100年後も君が好き!





赤い髪がふわりと揺れる。10年前、彼女が海から陸に上がり、人間の女の子となったときから伸ばし続けてきた髪は、すでに腰に届くまでになっている。柔らかなウェーブはそれこそ沖合いのさざなみのようで、宗介はそんなポニョの髪を眺めるのが好きだった。中学校の制服の、ブラウスの白にとてもよく映える。スカートの裾と胸元のリボンを翻して、ポニョが振り返り大きく手を振る。
「宗介、早くー! 遅刻しちゃうよ!」
「待って、ポニョ! すぐ行くから!」
体育着の入ったバックと通学鞄を抱えて、立ったままスニーカーに爪先を突っ込む。早く早く、と笑顔で手招きするポニョと宗介が出会ってから10年。魔法を失うことと引き換えに、ポニョは人間の女の子に生まれ変わった。今はリサと耕一の庇護の下、宗介と同じ家で暮らしている。正式な名前は藤本ブリュンヒルデ。ポニョの本当の両親であるフジモトとグランマンマーレが娘に与えた名だ。
「宗介、ポニョ、お弁当忘れてるー!」
「お弁当!」
「あっ! ごめん、リサ!」
台所から顔を出して声をかけられ、宗介は慌てて履きかけていたスニーカーを脱いで戻る。手渡されたお弁当はふたつで、それぞれ青と赤のナプキンで包まれている。10年前から、宗介とポニョのお弁当はいつだって一緒だ。通学鞄にふたつを収めて、今度こそスニーカーを履いて玄関を出れば、ポニョが自転車の前で待っている。宗介、遅い! 言葉とは裏腹な明るい笑顔が、宗介は好きだ。
ゆっくりと同じスピードで年を重ねて、自分たちは成長してきた。宗介も背が伸びて手足が伸びて、まもなく母であるリサと視線が並ぶところまで来ている。ひまわりの家のみんなも会う度に「大きくなったねぇ」と言って喜んでくれるけれど、宗介は自分よりもポニョの変化の方が著しいと思っていた。
ポニョは、明るく天真爛漫だった女の子から、今はすでに一端の少女に変わりつつある。頬の丸みが滑らかになり、白い肌はまるで真珠のよう。時折くすくすと声を潜めて笑う所作には宗介もどきっとしてしまう。ポニョは、宗介の父である耕一が「観音様」とまで讃えた母のグランマンマーレにとてもよく似てきているのだ。母娘なのだから当然だろうけれども、花開いていく美しさは目を奪うほどで、毎日顔を合わせている宗介でさえ見惚れてしまうことがある。特に、ここ最近はそれが顕著だ。
「ポニョ、乗った?」
「うん!」
自転車は一台で、中学校までは片道20分。運転席は宗介の、荷台はポニョの特等席だ。背後からするりと伸びてきた腕が宗介の腰に絡みつく。いつものことなのに、びくりと背筋が震えるのもここ最近の特徴だ。背中に寄せられる身体も柔らかくて甘い匂いがして、ポニョはやっぱり女の子なんだなぁ、と宗介に再認識させる。その度にどきどきしてしまうのだ。
「あのね、宗介」
そっとポニョが身を乗り出してくる。ふわりと香るのは自分と同じシャンプーの匂いで、耳をくすぐる声に、何、と返す声が震えてしまう。
「・・・ポニョ、宗介のこと、好き」
小さな、とても柔らかい囁きに思わず振り返れば、鼻先の触れ合いそうな位置でポニョが笑っていた。満面の笑顔ではなくて、どことなく照れているのか頬をはんなりと染めて、まるで秘密事のように瞳を細めて、「宗介、好き」と繰り返す。
最近では滅多に聞かなくなっていた台詞だ。昔は大きな声で誰の前でも言っていたのに、いつからはポニョは言わなくなっていた。思えばそれは、宗介がポニョを女の子だと意識し始めてからのような気がする。もしかしたらポニョも僕のことを男の子だと思い始めてくれたのかもしれない。予想に勝手に嬉しくなって、宗介は思わず自転車のハンドルから手を離した。
「ポニョ! 僕も・・・っ」
「こらぁ、そこのカップル! いちゃついてないで早く学校に行きなさーい!」
「えっ!? うわ、リサ! い、行ってきまーす!」
ベランダから飛んできた声に顔を上げれば、リサが洗濯を片手にこちらを向いている。見られていたことが恥ずかしくなって、宗介は慌ててハンドルを掴んでサドルを踏んだ。背中ではポニョが「行ってきまーす!」と応えて手を振っている。そしてまた腰に回された、ポニョの腕。離れないようにしっかりと抱きついてくる感触が嬉しくて、宗介は自転車をこぐ足に力を込めた。
「ポニョ!」
「なぁに、宗介?」
「僕もポニョのこと好き! 大好きだよ!」
昔なら簡単に言えた台詞も、今では耳まで赤くしないと告げられなくなってしまった。だけどきっと、この変化は喜ぶべきことだ。五歳で共に生きると誓い合い、これからもずっと一緒にいられるように。好きだよ、と今度は恋を叫ぶ。
背中でふふ、とポニョが笑った。その声は立派な少女のもので、力強く自転車をこぐ宗介の横顔は、立派な少年のものだった。





個人的DVD購入記念。
2009年7月6日