独立解放
月日は優しく、残酷なものだ。二年前に経験した別れが、それ以上の悲しみを伴ってやってくる。きっと長く傍にいたからかもしれない。心を、傾けてもらったからかもしれない。慈しんでもらった自負が金吾にはある。今日、滝夜叉丸は忍術学園を卒業していく。
「これをやろう」
ぽい、と投げ渡されたのは教科書だった。一年から六年まで六冊。どれも綺麗だが端々は擦り切れており、開けば様々な書き込みがいたるところに加えられている。滝夜叉丸の努力の軌跡だ。彼が己を天才と名乗り、学年一優秀という裏打ちを支えた地道な証拠。彼の六年が、すべてこれら六冊に詰め込まれている。
「体育委員のみんなで分けてもいい。私の教科書だからな、必ずおまえたちの役に立つだろう」
「・・・ありがとう、ございます」
声が震えた。ああ、入学して三年が経つというのに自分は未だ泣き虫のままだ。小平太に追いつけず、裏山で道に迷い泣いたのはいつだったか。三之助を追いかけ、崖から転がり落ちて泣いたのはいつだったか。四郎兵衛と並んでいたはずが、雨と雷に遮られひとり泣いたのはいつだったか。いつだって、見つけてくれたのは滝夜叉丸だった。まったくおまえたちは、と呆れたように、それでいてどこか柔らかな表情で差し出された手は決してたおやかなものではなかったけれど、うっすらと刻まれている傷跡に安堵を覚えるようになっていたのはいつのことだか。すべてが鮮やかな記憶となって、金吾の中に溜められている。三年分の軌跡。
長屋の部屋を、滝夜叉丸は片付けている。同室者の綾部の私物はすでに無く、あいつは自分で片さないから私が手伝ってやったのだ、とついさっき彼は語っていた。綾部がどこへ行ったのか金吾は知らない。滝夜叉丸がどこへ行くのか、金吾は知らない。
着物が片付けられていく。滝夜叉丸が好んだ、派手な柄が葛篭に消える。筆が片付けられていく。硯が、幾枚かの紙が、文鎮や巻物が端から納められていく。座布団は愛用だと言っていた。鏡は貴重なものだと語っていた。簪だって集めるのが趣味だと教えてくれたし、本を読むことは身になると諭してくれた。それらすべてが小さな葛篭に纏められて、きつく上から縛られる。もう蓋は開かない。すべてが滝夜叉丸のその手で封じられる。彼は去ってしまう。この忍術学園を卒業し、ひとりの忍者として生きていくのだ。三年の月日は長いようで金吾にとっては短すぎた。
「金吾」
「・・・はい」
「研磨を忘れるな。自信と謙虚がおまえを強くしてくれる。自分を信じることを忘れるな」
「はい」
伸びてきた手に頭を撫ぜられることが好きだった。よく出来たな、と褒めてくれる声が好きだった。背を見つめることは憧れであり、その瞳を注がれることは誇りでもあった。何もなくした部屋で、滝夜叉丸は笑ってくれた。金吾の慕った先輩の顔で、零れる涙を拭ってくれた。金吾の愛した、傷だらけの指先で。
「まったく、おまえは何年経っても泣き虫だな。そんなことじゃ立派な忍者になれないぞ?」
抱き寄せられる。かつてより身長差の狭まった背に必死で縋りつきながら、金吾はこれが最後だからと泣いた。頑張れ、と滝夜叉丸の優しい声を聞きながら。
おまえが卒業するまでは、おまえの味方だ。
2009年8月4日(2009年9月12日再録)