滝夜叉丸の背景や家族などを捏造しています。オリジナルキャラクターが登場しますので、大丈夫な方のみお進みください。





季節は弥生を控えた初春。己が主である上田城で、真田幸村は珍しく畳みに腰を下ろしていた。いつもの赤い戦装束ではなく、落ち着いた色合いの袴を身に纏っている姿は立派な城主に思えるが、屋根裏の佐助からしてみればただの青少年にしか見えやしない。しかも十七という年齢ではなく、そこから五を差し引いた思春期に突入しかけの青少年だ。どうしたもんかね、と心中で小さくごちて、佐助は音もなく部屋へと降り立つ。
「佐助!」
「只今帰りましたよ、旦那」
「そ、それで、滝夜叉殿からの返事は・・・っ!?」
「預かってきましたよ。ほら、ここに」
懐から几帳面に折りたたまれた文を取り出す。紙は粗末なものだが、表に綴られている「真田幸村様へ」という文字は実に流麗なものだ。女性の書くべき字の見本みたいだよねぇ、などと考えながら佐助はひらりひらりと文を振る。幸村の目が、その動きに従って左右に揺れる。ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら。ひら、ぱしっ!
「・・・・・・」
「・・・・・・」
真剣白刃取りのごとく挟み奪おうとした幸村の手を、佐助はいとも簡単に避けた。途端に犬のようだった丸い瞳が嫉妬に染まり、肉食獣のそれへと変貌する。にやりと唇の端を吊り上げて佐助は笑った。幸村の焦がれて止まない姫君からの手紙は、未だ佐助の手の中にある。





恋が来たぞ!





幸村が初めて平滝夜叉という少女を目にしたは、佐助の知る限りでは幸村が十三、滝夜叉が九歳のときだった。彼らの仕えている武田信玄公が、珍しく人事に頭を悩ませていたのである。武田軍は基本的に信玄に似た気質を持つおおらかで熱い人間が多く集まる傾向にあり、それ故に裏切りや策略などという悪事がなされることは滅多になかった。今回の案件もそこまでとはいかないらしいが、それでも信玄に危惧させるには足るものであるらしく、盲信する領主の役に立ちたいと願った幸村が佐助に命じたのである。曰く、親方様の御心労の種をこの幸村が取り除いて差し上げたい、と。だから佐助、力を貸せ、と。主の命令に逆らうことは許されず、佐助は「何で俺様が」と溜息を吐き出しつつ了承した。そして今、幸村を伴って件の「御心労」の中枢へと潜んでいるのである。
「佐助、ここは?」
「武田軍の重鎮、平家の屋敷だよ。いくら旦那でも平家は知ってるでしょ?」
「む、馬鹿にするな! 将角殿のことであろう!?」
「あーはいはい、そうそう。正解だからちょっと静かにしてね。いくら同じ武田軍とはいえ、こっちは忍び込んでる身なんだから」
「何故正面からお訪ねしないのだ?」
「正面からいったら碌な話も聞けないからね。忍びはこうやって密かに情報を集めるもんなの」
「大変なのだな」
ふむふむと頷く横顔は、純粋に感心しているように思える。幸村がそれこそ幼い頃から面倒を看てきているが、佐助にはいまいちこの主の心を理解することが出来なかった。違う生物と考えた方がいい、それほどの価値観の相違があるのだ。汚れ仕事を常とする忍びと、光の中を走る武将では仕方のないことかもしれないが。気づかれないように肩を竦めて、二人は板一枚を隔てた下の様子に耳を澄ませる。聞こえてくるのは若い男の声と、落ち着いた女の声だった。
「まったく困ったものだ、板垣殿にも。滝夜叉を嫁にほしいなどと、あの方は一体何を考えておられるのか」
「耄碌した年寄りの戯言は、せいぜい夢の中だけにしていただきたいもの」
「滝夜叉はまだ九つになったばかりだというのに。・・・・・・どうすればいいのかしら」
板に小さな穴を作り出し、佐助が幸村を手招きする。じりじりと這って覗き込めば、青く広い畳の上に男女が四人正座をしている。最も上座にいる男は幸村も知っていた。先日戦の中で命を落とした平将角の長男、良角だ。正式に平家当主の座に就いたのだと信玄に挨拶に来た際に、幸村とも顔を合わせている。端正な顔立ちに似合わない豪快な剣筋は見事なもので、幸村にとっては尊敬する武将の一人である。
「佐助、あの方々は?」
ひそひそと尋ねれば、佐助は指先で端から示していく。
「旦那も知ってるだろうけど、平家の新当主の良角殿。その隣が弟の将邦殿で、向かいに座ってるのが二人の母親、つまり前当主将角殿の奥方。でもってずっと黙っているのが将角殿の母君、大奥様」
「板垣というのは、武田の武将であろう?」
「今年で六十になる老将ですね。前線にはもう立ってないし、そろそろ引退なんでしょうけど本人が家督を譲らないとか」
「それで親方様はお心を痛めておられるのか・・・」
年配者には当然礼を尽くすべきだが、戦場は体力が物を言うことが多いのも事実である。世代交代は出来る限り速やかに行う必要があり、それを拒むことは軍の力を落とすどころか、己の死を早めるに等しい。むっと眉を顰めた幸村に、佐助は呆れたように肩を竦める。
「違うでしょ、旦那。ちゃんと話聞いてた?」
「む?」
「親方様が悩んでるのは、その板垣殿が平家の姫君を妻にしたいと言ってることの方。将角殿の唯一の娘、良角殿の妹君。今年九歳になる、滝夜叉姫」
「九歳!? 某より幼いではないか!」
「ばっ! ちょ、うっさい! 静かにしてって言ったでしょ、旦那!」
思わず叫んだ幸村の口を、佐助は慌てて塞いだ。もがもが何か訴えられているけれども、気にしている余裕はない。実は佐助とて、この平の屋敷に忍び込むのは悩んだ末の行動だからだ。天井の下にいる、白髪の女性。現平家当主の祖母である彼女は、かつては武田軍でも名を馳せた凄腕のくのいちだった。おそらく、たぶん、今も天井裏に佐助たちがいることに気がついているだろう。佐助ひとりならまだしも、今は幸村がいるのだ。ばれない方がどうかしている。それでも見逃されているのは、おそらく信玄の命令によるものだと考えられているからか。どちらにせよ佐助にとっては、冷や汗を拭う事態ばかりが続いている。
「むー、むーっ」
「・・・・・・旦那、もう大声出さない?」
「むう! むむむむむむ!」
「じゃあ放してあげる。次に騒いだら話が途中だろうと帰るからね」
「む!」
そっと手を放せば、幸村は自ら注意するかのように口に両手を当てる。もともと素直な性質なのだ。素直すぎて問題を起こす性質でもあるが。
「・・・・・・佐助、板垣殿は六十歳を超えておられるのだろう?」
「まぁね」
「滝夜叉姫は、某より幼い九歳」
「うん」
「・・・・・・それでも夫婦というのは成り立つものなのか?」
「成り立つよ。結婚さえすればね」
言い方が不愉快だったのだろう。幸村は顔を顰めて、納得出来ないという表情を浮かべている。しかし結婚とはそういうものなのだ。特に武家ともなればその婚姻には家同士の利害や思惑が複雑に絡み合い、まず好いた相手と結ばれることなどほとんどない。娘ならば父親の命ずる相手と添い遂げることが当たり前だし、耐え忍ぶことを生涯強いられる場合もある。そういうところは忍びと似ているかもね、などと佐助が考えていると、小さな気配が下の部屋へと近づいてくるのに気がついた。足音の軽さからいって例の滝夜叉姫だろう。しかし気づかない幸村は、唸るようにして呟いた。
「某は、そんなの嫌だ」
すぱん、と勢い良く襖が開かれる。
「嫌がるばかりでは埒が明きません。滝夜叉は武家の娘、どこへなりとも行きましょう」
響いたのは、想像していたよりもはっきりとした子供の声だった。幼女にしては凛とした張りがあり、良く響く。板の穴から覗けば回廊から室内に踏み入れた足袋の先が見え、次いで着物があらわになった。豊かな黒髪に、意志の強そうな大きな目。白い頬と赤い唇の対比が鮮やかで、佐助は思わず口笛を吹きかけた。なるほど、これなら好色爺が妻に望んでも仕方がない。そう思わせるほどの将来性が、その幼女にはあった。袖を払って正座する所作さえ、姫君というよりは武士のような、そんな強さを感じさせる。
「滝夜叉、何を言うのです!」
「母上、滝夜叉は平の娘。この家のことを思うのは当然でありましょう」
「滝夜叉、何もおまえがあんな爺に嫁ぐ必要はない」
「いいえ。我が平家は父様が亡くなり、今は不安定な身の上。少しでも他家と繋がりを持っておくのは悪いことではありません」
「酷いなぁ。滝夜叉は私が当主に相応しくないと言うのかい?」
「そうではありません、兄様。滝夜叉は武家の娘。いつかこのような日が来るだろうと分かっておりました」
母にも二人の兄にも臆することなく、幼女は淡々とした口調で己の決心を語る。面白いと思いながら眺めていた佐助は、隣から伸びてきた手に押されて場所を譲った。小さな天井裏の穴から、幸村が目を凝らして階下の様子を見つめている。丸い瞳に幼女の、滝夜叉の着物の柄が映るのが佐助の位置からも分かった。
「このご時勢、戦えぬ女子は政治の道具にありましょう。平家のためとなれるのであれば、それは滝夜叉の誇り。決して悲しいことでも、恥ずかしいことでもございません」
「・・・・・・滝夜叉」
「笑ってくださいませ、母上、兄上方。滝夜叉は平の娘なのですから」
眉根を下げるようにして幼女が笑えば、母親が涙を堪えるように目元を着物の袖で拭う。下の兄は静かに顔を歪め、上の兄はじっと妹の顔を見つめてから溜息を吐き出した。祖母は沈黙を保ったままで、再度安堵させるように幼女は家族に笑いかける。
「それに相手は六十を超えた御年。対して滝夜叉はまだ九つ。滝夜叉が子を生すよりも、相手のぽっくり逝かれる方が先に決まっております。そうとなったら滝夜叉が板垣家を乗っ取り、平家に返り咲けばそれにて万々歳でございましょう?」
「・・・・・・ああ、やっぱり駄目だ。あいつ殺そう。将邦、次の戦場でばれずに矢を射られるか?」
「勿論可能です。奴が戦場にさえ出てくればの話ですが」
「ちっ! あの好色爺、前線に出ないのならば息子に家督を譲ればいいものの。ったく、これだから老害は嫌になる」
「それでは母が参りましょうか。茶の湯に毒を混ぜることなど簡単ですし」
「素晴らしい案ですが母上、それではあからさま過ぎましょう。板垣に睨まれては意味がないのですから」
「良いではありませんか、兄上。板垣など私と兄上で倍以上の釣りが来ます」
「私もそう思うが、伝統ばかりは代われんからな。ああ、面倒だ。いっそのこと家ごと焼くか」
「いけませんよ、良角。関係のない方を巻き込んでは」
「分かってます、母上。あぁでもそうすると、板垣だけを葬れる方法は・・・」
話が一気に剣呑な方向へと傾いた。あーあ、と佐助は溜息を吐き出す。痛み始めたこめかみを撫でるが、交わされている会話はどんどん過激になっていく。信玄が本当に危惧していたのは、平家による板垣の抹殺だ。平家はやると言ったら必ずやり遂げるのが家訓であるし、それに相応しいだけの有能な人材が揃っている。正直、板垣など家格だけしか平と並ぶことは出来ないのだ。同じ武田軍であるからこそ無視出来ないだけの話であり、一人娘の滝夜叉のためならばその唯一の常識でさえも覆してくるだろう。気持ちは分かるんだがのう、と頭を掻いていた信玄を思い出し、まったくだと佐助は呟く。しかし目の前の幸村が表情を変えることなく下を見つめているのに気づいて首を傾げた。横から身を乗り出せば、その視線はまだ幼女に注がれていることが分かる。食い入るような眼差しは子供ながらに真剣そのものだった。どう声をかけたものか悩み始めたところ、しわがれた女の声が届く。初めて口を開いた、平家の祖母のものだった。
「滝夜叉」
「はい、おばあ様」
「良いのですね」
「はい。滝夜叉の心は、滝夜叉の、そして平のものにございます。喜びも哀しみも、この世の何事も滝夜叉を揺るがすことは出来ません。心はここへ、置いてゆくのですから」
その瞬間の幼女の顔は、佐助ですら息を呑むほどのものだった。九歳という年齢に見合わない覚悟を示し、諦めるのではなく自らその運命を受け入れる。この子は良い忍者になるだろう。何故か急に、佐助はそんなことを思った。祖母の指先が幼女の頬をなぞり、その髪を撫でる。
「分かりました。後のことはすべて任せなさい」
「ありがとうございます、おばあ様」
畳みに指先をついて、幼女が深く礼をする。立ち上がって出て行く間も、穴から見える視界の端を着物が翻っていく間も、幸村はずっとその光景を見つめていた。そろそろ潮時か、と退散を企てようとした佐助を見透かすかのように、投げつけられた声は鋭かった。
「そこの狼藉者」
びくりと肩が震えたのは条件反射だ。慌てて幸村を穴の上から退かし、その口を手のひらで塞ぐ。祖母の声は当然のように続いていく。
「聞いたからには、聞いたそのままを信玄公にお伝えなさい。この婚姻が結ばれることがあれば、平家は証ひとつ残さずに板垣を葬ると。家臣を失くしたくなければ、どうにかこの面倒を収めてみせよと信玄公にお伝えなさい。さもなくば」
紡がれることのなかった先を聞かずに、佐助は幸村を抱えたまま屋根裏から逃げ去った。天井を見上げている四人の視線を嫌というほどに感じながら。ああ、これだから厄介事は、と佐助が賃金の上乗せを考えながら疾走していると、脇に抱えられている幸村が名を呼んでくる。
「佐助」
「何、旦那!」
「欲しい」
「はぁ?」
眉を顰めて見下ろせば、幸村はどことも知れない遠くをじっと見据えていた。目を瞠るほどの表情は幼さを隠し、男の顔すら覗かせている。照れなど欠片すら見せずに、幸村ははっきりと言い切った。
「滝夜叉姫が欲しい。某はあの方の、滝夜叉姫の心が欲しい」
思えばそれが、幸村が恋を掴んだ瞬間だったのだ。

そして月日は流れ、今年で幸村は十七になる。滝夜叉は十三だ。本来ならば何処かに嫁入りしても可笑しくない年齢に達した少女は、今や男を騙って忍術学園という遠い学び舎で忍者になるべく修行を重ねているという。あの後、信玄の元に帰参した佐助は事のあらましを伝え、どうにか対処すべきだと進言した。けれどその任をどうか自分に任せて欲しいと、幸村が懇願したのだ。滝夜叉姫を守るのは某でありたいのです、と声を大にして言ってのけた幸村に佐助は頭を抱えたけれど、信玄は豪快に笑ってから「許す!」と言った。かといって波風を立たせないように事を運ぶことなど齢十三だった幸村に出来るはずもなく、佐助の仕事は否応なしに増えていき、薄給のまま彼は働かされることとなる。けれどどうにか滝夜叉と板垣の結婚話はなくなった。しかし嫌がらせのごとく、平家は滝夜叉を忍術学園に入れてしまったのだ。心を置いていくと言った娘に、何かを残して欲しいという親心は分かる。しかし幸村の妻にして、面倒ごとの半分を引き受けてもらおうという佐助の目論みは泡となって消えてしまった。くそう、と呟いた彼を、間違いなく平家の祖母は知っているに違いない。
ひらひら、と佐助は相変わらず手の中の文を振り続ける。四年経っても滝夜叉に愛の言葉を囁けていない幸村は、必死で文を奪おうと飛び掛ってくる。何だかなぁ、と佐助としては思わずにはいられない。
「ねぇ旦那」
「何だ、佐助!?」
「早く平の姫を落としてよね。俺様、求婚の言葉まで伝言するのとか本気で嫌だから」
「っ!!」
ぼふっと耳どころか首まで真っ赤にした幸村が、お得意の「破廉恥」を叫ぶのも時間の問題だ。ぺしっとその鼻先に文を投げつけ、佐助は再び屋根裏から逃亡する。数秒後には「佐助ぇ!」という大声が聞こえてきたけれども、今回ばかりは無視していいだろう。そのまま屋根へと移動して、袂から小さな枝を取り出す。すでに花開いている桃が一輪。くるりと回して、件の姫君を考える。しっかり者の姫君だ。忍者なのは同業からしてどうかと思うが、それでもどこか甘い幸村には相応しい嫁だと言える。しかしあの二人が夫婦になる日が来るのだとしたら。
「・・・・・・なぁんか俺様、生涯振り回されそう?」
それは勘弁、と小さく呟いて、佐助は桃の花に唇を寄せた。芳香は避けるべき忍者の身に、僅かな甘い香りが付きまとう。それは遠い地にいる男装の姫君とまったく同じものだった。





ほのかに佐助→滝チック(笑) 父兄二人の漢字が違うのは仕様です。
2008年12月14日(2009年1月25日mixiより再録)