人よ栄えよ。その生き様は美しい。
たくさんたくさん、ありがとう
スカイツリーと言うらしい、まもなく開業される高い塔のてっぺんに、アラジンは腰かけていた。六百三十四メートルの高さから見下ろす街並みは、夜ということもあって建物の形もおぼろげにしか分からない。それでもいくつもの人工的な光が、生命が活動していることを教えてくれる。風に遊ばれる長い三つ編みを手で押さえ、眺めるアラジンの瞳は穏やかだ。素肌の二の腕を撫でる冷気も気にならない。そんな彼の前に月光を遮って降り立つ影があった。
「よぉ」
「ジュダル君。久し振りだねぇ。ちょうど君のことを考えていたんだよ」
空中に浮かんで静止するのは、アラジンよりも年嵩の青年、ジュダルだ。マギと呼ばれる彼らは、「創世の魔法使い」として多くの術を使うことが出来る。ジュダルが空を飛んでいるのもそのひとつで、ルフという万物の生命エネルギーを魔法に変換しているのだ。とん、とジュダルの爪先がアラジンの隣へ落ちる。塔のてっぺんに並んで座ることの出来るような場所はなく、ジュダルは背を合わせるようにアラジンの後ろへ回った。互いに見下ろすのはネオンの眩しい街並みだ。出会った頃のバルバッドの面影などどこにも見えない。友と呼んだ人たちも、もう骨のひとかけらとて残ってはいないだろう。それだけの長い月日が経っている。
「ジュダル君は、初めて会ったときから変わらないねぇ」
「あぁ? そりゃあおまえだろ。いつまで餓鬼の姿のままでいる気だよ」
「そりゃあ僕も大きくなりたかったよ! だけど、何でだろうねぇ。いくら食べても背が伸びなかったんだ。可笑しいと思わないかい?」
「ははっ! チービ!」
「チビって言う方がチビなんだよ!」
出会いは身体年齢だけで言うのなら、アラジンが十歳の、ジュダルが十八歳のときだった。お互いにマギという異例の存在であり、その身は何かしらのために用意されたものだから歳なんてさしたる意味もなかったのだけれど、彼らの容姿はその時から何ら変化していない。懐かしいなぁ、とアラジンは膝を抱える。
「ジュダル君と初めて会ったのは、バルバッドの王宮だったね。君は気づいてくれなかったけれど、僕は一目で君が僕と同じなんだって分かったよ」
「あのときはシンドバッドをからかうので忙しかったからな」
「バルバッドを侵略するのに忙しかった、じゃなくて?」
「昔の話だろ。あの国も結局、煌帝国の支配から脱却して共和主義国家として栄えた」
「うん。アリババ君が大統領になってね」
瞼をおろしてネオンを遮れば、今でも思い起こすことの出来る友人の顔。アラジンにとってジンであるウーゴ以外に初めて出来た友達が、アリババだった。荷車の運転手をしていた彼に誘われる形で、アラジンは「迷宮」を攻略した。あれがアラジンにとって初めて自身がマギだと知り、無意識ながらも王を選んだ出来事だった。アリババはその後、度重なる苦難や戦闘を経て成長し、母国バルバッドに戻った後は、王子としてではなく国民の選挙によって選ばれた大統領として国を治めた。その後のどの歴史書を見ても、アリババ王の統治は共和国バルバッドにおいて欠かせない礎だとされている。彼を支えたのは頼もしい仲間であり、後に妻となったモルジアナだった。かつて奴隷だった彼女は、自身を解放してくれたアリババに献身し、戦闘において、また心において、生涯彼に尽くし続けた。長い治世の末、またな、と笑って息を引き取り、その魂が大いなるルフの流れへと組み込まれていった瞬間を、アラジンは今も忘れない。今も変わらず大好きな友人だ。
「煌帝国も結局、白龍が治めることになったしよ。つまんなかったぜ。戦争も何もなくてさ」
「良いことじゃないか。平和なのは良いことだよ」
「せっかく俺がいろいろお膳立てしてやったってのに、無駄にしやがって」
「でも、アル・サーメンを倒すことが出来たのは白龍君の力が大きかったよ。ジュダル君を救ってくれたのも彼だったじゃないか」
「・・・だから余計に気に入らないんだよ」
ぶすっと不貞腐れた声音に、背中でアラジンは笑ってしまう。真面目で、責任感が強くて、それ故に不器用で泣き虫だった白龍は、真っ当じゃない手段で隆盛していく自国を自ら滅ぼしたいと考えていた。そのための協力を得ようと留学してきたシンドリア王国で、アラジンは彼と出逢った。何より大きかった出来事は、アリババと白龍が出会ったことだと思っている。お互いに王子である彼らの邂逅、そして共に過ごした時間は、後の両国に明らかな変化をもたらした。世界に異変を起こし、歴史を裏から操ろうとしていたアル・サーメンを滅ぼすことが出来たのも、身を切る思いで自国の粛清を成した白龍のおかげだ。まだ若き統治者だったアリババと白龍は、手を取り合って両国の絆を深めていった。
だが、だからこそ白龍を弄ってやろうと考えていたジュダルにしてみれば、彼に救われたことが未だ不本意で仕方ないのだろう。ジュダルは確かにマギだが、アル・サーメンによって操られ、堕転させられた「黒のマギ」だった。彼を解放したのもまた白龍だった。だからこそジュダルは白龍が死ぬまで、煌帝国で神官の任についていた。騒乱を好むジュダルは平和な国に用なんてなかっただろうに、彼はずっと白龍の傍にいた。だからこそアラジンは、口では何だかんだ言いつつも、ジュダルが白龍のことを認めているのだと知っている。
「シンドバッドお兄さんは流石だったねぇ。あの人がいなければ、きっとすべてがこんなに上手くはいかなかったよ」
「七つの迷宮を攻略した、複数迷宮攻略者だったからな。王の器の最たる人物だった。酒癖は悪かったけどな」
「うん、酒癖は悪かったねぇ。いつもジャーファルお兄さんに怒らていたよ」
「だが、あいつがいなきゃそもそもアル・サーメンの存在すら暴けなかっただろ」
絶海の孤島を開拓し、シンドリア王国を興した希代の人物。それがシンドバッドだった。十四歳で最初の迷宮を攻略し、その後、計七つの迷宮を制覇した彼は伝説となった人物だった。酒癖が悪くて、女遊びも好きで、机で仕事をしているイメージのない王様ではあったけれども、彼の器はやはり素晴らしいものだった。年長者としてアリババと白龍を導き、自らが先頭に立ってアル・サーメンとの戦いに挑んだ。頭を撫でてくれた大きな手の感触は、今でも忘れられない。シンドバッドはジュダルでさえ認めた王の器だった。彼は自国の、そして世界の平和のために戦い、後世にたくさんの幸福を残してくれた。その偉業は今も物語となって受け継がれている。
あれから何年、何十年、何百年、何千年、分からないくらいの年月を重ねてきた。人である彼らは寿命に逆らえずこの世を去っていったけれども、その魂はルフの源へと還り、形を変えてきっと今も世界を見守っているのだろう。知り合いなど、アラジンにはもうジュダルしかいない。ジュダルにとってもアラジンだけだ。彼らはマギだから、王を選別する特異な存在だから、今尚こうして生きている。けれど、それももうすぐ終わる。
「・・・長かったな」
「そうだねぇ」
ジュダルの声を、アラジンは背中で聞いた。触れ合う温もりが懐かしい。出逢いが良かったとはお世辞にも言えないけれど、互いの存在に救われてきたのも事実だ。だが、それももう終わりだ。アラジンの視界の端を、灰色のルフがまるで鳥のように飛び始める。背中の温もりが少しずつ消えていく。洗脳され、改造され、その命さえ弄ばれたジュダルの、マギとしての運命が終焉を迎えるのだ。寂しくはない。おめでとう、とアラジンは祝福する。
「あー疲れた。俺はちょっと寝るわ」
まるで何事でもないかのように、ジュダルが言う。
「うん。おやすみ、ジュダル君。お疲れ様」
「ああ。・・・悪いな、兄弟。先に行くぜ」
「うん」
「後は任せる」
アラジンは目を閉じる。灰色のルフが、夜空に美しく舞っていく。
「・・・いずれ僕も行くよ。それまで、みんなで待っていてくれるかい?」
仕方ねぇな、待っててやるよ。ジュダルのそんな笑い声が聞こえた気がした。高い塔の上、もはやそこにはアラジンしかいない。一人きりになってしまったことは悲しいけれど、大丈夫。ルフは常にアラジンと共にある。見えなくたって、形を変えて、愛しい友人たちは今も一緒だ。寂しくなんてない。
目尻に浮かんだ涙を、アラジンはそっと拭った。そして立ち上がり、頭に巻いているターバンを外す。ばさっと音を立てて広げれば、それは空飛ぶ絨毯となってアラジンの身体を受け止めた。
「南で、国の生まれる気配がするね。素敵な王様だといいな」
人工的なネオンをまるで波のように下に眺め、アラジンは空を行く。マギは王を選び、導くのが役目。今はかつてのように迷宮を作り出すことはしなくなったけれども、試練を与えて見定め、加護を与えるのは変わらない。何百回と繰り返してきたその行為に、いつだって願うのは平和と幸福だ。より良い王を世界へと送り出すためにアラジンは、マギは存在している。
長い、長い、気の遠くなるような時間に向かって、アラジンは進む。その足取りに迷いはない。瞳はかつてと同じように、未来を願うまっすぐな輝きに満ちている。
サンデー連載中の「マギ」を読んできた記念。白龍君可愛かった。ジャーファルさん好き。
2012年3月25日