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愛する孤独
恥ずかしいわけじゃない。自ら忍者という道を選んだトモミにとって、色を駆使した任務もあくまで仕事の範疇であり、決して恥ずべきことではないと認識している。己の持つすべての手段の中から、最適なものを選び出す。それが今回は標的と床を共にするというものだった、ただそれだけのこと。頭はそう納得しているというのに、どうして自分は隣を歩く男に言い訳をしたがっているのか理解できず、トモミはじっと大地だけを見て歩を進める。
再会は果たして何年振りか。トモミが忍術学園を卒業して三年。ひとつ年下の彼は自身が五年生のときに学園を去ったから、最後に顔を合わせてから実質四年だ。トモミは十五から十九になった。美しく、艶やかに成長していると自分でも思っている。けれどその変化も、十四から十八になった彼を前にすれば恥ずかしく思えて仕方がない。きり丸は少年の純粋さを面影に残しながらも、しなやかに青年へと変わりつつある。それはトモミには直視しがたい清廉さだった。
「トモミちゃんと会うのも久し振りだよなぁ」
声が低くなっている。それでも耳に馴染む。懐かしい呼ばれ方。見られたくなかった。中年の男と、そういった手合いの宿から出てきたところなど。目が合って、互いを理解した瞬間の、きょとんとしたきり丸の表情。対して己のそれは硬直していたという失態が更にトモミに追い討ちをかける。
「俺さぁ、今はここからふたつ行った三河の城下町で反物屋をやってんの。染物から仕立てまで一貫して引き受けることで値を極限まで抑えてさ、若い子に人気で大繁盛!」
「・・・・・・知ってるわよ。忍術学園じゃ有名だったもの。指折りの優秀だった生徒が、殺せなくて結局忍者を諦めたって」
「はは。やっぱ語り継がれてんなぁ」
他人事のように、からからと隣できり丸が笑う。視線は合わない。身長差は最後に会ったときよりも広がっている。こんなことが言いたいわけじゃないのに、勝手に動いてしまう唇をトモミ自身止められない。恥じているわけじゃない。それでも身体中にさっきの男の指や舌が今も這いずっている気がして、そんな自分をきり丸に見透かされている気がして、恐ろしくなると同時に泣きたくもなってくる。
忍者になったのは、トモミの選択だ。決意であり、自らに課した人生の道だ。そのことを恥じるつもりはない。・・・・・・ただ、ただ、それでも、時々ふと我に返ってしまう。例えばくないを相手の胸に突き立てたときとか、例えば甘い声で囁いて無防備な背中に手を回したときとか、例えば同じ年頃の女の子が恋人と笑いながら歩いているのを見たときとか、例えば見上げた空が青く高く澄んでいて美しかったときとか、何気ない日常の中で、例えば、例えば。
「トモミ」
呼び捨てを許した、唯一の存在を思い出したときとか。
足はいつの間にか止まってしまっていた。項垂れた両頬を黒髪が流れる。綺麗だと、褒められたことがあった。落ち髪も売れそう、というのはきっと彼にとって最大級の賛辞だったのだろう。そんなきり丸こそ艶やかな髪をしていて、言葉にはしなかったけれども羨ましかった。懐かしい、懐かしい、遠い記憶たち。
これからトモミは、先ほどの男から引き出した情報を元に標的を殺しに行かなくてはいけない。きり丸はきっと、仕入れを終えて己の店に帰るのだろう。こんなにも離れてしまった。道を違えたのだ。あんなに傍にいたのに。
「さっきも言ったけどさ。俺、三河で店やってんだ」
「・・・・・・何よ、何度も。しつこいわね」
「上得意には城仕えしているお侍もいるし、トモミちゃんの嫁ぎ先くらい世話してやれるぜ? 何なら俺の店で売り子してくれてもいいし? トモミちゃん、性格はおっかないけど見た目だけは美人だしさ」
ぱっと弾かれるように顔を上げれば、きり丸が優しい瞳で見下ろしてきていた。浮かべられている笑みには少しだけ苦笑も含まれていて、四年前の生意気な顔は見られない。言葉だって、挑発の裏に優しさが隠されている。疲れたのなら休めばいい。嫌になったら止めればいい。居場所は用意してやるから、ときり丸は言ったのだ。
優しくて、甘い。それでも距離を詰めてこない。自分で一歩踏み出して来いと無言で述べる様は、選択の余地を与えているからこそ残酷だ。いっそ連れ去ってくれたのなら、こんなに不恰好に笑わなくても済んだのに。トモミは培ったくのいちの技術をすべて用い、殊更に美しく微笑んでみせた。殺せないだけで優秀な忍たまだった彼には、きっと見透かされているのだろうけど。
「お生憎様。どけちのあんたに雇われるほど仕事に不自由しちゃいないわよ」
「あ、分かった? ちぇっ! トモミちゃんなら昔の知り合いってことで安く働いてくれると思ったのになぁ」
「馬鹿ね」
くす、と唇の端から漏れた笑いが余りに素のもので、トモミ自身驚いた。こんなに自然に笑うなんて、一体どれぐらい振りだろう。愛想笑いばかりが得意になって、心から笑うことなんて忘れていた。目の前のきり丸につられたのかもしれない。彼だって、学園を辞めるに当たって、殺されたのに殺せなかった己において、嫌になるほど葛藤しただろうに。それでもこうして笑っているのだ。トモミを、笑わせてくれるのだ。
馬鹿みたい。トモミは自身を笑った。例え忍者でも商人でも、殺せても殺せなくても、明日死のうと明後日生きようと、トモミはトモミできり丸はきり丸なのだ。変わらない。つまりはきっと、そういうこと。
「・・・・・・年に一度くらいは、遊びに行ってやってもいいわ。気が向いたらだけど」
居丈高に言い放てば、トモミの心が持ち直したことに気づいたのだろう。きり丸の瞳に悪戯心が宿り、八重歯を見せる様にトモミも肩を竦める。心の中の、少しだけ特別な位置にいるこの男の一言で、こんなにも気持ちが楽になるのだ。らしくない。だけど悪くない。最後くらいは格好良く決めたくて、トモミは先に背を向けてひらりと手を振った。
「流行の最先端、押さえてなきゃ承知しないわよ?」
「任せとけって。俺がそういうの得意だってトモミちゃんも知ってるだろ?」
「金に対する執着だけは認めてるわよ。じゃあね、若旦那様」
「ああ。―――なぁ、トモミ」
最後、呼ばれた声に振り向いた。雑踏の町中に溶け込むようにして立っているきり丸の顔は、夕暮れに染まってよく見えなかった。
「胸張って生きろよ。おまえは、俺がなりたくてなれなかった忍者になったんだからさ」
またな、と振られる指先も影となり景色に溶けていく。背は、服越しにも分かる鍛えられたものだった。それでもきり丸は道を捨てた。捨てざるを得なかった。そしてトモミは歩み続ける。彼が去った道をずっと。憩いと憧れ、覚悟と諦観、それらを離れても共に出来るなら。
「・・・悪くないんじゃない? ひとりっていうのもね」
ふわり、軽くなった足取りでトモミは駆け出した。夜が始まった東に向かい、今晩のうちに一仕事を終えなくては。その後で新たな着物でも拵えにいこう。値切りに値切って、あのどけちを泣かしてやる。想像に楽しくなって、トモミの足が弾んだ。
例え世界中を敵に回しても、ただひとりが見守っていてくれるなら孤独だって悪くない。
きり丸が三河にいるのは、徳川が天下を取るだろうと予測した上でです。
2009年7月7日