セプター4の撃剣機動課特務隊のシフトは、副長である淡島が作成している。昼夜問わずに起こる異能者の事件に対して出動する彼らは、常に二十四時間フル稼働で人員を割いているのだ。簡単に言えば、セプター4には夜勤がある。総合病院の医者や看護師、あるいは警官などと同じと考えてもらえればいい。つまり、誰かしらが常に屯所に詰めて、有事の際にはすぐさま対応出来るようになっている。その日々の日勤者や夜勤者をバランスよく組んだシフトを作るのが、淡島の役目なのだ。意外にこれが面倒くさい。特務隊は撃剣機動課の中から選抜されたメンバーでなっているため、誰が現場に出動しても指揮を執ることが出来る能力はあるのだが、それにしたって相性はある。夜勤者の一名が現場に出るときは、残りの者は待機して情報収集や後方支援に当たるが、例えばそれを前に出たがりの道明寺とデスクワークが不得手な日高で組ませたとしたら目も当てられない。結局のところ当直ではなく宅直、つまり何かあったときに応援として呼ばれる自宅待機者二番手組が呼び出されることは想像に容易い。そうやって夜勤者の相性を考えなくてはならないところが、シフトを作る問題点のひとつだった。
基本的には、隊員たちが来月のそれぞれ希望する休みの日を、毎月十五日までに淡島へと申請する。ちなみにこれは、例えば伏見だったら情報班の会議があるため二十日は日勤で、といった風に日勤希望日を入れることも可能だ。事例検討で発表するチームなどは、日勤の空いた時間で作業を進めたいため、数人で同じ日の勤務を希望することも少なくない。つまり、全員の希望を照らし合わせて、まるで難解なパズルのようにメンバーを組み合わせてシフトを決定する。頭の痛いその作業を淡島は毎月行っていた。ちなみにそんな彼女と室長である宗像は管理職であるため夜勤には加わらない。シフトは常に週休二日制の日勤である。とにかくそうして毎月二十五日の給料日に、淡島渾身のシフトが全員へと発表されるのだ。
今月のシフト表をプリントアウトして、誰もが自身の休日や夜勤を確認する。五日勤が続いてうげ、と唸る者や幸運にも三連休が得られてやった、と歓声を挙げる者など様々だが、一通り自分のを確認し終えると、次は他のメンバーのシフトに目をやる。そして彼らは眉を顰め、次いで堪え切れずに悲鳴を挙げた。覚えたためプリントアウトされた紙をシュレッダーにかけていた伏見が、あからさまに顔を歪める。
「ふ、ふふふふふふ伏見さん! 何ですか、このシフトっ!」
「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな・・・!」
「十四!? 十四連休って何ですか!?」
「月の前半丸ごと休みなんですけど!」
「こ、この間は誰が指揮を執るんですか!?」
「誰が俺たちの報告書のチェックをしてくれるんですか!?」
シフト表は肩書き、加えて勤務年数順で記載されているため、室長と淡島を除けば伏見が一番上に来る。そのため上からチェックしていこうとした矢先に出くわした有り得ない休暇の連続に、誰もが度肝を抜かれて動揺した。結婚式を挙げて新婚旅行にでも行こうものなら、確かにこういったシフトになるだろう。しかし悲しいかな、セプター4は最年少の伏見はともかく所属している全員が独身である。だからこそ何だこれ、と叫びたくて仕方がない部下たちを一瞥し、伏見は激しく舌打ちをした。
「去年から繰り越してる有給を全部消化しようとしてんですけど。何か文句でもあんのかよ」
「だって、これ・・・!」
反論しようとして、はた、と言葉を途切れさせたのは日高だ。元よりセプター4は、仮にもエリート集団である。頭の回転は決して遅くなく、個人差はあれど誰ひとりとてお馬鹿さんでないのは事実だ。だからこそ日高をはじめ、全員が気づくことが出来たのである。あれ? 繰り越した有給が十四日って、あれ? と。
セプター4では勤務開始から半年後に、一年間十四日の有給休暇が与えられる。一般企業と比べて少し優遇されているのは、やはり命を賭ける職場であるからだろう。そして更に一年経つと、一日増えて十五日の有給が与えられる。消化しきれなかった有給を繰り越せるのは翌年までで、その数は最大で四十日だ。年間で与えられる有給の上限は二十四日と定められているため、繰り越せるのは十六日分となる。しかし、伏見は十七歳になった直後にセプター4へとやってきた。そうして半年を情報課で過ごし、特務隊へと移動してきてもうすぐ一年。あと数ヶ月も経てば、伏見は十九歳の誕生日を迎えることになる。つまり現在、彼に与えられている有給は年間十五日。去年は十四日。繰り越した分の有給を丸ごと来月の休みに費やしたということは。
「・・・伏見さん、去年は有給を取らなかったんですか・・・?」
「取れなかったんだよ。どっかの無能な部下たちの尻拭いをしなきゃいけなかったんでね」
ぐさっと心臓に矢が刺さったのは誰だっただろう。数人が胸を押さえて俯き、あるいはそっぽ向いて視線を逸らしている。すみません、と部下一同を代表して秋山が深く頭を下げた。別に、と返してくる伏見は昨年、規定通りの月八日の休日以外はすべて仕事をしていたことになる。まだ入隊して二年にも満たない彼はいわば新人と言っても可笑しくはないのに、「優秀だから」の一言ですべて事足りてしまうのだ。だからって十九歳の伏見に、休みを取らせてやることが出来ないなんて相当だ。そんな馬鹿な話はない。誰もが心の中で伏見さんすみません、と謝りながらも、来月の彼の十四連休に文句を言う資格がないことを理解していた。ここ数日は事件も起きていないし、怪しいストレインがうろついているという情報もない。故に、伏見が少しばかり長期の連休を取っても問題はないだろう。ただ、書類チェックをしてくれる相手がいなくなるだけで。有事の際の頼れる上司がひとりいなくなるだけで。仕事をしない宗像に文句を言って諌めてくれる唯一の存在がいなくなるだけで。それだけで、うん、問題はない。隊員たちはひっそりと、来月上旬の自分たちの勤務を想像して表情を暗くした。しかし、伏見は悪くない。むしろ有事は誰より働かされている彼のことだ。しっかり休んでください、と心の内で手を合わせる。
「それにしても凄い大型連休ですね。どこか旅行でも行かれるんですか?」
いいなぁ、と榎本が羨ましげな声を挙げれば、五島もうんうんと頷いている。
「行楽シーズンから外れてるし、ホテル代とかも安く済みそうですね」
「それとも実家に帰るんですか?」
「はぁ? 何で帰んなきゃいけねーんだよ。旅行も行かない」
「え? じゃあ伏見さん、十四日も何して過ごすんですか?」
まさか寮に籠って十四日自堕落な生活を繰り広げるんじゃ。それ、何たる究極のインドア。伏見の部屋には簡易栄養食品しかないことを知っている身としては、どうしたって顔を歪めてしまう。けれど伏見は舌打ちをひとつして、予想もしていなかったことを言い出した。
「免許を取りに行くんですよ」
「・・・免許?」
「何のですか?」
「免許って言ったら普通は車に決まってんだろ。新潟で二週間、合宿で取ってくる」
「なるほど! そのための連休ですか」
ああ、と誰もが納得した。そういえば、今更だが伏見はまだ十八歳である。自動車運転免許を取れる年齢にようやく達したばかりであり、今まで持っていなくても何ら不思議ではなかったのだ。しかし普通に通って免許が取得できるかと言われれば、勤務形態が不規則なセプター4だ。どうしたって難しくなってしまう。結局通い切れなくなって途中でやめてしまった、というのが教習所ではなく料理教室に通っていた布施の言葉だ。なので、合宿で短期集中して免許を取得してしまおうという伏見のアイデアは、とても良いものに思える。いってらっしゃい、と誰もが快く送り出した。
「それにしても、よく副長や室長が許可しましたね。十四連休なんて」
「免許取りに行くって言ったら、結構あっさりくれましたよ。これでも情報班の班長なんで。いざってときに指揮情報車を運転できないのは問題だろうって」
「ああ、確かにそうですよね」
「でも伏見さんって運転できません? この前ゲーセンでやったカーレース、ぶっちぎりで一位じゃなかったですか」
「ちっ! 体裁ってもんが必要だろ」
「悪い人だなぁ、もうー!」
けらけらと道明寺が笑う。まぁ、伏見に限っては何でも有りがセプター4での認識だ。この、中卒のくせに優秀過ぎる上司は、大抵のことは卒なくあっさりとこなしてみせる。その一方でどうも不器用な性格をしているのだから、どうしたって構いたくなって仕方がない。誰もが微笑ましく思いながら、伏見に対して接しているのだ。
「伏見さん、車は何を買うんですか?」
「ポルシェ? ベンツ? フェラーリ? BMW?」
「いやいや、やっぱりここは世界のトヨタだよ」
「車を買うなら寮の駐車場も確保しなきゃいけませんね。今は空きがあったと思うので、すぐに取れると思いますよ」
「免許取ったら一番に乗せてくださいね!」
「助手席の一番乗りが男っていうのもなぁ・・・」
「まぁ、伏見さんなら声かければいくらでも女性がついてくるだろうけど」
「しかも車持ちなら尚更な」
好き勝手にきゃいきゃいと騒ぎ始める部下たちに、伏見は深い溜息を吐き出した。自分が不在になる二週間、どれだけの業務が滞るのか分からない彼らではあるまいに、どうやら現実逃避をすることにしたらしい。一応、室長に仕事を放り出さないよう釘を刺しておくか、と考えながら伏見は午後の業務に戻っていった。自動車教習所の合宿に申し込みを入れる彼は、どこからどう見ても、そこらへんの大学生と何ら変わりはないのである。青服さえ着ていなければ、少なくとも外見は。





セプター4が伏見さんにスケボーをプレゼントしたようです。





しかし、歓迎会に暑気払いにお月見にハロウィンにクリスマスに忘年会に新年会に送別会に花見に、とにかく季節ごとに飲み会を企画しては様々な事情により企画倒れするのがセプター4クオリティ。例に漏れず、伏見が十四連休に入るその前日に、ストレイン絡みの事件が起きた。ちょっと危なっかしい暴力団が、中々に面倒くさいストレインと組み、結構厄介な大物政治家を標的にしたその事件は、事の質から可及的速やかに処理することが求められ、セプター4全体で任務に当たることとなった。つまり伏見の十四連休合宿に参加して運転免許ゲットだぜ計画は、連日の屯所詰め徹夜勤務と引き換えに、脆くも崩れ去ったのである。
結局のところ事件は伏見の有給が七日間毟り取られた頃に収着した。予定していた十四日間の半分が勤務で塗り潰されたのである。当然ながら、今更合宿に参加して免許を取ることが出来るわけがない。ストレイン絡みの事件が起き、それに暴力団と政治家が絡んでいると知った時点で伏見はすでに合宿にキャンセルの電話を入れていたが、その背中はとても悲しそう、ではなく無感情で、それが更に他の特務隊員たちの憐憫を誘った。
「・・・当日キャンセルだから、キャンセル料が発生したんだって」
「支払った二十二万円の三分の一は持ってかれたって」
「伏見さんがいくら高給取りとはいえ、まったく悪くないのに金だけ持ってかれるなんて」
「酷過ぎるよな・・・」
「流石に気の毒に思ったのか、室長がその分特別手当に上乗せしてくれるって言ってたけど」
だからって、これはないよなぁ。本来有給をうきうきと消化していたはずの伏見の背中を見やり、ひそひそと言葉を交わし合う。気の毒すぎる、と道明寺や日高でさえ眉根を顰めて伏見のことを見つめていた。そんな彼はいつも通りにやる気なさそうにだらだらと、それでも迅速かつ的確に業務をこなし、七日目にして事件を片付け終えると、残りの取得していた有給を返上することはせずに休みに入った。しかし、どこへ出かけることもしないらしい。寮の部屋の電気が夜にはついているから在室していることは確かなのだけれど、それにしては余りに気配がなさ過ぎる。あの人、まだ生きてんのか大丈夫なのか、と心配になった頃に部屋の電気がついたり消えたりするから尚更だ。とにかく隊員たちが見ている限り、伏見は残りの七日間、一歩たりとも外には出ていなかった。元より物のない部屋の中で、ストックにも種類にも限界があるだろう簡易栄養食品だけを食べ、有給を消化する伏見。想像するだけで秋山が自身の顔を手のひらで覆い、布施が目尻に浮かんだ涙を拭った。何かもう、気の毒すぎるとかいうレベルじゃない。華の十代がこれでいいのか。いや、良くないに決まってる。反語だって出ちゃうくらいだ。
そうして特務隊員たちは考えた。俺たちの伏見さんに、何か喜んでもらえるようなことはないかと。伏見のいない七日間、彼らは知恵を出し合って考えたのである。
そうして、その結果が伏見の有給明けの日にお披露目された。



「伏見さん、いつもお疲れ様です!」
「これ、俺たちの気持ちです!」
「いつもお世話になってます!」
「どうぞ受け取ってください!」
出勤するなりそんな言葉と満面の笑顔で出迎えられたら、訳が分からず戸惑うよりも先に胡散臭さに顔を歪めるのが伏見という人間である。しかし、セプター4とてそんな彼と一年以上も付き合ってきて来るのだ。俺たちの伏見さんマジツンデレダルデレ超可愛い。末っ子を愛でるような気持ちで隊員たちは伏見と向き合っている。つまり大抵のことは仕方ないなぁと笑って許容できるのだ。もちろんいざ仕事となれば、この年下の上司は誰より優秀であるため弟扱いなんて出来なくなるのだが、とにかく平時での伏見はセプター4秘蔵の末っ子なのである。ちなみに父親は言わずもがな宗像で、母親は淡島だ。
「・・・何すか、これ」
「いいから開けてみてくださいって!」
ずい、っと日高から押し付けられた包みを伏見は無言で見下ろした。でかい。いや、とてつもなく大きいというわけではないのだが、横幅が五十センチメートルは余裕で越えており、目算で八十センチメートルくらいはあるだろう。かといって厚さがあるのかと言えばそうでもなく、手のひらで持てる程度だ。そして存外に重い。何だこれ、と思いながらも促されるままに、伏見はばりばりとラッピングを破きにかかった。丁寧にセロハンテープを剥がすなんて、そんな秋山や弁財や榎本のような几帳面なことはしない。原型が分からなくなるほど乱暴に包装紙を剥がすと、出てきたのはナイロン製の黒いキャリーケースだった。肩から掛けられるようにショルダーベルトが付いており、表面にはポケットもある。しかし、本題はこれではないのだろう。端についているチャックに指をかけ、伏見はそれを引いた。じじじじ、という音を立てて中身が露わになっていく。隊員たちは固唾を呑みながら、伏見の反応を逃さぬためにじっと見守り続けた。そうして、伏見がキャリーケースから取り出したのは。
「・・・スケボー?」
目にも鮮やかな、青いスケートボードだった。デッキだけでなく、すでにウィールまでついて完璧に組み上げられている。表面は空色から紺青までの様々青がグラデーションを描いており、その端々でラメが星のように輝いている。ひっくり返してみれば、トリックを決めた際に見えるだろう裏面には、やはり青に白い抜き文字で「Scepter4」とおしゃれなロゴが描かれていた。大きさは大人用のフルサイズだろうが、デックサイズは7.5インチと幅が狭く、スピードよりもトリックを重視したタイプらしい。しかし、何故スケボー。伏見が眉間に深い皺を刻んでボードを見下ろしていると、わいわいと囲むようにして隊員たちが話しかけてくる。
「ほら、スケボーって四輪だけど車と違って免許がなくても乗れるじゃないですか!」
「・・・馬鹿か、おまえら」
「道が渋滞しててもすいすい先に進めますし」
「雨風どうやって凌ぐんだよ」
「そこは、ほら! ジャケットでも着て!」
「荷物はどうやって持てって?」
「後ろにリアカーでもつけたらいいんですよー」
「っていうか・・・ちっ! 阿呆らしい」
何でこいつらこんなに馬鹿なんだ。年上の部下たちを、伏見はさも愚か者を見るような目で見やった。申請していた二週間の有給のうち半分が突然の任務で潰され、予定していた車の免許も取りに行くことが出来ず、更にキャンセル料まで払うことになって、無駄に終わっただけだった伏見の休みを気にしていたのだろう。当の伏見自身は暴力団とストレインと政治家の三拍子が揃った時点ですべてを諦め、どうでもいいに思考をシフトチェンジさせていたのだが、どうやらこの部下たちは違ったらしい。だからって、車の代わりにスケボーはないだろう。しかも競技用に近い、遊びではない本格的なそれだ。
「ヤタガラスと一緒ですよ!」
「あいつと一緒でどうすんだよ」
日高の言葉に、伏見は舌打ちと共に吐き捨てた。ここで突き返すのは簡単だが、受け取らせるためにあの手この手を使って来るだろう部下たちのことを想像すれば、貰っておいた方が後々楽そうだ。肩を竦めて、伏見はデッキのノーズを持って立てると、手首を捻って手を離した。くるくるくるくる、と立ったまま回転させられたボードが、伏見が爪先でテールを踏むことで床に叩きつけられる。それは戦闘の場において、件のヤタガラスこと吠舞羅の斬り込み隊長、八田がする始まりの合図とそっくりだった。にやり、伏見があくどく唇の端を吊り上げる。
「まぁ、馬鹿を挑発するくらいの役には立ちそうだな」
貰っとく、と受け取った上司に、部下たちはわぁっと歓声を挙げる。こうして特務隊執務室の隅には、駐車場よろしく、伏見のスケートボードを置くスペースが設けられたのだった。



青服にスケートボードを操る奴がいる。八田がそんな噂を耳にしたのは、約一週間ほど前の話だ。あの青服に? まさか! お堅いエリート集団は車で移動するのがお似合いで、スケートボードを乗りこなせる奴なんていないに決まってる。当時の八田はそう考えて噂を鼻で笑い飛ばしたが、今となっては認めざるを得なかった。そう、セプター4には伏見がいる。かつて吠舞羅に所属していた、忌まわしき裏切り者。だが、相方だったからこそ知っている。八田の知る伏見猿比古という人間に、おおよそ出来ないことはないのだ。
「ははっ! どうしたよ、美咲ぃ! いつもの威勢の良さは!」
「くそっ! ちょこまか逃げんじゃねーよ、クソ猿!」
大きく振り回した拳が、すっと音もなく交わされる。いつもはオーリーやハンドプラントなどを組み合わせて攻撃を仕掛けるのだけれど、今回ばかりは勝手が違った。何より、伏見がスケートボードという八田と同じ土俵に立っているのだ。常なら伏見はサーベルでの攻撃を主とするから、機動力では段違いで八田の方が勝っている。つまり、攻撃を仕掛けるチャンスは八田に多いのだ。伏見は受け流してからの反撃といったスタイルがほとんどで、それに慣れ切っていたのかもしれない。けれど今、伏見はそのブーツで地面ではなくボードのデッキを踏み締めている。噂が本当なら乗り始めて一週間くらいしか経っていないはずなのに、そのトリックの鮮やかさに八田は焦りを覚えていた。バーHOMRAで十束がチャレンジしたときには、ただつまらなさそうにカウンターから見ていただけだったのに。デッキの上から伏見が蹴りを放ってくる。片足一本で操るなど、そんなの素人が出来るはずがないのに、伏見はいとも簡単にあっさりとやってのけるのだ。ブーツのヒールがまるで下僕のようにスケートボードを踏み躙り、操り、意のままに動かしている。
「見本には事欠かないからなぁ! このくらい楽勝なんだよ!」
八田の思考を読んだかのように、伏見が嘲笑う。
思えば、出逢った頃からそうだった。伏見猿比古という男は、八田の知る限り何でも出来た。初回は完璧にこなせなくてもそれなりの結果を残し、二度目、三度目では文句のつけようがない状態に仕上げてみせる。伏見が出来なくて困っている姿というのを、八田は見た覚えがない。ありとあらゆることを難なくやってのけるのが、伏見という人間だった。ただ彼は余りに怠惰でやる気がなく、世間を斜めに見ており、自分の優秀さを誇示して褒めてもらいたがるような人種ではなかった。だから伏見はどんなに勉強が出来ても、運動が出来ても、料理が出来ても、裁縫が出来ても、テニスが出来ても、乗馬が出来ても、絵が描けても、ヴァイオリンが弾けても、喧嘩が出来ても、ハッキングが出来ても、何が出来たとしても自らそれを望んでやることはなかったし、興味もなく「どうでもいい」といったスタンスで物事に執着することはなかった。口や態度が悪いから、伏見がどれだけ天才肌の人間なのか、きっと正確に知る者はいないだろう。だけど、だからこそ、そんな伏見に望まれて、彼の隣にいることを許されたのは、八田にとって得も知れない喜びだった。凄いと思う奴の特別になれる。特別に思ってもらえる。気持ちを共有できる。それは八田にとって、確かに嬉しいことだったのだ。
八田の直線的な攻撃を、伏見は華麗なトリックを織り交ぜることで交わしていく。互いにスケートボードで距離が近しいからか、今日はサーベルを抜く気はないらしく、伏見はもっぱら素手で向かってきていた。直接拳をやり取りするのは久し振りだ。かといって、伏見はナイフなどの暗器も常に潜ませているから油断はならない。バランス感覚、それと体重移動がずば抜けているのだろう。八田の動きがスピードとパワーによるものなら、伏見のそれは繊細な技術と技巧によるものだ。引いたかと思えば次の瞬間には懐に入られていて、取ったと思えば一撃は空を切って虚しく終わらせられる。くそ、と八田は吐き捨てた。狭い路地裏では、八田の方が優位なスピードを活かしにくい。ならばいっそ大通りに出て、と思案しかけたときだった。
「きゃああああっ!」
「ひったくりだ! 誰か捕まえろっ!」
悲鳴と怒声と動揺に、八田は反射的に攻撃の手を止めて大通りを振り返った。伏見ではないがちっと舌打ちをして、スケートボードの向く先をそちらへと変える。ヒーローを気取るつもりはない。ただ悪党を見逃すのは八田の信条に反するのだ。だから彼は伏見に背を向け、狭い路地裏から大通りへと飛び出した。けれどもそこは休日の昼間だからか、多くの人で溢れていた。
「どけどけどけどけぇえっ!」
八田の行く先に、鞄をひったくられた際に転倒したのだろう。アスファルトに座り込んでいる老婆と、彼女の周囲に集まっている何人かの人影が見えた。彼らの視線の追う先にひったくり犯がいるに違いない。八田は力を込めて大地を蹴り、ボードを走らせるスピードを上げた。だけど、休日の大通りは余りに人が多すぎた。
「くそっ! てめぇら邪魔だ!」
人々の合間をスケートボードで走り抜けるには、どうしたって限界がある。先を行く犯人はローラーブレードでも履いているのか小回りが利き、人波を上手く縫って逃げていく。ちらちらと見えては消える若い男の背中に、八田は激しく舌打ちした。その瞬間にも親子連れにぶつかりそうになって、慌ててウィールを回転させて交わす。もういっそ車道に出て、車の脇を走るべきか。そう考えたとき、八田の視界に影が落ちた。
「・・・うぜぇ」
見上げた空に、融けるように、それでも確固と存在を主張する青があった。Scepter4という芸術的なアルファベットの綴りが八田の目に焼き付く。スケートボードを操る伏見と、一瞬目が合ったような気がした。けれども伏見は空中で右手を一振りし、青の力でシールドを展開したかと思うと、それをハーフパイプ代わりにして一際高く跳び上がった。赤の力を発現して加速し、回転し、その身体が再び空を舞う。わぁ、と彼の存在に気付いた街行く人々が歓声を挙げた。それほど美しいトリックだったのだ。
八田が苦戦していた群衆の波を飛び越えて、伏見はひったくり犯の前に着地すると回し蹴りを決め、一発で事態を収束させた。がん、と蹴り上げられたスケートボードは空中で軽く回った後に、おとなしく伏見の腕の中へと戻っていく。気を失った犯人を足蹴にしつつ、伏見はタンマツを取り出してセプター4へと連絡を入れているようだった。その頃になればようやく、八田も人波を掻き分けて彼らの前へとやってくることが出来た。伏見が伏せていた眼差しをゆっくりと上げる。薄い唇は業務連絡を淡々と紡ぎながらも、その端を笑みに歪ませていく。眼鏡の奥の瞳は雄弁に愉悦を湛え、八田を見返してきた。そんな彼の足元で、青いスケートボードが輝いている。
「そんじゃ第二ラウンドと行くか? なぁ、み、さ、きぃ?」
タンマツの通話を切って、伏見が挑発的に名を呼んでくる。何故か八田はこのときになってようやく、自分と彼の間に遠大な距離が広がっているのだということを感じていた。スケートボードの操り方ひとつでさえ、トリックの決め方ひとつでさえ、こんなに違う。違うのだ。今まではおおっぴらにされなかった伏見猿比古という人間の一面は、八田の中にあった彼の像を塗り替えて、鮮烈な青と共に突き刺さった。



しかし結論から言うと、スケートボードは半月もせずに伏見の手から取り上げられた。取り上げたのはセプター4の室長であり、青の王であり、父親役を務める宗像である。彼曰く、「伏見君に羽根を与えるとどこかに飛んで行ってしまいそうですからね」とのことで、特務隊における末っ子は天使であると認定された瞬間だった。内実は街でスケートボードを操り犯人を検挙した伏見の姿が衆目に晒され、セプター4に多数の問い合わせがあったためらしい。若い女性からが多かったですよ、という宗像の微笑みに伏見はそれはそれは嫌そうな顔をして、ボードを手放すことを了承した。部下たちから貰ったものだが、上司の命令なら仕方ない。それ以来、青いスケートボードは特務隊執務室の隅っこで、重い荷物を運ぶ際の台車として重宝されている。
しかしその一方で、まだ二十代前半が占める隊員たちの中で、格好の遊び道具にもなったのである。
「うわっ!」
「大丈夫か、エノー?」
「これで何回目?」
「難しいんだよ!」
バランスを崩してボードから転がり落ち、榎本が強かに腰を打ち付けた。見物していた他の隊員たちから冷やかしが飛んで、榎本は少し気恥ずかしそうにずれた眼鏡をかけ直す。昼食後や空いた時間の良い暇潰しの種が、今は伏見のスケートボードだ。学生の頃にやった頃があるという輩はおらず、せいぜいが小学生の頃に少し遊んだという日高くらいだ。けれども実際にやってみれば、最も上手く乗りこなせたのは秋山で、次いで意外にも五島だった。おまえって本当に器用貧乏だよな、という伏見の容赦のない言葉に、秋山がしょんぼりと肩を落としたのは数日前のことである。
「おっ! 加茂、今のダブルフリップ?」
「横回転にプラスして縦回転?」
「360アンダーフリップ!? やるじゃん!」
ボードは一枚しかないのだが、この分ではそのうち誰かしらがマイボードを持ち込むかもしれない。タンマツを片手に午後の仕事を確認しながら、伏見は面倒くさそうに年上の部下たちのわいわいとした声を聞いていた。道明寺が「伏見さん!」と振り向いて笑う。
「冬はスノボに行きましょうよ! 伏見さんのバックサイドエアとかマックツイストとか見たいです!」
「俺はプロじゃねぇよ」
オリンピッククラスの技を挙げられて、思わず伏見の眉間に皺が寄る。期待してますよー、という声に、俺も俺も、といくつもの同調が寄せられた。この分では冬の慰安旅行の行き先がゲレンデになることは確定だろう。宗像に合わせて温泉があり、淡島に合わせてあんこのデザートが出る、ゲレンデ近くの旅館にでもなるに違いない。寒いの嫌なんだけど、と内心で呟いて、伏見は手元のタンマツへと視線を落とした。弁財が華麗なフリップ系のトリックを決め、おおお、と歓声を挙げられている。
しかし数ヶ月後に企画されるセプター4特務隊慰安旅行ゲレンデ温泉あんこツアーは、例に漏れずストレイン絡みの事件が発生することによりやむなく中止を強いられるのだが、今の彼らはまだそれを知らない。やだやだ伏見さんとスノボしたいお泊り会したいと年上の同僚たちに乞われ、伏見がプライベートでスノーボード旅行に付き合わされることになるのは、更に別の話なのだった。





こうして伏見さんの無免許はまだまだ続くのでした。
2014年11月8日(pixiv掲載2013年3月9日)