贅沢な願い事





限はまず、自分が生きていたことに驚いた。黒芒楼の総攻撃の中、禁忌を破って完全変化し、牙銀を追い詰めた。けれど背後の気配を感じ取れないまま、火黒の刃を受けて倒れた。妖混じりの回復力も意味はなく、迫ってくる死を甘受した。化け物の自分を化け物じゃないと言ってくれた。完全変化した自分の隣に、恐れることなく立ってくれた。そのときの泣きたくなるほどの歓喜。あの存在のための死なら価値がある。そう満足して、自分は死んだはずだった。
けれど自分は生きていた。あの夜から随分と日が経っているらしいが、年はまだ変わっていない。そこまで考え、限は己の枕元に座す頭領―――正守を仰ぐ。身を起こそうとした限を、病み上がりだからと止めたのは正守自身だ。生きていたこと、目覚めたことを喜んでくれるその姿に、限は慣れずに戸惑った。
「・・・・・・あの、頭領」
「ん? どうした?」
まだ上手く動かない唇で問いかければ、正守は緩く笑みながら応えてくれる。
「黒芒楼は・・・・・・烏森は、どうなったんですか?」
己が生死の境をさまよい、長い眠りから目覚めた経緯は知ったが、まだ周囲の変化は聞いていない。あの地は、あの場所はどうなっているのだろうか。限が守りたいと思った、あの存在は。
「黒芒楼は消滅したよ」
腕を組み、正守は静かに話してくれる。
「おまえが傷を負った後、夜行が烏森に入り、黒芒楼を迎え撃った。奴らの主たちは来なかったが、良守と閃が黒芒楼に乗り込み、結果的に奴らは消滅した」
「・・・・・・閃、が?」
「あぁ。おまえを斬った火黒という妖も、良守が滅したらしい」
そう、ですか、と呟いた声は掠れた。己の敵を横取りされたという考えはない。むしろ、良守たちが生きていることに安堵すらする。けれど複雑な思いが限の中に落ちてきた。彼女の隣に立って戦うのは、自分であったはずなのに。
「・・・・・・頭領、あいつは」
言いかけて、少し躊躇って言い直す。
「良守、は」
元気ですか。怪我してませんか。学校に通ってますか。相変わらずケーキを焼いてますか。何を聞こうとしたのか分からない。噤まれた先をどう解釈したのか、正守は片眉を下げて困ったように笑った。
「あいつにも、おまえが目覚めたことは知らせてあるよ。伝言も承ってる」
聞く? と尋ねられたので、限はこくりと首を縦に振った。じゃあ言うけど、と前置きして正守は言う。
「『怪我が治ったら殴らせろ』―――だってさ。妹のくせに言葉遣いが悪くて嫌になっちゃうよ」
ごめんな、と軽く謝られて、いえ、と限は首を振った。荒い言葉遣いには慣れている。短い間しか共にいなかったけれど、その言葉ひとつひとつが懐かしい。不機嫌な顔や怒りの顔をいくつも、笑った顔をいくつか見たはずなのに、今はそれが思い出せない。最後の泣き顔が彼女の印象になってしまっている。殴られて当然だと思いながら、限はゆっくりと瞼を伏せた。殴られることで良守が笑顔に戻ってくれるなら、いくらでも殴られていいと、そんなことを思いながら。





だから、泣くな。
2007年7月22日