在籍していらっしゃる貴女の方がよくご存じでしょう、紅官吏? 災害に対する備えが不十分なことも今回の件で判明しました。今や徴税は避けて通れない問題です」
「ええ、知っていますとも。その災害の被害を最も被った民たちが、今、どんなに切り詰めて日々を送っているのかも」
「紅官吏は相変わらず庶民派でいらっしゃるようですね」
「陸官吏こそ相変わらず徴収するのがお好きでいらっしゃいますね」
にこやかに微笑み合う女と男。けれどそれが嵐の前の静けさだということを、この場にいる誰もが知っていた。
劉輝は身を縮こませ、霄太師と宋太傅は楽しそうに笑っている。悠舜は微笑を浮かべながら筆を持ち、二人の上司たちは素知らぬ顔をしている。他の者は怯えながら、我先にと両耳を塞いだ。
声が再び、会議場に響き渡る。
「だからおまえは甘ちゃんだって言うんだよ!」
「あんたこそその性格の悪さ、いい加減直しなさいよ! だからいい年して奥さんの一人も貰えないのよ!」
「おまえに言われたくねぇよ! この嫁かず後家が!」
「私は結婚できないんじゃなくてしないのよ! あんたなんかと一緒にしないで!」
彼らの台詞に傷ついた者が多数いたりもしたが、当の二人は睨み合っていて気づかない。彼らが出席する宰相会議に、吏部尚書である紅黎深が臨席することは決してなかった。彼がいては話が進まないという悠舜の判断である。
手にしていた書簡を机に叩きつけ、秀麗は整然と主張する。
「そもそも『金がなくなったら国民から取ればいい』って考えが間違ってるのよ! 民には民の暮らしがあるの! 私たち官吏はそれを守るために存在するのに、どうして逆に苦しめなきゃいけないのよ!」
「朝廷は民のために尽くしてるんだから、必要なときに取るのは当然だろうが! 暮らし以前に国がなきゃやっていけない! 回り回って自分に返って来るんだから不当な行為じゃないだろ! むしろ感謝してほしいくらいだぜ!」
「だったら何も今取らなくてもいいでしょ! 災害があって今は生活が切迫してるの! そこから徴収すれば冬を越せない民だって出てくるわ!」
「だったらどこから金をかき集めるんだよ! 先の災害で防災予算は底を尽きてるだろ! 他から割くにしても限界がある! そんなことも分からないのか、この馬鹿女!」
「徹底的に財政を見直せばいいのよ、この阿呆男! 大体ねぇ、前から思ってたんだけど、御史台って経費の無駄遣いをしすぎだわ! 何あの観察御史の衣装代! 専門の問屋から卸してるって言ってたけど、あれってかなりぼったくられてるわよ! 値切りまくって押さえれば、それだけで食糧支援が賄えるわよ!」
「だったら仙洞省と工部からも削ったんだろうな!? それと羽林軍もだ! 奴らの出兵代に何であんな大金払ってんだよ! おまえちゃんと仕事してんのか!?」
「削れるところは削ってるわよ! だけど武官には命を懸けてもらってるんだから、亡くなった方の家族や怪我した人を保護するのは当然じゃない! っていうか今回は本気で削ってるのよ! 明日からは一度捨てた紙だって使ってもらうわ! 白い個所のある紙は塵だって認めないから!」
「そんな主婦の節約術で国家予算の穴埋めが出来たのかよ!」
「したわよ! 戸部じゃすでに深夜残業のろうそくを使わないために、強制的にみんな六時で帰らせてるんだから! もちろん仕事は終わらせてよ! 誰だって死ぬ気でやればそれくらい出来るわよ!」
息もつかせぬ叫び声の応酬を、悠舜は必要なところだけ拾って紙に書き留めていく。互いをけなし合いながらのやり取りだが、彼らは議題についての意見や批判、提案などをすべて言葉に盛り込んでいる。官吏としての相性がいいのだろう。そうとしか思えない、秀麗と清雅にしか出来ない案件の進め方だ。得た結論に満足し、悠舜は筆を置く。後は観客に徹して楽しむのが一番だ。
「それに清雅! あんたさっき聞き捨てならないことを言ったわね!? 『米がなければ麦を食べればいい』!? あんた一体どこの女王様よ! 零落貴族のくせして米と麦の悲しすぎる差を知らないなんて!」
「あーあーそういや、おまえって紅家直系だけど本家を追放されてるんだっけ? だからそんなにケチくさく育ってるのか。雨漏りするもんな、おまえの家」
「うるさいわね、この前静蘭が直してくれたわよ! あんたの家なんて無駄に家人雇ってるじゃない! そんな金があったら少しは貯金しときなさいよ! 誇りと伝統で明日のお米が買えるわけないんだから!」
「余計な心配をされなくても、俺は生まれてこの方、米以外の主食を食べたことがない。おまえとは違うんでね」
「〜〜〜あったま来た! あんた、今日仕事終わったら正門で待ってなさい! 麦の固さと有難みをとくと思い知らせてやるわ!」
「おまえって料理の腕だけはいいよな。おとなしくさっさと嫁に行けよ。祝いに麦を山ほど送ってやるぜ」
「清雅・・・あんたねぇ・・・・・・っ!」
秀麗が拳を震わせ、清雅は嫌味ったらしく顎を反らして笑う。そんな彼らの様子に、奇人と皇毅が僅かに溜息を吐き出した。霄太師と宋太傅はすでに大爆笑しており、劉輝はうらやましそうに指をくわえて二人を見ている。
顔を合わせれば喧嘩ばかりだけれども、その仲は決して悪くないのだ。例え当人たちが全力で否定しようとも。
紅秀麗と陸清雅。
彼らの口論は二人が宰相となった後も末永く続けられたと言う。
競い合う二人の今後に期待してるのです。好敵手になってほしい。
2006年10月6日