成長は組がタイムトラベルしたようです。(第3話、暗躍・迎撃・番外戦)





庄左ヱ門を中心に立てた作戦は、非常に単純なものだった。太陽が沈み、夜も更けて、皆が寝静まったら学園長の庵にこっそりとお邪魔し、ギヤマンのような玉を探し出して奪取する。とても容易いものだが、これが一番確実だろう。幸いにもここは忍術学園であり、地の利は自分たちにも等しくある。学園長先生には申し訳ないけれどちょっと簀巻きにでもさせてもらって、半分が庵を漁っている、あるいは玉の在り処を聞き出している間に、残りの半分が周囲に気を配り、必要時に応戦。単純だが、これが最も短時間で成功率の高そうな作戦だと、は組の誰もが賛同した。そうして昼間は休憩を取り、夜に実行に移されるはずだったのだが。
しんべヱが食満先輩の前に出て行ってしまったことは、みんなして「あーぁ」と思いはすれど問い詰めようとは思わない。世話になった先輩はそれぞれに存在している。特に六年生は一年間しか一緒にいられなかったため、例え過去だとしても再会を喜んでしまうのは仕方がないのだ。
だが、作戦は変更せざるを得なかった。こんなこともあろうかと前もっていくつかの策を用意していたが、今回は戻ってきたのが兵太夫ひとりということもあり、その中のひとつを選択し、すでに実行に移している。「辰」と名付けられたその作戦は、数人が派手に暴れて学園中の視線を掻き集め、その間に数名が隠密に玉の在り処を探り奪取する、というものだ。
遊動部隊には単独で動いてもそれなりに相手を撃退できる、は組の中でも腕の立つ三人が選ばれた。団蔵、金吾、きり丸である。玉を探しに学園長の庵を目指すのは、敵索に優れている三治郎と全体の指揮を執る庄左ヱ門、その補佐をする伊助。彼らの動きをより隠密にさせるため、攪乱部隊には幻術を得意とする喜三太と、からくりを駆使する兵太夫が適役だった。保健委員長として怪我の手当てや薬の扱いに慣れている乱太郎と、火縄銃での狙撃を主とする虎若は、そんな攪乱部隊と組んで後方支援にあたる。しんべヱはその怪力をもってして、時に遊動部隊の助力、あるいは攪乱部隊の逃亡の手助けをする役割だ。
情報のやり取りは攪乱部隊が主となり矢羽根や狼煙を使って行うことになっている。最優先すべきは隠密部隊による玉の奪取だ。他はそれまでの時間、彼らが見つからないようにするために学園内を駆け巡っていればいい。これまた各自の能力に拠るところの多い作戦だったが、は組の王道でもあった。彼らは自分たちの得意な分野を知っている。だからこそ力を合わせたときに、それらは絶妙に嵌り込み、何倍もの力を発揮するのだ。



「おいっ! 侵入者だ! 全員、学園長の庵に集合しろ!」
食堂に五年生の忍たまが駆け込んできたのは、昼休みが始まってまだ少ししか経っていない頃だった。食堂には二年生や三年生など低学年を中心に生徒が集まり始めており、彼らはおばちゃんの定食を手に嬉しい昼食を食べ始めていた。けれども侵入者という言葉にきょとんとし、次いで慌てて席を立つのは幼くともやはり忍たまだ。ごめんおばちゃん、と棚越しに声をかけてばたばたと足音を立てながら彼らは食堂を出ていく。すぐにそこには誰もいなくなり、おばちゃんは困ったように頬に手をやった。
「あらあら・・・どうしようかしらねぇ」
出来たてほかほかのご飯は、今か今かと食べてくれる相手を待っている。しかし全員集合ということは、彼らが昼食を摂りに来るのは随分後になりそうだ。むしろ食べに来ることさえ出来ないかもしれない。子供たちには三食美味しい栄養満点のご飯を。それを信条としているおばちゃんとしては不満が募るけれども、ここは忍者の学校。どうしようもない事態というのは時にあり、今もそれに含まれるのだろう。せっかくだからいつ食べに来ても良いように、おにぎりにでもしようかねぇ。おばちゃんがひとり呟き、しゃもじを握ろうとしたときだった。
「あの、すみませーん」
高く澄んだ声に振り向くと、食堂の入り口に少女が立っていた。小花柄の着物は流行のものであり、さらりと結い上げられた髪型と相俟っておしゃれな町娘といった印象を受ける。くのたまたちよりも少し年上に見える彼女は、にこっと笑ってから食堂へと足を踏み入れてきた。おばちゃんが首を傾げる。
「お嬢ちゃん、どこの子だい?」
「あ、わたし、学園長先生にお招きいただいています、饅頭屋の者です。本当は昨日着くはずだったんですけど、道に迷って深夜になっちゃって。ご挨拶が遅れてすみません」
「饅頭屋さん? 何も聞いてないけど・・・」
「今、一年生の皆さんが校外実習に行かれているでしょう? 帰ってきたときにご褒美に美味しいお饅頭を食べさせてあげたいって、学園長先生が秘密に計画されているみたいで」
「ああ、そうなの。学園長先生らしいねぇ」
悪戯と思いつきが大好きな学園長の顔を思い出し、おばちゃんも納得した。調理場の棚越しに向かい合えば、随分と綺麗な顔立ちをしている少女だということに気づく。黒髪は艶があるし、顔は小さく、唇は透き通るような赤だ。猫のような瞳が愛らしい、魅力的な容姿をしている。かと思えば少女は大人びた風貌を崩して、まるで子供のように困った顔で笑うのだ。
「それで、あの、わたし・・・」
言いづらそうに、指をもじもじと絡ませて少女が視線を彷徨わせる。おばちゃんが首を傾げると、言葉よりも雄弁に音が語った。ぐうううう、と少女の腹が鳴ったのである。途端にぱぁっと頬を羞恥に染めて、少女が自身の腹部を抑える。その所作におばちゃんは思わず声を挙げて笑ってしまった。
「あっはっはっ! お腹が減ってるのかい? 定食で良ければ食べる?」
「い、いいんですか!? あの、生徒の皆さんの分じゃ・・・」
「いいのいいの、今日は一年生がいなくて材料も余ってるから、少し多めに作ったんだよ。みんな今は出払っちゃったし、早く食べちゃいな」
「ありがとうございます!」
ぱぁっと顔を輝かせた少女は本当に嬉しそうで、よく食べる子が好きなおばちゃんとしても上機嫌にお椀におかずを盛り付ける。盆を受け取り、少女は一番近くの机に座ると、両手を合わせて「いただきます」ときちんと挨拶した。箸の持ち方も綺麗で、おばちゃんはにこにこしながら見守った。
「美味しい!」
里芋の煮っ転がしを一口食べて、少女は歓声を挙げた。ありがとう、とおばちゃんも笑って答える。
「すごい、すごく美味しいです! 今まで食べてきたご飯の中で一番美味しいかも!」
「あらやだ、それは褒め過ぎよぉ」
「そんなことないです! これだったら銭を払って食べたいって人も大勢いますよ!」
町で食堂を開いたら大儲けですね、と言いながら少女はぱくぱくとおかずを食べ進めていく。嫌いなものはないのか、茄子のおひたしも、焼き魚も味噌汁も、すべてをぺろりと平らげた。ごちそうさまでした、と両手を合わせて感謝を告げ、少女は盆を返しに席を立つ。
「あの、これ御礼にもならないと思うんですが、お店で出しているお饅頭です。よければ召し上がってください」
盆と一緒に差し出されたのは、小さな茶色の蒸し饅頭だった。黒糖を使っているのか、どこか香ばしい匂いが食欲を煽る。いいのよ、と言いながらもおばちゃんは饅頭を受け取って、ありがとうね、と口に運んだ。一口、二口、三口。小ぶりな饅頭はそれだけで胃の中へと消えてしまう。
「美味しいわねぇ。餡子がみずみずしくて、今まで食べたことのない食感だわ」
「ふふ、そうでしょう?」
おばちゃんが意識を保っていられたのはそこまでだった。強制的な眠りが、意識をすべてから断絶させる。
「だって、乱太郎特製の睡眠薬入りだし? 食べたことなくて当然」
むしろあったら困る、と笑って少女は、否、きり丸は崩れ落ちるおばちゃんの身体を、棚を飛び越えて受け止めた。着物の裾さえ翻さないそれは、完璧なくのいちの動きであり、また忍びの所作でもある。女性にしては大柄なおばちゃんを苦も無く抱き上げ、きり丸は近くの椅子へと座らせた。机の上に腕を組むようにして、伏せて寝かせる態勢を取る。しんべヱが持参していた饅頭に、小松田にも使った睡眠薬を含ませておいたものだ。口元に掌をやって確かめれば寝息は穏やかで、特に苦しげな様子もない。よし、と頷いてきり丸は調理場に戻る。そうして少女の格好のまま、彼はしゃもじを手に取った。慣れた手つきで作り始めるのはおにぎりである。
「食はすべての源。おばちゃんの美味い料理で先輩たちが元気になっちゃうと困るんだよなぁ。ってことで、今日の昼ご飯は俺たちが全部いただきまーす」
具は入れずに白米だけでおにぎりを作っていく。時々塩を振って、煮っ転がしや焼き魚などはいくつかの入れ物に分けておき、味噌汁も同じく水筒と鍋に分配する。おばちゃんに使った睡眠薬は、小松田よりも軽く調整してあるために明日の朝には目覚めるだろう。だが、それだけで十分だ。少なくとも今日の昼と夜、忍たまたちはろくな食事が摂れないことになる。それすなわち活動力の低下に繋がり、容易い隙を作り出すことになるのだ。あー美味い。つまみ食いしながら弁当を作り続けるきり丸の前に、天井の板を外して虎若と喜三太が降りてきた。
「何やってるんだよ、きり丸」
「お、いいとこ来た。これみんなの分もあるから、会った奴に配ってくれよ。特にしんべヱとか菓子食べ損ねてひもじい思いしてるだろうし」
「わぁ、お弁当だ! きり丸、これ食べていいの?」
「おう。おばちゃんの作るご飯はやっぱり美味いぜ」
虎若は呆れ、喜三太は喜んでおにぎりのひとつに手を伸ばす。食べるときに食べておくのも忍者の鉄則だ。てきぱきと風呂敷に包み、虎若は火縄銃と一緒に弁当を背負い、喜三太も水筒の束を腰にくくりつけた。食後の茶まで飲み終えて、ふう、ときり丸は息を吐き出す。
「そんじゃ、そろそろ行きますか」
女物の着物を脱げば、現れるのは黒い忍び装束だ。きり丸がこうして食堂で時間を潰していたのには、忍たまへの食事供給を断つということ以外にも目的があった。今、忍たまたちは学園長の庵に集められている。それすなわち学園全体が、自分たち侵入者の存在を知ったのだ。けれども教師たちが動き、捕まえに来るそぶりはまったくない。つまり教師陣は出てこないのだ、この件に関して。その確証が欲しくて、きり丸は食堂でのんびりとおばちゃんとの会話に花を咲かせていた。もちろん腹が減っては戦が出来ぬ、という理由も多分にあったが。
教師の介入という心配事がひとつ減ったのを確認し、きり丸は手を振って虎若と喜三太と別れた。はてさてどこへ向かおうか、鼻歌を歌いながら屋根へ飛び乗る。



学園の最奥、学園長の庵の前に集められたのは、校外学習で不在の一年生以外、全員だった。各組で学級委員長が点呼を取り、それが教師へと伝えられる。抜けることなく生徒が揃ったのを確認し、二年い組実技担当の野村が学園長に頷いた。えへん、と喉を鳴らしてから学園長が喋り始める。
「諸君らも聞いておるかもしれんが、この忍術学園に曲者が侵入した」
ここで一瞬ざわりと空気が震えるけれども、教師たちの視線で我に返りすぐさま真剣な面持ちを取り戻すのは、やはり一年以上学園で学んできただけのことはある。この中では一番低学年にあたる二年生でさえも、息を詰めるようにして話の先を窺った。
「現時点で確認されているのは四名じゃ。目的は不明。よってこれ以降、侵入者への対処を全学年合同の実践実習とする!」
目を丸くしたには二年と三年。すっと意識を鋭くしたのは四年、五年、六年。学園長は生徒を見やり、ふたりを名指しして呼びつける。
「六年い組、立花仙蔵」
「はい」
「同じく六年い組、潮江文次郎」
「はい!」
「おまえたちが指揮を執るのじゃ。日頃の学習の成果をいかんなく発揮するのじゃぞ」
最後の言葉には生徒全員が頷き、学園長は満足そうに場を譲って庵に戻っていった。代わりに立ち上がり、生徒たちの前に出たのは仙蔵と文次郎だ。六年生の中でも優秀ない組から選出されたふたりを知らない者は、学園にいない。忍術学園は学年が上がるにつれ様々な事情を抱えて去る生徒が多いため、六年生ともなれば残っている生徒が一桁という年も珍しくはない。例に漏れず今の六年生も数は決して多くない。その面子を考えたとき、統率をとれる指導力を有しているのはやはり仙蔵と文次郎であると、同学年でさえ認めていた。
「今回の実習の指揮を執る、六年い組、立花仙蔵だ」
「同じく潮江文次郎だ」
「まずは侵入者の正確な人数、目的が不明であることから、それらの詳細を把握することを優先する。特に目的だ」
「二年と三年は、三人ないし四人組を作って学園内を巡回しろ。不審者を見かけたらすぐに近くの四年以上に知らせ、後は対象を逃がさないよう見張りだ」
「五年と六年は二人一組で敵索だ。対象を見かけ次第、可能ならば捕縛。無理と踏んだなら応援を頼め。一人でも確保したなら、後は尋問して目的を聞く」
仙蔵がそう言うと同時に、矢羽根が飛んだ。忍術学園では矢羽根の使用法について習うのは三年生の終わりであり、校外学習が徐々に本格的な任務になり始める頃だ。秋口である現在、三年生はまだ矢羽根を習っていない。すなわち仙蔵が飛ばしたのは四年生以上の、「殺人実習」を乗り越えて今尚在る、本気で忍者を目指している生徒に対してだ。今はまだ幼い後輩たちには語ることなく、彼は裏で命じる。
(敵を確保したなら拷問部屋へ連行しろ。生温いことはするな。何としてでも目的を吐かせろ)
まだ慣れていない四年生の中には表情を強張らせた者もいた。だが、それも仙蔵が視線を走らせたことで慌てて感情を消し去る。唯一、まだ忍術学園に編入して間もない斉藤タカ丸だけは矢羽根を理解することが出来ず、何も知らずにのほほんとしていた。文次郎が素知らぬ顔で檄を飛ばす。
「侵入者がどこの城の者か分からない以上、二年と三年は見つけても絶対に手を出すな。いいな!」
「はい!」
「四年は要所に罠を張り、迎撃に徹しろ。それと情報の橋渡しも任せる」
「はい!」
「五・六年は捕縛に全力を注げ! 何としても逃がすなよ、この忍術学園の面子にかけてだ!」
「おう!」
「保健委員は救護班として待機だ。低学年は困ったことがあったら保健室へ行き、伊作の判断を仰げ」
正しい判断なのか、それとも不運とされる保健委員を隔離しておきたいのか、悩むところだが仙蔵の思惑は前者だった。保健委員を学園内にばらつかせると、いざ負傷者が出たときに対処の遅れる可能性がある。自分たちが本職の忍者ではなく、まだ忍たまであることを考えれば保険をかけておきたいのが仙蔵の本音だ。いざ命の危険に晒されたときは教師たちも動いてくれるだろうが、希望的観測を抱いているようでは最高学年は務まらない。分かった、と伊作が頷き、委員会の後輩たちを手元に集める。
「留三郎、おまえの見た侵入者はどんな奴だった?」
問われ、投げ飛ばされたのを思い出したのだろう。拳を握り、食満は答える。
「巨漢の男と、筋肉質の男。それと細身の男がふたりだ」
「して、その者たちがお互いを『一年は組の生徒の名前』で呼び合っていたのは本当か?」
「・・・ああ」
今度は明らかに生徒たちが揺れた。「あの」一年は組を知らないでいられる生徒など、忍術学園には存在しない。学園で起こる騒動の八割以上の原因が一年は組に拠るものだと言われている。最上級生にも負けない個性を持ち、忍者としての腕前は「阿呆のは組」と言われてしまうほどなのに、何だかんだでいろんな出来事を乗り越えている。下級生を可愛がったり、遠巻きに眺めたり、時に少し意地悪をしたりしてしまう先輩たちからすれば侵入者がは組の名前で呼び合うなんて、何故そんなことをしているのか理解に苦しむ。多くの生徒が不審に眉を顰め、そしてまた身内の名を騙られることに不愉快を露わにした。
「一年は組は校外学習が多いからな。どこかの城が名前を知っていても可笑しくはない」
ふむ、と頷いて仙蔵は些事だと切り捨てた。そうして艶やかな髪を払い、唇を吊り上げて笑みを形作る。その様は不敵であり、自信に満ち溢れていた。
「だが、どこの誰が相手だろうと容赦はしない。我々忍術学園に侵入したことを末代まで後悔させてやれ」
凄みを帯びて、仙蔵は腕を振る。
「散開!」
六年と五年、四年が一瞬で姿を消した。着いていきそびれたタカ丸を滝夜叉丸が回収していく。その中の一組に矢羽根で指示を飛ばしつつ、仙蔵は腕を組んで残された二年と三年を見やった。まだ実戦を踏んだことのない彼らには、もう少し細かな気配りを見せてやる必要がある。これが学園での実習ならば、後輩の育成に努めるのも先輩の役目だ。いなくなってしまった上級生たちに驚きつつ、わたわたと組を作り始める彼らに、仙蔵と文次郎はゆっくりと歩み寄った。そういえば戸部先生の姿がないな。学園長と共に庵にいる教師たちを見て、文次郎はそんなことを思った。



「よ、っと」
周囲に人の気配がないことを確認し、扉を開けて地面に顔を出す。金吾が抜けた地下通路の先は、道場の裏手に繋がっていた。腰元でかちゃりと鳴る二本の刀が引っかからないよう抜け出れば、新鮮な空気が肺を満たす。空を見上げ、太陽の位置を確認する。これから先、庄左ヱ門たちが玉を見つけるまで、遊動部隊として派手に動いて人目を引きつけるのが金吾の役目だ。そのためには誰かに見つからなくてはいけない。さて、どこに行こうか。金吾は一歩足を踏み出した。
「っ・・・!」
爪先が硬直した。ざあっと全身の至る所から汗が噴き出る。かたかた、と刀が鳴って金吾の震えを表した。壁の向こうから伝わってくる、それは、紛れもない殺気だった。忍たまのものではない。それは、それは。
ひゅう、ひゅう、と漏れる息を正すことが出来るようになるまで、果たしてどれだけかかったのだろう。血の気の引いた金吾の顔は、青というよりももはや白かった。崩れまいと壁についていた手を握ろうとするが、強張って上手く動いてくれない。その間も殺気は止まない。この、壁を一枚隔てた向こうに、相手はいるのだ。―――行かなくては。金吾は奥歯を噛み締め、足を進める。一歩、二歩、三歩。道場の入り口までの距離を、途方もない遠さに感じた。戸にかける指は未だ震えている。けれども、行かなくてはならない。重圧に押し潰されながら、金吾は息を飲みこみ、戸を引いた。古い木戸が砂と擦れる音がする。
広い道場には、ただひとりの人がいた。
後ろ手に戸を閉めて、金吾は道場の板を踏んだ。窓から差し込む光が、床に模様を作り出している。下緒を外して、二本下げていたうち、忍刀をそっと置く。ただ打刀だけを手に、金吾はゆっくりと足を進めた。鼓動が早い。今にも死んでしまいそうだ。それでも、避けられる相手ではない。・・・心のどこかで、待ち望んでもいた。歓喜が湧き上がってくるのが分かる。いつかこうして、対等に刃を交わすことの出来る日が来たのなら。待ち焦がれていた。ずっと、ずっと。憧憬はいつしか、僅かながらの競争心さえ含んでいたのだ。分不相応とは分かっていたけれども、それでも。
覆面はそのままに、顔を見せず、金吾は刀を抜いた。相手は元から鞘を有しておらず、ぎらりとお互いの刃が輝いて、そうして。
―――勝負は、一瞬だった。
「・・・成長したな、金吾」
刀を収め、忍術学園の剣術師範である戸部新左ヱ門は、膝をついた愛弟子を見やり、ふっと微笑んだ。刹那の交戦にすべてを出し切った金吾は、荒く息を繰り返して手のひらを握り締めている。刀を手放しているそれが悔しさから来ているものだと察し、殊更に戸部は笑みを深めた。今は校外学習に出ている、小さな弟子を思い返す。あの子供が五年も経てば、このような立派な剣士と育つのだ。もちろんそこには金吾自身の努力も、戸部の指導も含まれるのかもしれない。だとしても自分の放った殺気に屈することなく、それでも負けじと挑んでくる気概を手にし、そして立ちはだかろうと前に立つのだ。誇らしい。戸部は弟子の成長に心からの喜びを感じていた。金吾が覆面を取り、正座して頭を下げる。
「ありがとうございました・・・っ!」
ごん、と額が床にぶつかった。それでも金吾は意に介することなく自分の相手をしてくれた師匠に対して礼を尽くす。褒められたことが嬉しかったし、こうして五年経ってもなお敵わないのは悔しいけれども、変わらず上に在ってくれる戸部を誇りに思う。ありがとうございます、と金吾は感極まって繰り返した。
「我々教師は、今回の件について何も介入しない。おまえたちの相手をするのは忍たまだ。心してかかるがいい」
「はい! ありがとうございます!」
「五年後が楽しみだ。・・・また会おう」
「っ・・・はい!」
ゆらり。独特の足取りで戸部が道場を去るまで、金吾は身動ぎもすることが出来なかった。今度は殺気に中てられたのではなく、身を震わせるような感激にだ。目の奥が熱くなってくる。泣き虫はもう卒業したはずだったのに、金吾はぐすりと鼻を啜った。天井の板が一枚外され、おにぎりが三つとおかずを詰めた弁当箱が降ってくる。
「良かったねぇ、金吾」
「っ・・・あぁ」
喜三太の柔らかい声に、ぐすっと目元を拭い、金吾は白米に手を伸ばす。食い付いたそれは、とてもとても美味しかった。



皆本金吾
六年は組所属、体育委員会委員長。
一途に剣豪を目指し、戸部新左ヱ門に師事してきた腕前は、とうに忍たまのレベルを超えている。いくつかの城から卒業後の誘いがかけられているが、本人はいたって謙虚であり「自分はまだまだだ」と思っている。体育委員会の先輩たちが余りにアレだったので、彼の強さの基準は少しおかしい。基本的に生真面目で強面なため、後輩には遠巻きに憧れられている。
所持している武器は、打刀(一般的な日本刀)と忍刀。忍刀を抜くことは滅多にないが、その鞘を捨てたとき、彼は剣豪ではなく忍者となる。



生い茂った葉の合間から、生徒たちが数名ごとに分かれて散っていくのを眺め、団蔵は思わずにやにやと笑ってしまった。五年前に来てしまったと知ったときはどうしたものかと思ったが、これはこれで案外面白い。そう考えることが出来るのは余裕があるからだと団蔵自身思う。何たって、は組全員が一緒なのだ。最強の仲間たちと一緒なら怖いものなんてない。これで悲嘆しろという方が難しい。
「うわ、神崎先輩じゃん。小さいなー」
先程擦れ違った虎若から渡された弁当を食べつつ、目に入った黄緑色の制服を注視していれば、その中に会計委員会の先輩の姿があった。とはいっても今は年下になっており、その身体は神崎左門が元から小柄だということを踏まえれば団蔵とは結構な体格差が見受けられる。昔はあんなに大きく見えたのになぁ、と団蔵は沢庵をかじりながら感慨に耽った。
神崎を縄でくくって引っ張っているのは同じ三年ろ組の富松作兵衛だ。彼の持つもう一本の縄は次屋三之助に繋がっており、学園でも有名な方向音痴のふたりを一手に担っているらしい。同じ組って本当に大変だよな、と団蔵はしみじみ思った。赤い蛇が見え、つられるように視線をやれば、相変わらずジュンコを首に巻いている伊賀崎孫兵は、は組の浦風藤内と組んでいる。そうすると同じは組の三反田数馬がいそうなものだが、姿は見えない。これは不運だからか、あるいは保健委員は別場所で待機なのか。庄左ヱ門の読み通りだな、と団蔵は分析した。二年生は池田三郎次と能勢久作と時友四郎兵衛が一緒におり、そこに保健委員の川西左近の姿がないため、やはり保健委員は別行動らしい。ぺろりと団蔵は指先についた米を舐め取った。
腹も膨れたので、そろそろ動き出すか。夕飯用のおにぎりを懐に収め、団蔵は態勢を整える。まずは眼下に見える三年生と二年生の前に躍り出て、彼らの注意を引きつけよう。先輩たちが良い反応をしてくれるといいけど。そんなことを期待して、団蔵は枝を踏み切り、飛んだ。





番外戦、金吾VS戸部先生。戸部先生の勝ち。
2013年3月31日(pixiv掲載2012年1月21日)