綾部喜八郎とは、基本的にものぐさで人目を気にせず、自分の思う通りに動いては止まる、それを繰り返す人種である。けれど、そんな彼にもやはり人間である以上、気持ちの浮き沈みは当然のごとく存在していた。今日はちょっと寂しい。自己の感情に鈍感な喜八郎は無意識のうちにそう悟り、行動で表現をし始める。かつてはひとり用の蛸壺を山のように掘っては学園の生徒を端から落としていったが、ある日を境にそれは二人用のものに変わった。しばらくすれば三人用のものになり、今となっては四人が入れる大きさのものが定番だ。
「板ちょうだい。金槌とか、そういうのもたくさん」
「え、えっと・・・貸し出しには、食満先輩の許可がないと」
「ちょうだい」
じっと丸い目で見下ろされ、富松はだらだらと汗を流した挙句に耐えられなくなり、そっと用具委員会の倉庫から数枚の板と工具箱を差し出した。ありがと。礼を述べて去っていく喜八郎は、自分が後輩に無言の圧力を加えていたことになど気づいてもいやしない。うわぁ、と背後で富松が頭を抱えた叫びさえ、もはや耳にも届いていないのだ。
地底人の言い分
深く掘り下げた穴に、喜八郎は板と工具箱を抱えたまま飛び降りる。確認のため見上げれば、両手を伸ばしても地面には届かない。それどころか縄梯子などの道具がなければ、この穴から出ることは不可能だろう。うん、と満足して頷き、工具箱を下ろして足元を平らに均す。底は正方形で、一辺は四尺もないだろう。膝を抱えた喜八郎が四人入るくらいの大きさだ。広すぎず狭すぎず。黒に近い土の上に、これまた生物委員会から頂戴してきた家畜の餌用の藁を撒き、端から板を敷き詰めていく。これは前回、地面の上に直接毛布を敷いたら、三木ヱ門が「寒い!」と文句を言って石火矢のサチコを持ち込もうとしたから、そこから得た教訓だ。隙間なく板を張り、その上でぴょんと飛び跳ねてみる。用具委員愛用の金具で止めたためか、でこぼこになっている様子もない。よし、と呟いて喜八郎は次の板を手に取った。
「あれー? 喜八郎君、もしかして新小屋?」
「タカ丸さん」
「ね、ね、新小屋?」
にょきっと上から顔を見せたのは、一番新しいこの空間の定住者だ。そうです、と頷けば、タカ丸は「ひゃあ!」と喜色を混ぜた歓声を上げる。
「じゃあ僕、食堂でお茶とお菓子をもらってくるよ!」
「タカ丸さん、この穴が好きなんですか?」
「好きだよ? だってみんなでくっつけて、温かいし楽しいじゃない」
じゃあ行ってくるね、と手を振ってタカ丸が食堂の方向へ駆けていく。ぴょこんと喜八郎の気持ちが少しばかり浮上した。正方形の穴には、一箇所だけ壁を小さく横に掘っている。棚の役目を担うその穴に板を敷いて、そして四面も下から順に木目で埋め尽くしていく。いつもの蛸壺は土を掘るだけの単純なものだが、これは違うのだ。タカ丸の言ったように「小屋」と呼ぶのが相応しい。井戸のように地面に掘られ、だからこそ暑さ寒さを凌げる優れもの。土の中は物音も良く聞こえる割に、外には音を漏らさない。図書委員会から拝借してきた脚立を使って一番上まで板を打ちつければ、とりあえずは完成だ。まるで室内の一角を移してきたかのような、そんな綺麗な空間が出来上がる。上から土が入ってくると困るので、地面上には石を並べた。火薬委員会で火薬壷の蓋の上に載せている、それなりの重さがあって形の良い石は入り口をぐるりと囲む。
「げっ! まさか小屋か?」
振り向けば、顔を引きつらせて窓の向こうに立っているのは、二番目に新しくて古い定住者だ。手には重々しいそろばんを抱えているため、おそらく会計委員会の最中なのだろう。目の下にはうっすらと隈があり、そういえば昨日の夕飯にいなかったかも、と喜八郎は今更のように思い返した。隈の濃さからするに、徹夜はまだ一日だろう。うん、と喜八郎は頷いた。
「見て分かる通り、小屋だよ」
「私は委員会の最中なんだ。今回ばかりは付き合えないからな」
「藁を敷いたよ。ほら、板も張った。三木ヱ門が寒い寒い言ってたから」
「誰もそんなこと言ってない!」
「言ったよ」
「いいか、今回ばかりは行かないからな! 絶対に行かないからな!」
「タカ丸さんは来るって。滝ちゃんも来るよ、絶対」
「・・・っ・・・だから行かないって言ってるだろう! まったくおまえは! っていうかおまえたちは!」
ぎゃうっと吼えて、三木ヱ門は勢いよく校舎の窓を閉める。手を振っても振り返されることはなかったけれど、ぴょこんぴょこんと喜八郎の気持ちは浮上する。口ではあんなことを言っているが、三木ヱ門は義理堅いし仲間はずれにされることを嫌がる。きっとこれから必死で計算をこなして、「仕方ないからな!」と言いながらやってくるに違いない。まったく心配などせずに、喜八郎は今度は長い棒を地面に突き立てた。とりあえずは四本立てておき、別に屋根を作っておこう。晴れるなら夜空を見上げればいいし、雨が降ったなら棒の上に屋根を載せて雨露を凌げば良いのだから。とんてんかん。金槌を振るい、ふう、と喜八郎は浮かんでもいない汗を拭った。空間が出来て、屋根が出来て、はてさて後足りないものは無いだろうか。首を捻って考えた後、ぽんっと手のひらを打った。残っていた板を拾って、作法委員会で使う化粧道具の紅を取り出す。保健委員の落としていったトイレットペーパーを何重にも巻き取って、筆代わりに紅をつけた。板の上につづるのは「四年小屋入口」の文字。矢印も忘れちゃいけない。ターコに注意、の案内は無くても構わないだろう。聞きなれた足音が近づいてきて喜八郎が振り向けば、案の定一番古いこの空間の定住者がいた。
「お風呂にする? ご飯にする? それとも私?」
「・・・・・・小屋を汚すわけにはいかないからな。先に風呂に行ってくる」
「タカ丸さんがお茶とお菓子持ってきてくれるって」
「そうか。毛布と座布団はもう持ってきたのか?」
「ううん、まだ」
「というか喜八郎、おまえも風呂に入った方がいいぞ。泥だらけじゃないか」
自分だって体育委員会でマラソンやら塹壕掘りやらバレーボールやらしてきたからどろどろのぼろぼろなのに、滝夜叉丸はまったく、と呟きながら手を伸ばして喜八郎の頬を拭う。ぴょこんぴょこんぴょこんと喜八郎の気持ちが浮上した。すでにいつもの機嫌線は越えており、今は所謂上機嫌に分類される。うん、と頷いてすべての板やら工具やらを放り出し、喜八郎は滝夜叉丸の手を握った。
「行く、お風呂」
「それじゃあタカ丸さんが戻ったら留守番をしてもらって、入れ替わりで行ってくるか」
「晴れるといいね」
「そうだな。それにしても喜八郎、今回の小屋は随分と立派だな。居心地が良さそうだ」
「うん、頑張った。お腹減った」
「そうか」
「タカ丸さん、早く戻ってこないかなぁ」
看板を立てかけて、その横に座り込む。喜八郎に手を握られていたことから引っ張られて、滝夜叉丸も柱を背にするようにしてしゃがみ込んだ。空はだんだんと茜色に染まりつつあり、夜の到来を知らせる。これから毛布と座布団とおやつを持って、四人でこの小屋に篭るのだ。狭い空間では誰もが膝を抱えるけれども、それでも隣や向かいと身体のどこかが必ず触れ合う。棚に入れたお茶や饅頭をみんなで食べて、夕飯は浦風にでも運ばせればいい。相変わらず後輩に酷いことを考えつつ、喜八郎はほう、と溜息を吐き出した。くっつきあって話し続けて、過ごす一晩はなんて温かいのだろう。わぁい、と喜べは、隣で滝夜叉丸が笑った。
気分が沈んでいるときに、喜八郎は小屋を作る。けれど完成するまでに何時だって、彼は上機嫌になっているのだ。
先生方は覗きに来ては溜息を吐き出して去っていきます。過去の小屋はおばちゃんに譲られて貯蔵庫になっていたりとか。
2009年1月10日(2009年3月7日mixiより再録)