なんて遠いところへ来てしまったのだろう。
しかし、これは自分の意志だ。誰にも譲れない、自分自身の意志。
歌い続けるために自分は生まれ、生きてきたのだ。





スター・アンド・ラブ・ソング





特殊なスーツも酸素ボンベも必要とすることなく降り立つことの出来る大地。デザイン性を重視したブーツの下、踏みつける草の感触が僅かに伝わる。折れた葉から零れる瑞々しい水滴、広がる青い匂い。すべてがフロンティアとは異なり、大地に根付いているものだ。おそらく本物を目にしているのだというのに、シェリルには信じることが出来なくて仕方がなかった。これが、リアルか。作られた船団の自然ではない、これが、本物。
「あなたの願いは叶ったのかしら、グレイス?」
小高い丘の上に、シェリルのかつてのマネージャーはいた。スーツではなくアルトのようなパイロット服に身を包み、その四肢を草の上に投げ出している。身体にはいくつも穴が開いており、そこからは血が噴出し、彼女を真っ赤に染め上げている。止めというかのように心臓にはナイフが突き立てられており、それでもまだ唇は浅く呼吸を繰り返していた。グレイスの隣、僅かに離れた位置に伏しているのは、ランカと共にここ、バジュラの星へと向かった男だ。こちらの方はすでに息絶えており、赤い瞳が濁ったまま動きを止めている。ブレラといっただろうか、彼が命を懸けてグレイスを討ち取ったのだろう。
「・・・・・・美しい、星、でしょう・・・?」
「そうね。フロンティアとは全然違う」
「私、は・・・・・・ずっとここに、来たかった・・・」
ごほ、と咳と共に溢れた血がグレイスの顎を伝って地面へと染み込んでいく。確かに、と頷いてシェリルは周囲を見回した。遠くから見ていた時点でも、この星の美しさは感嘆するほどのものだった。青と緑、かかる白。球体は完成された世界に思え、降り立ってその印象は間違っていなかったことを知った。この星は美しい。木々に溢れ、水に溢れ、澄んだ空気に溢れている。ここで生まれ育つバジュラのなんと羨ましいことか。そんな考えを抱いた自分をシェリルは一瞬だけ恥じて、けれどすぐに認めた。今はこの星が、戦闘の舞台になっている。見上げる空では、バジュラといくつもの戦闘機が戦いを繰り広げている。遠くに見えるフロンティア船団。彼らはもうすぐ引くだろう。大地は崩壊に揺れ、すでにこの星は破壊された。まもなく最後の灯火が宿り、バジュラ共々ブラックホールに吸い込まれてゆく。それに巻き込まれる前に船団は離脱していくはずだ。ランカもすでに、アルトが救い出した。残すものは、もう何も無い。
「馬鹿な、子」
グレイスに、シェリルは長い髪を払って笑った。どうして、と唇を吊り上げて問い返す。
「私なんかに、利用されて・・・・・・こんなところ、まで、担ぎ出され、て。・・・・・・恋人も、他の女に譲って、なんて、馬鹿なの・・・あなた」
「あら、アルトは私がランカちゃんに熨斗をつけてくれてやったのよ? 『銀河の妖精』にスキャンダルはご法度でしょ?」
ふふ、とグレイスが割れた眼鏡の奥で目を細める。ずん、と大地が大きく轟き、シェリルは転ばないよう足に力を込めた。空ではバジュラが未だ敵を屠ろうと、その触手を伸ばしている。あれはアルトの乗るバルキリーだろうか。そんなことをシェリルは考える。
「一度しか言わない」
グレイスの濁り始めた瞳が、シェリルを見上げる。
「あなたには感謝してるわ、グレイス。ギャラクシーのスラムで野垂れ死ぬはずだった私に、生きる機会を与えてくれた。歌と出逢わせてくれた。そこにあなたの画策があったにせよ、あなたが私に未来を与えてくれたのは事実。感謝してるわ」
「・・・・・・シェリル」
「まぁその結果、私もあなたも、こんなマクロスから遠く離れた星で死ぬことになろうとしているわけだけど」
シェリルが肩を竦めると、桃色の髪がさらされと音を立てて落ちていく。当たり前のように吹く風が撫でていき、その優しさにシェリルは微笑んだ。血に染まった爪先を僅かに持ち上げ、グレイスが訴えてくる。
「戻りなさい、シェリル・・・っ・・・今ならまだ、間に合う・・・」
「何言ってるの、もう無理よ。ほら、フロンティアが遠ざかっていく。この美しい星も終わりなのね」
「シェリル!」
「ああもう、怒鳴らないでよ! 私が決めたのよ。グレイス、私が、私の意志で決めたことなの。誰にも邪魔なんてさせないわ」
腰に手を当てて、シェリルは力強く言い放つ。背景の空で爆発が起き、オレンジの光が放たれては消えていく。
「私はシェリル・ノーム。歌うために生きてきた女よ。『銀河の妖精』は自身の最後の舞台を、このバジュラの星に決めたの。そう遠くないうちに死んでしまう命だもの。使い方は私が決めて良い筈だわ」
「駄目、よ、そんなの・・・」
「そうね、アルトの怒ってるのが目に浮かぶようだわ。きっと今頃怒鳴ってる。今すぐ行くからじっとしてろ、なんて言ってそうね。ああほら、バルキリーが一機、こっちに来ようとしてるわ。グレイス、見える?」
「シェリル、お願い、だから」
「ダァメ。私は今まで散々あなたの駒になってきてあげたでしょう? 最後くらい私の言うことを聞いてくれても罰は当たらないんじゃない?」
ぱちりとウィンクを投げる仕草は慣れたもの。鏡を前に何回練習を繰り返したのか、シェリル自身覚えていない。どんなに高いヒールの靴だろうと、ステージの端から端まで駆け抜けることが出来る。露出の多い衣装のために、胸を頑張って大きくしたし、足は柔らかい細さを維持してきた。腹の奥底から声を出して、三時間は休憩を入れずとも歌っていられる。ダンスももちろん特訓したし、どのアングルから見られても完璧な表情を見せることが出来る。どうすれば最高の自分でいられるのか、シェリルは常に研究してきた。その集大成が今、滅び行く星にて発現しようとしている。小さくなっていく船団と、単機でバジュラと戦い続けているバルキりーの距離が開いていく。
「戻りなさい、アルト。ランカちゃんを連れて無事に。あなたは生きなさい」
唇を綻ばせたシェリルの横顔は、彼女が今まで見せてきた中で最も美しいものだった。意識外の幸福をあらわにし、シェリルは機敏な動作で右足を肩幅に開く。遠くで立ち上がった火柱はマグマだろうか。一瞬で熱を増した空気が身体にまとわりつき、それがコンサート会場の熱狂を連想させて興奮を誘う。自然と唇が吊り上がり、シェリルの瞳が挑発的に輝いた。グレイスとブレラをその足元に携え、彼女はひび割れる空を睨み上げる。
「本物のバジュラの姫じゃなくて悪いわね。だけど、あなたたちと心中する覚悟ならあるのよ。愛と憎しみは紙一重なんて、本当によく言ったものだわ。今はバジュラ、あなたたちがこんなにも可愛い」
歌が届けば、きっとアルトは分かってくれるだろう。シェリルが何をしようとしているのか。どんな道を選んだのか。きっと彼は分かってくれる。それくらいは愛されていたのだと、せめて自惚れさせてもらいたい。だから。
すぅ、と深く息を吸い込んで、シェリルは腹の底から声を張り上げた。
「あたしの歌を聞けえっ!」
ごほりと、病が唇の端から血を伝わせる。マイクなど無くても、いくらだって轟かせられる。誇りを胸に、シェリルは笑んで綴り始めた。シェリル・ノームの贈る最高の歌を、銀河に。





シェリルが好きです。強くて弱くて、己の意志で、己であるために殉じるところ。美しい人です。
2008年9月14日