11.闇が手を広げて待っている
扉を壊すような勢いで飛び込んできた客に、草薙は何事かと目を瞬いた。膝に手をつき、肩で息をしている姿は、確かに見たことのないものだから吠舞羅のメンバーではないのだけれど、だからといって客にも見えない。長い黒髪が肩から落ちて、少女の、いや、もう女性と表現するべきか、とにかくそんな彼女の荒い呼吸と共に揺れている。けれども休むことなく挙げられた顔を見て、あれ、と草薙は首を傾げた。見覚えがあったのだ、その人物に。どこかで会ったことがあると、記憶が確かに告げている。そしてその正解は、彼女が顔を上げると同時にソファーから立ち上がっていた八田によって齎された。
「猿比古・・・?」
信じ難いといった声音に、草薙も飛び込んできた女性を二度見する。確かに面影がある。けれど長く艶やかな髪や女性らしい頬、丸みを帯びた身体は二年前の伏見から想像することが出来なくて、草薙は思わずあんぐりと口を開いてしまった。八田に限って伏見を間違えることなどないだろう。だけど、それにしたって。
「っ・・・さんは・・・!?」
荒い呼吸の中で発された声に、今度こそ草薙も納得せざるを得なかった。それは二年前に聞いたきりの、伏見の声だったからだ。
「十束さんは!?」
「猿比古! てめぇ、今までどこに・・・っ!」
「うるせぇ、黙れ! 十束さんはどこだよ! あの人は無事なんだろうな!?」
駆け寄った八田を片腕で押し退けて、伏見はバーの中に入ってくる。その歩き方が一瞬可笑しくて、草薙は伏見の吐いているパンプスのヒールが片方折れていることに気が付いた。だが、そんなことは欠片も気にならないのだろう。伏見の顔色は蒼く、額に玉のような汗を浮かべている。カウンターに十束の姿がないことを知り、表情は絶望すら浮かべていた。
「あいつに何かあったのか」
ソファーから声をかけてきた周防に、びくりと伏見の肩が震える。けれども彼女は唇を噛み締めるとまっすぐに周防を見つめ返した。
「嫌な予感がするんですよ・・・っ!」
「――アンナ」
「うん」
周防の指示を受けて、アンナが手遊びしていた赤いビー玉をテーブルの上に置く。邪魔、と他のメンバーのグラスが端へと追いやられ、アンナの瞳の奥にある徴が赤く輝いたかと思うと、ビー玉は勝手にくるくると机上を踊り始めた。猿比古、と八田が途方に暮れて名を呼ぶが、伏見はそれに取り合わず、ただ三つのビー玉が一点で集まっていくのを見守っている。
「・・・ここ」
アンナが指さすと同時に、伏見は出口に向かって駆け出していた。がくん、とバランスを崩したことでいい加減に鬱陶しくなったのだろう。ヒールの折れたパンプスを脱ぎ捨て、裸足になって、長い髪を翻して弾丸のように飛び出していく。まるで嵐のようなその行動を、吠舞羅の誰もが呆然として見送るしかなかった。
「おい。誰かついていけ」
周防の声に、硬直していた八田が慌ててスケートボードを掴んだ。
「っ・・・俺、行きます!」
「俺も行くわ。何や、めっちゃ嫌な予感がする」
草薙もカウンターの中から出てきて、新たな煙草の箱を自身の胸ポケットへと突っ込んだ。アンナは難しい顔をして、自身の見出した一点を凝視している。サルヒコ、タタラ。呟きは小さく、懇願を帯びていた。まもなく時計は、二十三時を刻もうとしている。
十束さん十束さん十束さん十束さん十束さん十束さん十束さん十束さん・・・!
2014年11月8日(pixiv掲載2013年3月3日)