ADAMAS





出逢ってから、約一年半。二年には満たなかった。草薙しかいないバーHOMRAのドアを伏見が押し開けることも、きっとこれが最後になるだろう。
「・・・これ、お返しします」
握り締められている拳の中に何があるのか、見なくても分かる。左手の薬指は、この約一年半の間着け続けてきたせいで、僅かな違和感の跡を残してしまった。そして、それは草薙の指も同じことだろう。伏見の表情は硬く、それを解そうと草薙は微笑もうとしたけれども、どうも不格好になってしまった気がする。
「ええよ、持ってき」
「いりません。次の彼女役の人にでもあげてください」
それ、どんな酷い男やねん。草薙が心中で失笑しているうちに、伏見は近くのテーブルの上へと拳を置いて、そっと開いた。深い色の木の上で輝くのはプラチナとダイヤモンドだ。買ったときはあんなに危惧していたのに、伏見は小さな傷ひとつつけることなく、丁寧に指輪を扱ってくれた。
踵を返し、背を向けられる。細い背中だ。出逢った頃から約一年半。成長期であるから大きくなってしかるべきなのに、どうしてだろうか、伏見の後ろ姿は草薙が初めて彼女を見たときよりも小さくなっている気がする。肉をそぎ落とした白い手のひらがドアへと押し付けられる。カウベルが鳴ろうとする。その瞬間、草薙はカウンターから飛び出していた。
「っ・・・!」
がんっ、とドアが勢いをつけて押し戻される。カウベルが歪な音を二・三回鳴らした。今にも出ていこうとしていた伏見の身体が硬直するのを、草薙は眼下で捉えていた。強張った肩が見える。けれども、後ろからでは表情は覗けない。扉と草薙の合間に挟まれるようにして、伏見は逃げ場をなくしてしまった。その左手の薬指に、指輪は、ない。
――抱き締めてしまいたい。この一年半。自覚しようとはせず、わざと逃がし続けてきた衝動が、草薙の中を埋め尽くしていた。この、別れのときになって、今更。
握り締める左手には、まだダイヤモンドが輝いている。この宝石のように繋ぎ止めて、手のひらに包んで、誰にも傷つけられることのないように世界から隔離してしまいたい。けれど、それでは駄目なのだ。伏見のためを思うのなら、行かせてやらなくてはならない。それが吠舞羅の幹部として、伏見を見守ってきた大人として出来る唯一のことだろう。
目の前の薄い肩に、曲線を描く首筋のラインに、顔を埋めてしまいたい。けれど草薙は頭を振ってその思考を頭から追いやり、代わりに強張りを解いた手で、ポケットからあるものを取り出した。プラチナのチェーンだ。それを肩越し、伏見の前に持ってくる。そうして彼女が見ている前で、草薙は自身の左の薬指から、そっと指輪を引き抜いた。残された跡が、行かないで、と泣いている。
「・・・ベタベタやけど」
チェーンに自身の指輪を通し、草薙はそれを伏見のデコルテに合わせると、首の後ろでホックを紡いだ。肌に触れた冷たさに理解したのだろう。伏見が息を呑む。その背中を草薙はそっと押した。先程閉めたドアを、今度はその手で押し開ける。
「振り向いたらあかんよ。・・・お行き」
新たな世界を前に、伏見は僅かにたたらを踏んで、それでもすぐに毅然と一歩を踏み出した。振り返ることはない。細い背中は確かな足取りで、草薙を見ることなく雑踏の中へと消えていく。閉まるドアと共に、カウベルが虚しく店内に響いた。
テーブルの上に置き去りにされた、つがいで作られた指輪を手に取る。伏見に合わせて用意したそれは小さく、草薙の小指にも入らない。取り出したもう一本のチェーンに通し、草薙はそれを自身の首へと落ち着けた。その上からスカーフを巻けば、プラチナの輝きは見えなくなる。それでも輝いているのだ。ダイヤモンドは永遠に。人目に触れない、二人だけが知っている密やかな場所で。





さよなら、俺のお姫さん。
2014年11月8日(pixiv掲載2013年3月1日)