7.二人の世界でロウソクに火を灯そう





一人暮らしだった部屋は、もうすでに二人暮らしの部屋へと変わっている。箸が二膳、コップが二個、歯ブラシが二本。伏見の服を仕舞うカラーボックスを買ったのも随分前だし、スウェットは安売りに出向いてお揃いを選んだ。おはようが当たり前になった。ただいまとおかえりが日常になって、おやすみが自然になって、同じ部屋で同じ時を過ごすことに違和感を欠片も覚えなくなった。伏見の態度も随分軟化し、今となってはかつて八田に見せていたような気安い態度すら見せてくれるようになっている。軽口すら柔らかい。以前はまれだと思っていた伏見の笑顔を、この一年で十束は両手の指では到底足りないほどの数、拝んできた。
「草薙さん。これ、冷蔵庫に入れといてくれる?」
訪れたバーHOMRAで、十束は手にしていた白い箱をカウンター越しに渡した。アンナのためのオレンジジュースを用意していた草薙が、サングラスの奥の瞳を瞬いて箱を受け取る。蓋をしているシールには賞味期限が印字されており、壁面に描かれているのは店のロゴだ。中身を見なくても十分に察しが付く。
「ケーキか?」
「そう。家に帰って食べる用だから、冷蔵庫に入れておいてほしいんだ」
「それはええけど、珍しいなぁ。わざわざ買うて帰るほど美味いケーキなんか?」
「まぁね。噂のお店らしいよ。今度はアンナにも買ってきてあげるね」
ソファーで周防の隣に座っている少女に微笑みかければ、アンナもこくりと小さく頷いた。他愛ない会話を交わしていれば、ドアを開けてカウベルを鳴らし、鎌本や坂東、千歳や出羽が入ってきた。ちーっす、と威勢よく挨拶してくる彼らに十束も手を振って応える。あれ、と草薙が意外そうに首を傾げた。
「今日は八田ちゃんはおらへんの?」
カウンターへやってきた鎌本に草薙が問いかけると、返ってきたのは渋面だった。鎌本は坂東たちが周防に話しかけて盛り上がり始めたのを横目で確認すると、抑えた声で答える。
「あー・・・八田さんは、今日は来ないっすよ」
「珍しいなぁ。風邪でも引いたんか?」
「いや、ほら。・・・今日は、あいつの誕生日っすから」
だからいそうなところを回ってみるって言ってたっす、と鎌本が視線を下げれば、草薙も表情を暗いものに変えた。名前は出されなかったけれども、誰の誕生日かなんて聞いていただけの十束にも分かる。彼女の名前は、今となっては吠舞羅では口にすることさえタブーとされつつある。一年前に裏切り、その後消息を絶った少女。伏見猿比古。八田の相方。吠舞羅の斬り込み隊長。
「・・・八田ちゃんも、まだ諦められへんか」
草薙が重い溜息を吐き出した。一年前、周防と吠舞羅を否定した伏見を、誰より彼女に近かった八田自身が裏切り者と罵り、拒絶した。だけどそれから、伏見の姿を見た者は誰もいない。草薙の情報網にも引っかからず、彼女が今どこで何をしているのかまったく足取りが掴めないのだ。八田も最初は気にもしていなかったものの、ここまで何の気配もないと、急速に頭が冷えていったのだろう。あいつ、今どこで何してるんすかね。後悔を多分に含ませて漏らされた呟きを聞いたのは半年前で、握り締められた拳を見つめたのは三ヶ月前だ。そうして今、八田は伏見を探している。見つけ出してどうしたいのか、そこまで考えているかは分からないけれども、八田が伏見を探しているのは間違いのない事実だった。
「大丈夫。きっと伏見もどこかで幸せに暮らしているよ」
十束は努めて明るく笑った。何を根拠に、と草薙が咎めるような視線を寄越すけれども、それに肩を竦める。だって知っているし、とは言わない。確かに草薙の情報網は脅威だけれど、そこは長年の付き合いがあり吠舞羅のナンバースリーでもある十束と、かつて草薙の右腕としてハッキングなどの仕事を任されていた伏見だ。隠れることは難しくなく、だからこそ二人は自然と誰にもこの関係を打ち明けていない。
「八田も早く諦めてあげればいいのにね。伏見だって八田と会って、何もまた苦しい思いをすることはないよ」
思いやりのようで意地悪な台詞を口にして、十束は瞳を綻ばせる。もはや、彼も自覚していた。愛に飢えていたのは伏見だけではないのだということを。恵まれない環境で生きてきたのは十束も同じ。伸ばした手を握り返されないことの方が圧倒的に多かった。握っていると思っていた手を振り払われることの方が多かった。そんな中で得られた幸福だ。もう、手放せない。
冷蔵庫に収められているケーキを思い、十束は微笑む。今日は伏見の十八歳の誕生日会をする予定だから、早く帰らなければ。出迎えてくれる姿を想像して、十束はひとり幸福に浸った。





おめでとう、伏見!
2014年11月8日(pixiv掲載2013年3月3日)