成長は組がタイムトラベルしたようです。(第2話、現状把握、そして接触)
入門票にサインをさせるという一点において最強と言っても良い小松田をやり過ごしたのだ。学園内に入らない馬鹿はいない。三治郎を先頭に、周囲に気を配りながら進む。夜も完全に更けて、高学年の自主練も済んでいる時間帯なのは幸いだった。忍術学園は左右に大きな運動場があり、建物は中心に配置されている。門から見て、手前が校舎、中央に生徒の長屋、奥に職員長屋があって、学園長の庵がある。他にも食堂や浴場、水練用の池や手裏剣の練習場、菜園や飼育小屋、倉庫はそれこそ数え切れないほどにある。影に紛れながら、は組が向かったのは小さな倉庫のひとつだ。ここは被服関係が収められており、生徒たちの予備の制服や布団なども仕舞われている。その裏手の茂みを掻き分け、うわぁ、と嘆いたのは兵太夫だった。
「何この分かりやすい偽造・・・! 一年生の僕、死ねばいい・・・!」
地面に突っ伏して呻き始めた兵太夫の背後から、団蔵が覗き込む。
「何で? ちゃんと扉は隠れてるじゃん」
「全然隠れてないよ! 土も茂みも何もかも幼稚としか言いようがない! 何よりこの大きさ! もっと小さく分かりにくいものにしないと意味がないのに、何で一年生の僕はこんなばればれの抜け穴を作ったのさ! 死ねばいい、あの頃の僕、死ねばいい! ねぇ庄ちゃん五分頂戴! この入り口、完璧なものにしてみせるから!」
「駄目。時間がないし、何よりここが本当に過去だとしたら、余り介入するのは良くないよ」
「兵太夫、諦めなって」
「じゃあ一分! 帰るときにはちゃんとっ・・・屈辱だけど、この分かりやす過ぎる抜け道に戻していくから! だからお願い、改造させて!」
「うん、それならいいよ。分かりやすくて逆に見つかったら大変だしね。明日まで誰にも見つからないようにしてくれる?」
「ありがと!」
すちゃ、と腰回りに着けていた巾着から工具を取り出し、兵太夫が意気込んで抜け穴の改造に取り掛かる。からくりに情熱を注いでいる者として、自分だけれども、否、自分だからこそ未熟な出来が許せないのだろう。地面をさらえば露わになるのは木の扉だ。くそ、一年生の僕は阿呆か。舌打ちして釘を抜きにかかる兵太夫の目は真剣だ。本来ならば同じくからくり好きの三治郎が手伝うのだが、彼は今誰かが近付いて来ないか警戒するのに全力を注いでいる。代わりに用具委員の喜三太としんべヱが手を貸し、彼らは速やかに抜け穴を目立たないように変えていった。
人ひとりが通るのがぎりぎりの大きさにし、加えて外からは正しい手順を踏まないと開けられないようにしたところでどうにか及第点を与えたのだろう。兵太夫が工具をしまい、終わった、と告げる。さすがはからくり技師を自負しているたけあって、時間は六十秒ちょうどだった。
「もう一度確認するけど、この地下室の存在は誰も知らないんだね?」
「うん。作法委員長の立花先輩にも話さなかった。気づいているとしたら先生くらいだろうけど・・・」
「おいおい、それが一番やばいんじゃないか?」
「いや、おそらく平気だと思うよ。僕たちが送り出されるときの土井先生と山田先生は事情を知ってるみたいだったから、この時代でも何か知っているのかもしれない」
「っていうか、先生たちが本気出したら俺たち今ここにいないだろ」
さすがに年齢による経験の差までは埋められていないため、教師ならば自分たちの侵入にも気が付いてしかるべきだ。だが、まだ見つかっていないということは見逃されているか、もしくは見張られているか。きり丸の言葉に誰もが納得し、庄左ヱ門から順に抜け穴へと消えていく。しんべヱが通過する際に腹がつっかえて冷や汗をかく事態になったが、どうにか入ることが出来た。三治郎がするりと滑り込み、兵太夫が茂みを直し、土を被せてから静かに中へ入り内側から施錠する。彼にしてみれば五年も前に作った抜け穴や地下室など、至らないところがあり過ぎで消去したくて堪らないのだが今回ばかりは仕方がない。
石や板で補強された地下道を抜けると、少し広い空間に出る。木戸ではなく布を入り口に下げているのは、おそらく空気の流れを遮断しないためなのだろう。ところどころ、おそらく外に繋がっている換気口から、夜の冷たい空気が入り込んできている。床には隙間なくきちんと板が敷かれ、そこは部屋の体裁を成していた。隅には戸棚まで置いてある。伊助が火を起こし、明かりをつけた。
「とりあえずひと段落だな!」
団蔵が覆面を外し、ぐっと両腕と共に身体を伸ばした。三治郎と庄左ヱ門ときり丸が四方と通路を確認し、特に異常はないと判断すれば全員が各々荷物をおろして床に座り込む。何か精神的に疲れた、と言ったのは約二貫の火縄銃を軽々と背負ってきた虎若だ。
「兵ちゃん、戸棚漁ってもいい?」
「いいよ」
「あ、茶葉と急須がある。っていってもお湯を沸かすのも手間だしねぇ」
「僕、お菓子持ってきたよぉ」
「しんべヱ、でかした!」
伊助が戸棚を端から開けて、中身を確認していく。さすがに水はないらしく、手持ちの水筒の中身を沸かすのも面倒なので、温かいお茶は見送られた。代わりに紙や筆や墨などが見つかり、使えそうだね、と伊助はそれらを拝借する。しんべヱがわざわざ持ってきたらしい饅頭と干菓子が、床には広げられていた。車座を組むようにして全員が座り、まずは饅頭に手を伸ばす。
「じゃあ、状況を整理しようか」
「庄ちゃんったら冷静ね」
「あー饅頭美味い」
「こういうときに食べるとより一層美味しく感じるよね」
もぐもぐという咀嚼音を交えながら、話は進められていく。
「増設したはずの飼育小屋がないことと、さっきの小松田さんが言った年号、兵太夫のこのからくり部屋から判断するに、ここは『五年前の忍術学園』ということでいいね?」
「意義なーし」
「信じられないけどね」
「学園長だし、何でもありだろ」
「その学園長先生が言うことには、『同じ玉を取ってくること』が僕らに与えられた任務だ。たぶん、来たときと同じように、あの玉があればもといた時代に戻れるんだと思う」
「意義なーし」
「まぁ、普通そうだよな。というかそうであってもらわないと困る」
「喜三太、おまんじゅうもう一個いる?」
「いるー。ありがとう、しんべヱ」
「ということは、僕らがすべきことはあの玉を見つけ、手に入れること」
「乱太郎、水ちょうだい」
「えー自分の飲んでよ」
「だけどそのためには問題がある。今僕らがいるのが、五年前ってことだ」
ぴたり。全員の動きが止まった。饅頭を仲良く分け合っていた喜三太としんべヱも、何だかんだ水筒を差し出していた乱太郎も受け取っていたきり丸も、歪んでいる板が許せないのか修理している兵太夫と手伝っている三治郎も、火縄銃の点検を始めた虎若も、刀の様子を確かめていた金吾も、三つ目の饅頭に手を伸ばしていた団蔵も、少量の水を落として墨をすり始めていた伊助も。十人全員が一切の動作を停止し、少しの間の後、鈍く首をめぐらせて庄左ヱ門を見る。は組の学級委員長は、こんなときでも冷静だった。
「つまり今、この学園には先輩たちがいるんだ。『あの』六年生と、五年生と、四年生の先輩たちが」
三年生以下は下級生だから除外するよ。あっさり言ってのけた庄左ヱ門に、これは詰みだろ、ときり丸がうんざりしたように呟いた。彼らにとって先輩とは、いくら形容詞をつけても良くも悪くも表現できないような、そんな存在なのである。だが、懐かしさを覚えるのは当然だ。何人かが喜びに顔を輝かせ、そしてまた何人かは懐古に目を細める。ただ思い返して表情を暗くした者も確かにいた。庄左ヱ門の指が、とん、と板張りの床を突く。
「中途半端に動くのは危険だ。短期決戦で決着をつけよう。玉の奪取は明日の夜決行。・・・みんな、いいね?」
庄左ヱ門の言葉に全員が頷いた。まもなく夜が明ける。朝日に照らされて始まる賑やかな学園は、今の自分たちのものではないのだ。
代わる代わる仮眠をとる。常に二・三人は見張りを置いて、他の者は眠ったり手持ちの武器を確認したり、時には雑談したりと好きに時間を過ごしている。部屋は決して広くなかったし太陽が昇っても明かりが要るほど暗いけれども、そういった環境には慣れている。拷問の授業も一通り受けたし、時にはひたすら動かず耐え忍ぶことさえ求められた実習もあった。それに比べれば、好きなことが出来ていて動き出す時間も分かっているだけ気楽な時間である。兵太夫がこの時代に作ったからくりや地下通路などを紙に書き起こし、全員がそれを頭に刻み込む。見張り番が一周する頃には、すでに太陽は真昼を示しているようだった。
「お腹空いたねぇ・・・」
ぐうう、としんべヱの腹が鳴ったので確かに昼になったのだろう。持ち込んだ饅頭はすでに底を尽きており、食べられるようなものはといえばそれぞれが持っている携帯食くらいしかない。ひもじい顔をするしんべヱだって、いざとなったときは一日や二日、何も食べないでいられるよう訓練はしている。だが、それは余程切羽詰ったときだけだ。しんべヱの満腹具合は、そのまま彼の腕力に匹敵する。分かっているからこそ、仕方がないね、と庄左ヱ門と伊助は肩を竦めた。
「しんべヱ、長屋の部屋にお菓子の取り置きはある?」
「っ、うん!」
「兵太夫、案内してあげて。何かあったときのために一応・・・団蔵、行ける?」
「おう。しんべヱ、俺にもお菓子分けてくれよ?」
「うん! ありがとう団蔵、兵太夫!」
許可が出て、しんべヱが満面の笑顔で立ち上がる。仕方ないなぁ、と兵太夫も覆面を鼻まで引き上げ、頭巾を被りなおした。
「三人とも、何かあったときの作戦はちゃんと覚えてるよね?」
「大丈夫。ばれないようにさくっと帰ってくるって」
「・・・まぁ、一年はみんな留守みたいだし、長屋に誰かいるとは思わないけど。でも気を付けて」
「はーい」
「いってらっしゃーい」
ひらひらと手を振り、部屋から伸びている複数の通路の内、ひとつに兵太夫としんべヱ、団蔵が消えていく。見えなくなった後ろ姿に、にしし、ときり丸が笑った。
「見つかったりして」
「やめてよ。きりちゃんの予言って中ることが多いんだから」
乱太郎が窘めるが、そこに浮かんでいるのは苦笑でしかない。のんびりと彼らは過ごしていた。少なくとも、そのときまでは。
ごおん、と低い音を立てて見張り台の鐘が鳴る。教師が授業終了を告げ、食満留三郎は張り詰めていた肩を落とした。砂で汚れた制服を払い、手首を回して調子を見る。
「お疲れ様」
「お疲れ」
声をかけてきた善法寺伊作は、食満よりも汚れており全身がむしろ砂まみれだ。頬にはべったりと泥までついており、それもそのはず、六年は組は運動場において実技の授業だったのだ。しかも組手であり、武器の使用は禁止されたため体術のみを駆使して行われたそれは、武闘派を自負する食満にとってはさほど苦でもなかったが、逆に後方支援を得意とする伊作は大変だったのだろう。手のひらには地面で擦ったような痕まであり、いつものことだけど仕方ねぇな、と食満は肩を竦める。
「先に井戸で洗い流してくか。このまま食堂に行ったらおばちゃんに怒られる」
「そうだね」
へろへろになっている伊作に合わせてゆっくりとした速さで歩けば、やはり六年長屋の井戸は同じ考えの級友たちによって占拠されてしまっていた。ふんどし一枚になって水浴びしている彼らを待っていたら、それこそ昼休みが終わってしまう。
「・・・どうする?」
「一年長屋の井戸、借りちゃおうか? 乱太郎たち今、実習に行ってていないし」
「そうするか。しんべヱたちもなぁ、俺たち以上に校外学習してないか?」
「仕方ないよ、あの一年は組だもの」
可愛がっている後輩たちを思い出し、自然と笑顔になりながら行く先を変える。長屋は学年ごととなっており、六年生は生徒数の少なさから一棟、五年生は同じ理由から二棟しかないが、四年生以下は組の数と等しく三棟ずつ用意されている。今いる場所から一番近いのは一年は組の長屋であり、食満と伊作はそこの井戸を借りることにした。どちらも委員会の後輩がいるから気安いものである。
「邪魔するぞー」
「ちょっと借りるね」
主がいないと分かっていても、一応断りを入れてから井戸へと近づく。縄でくくられた桶を手に取り、それを井戸へと投げ落とそうとしたときだった。
「ああーっ! やっぱり食満先輩だぁ! お久し振りですぅ!」
「あっ! おい、しんべヱ!」
音を立てて開かれたのは襖で、そこから顔を出している巨漢の男は黒い装束を纏っていた。口元の覆面が邪魔をして年齢は読めないが、声からするにまだ若い。だが、それだけだ。誰だ、こいつは。警戒に食満の目が吊り上り、すぐさま右手は苦無を構える。伊作とてそれは同じで、彼は武器を持っていなかったため近くにあった桶を構えた。縁側の男はきょとんと眼を瞬いているが、その背後、開いている襖の奥では影が蠢いている。男の名を呼んだひとり、少なくとも他にいるはずだ。
「・・・誰だ、おまえは」
「ふぇ?」
「どこの者だ、何が目的で学園に侵入した」
「先輩? 僕、」
「しんべヱ!」
再度部屋の中から二人目が声を挙げる。鋭いそれは叱責だったが、食満を煽るのには十分過ぎた。
「・・・黙れ、侵入者が」
喉から漏れる声は低く、ぴりぴりとした殺気を帯びて放たれた。
「それは俺の後輩の名だ。―――二度と口にするな!」
食満が苦無を投げつけると同時に、襖の中から伸びてきた腕が男を乱暴に引き戻す。その際に巨体がぶつかり、襖が破れて外れた。太陽が差しこんだ室内には三人の黒装束の男がいて、そのうちのひとり、背の高い男が苦無を逆に弾き飛ばす。奥ではもうひとりが剥がした畳の影で何かしていた。侵入者だ。食満が地を蹴って突進する。伊作が懐から爆竹を取り出し、火をつけて空へと放った。同時に男がひとり、床下へと消えた。
高らかに爆発音が学園中へと鳴り響く。これが、戦いの幕開けだった。
団蔵としんべヱを残して自らが先に逃げたことに、兵太夫は罪悪感など抱かない。あのふたりと自分では担当する分野が違う。だからこそ彼はひとりで抜け穴へと戻り、内側からしっかりと鍵をかけ、振り向くことなく来た道を駆けた。途中で仕掛けを起動させて知らせを飛ばすことも忘れない。奥の部屋にいる級友たちには、これで十分緊急性が伝わる手筈になっている。暗闇の中、遠くにぼんやりと見えていた明かりもすぐさま消えた。気配が散る。この抜け穴を兵太夫へと向かって駆けて来ているのは、作戦通りなら。
「乱太郎!」
「兵太夫、怪我は!?」
「ない! 食満先輩と善法寺先輩に見つかった。警笛鳴らされたからすぐに知れ渡る」
「大丈夫、作戦はもう始まったから。しんべヱたちの援護には庄左ヱ門たちが向かったよ!」
「じゃあ僕たちは僕たちの仕事をします、かっ!」
思い切り壁の板を蹴り上げた。他と比べて脆い素材で出来ているそこはすぐに崩れて、その奥に隠れていた穴を露わにする。先は焔硝倉の近くに繋がっているはずだ。行こう、と頷き合って兵太夫と乱太郎は進む。
高らかに放られた爆竹が空中で火花を散らすのを、団蔵は見た。思わず舌打ちしてしまうが、眼前に迫り来る食満を迎え撃つために一歩を踏み出す。このまま室内で戦闘になったら、この部屋の主である兵太夫と三治郎に文句を言われるに決まってる。それだけは避けたい、そう考える余裕が団蔵にはあった。がきん、と鈍い音を立てて苦無がぶつかり合う。鍔迫り合いを繰り広げる相手の表情は硬く、剥き出しの敵意をあらわにしており、団蔵は心中で薄く笑った。俺、食満先輩よりも背ぇ高いじゃん! そんなことを考えていただなんて知れたら、それこそ手裏剣が飛んでくるどころでは済まなかっただろう。
空いた左手で拳を繰り出す。それは逆に手首を掴まれたので、間髪を入れずに苦無を持つ右手首を回転させて武器を弾く。力任せに手首ごと左腕を引かれたが、団蔵は自ら飛び上がって食満の顔へと膝蹴りを放った。しゃがんで避けられたが、その拍子に手首の拘束も解かれた。よっしゃ、と笑い、団蔵は縁側に低く着地する。途端、ぱぁんと空で音が鳴った。
「何だ!?」
食満が見上げた隙を逃さずに、団蔵は一歩で距離を詰めて懐へと入った。しまった、と目を瞠られてももう遅い。襟首を捕まえて、背負い投げの要領で身体を抱える。力いっぱい投げつけるのは、いつ介入しようか時機を見計らっていた伊作のいる方向だ。
「留三郎!」
予想に違わず、伊作は飛んできた食満を受け止める。同じくらいの重さの級友を抱き留めるには力が足りないのだろう。たたらを踏んでふたりは地面に転がった。余裕を持って縁側に立ち、団蔵は振り返る。
「しんべヱー。庄左ヱ門が言ってただろ? 無闇に名前を呼んだりしたら駄目だって」
「えへへ・・・ごめんなさい」
「狼煙は桃色。ってことは作戦は『辰』が決行か」
先程打ち上げられた青空に霞んでいく桃色を眺め、団蔵がうん、と確認のためひとり頷いた。伊作に支えられるようにして食満が立ち上がる。打ち所が悪かったのか、足元が少しふらついていた。
「おまえたち・・・何者だ」
それでも険しい眼差しに、団蔵は胸を張って言い返す。
「何だかんだと聞かれたら、答えてやるのが世の情け!」
「団蔵、格好いいー!」
「とは言っても、名前や所属を明かしちゃ忍者失格。というわけで俺たちは『男前な侵入者』ってことでひとつよろしく!」
「・・・何馬鹿なことやってるの、ふたりとも」
音もなく長屋の前に降り立った新たな存在に、食満を庇うようにして今度は伊作が身構える。それを一瞥して伊助は肩を竦めた。ごめんごめん、と軽く謝り、けれども団蔵は剣呑に瞳を輝かせた。それは悪戯というよりも、己の実力を自負している強者の笑みだ。
「でも、これで派手に暴れることが出来る。・・・実はちょっと楽しみだったんだ」
潮江先輩と、拳を交えるの。にやりと唇を吊り上げる団蔵に、伊助は呆れたように溜息を吐き出した。けれども余計な時間を食っている暇はない。
「気を付けてね」
「おう!」
ひらりと手を振り、団蔵は縁側の端まで歩き、距離を取る。伊作と食満が何をするのかと身構えていれば、同じく逆の端に行ったしんべヱが大きく足を開き、少しばかり腰を落として手のひらをぶんぶんと振った。
「団蔵、いいよー」
「行くぞ、しんべヱ!」
黒装束の男たちは、やはり伊作たちの後輩の名を使って互いを呼び合う。「団蔵」は駆け出したかと思うと、まっすぐに巨漢の「しんべヱ」に向かって行った。あと数歩というところまで来て、大きく踏み切る。そして男は飛んだ。しんべヱの重ねられた手のひらを踏み台にして、空へ。どんな怪力なのか、決してひ弱そうには見えなかった団蔵の身体が、しんべヱの腕力によって長屋よりも見張り台よりも、高く高く空中へと舞い上がる。伊作と食満が呆気に取られている間にその姿は小さくなり、遠い木々の合間に消えていった。逃げられた。そう伊作が判断すると同時に、彼の鼻を嗅ぎ慣れた匂いが霞める。反射的に食満の身体を地面へと抑え込んだのは、保健委員長として毒に対する知識と対処法からだった。薬が煙幕に混ざって周囲を白く埋め尽くす。口元を押さえ、近くにあった桶を扇代わりにして煙を払い、匍匐前進で伊作たちは一年長屋から離れた。もはや残りの侵入者ふたりがあそこにいるとは思えない。だとしたら自分たちに出来ることは、少しでも早くこの非常事態を教師に知らせることだけだ。爆竹の音を聞きつけて、小平太と長次が寄ってくるのが見える。実技の疲れなんてとうに忘れ、ふたりは全力で駆け出した。
序盤戦、団蔵VS食満。団蔵の勝ち。
2013年3月31日(pixiv掲載2012年1月14日)