All-out DASH DASH DASH!
1.零日@
見知らぬ番号が、軽快なメロディと共に八田のタンマツを震わせた。誰だよ、と思いながらも躊躇うことなく通話ボタンを押す。構成員の多い吠舞羅に属している八田にとって、出るまで相手が誰だか分からないことは少なくないのだ。だからそのときも迷うことなく電話に出た。電波を介して、用件のみが端的に八田の鼓膜を震わせる。
『今夜十一時、コート・ダジュール池袋南口店入り口』
「は? おまえ誰だよ」
『余計な三下とか連れてくんじゃねぇぞ。誰にも言わずに一人で来い。分かったな、み・さ・きぃ?』
「っ・・・おまえ!」
癪に障る名前の呼び方に、八田がまさかと意気込んだ瞬間に通話は切れた。おい、ちょっと待て! 思わずタンマツに向かって怒鳴れば、近くにいた鎌本から「八田さん、どうかしたんすか?」と尋ねられる。反射的にそれに答えようとして、八田は言葉を飲みこんだ。誰にも言わずに一人で来い。先程の言葉が思い出される。指示に従う必要はない。むしろ従って堪るか、そう思う。けれども結局八田は「何でもねぇよ」と鎌本から顔を背け、舌打ちをひとつした。沈黙したタンマツで現在の時間を確かめる。夜、二十一時五分。
伏見猿比古の指定した時間まで、約二時間。
2.零日A
日本でも有数の繁華街である池袋は、夜十一時を回っても多くの人で賑わっている。明日が平日であるため、これでも少ないくらいだろう。やはり若者が多く、その中を擦り抜けるようにして八田は駅の東口から地上へと出た。ドン・キホーテを目印にして歩き出せば、吐き出した息が小さく濁る。心なしか早足になるのは、吠舞羅の誰にも告げずに来たことによる罪悪感かもしれない。くそ、と吐き捨てて、八田は指定されたカラオケ店を目指した。エレベーターが三階を知らせ、一歩踏み出せば明るい店内が八田のことを出迎える。いらっしゃいませ、という店員の声を余所にフロアを見回すが、伏見はまだ来ていないらしい。あいつ、呼び出したくせに遅刻かよ。八田が毒づいたとき、背後のエレベーターが小さな音を立てて再び開いた。いらっしゃいませ、と店員が挙げる声に釣られて振り向けば、そこには伏見が、八田を呼び出した張本人がちょうどエレベーターから降りてきたところだった。セプター4の青い隊服ではない。ファーのついたレザージャケットにデニムという、完全な私服だ。伏見は八田を見とめて目を瞬いた後に、にやりと笑った。
「美咲、早いじゃん」
「名前で呼ぶんじゃねーよ! っつか、おまえ何のつもりだ! こんなところに呼び出しやがって!」
「話は後でいいだろ。すいません、フリータイムで二人」
「会員証はお持ちでしょうか?」
「ケータイ会員で。メルマガ特典のポテトつけてクダサイ。ホットのバンホーテンココアで。美咲、さっさと選べよ。ワンドリンク制」
「はぁ? はぁ!? おまえ、何勝手に話進めてんだよ! 誰もてめぇとカラオケするとか言ってねーだろ!」
「ちっちゃな美咲ちゃんは牛乳がいいでちゅねー。でも残念、牛乳置いてねぇや。お子様はオレンジジュースでも飲んでろよ」
「コーラだよ! コーラでいいよ!」
「ありがとうございます。それではお部屋は二つ上の階、二十二番です。ごゆっくりどうぞー」
やる気のない男性店員からレシートの挟まれたバインダーを受け取り、伏見はさっさと奥の階段へと向かっていく。半ば無視される形となった八田は怒りが募り、このまま帰ってやろうかと思うけれども、それも出来ない。理由はただひとつ。伏見が、セプター4の人間であるからだ。そうして今、八田の王である吠舞羅のトップ、周防尊がセプター4に捕らえられているからである。でなければ、誰がこんな奴とカラオケ店になんか来るものか。足取り荒く、八田は伏見の後を追って階段を上った。
二十二というプレートの掲げられた部屋は、二人で使うには少しばかり広く感じられる。六人くらい入っても大丈夫そうだが、そんな部屋を二人客に使用させるのは単に店が空いているからなのか、伏見がここの常連だからなのか。八田は知らない。どうでもいいと思っているからこそ乱暴にソファーに座った。スケートボードを自身の隣に立てかける。伏見が脱いだジャケットをハンガーにかける一方で、タッチパネルを押しやってくる。
「何か歌えば?」
「・・・いい加減にしろよ。マジでぶん殴るぞ、てめぇ」
「ドリンク持ってきた店員に話を聞かれたいのかよ。AKBでも何でも適当に入れとけ」
どうやらカラオケはやはりカモフラージュで、話をする気はちゃんとあるらしい。真っ当な言い分なのだが、伏見に言われるとやけに腹が立つ。むかつきながら、八田はタッチパネルを引っ掴んで今月のランキング項目を選択すると、上から順に三曲ばかり入力した。先程伏見が挙げた女性アイドルグループと、ジョニーズと、ボーカロイドの三曲だった。聞いたことのあるような、それでも興味はないのでよく分からないイントロが流れ始める。マイクを握るわけがない。伏見はタンマツを弄っているし、八田は手持無沙汰に苛々としながら店員が飲み物を運んでくるのを待った。
三曲目のボーカロイドの曲がサビに差し掛かった頃に、店員がやってきた。八田の頼んだコーラと、伏見が頼んだココア。それと皮つきポテトの盛り合わせに、ケチャップとマヨネーズが半々に入った皿を置いていく。熱々のポテトが美味しそうで、八田は思わず唾を飲みこんだ。すでにもう日付も変わろうとしている時間だ。夕飯は適当なファストフードを食べただけで、今更ながらに空腹を自覚する。八田がじっとポテトを眺めていると、伏見がバスケットごとそれを押しやってきた。
「食えば」
「・・・おまえが頼んだんだろ」
「腹減ってない。クーポンがあったから頼んだだけだし、美咲にやるよ」
「し、仕方ねーから食ってやるよ」
八田は手を伸ばしてポテトを摘まんだ。塩が振ってあるようだが、ケチャップをべったりとつけて口へ運ぶ。揚げたてなのかレンジでチンしたてなのか、どちらかは分からないけれども案外美味い。二つ目はマヨネーズを絡めて食べる。曲が終わり、部屋には八田がポテトを食べる音だけが響いた。ドアの向こうからは隣の部屋の歌声が僅かに聞こえて来るけれども、何を歌っているのかまでは分からない。伏見が電源を落としてタンマツを置いた。
「――十束多々良殺害の犯人」
ぴたり、八田の指が止まる。知らず部屋の空気が緊張に高まった。
「吠舞羅も探してるんだろ?」
「・・・だったら何だよ」
つい四日前に何者かに撃たれ、亡くなった仲間の顔が八田の脳裏に浮かび上がる。吠舞羅では最古参の幹部だった十束。喧嘩は強くなくて、むしろ弱くて、それでも吠舞羅の中心にいた彼は、八田にとっても信頼の出来る大人であり仲間だった。そんな彼が「無色の王」を名乗る何者かに殺された。伏見の言う通り、今、吠舞羅は全力でその犯人を捜している。本来だったら八田もそこに参加しなくてはならない。けれども、それを誤魔化して、八田は伏見の呼び出しに応えていた。理由は伏見がセプター4の人間だから、それだけである。
「俺らが何しようがてめーらには関係ねーだろ」
「おいおい、こっちは赤の王を拘束してるんだぜ? 関係ないはないだろ」
「てめーらがいちゃもんつけて尊さんを捕えたんだろうが!」
「素直に檻に入ったのは赤の王だろ」
「何か考えがあってのことに決まってんだろ!」
「うるせぇな、黙れよ。いちいち噛み付いてくんな。話が進まねぇ」
ちっ、と伏見は舌打ちするが、それは自分も同じだ、と八田は拳を握り締める。十束が殺され、その犯人を追っている中で相対したセプター4に、周防はヒトフタマル協定違反がどうとかよく分からない理由で拘束されたのだ。周防のことだからその気になればいくらだって檻をぶち壊して出て来れるだろうが、そうしないのは理由があるのだと八田は信じている。吠舞羅の参謀である草薙も、周防は自らが動かないことでセプター4の動きを封じ、吠舞羅の仲間たちが自由に行動できるよう仕向けているのだと言った。だから何の心配もいらないのだ。八田は周防の望み通り、十束を殺した犯人を見つければいい。
「・・・馬鹿の美咲でも分かるように、簡単に言ってやるよ」
テーブルを挟んだソファーに座っている伏見が、唇から厭らしい笑みを消した。真顔は冷ややかな印象を与え、八田は知らず警戒に姿勢を正す。そうして齎されたのは、予想もしていなかった台詞だった。
「無色の王の件に関して、俺と共闘しろ。でなけりゃ死ぬぞ。・・・おまえの大好きな、赤の王が」
八田は目を見開き、息を呑んだ。
3.零日B
伏見猿比古。それはセプター4の撃剣機動課特務隊情報班に属する男の名前だ。けれど八田にとっては、そんな仰々しい肩書きなどどうでもいい。意味があるは、伏見が吠舞羅にとって敵であるセプター4の、青の王の気に入りという事実だけだ。八田が吠舞羅の斬り込み隊長と呼ばれるように、伏見は青の王の懐刀とされている。単身撃破を期待される立場が似通っていて、歳が十九と同じで、それぞれクランに属したのも中学卒業直後で、王の信頼が厚いのも一緒。類似点が多い二人が最初にぶつかったのは、すでに三年近く前の話だ。赤の王である周防と、青の王である宗像。それぞれの期待を背負い、八田と伏見は拳とサーベルを構え、交えた。それ以来、吠舞羅とセプター4がぶつかることがあれば、必ず八田は伏見を探したし、伏見も八田に狙いをつけてきた。お互いに、対等にやり合えるのが相手しかいないという認識があるからだろう。こいつには負けられない。意地とプライドが激昂し、火花を散らす。いいライバルだね、と言ったのは十束だったが、八田にしてみれば不倶戴天の天敵に等しい。
だけど、だからこそ八田は、伏見の呼び出しに応じたのだ。出逢えば喧嘩ばかりでプライベートなんて知りもしないし興味もない。口汚さも性格の悪さもいい加減に身に染みて知っている。次に会えばまた、拳を構えることになるだろう。それでも。
それでも八田は、伏見の呼びかけに応えた。それは彼自身は決して認めないだろうけれども、八田から伏見への、ライバルへの、一種の信頼だった。
そんな伏見が言ったのだ。赤の王、周防尊が死ぬ、と。
4.零日C
深夜のカラオケ店は、静かなんだかうるさいんだかよく分からない。曲を流すことを止めたテレビからは新曲のコマーシャルばかりが入力コードと共に流れている。電源を切ろうとしたのかもしれない。伏見はちらりとテレビを見やった後に、画面を落とすことなく肩を竦める。
「赤の王のヴァイスマン偏差がやばいことになってきてんのは、おまえも分かってんだろ。このまま放っておけば、まず間違いなく近いうちに王権暴発――ダモクレスダウンが起こる。うちの解析によれば、赤の王の偏差の狂いは、一度の力の開放で平均百五十万。最大値で計算すると、迦具都事件と照らし合わせて考えれば、あと七回か八回が限度だ。それ以上やったら、間違いなく剣が落ちて赤の王は死ぬ。だからそうしないためにも俺と組めよ、美咲」
「・・・は? おまえ、何言ってんの? 尊さんが死ぬわけないだろ」
馬鹿を見る目で、八田は伏見を見やった。ぺらぺらと訳の分からないことを紡いでいた唇が止まり、怪訝な顔で八田を見てくる。眼鏡の奥の瞳は真意を推し量ろうとしており、八田は平然とそれを受け止めた。周防が死ぬなんてことは有り得ない。それは八田の中で紛れもない絶対だからだ。
「・・・おまえ、それ、本気で言ってんのかよ」
伏見の声に棘が混ざったのがどうしてか、八田には分からない。
「当たり前だろ? あの人を誰だと思ってんだよ。吠舞羅のリーダー、周防尊さんだぜ」
「ああ、そうだな。ただの人間だ」
「ただのじゃねーよ。赤の王だ!」
「その『赤の王・周防尊』の前の赤の王がどんな風に死んだのか、おまえ、知らないのかよ。王は不老不死じゃねぇ。いつか必ず死ぬ。むしろ一般人より早く死ぬ確率の方が圧倒的に高い。例外なんて白銀の王と黄金の王くらいだろ」
「・・・猿、てめぇ何が言いたい」
「だから、さっきからずっと言ってんだろ?」
冷ややかな眼差しは、間違いなく睥睨だった。
「周防尊は近いうちに死ぬ。おまえが馬鹿なせいでな」
「んだと・・・っ!」
「――黙れよ。馬鹿と話すことほど疲れることはねぇ」
テーブルを叩いて立ち上がりかけた八田の額に、いつの間に取り出されたのかナイフの切っ先が触れる。セプター4はサーベルによる斬撃を基本とするが、伏見だけはその他にナイフを多用していた。むしろそれこそが本領とでもいうかのように、己の手足のごとく操っては攻撃してくる。その細身のナイフが今、八田の額に突き付けられていた。動きを制限され、突然示された攻撃の意思に、八田が歯軋りする。伏見はそんな様子を黙って見ていたが、溜息を吐き出してナイフを下ろした。
「・・・とにかく、話を最後まで聞け。その後で周防尊は死なないとでも何とでも言えるなら言えよ」
「だから! 尊さんは死なねーつってんだろ!」
「死ぬんだよ。今のままだと間違いなくな。だから、それを阻止したいなら俺と組めよ、美咲」
「誰が組むかよ!」
八田は声を張り上げるが、伏見はもう一切を無視することにしたのか、冷静な表情で電源を落としていたタンマツを拾い上げる。聞いてんのかよ、という声は聞こえているけれども流されているだろう。くそ、と八田は歯噛みした。周防が死ぬだなんて、そんな可能性は有り得ない。考えたくもない。しかも今は、つい数日前に十束が殺されたばかりだ。この上周防もだなんて、想像しただけで寒気がする。
「迦具都事件」
「・・・は?」
「知ってるか?」
「知ってるけど、それが何だよ」
「説明してみろよ」
「は?」
「いいから早く」
有無を言わせぬ伏見の様子に、八田は舌打ちしながらも記憶を探った。元より、勉強は苦手な性質だ。興味のあることしか覚えないため、授業で学んだことなどすでに記憶の彼方に追いやっている。
「あー・・・だから、あれだろ? 十何年か前にあった、原因不明の爆発事件だろ? すげぇ多くの人が巻き込まれて、関東の一部が吹っ飛んだっていう」
「それだけか?」
「他に何があんだよ」
確か、教師の話では原因の特定は出来なかったはずだ。突如起きた大きな爆発に何十万という人が巻き込まれ、関東南部にクレーターを作り出した災害。何でその話が今ここで持ち上がるのか、八田は理解出来ずに首を傾げる。対して伏見は、深い溜息を吐き出していた。眉間に皺を刻み、頭が痛いといった様子で肩を落としている。
「・・・美咲が馬鹿なのか、それとも草薙出雲の情報規制か」
「あ? 何か言ったか?」
「何でもねぇよ。迦具都事件は、周防尊の前の赤の王、迦具都玄示のダモクレスの剣が暴走して起きた出来事だ」
赤のクランのくせにそんなことも知らねぇのかよ、と伏見が吐き出す。八田は目を丸くした。ちっと舌打ちして、伏見は話を続ける。
「王は、その力を発揮するときに、頭上に『ダモクレスの剣』という結晶体を発現させる。これくらいは美咲でも知ってんだろ?」
「お、おう」
「ダモクレスの剣は王の証明であり、象徴でもある。だけどあれは飾りじゃない。王の力が暴走した際に、あれは落下して王を貫き、周囲を派手に巻き込んでその命を派手に散らせる。それが王権暴発、ダモクレスダウン。迦具都事件の真相だ」
「・・・は?」
「十三年前、先代赤の王は、自らの力を制御することが出来ずに王権暴発を引き起こした。ダモクレスの剣が落ちて赤の王を殺し、その衝撃に関東南部の直径百キロメートルの土地と建物、そこに住む約七十万の人間が巻き込まれた。そのときの残骸が迦具都クレーターだな。先代赤の王は、力を暴走させたが故に死んだんだよ」
もう冷めているだろうホットココアのカップを、伏見が持ち上げる。スプーンで撹拌してから口をつけ、甘い液体を何でもない顔で飲む姿を八田はただ見つめるしかない。
「王に力を与えるドレスデン石盤の研究をしていたアドルフ・K・ヴァイスマンの理論において、王の安定度を示す数値をヴァイスマン偏差と定義している。この値が大きくなればなるほど、王は不安定ってことだ。迦具都玄示が王権爆発したときのヴァイスマン偏差が、九億八千二十一万六千三百七十一。そして昨日、うちに拘束されたときの周防尊のヴァイスマン偏差が九億六千五百五十五万とんで七。黄金の王と白銀の王、うちの室長の三人のヴァイスマン偏差の平均値が七千百二十三万六千五十四小数点以下略であることを踏まえれば、周防尊が飛び抜けて不安定であることが分かるだろ」
「さっぱり分かんねぇ」
「ちっ! これだから馬鹿は・・・」
伏見が顔を歪めて舌打ちするが、八田にしてみれば数字を並べたてられても訳が分からないのだから仕方ない。ドレスデン石盤なんて言葉は初めて聞いたし、ヴァイスマン偏差って何それ美味しいの、といった感じである。流暢な説明を一言で無駄にさせられた伏見は、今度はタンマツをテーブルの上に置いた。骨ばった指が動いて画面を操作する。設定された画像がひとつ、宙に浮かび上がった。伏見がソファーから立ち上がり、入り口のドアの隣にある証明のスイッチをオフにする。ついでにテレビの電源も切り、一転して暗くなった室内で、タンマツの描く画像だけが鮮明に青かった。
「うちの室長、青の王のダモクレスの剣だ」
見たことあんだろ、という伏見の言葉には、八田も首を縦に振った。周防に追従して、セプター4とは何度も邂逅を果たしている。その青の集団のトップに立つ宗像礼司という男は、周防と同じ王を名乗る人物だ。彼の頭上に輝く青みがかった剣は、八田とて決して見慣れぬものではない。伏見の指先がくるりと動く。
「ちなみにこれは昨日、つまりうちの室長が周防尊を拘束したときに出した剣の記録だ。そんで次が六年前、周防尊が赤の王になった瞬間の記録」
「何でおまえがそんな写真持ってんだよ」
「セプター4を舐めんじゃねぇよ。その気になりゃ美咲が何月何日何時何分何秒に何をおかずにしてオナニーしてどれくらいの量の精液を出したかまで調べられるっての」
「は、はぁ!? 何だよ、それ! 最低だな、おまえら!」
「ぐだぐだうるせぇな。ほら、よく見とけ」
たん、と伏見の指がタンマツをタップした。途端に宗像の青いダモクレスの剣の隣に、二枚目の映像が映し出される。見慣れた、赤い、周防のダモクレスの剣だ。少し違和感を覚えるのは、六年前という八田が周防と出会う前のものだからだろうか。いや、違う。八田は僅かに眉を顰めた。損傷が多いのだ。違う。少ないのだ。違う。画像に映る周防のダモクレスの剣は、隣に映る宗像の剣よりも綻びが多く、けれども八田の知る周防の剣よりも崩壊が少ない。思わず顰められた八田の眉を、伏見がじっと見つめていた。
「元よりうちの室長、青の王の属性は制御だ。七人の王の中でもヴァイスマン偏差の狂いは一番少ない。それでも、馬鹿な美咲でも分かるだろ? 王になって四年が経つ室長よりも、六年前の赤の王になったばかりの周防尊の剣の方が傷つきひび割れている。つまり王になった時点で、すでに周防尊のダモクレスの剣は危険性を孕んでいた」
たん、と伏見のタンマツを叩く音が、やけに大きく聞こえた気がする。三枚目の画像が暗い部屋に映し出された。その剣はまたしても赤だ。八田の知る、周防のダモクレスの剣だ。赤の王。敬愛する八田の王。その赤く力強い、ダモクレスの剣。記されている日付は昨日のもの。
「いつも周防尊の傍にいる美咲は、どうせ下から見上げたことしかないんだろ。でも、これが現実だ」
映る周防の剣は、いつも見ているもののはずなのに、今更ながらにその異様な様を八田に突き付けた。宗像の剣と比べれば一目瞭然だ。宗像の剣が美しい装飾品だとするのなら、周防のそれは限界まで使い古された旧品だ。指で軽く突こうものなら、すぐにでも崩れてしまいそうな危うさを感じさせる。嘘だろ、と八田の唇は無意識のうちに呟いていた。今まで、周防の最強の証明だと思っていたダモクレスの剣は、こんな姿をしていたのか。こんな、壊れる直前の姿を。
「そんで、次が最後。先代赤の王、迦具都玄示の王権暴発の瞬間を撮った超レアな映像だ。まぁ、この絵を撮ったセプター4の隊員も巻き込まれて死んだんだけど」
くるり、伏見の指が四枚目の画像を映し出すのを、八田は見ているしかなかった。否、四枚目は静止画ではなく動画だった。赤く巨大な剣が空中に浮いている。同じ赤でも周防のそれと装丁が異なるのは、やはり王が違うからだろうか。それでも息を呑むほどの相似がそこにはあった。迦具都のダモクレスの剣は、周防と瓜二つだったのだ。否、この場合は周防が迦具都に似ているのだろう。姿形ではない。今にも崩れ落ちそうな、そんな傷つき綻びている有り様が、だ。
息を呑む八田の前で、動画は容赦なく時を進めていく。十三年も前のものだというのに、画像はやけに鮮明だ。遠目の大地で炎のような光が起きた。そうして宙に浮かんでいた巨大な剣が割れる。砕ける。裂ける。細かな欠片は塵となって消えもせず、そのまま重力に従い落ちていく。ぼろぼろだった剣が、ぎらり、剣呑に輝いて画面を埋め尽くした。それは最期の刹那だったのかもしれない。うっすらとしていた赤が神々しく光を放ち、剣が動く。加速度を伴い落下していく。周防によく似た、赤のダモクレスの剣が。一箇所を目指して。落ちて、落ちて、落ちて、そして。
その瞬間、映像には映っていなかったけれども、ぷちっと小さな音を立てて赤の王が貫かれたのが、八田には見えた気がした。一秒の間の後に、真紅の炎が眼前に迫る。すべてが一瞬だった。一瞬で、赤はすべてを奪い尽くした。撮影者が巻き込まれたのだろう。映像がそこで途切れ、強制的に終了させられる。乾いた八田の口内は、唾を飲みこむことさえ難しかった。これが、王権暴発。ダモクレスダウン。
周防の剣と、迦具都の剣は、余りに似すぎていた。形ではない。その、傷つきひび割れている程度が、だ。伏見は、王の不安定さが剣に影響すると言った。それが重なり過ぎれば、ダモクレスダウンを引き起こすのだと。実際に八田は今、迦具都事件を目の当たりにした。更地にはもう何も残らない。自身の強さの証である剣に貫かれて、迦具都は、王は、赤の王は死んだ。
それではいつか周防が限界点を越えたとき、彼もやはり死ぬのだろうか? 八田の愛する、偉大なる王は。
5.零日D
テーブルからタンマツを回収し、伏見が電源を落とす。途端に室内は暗闇に埋まり、その中で立ち上がった伏見が証明の電気をつけた。テレビの電源は切ったそのままでソファーに戻る。何も言うことなく、ただじっと八田を見やる様は、伏見が彼を観察していることが明らかだった。八田は気づかないけれども、それは共に事を成すに相応しい人物かを見極める観察者のものだった。
「・・・草薙さんに、伝えないと」
八田の顔は青褪めており、声は震えていた。握り締めた拳さえ慄いており、口にされたのは吠舞羅の参謀、頭脳の名だった。がたん、とテーブルを揺らして立ち上がる。
「草薙さんに伝えねーと・・・っ!」
「何を?」
「何って・・・今のことだよ! このままじゃ尊さんがやべぇ! 草薙さんならきっと何とかして――」
「無理だな」
冷ややかな声が八田の耳を打つ。普段なら振り切って駆けていくところだが、今の伏見の声は八田を制する力があった。それだけ、先程提示された映像は八田にとって衝撃的だったのだ。周防の力が不安定なんて、周防の剣が落ちるなんて、周防が死ぬなんて、そんなこと考えたこともなかった。伏見は残りの一口らしいココアを飲み干す。
「草薙出雲は動かない」
「何で! あの人は周防さんの右腕だぞ!」
「だから、動かないんだよ」
空になったカップをソーサーへと戻す伏見が、八田は信じられなかった。何で、どうして。そればかりがさっきから頭の中を埋め尽くしていく。
「プロフィールと経歴と過去のデータと・・・まぁ、人伝に聞いた話を総合すれば、草薙出雲は『正しく』周防尊の右腕だ。だからこそ、動かない。切れ者だから周防尊がやばいってことくらいずっと前から気づいてるだろうな」
「だったら何で俺たちに話してくれなかった!?」
「『正しく』右腕だからだろ。草薙出雲は、周防尊の望みを叶えるために動く。今はそれが、十束多々良殺害の犯人を見つけることだ。そして草薙出雲はその先も理解している。見つけた犯人を、周防尊は間違いなくその手で殺しにかかるだろう、と。その結果ダモクレスの剣が落ちて自分が死ぬことになっても構わないと周防尊は思っていると。草薙出雲はそこまで理解しているから動かない。あの人は、その先に待つのが破滅であっても、周防尊が自らそれを望むなら手を貸すのが自分の役目だとでも思ってんだろ」
「っ・・・」
「その点では、十束多々良の方がまだ周防尊を止められる可能性があった。十束多々良は吠舞羅最弱と言われてたけど、周防尊に換言が出来る貴重な存在だったからな。草薙出雲は小言はくれても本気で諌めはしない。その点でも十束多々良が殺されたのは、吠舞羅・・・いや、周防尊にとって痛手だっただろうな」
まるで我が事のように知った顔をして話す伏見に、八田はついに言葉を失くした。自分に十束殺害の犯人を見つけるよう、指示を出した草薙の姿が蘇る。もしかしてあのときから、否、十束が死んだときから、彼は覚悟を決めていたのだろうか。復讐をその手で果たさんとする周防の道を作ることを。残された唯一の親しい友を見送ることになるのだと、草薙は初めから分かっていたのだろうか。分かっていて、八田たちに指示を出したのだろうか。くさなぎさん。呟きが八田の唇から漏れる。賢く、優しく、それでいて敏い吠舞羅の参謀は、確かに己の心情を決して口にしない人でもあった。
「じゃあ・・・どうしろって言うんだよ・・・!」
草薙が周防を肯定するというのなら、八田もまたそうするべきなのかもしれない。でも、心は頑なに拒否を示している。もちろん十束の敵は討ちたい。無色の王とか名乗っている、あの正体不明の人間をこの手で引きずり出してやりたい。だけど、周防が力を振るうこと、それはすなわち彼の死期を早めるということだ。最悪、復讐を果たしたその瞬間に、周防はダモクレスの剣に貫かれて死ぬかもしれない。そんなのは嫌だ。周防の意思を尊重したい。十束の敵を討ちたい。でも周防に死んでほしくない。矛盾した感情が八田の中を駆け巡る。じわり、目尻に涙さえ滲んだ。
「選べよ。周防尊の好きなようにさせてそのまま死なせるか、あるいは怒りを買ってでも邪魔して代わりに生かすか」
壁に作り付けられている時計を見やり、伏見が抑揚のない声で言った。
「二時間経ったら起こせ。そうしたら答えを聞く。よく考えて決めるんだな。でなけりゃおまえは大切なものを失うことになる。そうなりたくなけりゃ考えろ。馬鹿は馬鹿なりに必死にな」
そう言って伏見は眼鏡を外してテーブルに置き、無造作にソファーに横になった。寝顔を見せる気はないのか、八田に向けられたのは背中で、無防備なそれに攻撃することは容易いけれども、そう考える余裕など欠片もない。立ち上がっていた足が震え、八田は再びソファーへと逆戻りしていた。みことさん。名前だけが無意味に、深夜のカラオケボックスの空気を揺らす。時計の針は、深夜零時半を指そうとしていた。
6.零日E
二時半。タンマツが無機質なアラームを鳴らして、伏見に約束の時間が過ぎたことを知らせる。もぞ、と身動ぎした伏見はしばらくの間動かなかったが、ようやくのろのろと身を起こして手を伸ばし、探し当てた眼鏡をかける。額に手を当て、眉間に皺を刻んできつく目を閉じた後に、あー、と掠れた声が発された。
「コーヒー・・・」
おぼつかない足取りで立ち上がり、伏見は部屋に備え付けられている電話へと向かった。受話器を取り上げれば繋がるフロントに、マシュマロ黒蜜抹茶ラテ、と一言告げる。ソファーに戻ってもぼんやりとやる気のないままで、それは店員が飲み物を運んでくる十分後まで続いた。カラオケ店なのに歌っていない客を前に店員は不思議がるかと思ったがそれはなく、深夜帯だからそういったケースも少なからずあるのかもしれない。失礼しました、と店員が去っていく。伏見が甘ったるくしか見えない白いクリームに口を着ける。緑の抹茶まで飲んだところで、彼の目にようやく閃きが戻ってきた。
「・・・で? 結論は出たのかよ」
にぃ、と伏見が唇の端を吊り上げる。八田はその間ずっと、テーブルを挟んだソファーから伏見のことを見ていた。二時間前の、動揺の余り泣き出しさえしそうだった情けないものとは違う。座り切った目は剣呑さを湛え、ふうん、と伏見は心中で呟いた。キレたと言えばそうなのかもしれない。けれどまぁ、最悪の馬鹿ではなかったことは評価しよう。
「・・・その前に、俺の質問に答えろ」
「答えられるもんならな」
「何でおまえは俺に、尊さんのことについて話した? 尊さんがどうなろうが、セプター4のおまえには関係ないだろ。むしろ邪魔者がいなくなって助かるんじゃねーのか?」
「・・・・・・」
「おまえは俺に共闘しろって言った。ってことは、おまえにも何か目的があるってことだ。それが何なのか話せ。それ次第では・・・協力してやってもいい」
「偉そうな物言いだな。美咲のくせに」
軽く吐き捨てるように伏見が笑った。八田は思わず息を呑みこむが、彼にしてみれば、伏見が純然たる善意で進言してくれたわけではないことは当たり前である。そもそも所属からして相対しているし、街で会えば殴り合うような間柄なのだ。だからこそ伏見の目的が分からなければ、組むことは出来ない。いや、本当は、周防を死なせたくないのなら伏見と組まないわけにはいかないのだろうが、素直に協力を希うには、八田にも流石にプライドがあった。
「目的、ね」
伏見が表情を僅かに消した。
「分かった、話してやるよ。どうせ組むことになるんだったら話そうと思ってたし」
「まだおまえと組むと決めたわけじゃねーよ」
「ハイハイ。じゃあ話すけど、いちいち吠えるなよ。さっきも言ったけど、馬鹿は嫌いだ」
融けたマシュマロが浮かぶラテで喉を潤してから、伏見が喋り出した。時刻はまもなく深夜三時になろうとしている。カラオケ店の閉店まで、あと二時間だ。
「俺の目的は青の王、宗像礼司が周防尊を殺すのを防ぐこと」
「なっ・・・!?」
「ダモクレスダウンを回避するには二つの方法がある。ひとつは、王が自身の力を制御して安定させること。そして二つ目は、剣が落ちる前に王を殺すこと」
悲鳴を挙げかけた八田を、伏見が視線だけで制す。反射的に手のひらで口を覆った。ひゅう、と八田の唇から空気が漏れる。心臓は否応なしに早い鼓動を刻んでいく。
「すでに限界まで達している周防尊に、力を安定させろっていうのは無理な話だ。特に今は十束多々良が殺されたからな。周防尊は自分の力で敵を討ちたがってる。その結果更に安定性を欠いて、ダモクレスダウンを起こす可能性はかなり高い。直径百キロ圏内が一瞬にして吹き飛ぶわけだ。百万近い人間を巻き添えにしてな」
「・・・・・・」
「でも、それを人為的な方法で回避することが出来る。それが、王の殺害だ。本来なら殺人は犯罪だが、『王殺しは罪に非ず』って言われてるくらいだしな。百万人を救うためなら、一人を見殺しにする。それは例え王であっても変わらない」
「で、でも、尊さんは・・・!」
「言っただろ。例え死ぬのが王であっても、誰であっても変わらない。そうする義務があるんだよ、うちの室長には。黄金の王は他の王の模範であれとされてるけど、青の王は規律であれとされている。だから、青の王はダモクレスダウンが起きるなら、間違いなくその王を殺す。それが青の王の使命だ」
伏見は眉間に皺を寄せて、不愉快そうな顔でつらつらと語る。つまり、彼の言葉が確かなら、周防は力を使えば王権暴発を引き起こしてしまうし、そうしたら彼は剣に貫かれて周囲を巻き込んで死ぬか、宗像に貫かれて一人で死ぬか、そのどちらかしか道はないのだ。そんなことって、ない。八田の心に悲しみが広がる。
「別に、俺としては室長が殺さないで済むなら、誰が周防尊を殺したって構わない。ぶっちゃけた話、打つ手がなくなったときは俺が殺すつもりだし」
「っんなことさせねーよ!」
「だったら百万人にダモクレスダウンに巻き込まれて死ねって言うのかよ。周防尊のためならそれくらい当然だって? 馬鹿じゃねぇの。もしそう考えてるんだとしたら、吠舞羅は屑だな」
「違っ・・・!」
「とにかく、俺が阻止したいのは『室長が周防尊を殺す羽目になる』ってことだけだ。だけどダモクレスダウンに巻き込まれちゃ意味がない。そうすると残された手段は、周防尊が室長以外の誰かに殺されるか、あるいは周防尊がダモクレスダウンを引き起こさないかの二つに絞られる」
伏見が抹茶ラテを啜る。冷静な顔が憎らしくて、泣きたくて、八田はテーブルの上で拳を握り締めた。
「周防尊を殺すことは難しい。吠舞羅がいるし、腐っても王だしな。やれるのは同じ王くらいのものだろ。だったら最終的に、周防尊がダモクレスダウンを引き起こさないようにするしかない。そのためには周防尊より先に、十束多々良殺害の犯人を捕らえる必要がある。だから共闘しようって言ったんだよ。吠舞羅より先にうちが捕まえる。そのために随時情報交換といこうぜ」
「・・・・・・」
「諦めろよ、美咲。おそらく、草薙出雲はうちの室長が周防尊を殺す可能性まで含めて考えている。つまり周防尊も、自分が室長に殺されるだろうってことは分かってんだよ。ダモクレスダウンを起こす前に室長が殺してくれるって分かってるから、周防尊は好きに動ける。室長も周防尊が分かってることを分かってる。全部暗黙の了解なんだよ。・・・ちっ! うざってぇ」
大仰に舌打ちして、伏見は顔を歪めた。忌々しい、とその表情が語っている。何で、と八田は呟いた。
「あぁ?」
「何で、尊さんはそこまで・・・」
「どっちの話だよ。十束多々良殺害犯を周防尊が何でそこまでして殺すのかって?」
「ちげぇよ! 何でそこまで青の王を信用してんのかって話だ! 青の王は尊さんの敵なんだぞ!?」
「美咲は知らないだろうけど、うちの室長と周防尊は高校のときのクラスメイトなんだよ。先輩後輩である草薙出雲と十束多々良も、室長のことをそれなりに知ってる。だから託せることもあるんだろ」
まぁ、室長は優等生で、周防尊は不良だったから表向き仲が良いわけじゃなかったらしいけど、それなりに交流はあったらしいぜ。
あっさりと知らされた事実に、八田は愕然とした。周防と宗像がクラスメイトだった。あの、街で会えば互いにぴりっとした緊張感を走らせる王同士が、同じ教室で机を並べて時を過ごしていたのだ。周防が王になったのは十八のときだ。宗像は確か、二十歳。互いに冠を戴いて向かい合ったとき、二人は一体何を思ったのだろう。かつての友人と相対しなくてはならなくなったとき、感じたのは遣る瀬無さか。それとも理解者を得た安堵か。
「どうしようもなくなったときは、俺が周防尊を殺す。でも、そうすると室長がぎゃあぎゃあうるせぇだろうから、なるべく避けたい。だからって他に殺してくれそうな奴はいねぇし、そうすると周防尊を生かす方向で話を進めるしかなくなる。その方が口にはしなくても室長も喜ぶだろうしな。だから、そのためには吠舞羅の動きを把握しておきたい。あわよくば協力者が欲しい。以上が美咲の気にしてた俺の『目的』だけど、何か質問は?」
「・・・具体的な方法は決めてあんのかよ?」
「とりあえず今のところは『吠舞羅より先に十束多々良殺害犯を捕まえる』ってのが一番だな。捕まえさえすりゃ、後は室長か、もしくは黄金の王が裁いてくれる。相手が本当に無色の王でも関係ねぇよ」
「尊さんの気持ちはどうなんだよ。十束さんの敵をとりたいっていう尊さんの気持ちは」
「そんなの知ったことかよ。俺にとって周防尊の心情なんかどうでもいい。まぁ、美咲が協力してくれるっていうなら、少しは譲歩してやってもいいけど?」
にやにやと伏見が笑う。腹の底で苛立ちを覚えるが、逆にこれで腹は決まった。両の手のひらを握り締める。八田にとって周防は世界だ。光だ。指針であり、目標でもある。――失えない。わりぃ、十束さん。心の底で仲間に謝罪し、八田は顔を上げた。伏見と視線を合わせ、はっきりと口にする。
「尊さんは死なせない。そのためなら俺は何でもやる」
「それが周防尊の意思に反しても?」
「構わねぇ。十束さんだって、自分のために尊さんが死ぬなんてことは望んでないはずだ」
そうだろ、と言えば、伏見は何も言わなかった。けれど八田は自分の選択が正しいのだと信じている。十束は周防のことを信頼していた。周防だって十束のことを信頼していた。だからこそ、十束は自分のためであっても周防が死ぬことを良しとしないはず。草薙の行動を否定することに繋がるけれども、八田には周防を失うことなど考えられない。だって、周防は赤の王なのだ。吠舞羅の王だ。失えるはずがない。
「・・・契約成立だな」
伏見が肩を竦めた。その表情に僅かな安堵が見られたのは、気のせいではないと八田も思う。いくら伏見が賢くて知恵が働くといっても、今回の件は完全にスタンドプレーだ。セプター4が公的機関であることを踏まえれば、ばれたときの懲罰は容易く失職へと繋がるだろう。それでも伏見は、宗像に周防を殺させないために動くという。テーブル越し、差し出された手はサーベルもナイフも握っていない、純粋なるものだった。
「足だけは引っ張んなよ、美咲?」
「それはこっちの台詞だ! 途中で投げ出すんじゃねーぞ、猿比古!」
八田も手を差し出し、それでも仲良く握手なんて柄じゃないから、互いにぱんっと手を叩き合った。まもなく夜明けが来る。冬の空はまだ暗い。それでもカラオケ店の小さな一室で、密約は確かに果たされた。自然に呼んだ相手の名前が、余りにもしっくりきて八田は不思議にも思わなかった。
7.零日F
閉店の五時までの残り時間で、まずは連絡先を交換し合った。伏見は何故か八田のタンマツの番号を知っていたけれども、今度こそきちんと赤外線でメールアドレスまで交換した。八田のメモリに一件加わる。名前で登録するなよ、と言われて、何で、と返せば、「誰かに見られたらどう説明するんだよ」と呆れられてしまったため、八田はとりあえず入力途中だった最初の一文字、猿比古の「S」だけで登録することにした。
次に、十束が最期に残したビデオの静止画をメールに添付して送った。件の、無色の王が映った画像だ。草薙から見つけ出せと指示を受けているため、吠舞羅のメンバーは全員がこの画像を所持している。セプター4は事件のことは把握していても、無色の王のビジュアルまでは得ていなかったのだろう。夜のため些か暗いその一枚を見やり、ふうん、と伏見は頷いた。
「随分若いな。これ、制服だろ? 高校生以下かよ」
「セプター4ならどこの学校かくらい調べられんだろ? 分かったら教えろよ」
「了解」
レシートの上に、伏見が千円札を二枚置いた。八田もポケットから財布を取り出して、千円札一枚と百円玉三枚を載せる。六時間いて、結局八田はドリンク一杯しか頼まなかった。カラオケ店はソフトドリンクでも一杯四百円近くするのだから仕方がない。公務員というこれ以上ない定職についている伏見と違い、八田はアルバイトで食いつなぐしがないフリーターなのだ。ちくしょう、と何となく悔しくなりながらスケートボードを手に取った。一夜を過ごした部屋から出ると、廊下の電気がやけに眩しく感じる。最後の足掻きなのか、隣の部屋からハイテンションな歌声が聞こえてきていた。
「それにしてもさぁ、おまえも俺のこと言えねーじゃん」
「は?」
ボーダーのモヘアニットの上からジャケットを着込んだ伏見が、怪訝そうな顔をする。八田はちらりと振り向き笑ってやった。
「青の王に尊さんを殺させないために動くとか。おまえも自分んとこの王が好きなんだな」
「ちっ! 別にそんなんじゃねぇよ」
「今更遅いっつーの」
嫌そうな顔をするが、八田にはもう誤魔化せない。伏見の行動は、どう見たって王である宗像への献身だ。自分が周防のために動くのと何ら変わらない。だから八田は組んでもいいと思ったのだし、クランは違えど同じクランズマンとして伏見を信用できるとも思ったのだ。
「・・・んだよ」
「あ? 何か言ったか?」
「だから」
受付まで戻る階段の途中、八田が振り向けば伏見は視線を逸らし、ぼそりと言った。
「・・・幼馴染なんだよ。あの人とは」
「へ?」
「物心ついたときには、何かもう隣にいた。歳が五つ離れてるから小学校の一年しか重ならなかったけど、気づいたらいつも一緒にいたんだよ。セプター4に入ったのだって礼兄が青の王になったからで――」
「れいにぃ?」
聞き慣れない単語が出てきたのでつい口にすれば、ぴたりと伏見の動きが止まった。階段途中だというのにその様は余りに無防備で、次いでくそ、と吐き打ちして背けられた耳は淡く染まっていた。知らず八田の顔が緩む。
「れいにぃ? 猿比古、青の王のことそんな風に呼んでんのかよ」
「うるせぇ、黙れ童貞。職場ではちゃんと室長って呼んでるからいいんだよ」
「童貞って言うな!」
舌打ちして、伏見は荒い足取りで八田を追い抜いていく。それはどう考えても照れ隠しで、八田は思いがけない伏見の一面ににやにやと相好を崩してしまった。いつもすかしてばかりの伏見にも可愛いところがあるものだ。八田は軽い足取りで、階段を下る伏見の後を追っていく。ぶつぶつと聞こえてくる声に、肩を震わせ笑ってしまった。
「っつーか、俺にとっては青の王もセプター4の室長も、全部後付なんだよ。あの人が王でなきゃ誰がこんな面倒くさい職場に入るかよ。大体、昔っからあの人はそうなんだよ。何でも出来るくせに妙なところで要領が悪いから、いつも貧乏くじを引く羽目になる。それなのに平気な顔して取り繕って。ばれてないと思ってんならマジふざけんなっての。どんだけ一緒にいると思ってんだよ」
「何だ、結局それが理由かよ」
「悪いかよ」
ぎろりと睨まれるけれども、欠片も怖くない。伏見は舌打ちして、辿り着いた受付にレシートと現金を置いた。店員がレジを打ち、釣り銭を渡してくれる。ありがとうございましたー、という声を背中で聞いて、二人はやってきたエレベーターに乗り込んだ。
「ほら」
「ん」
差し出された手に応えれば、先程出した千三百円からフリータイムとワンドリンクの代金を差し引いた差額が載せられる。八田がそれを財布にしまっているうちに、エレベーターは一階へと辿り着いた。扉が開いた瞬間に、寒い、と呟いた声が二人して重なる。十二月の早朝は空気が針のように鋭く冷たくて、八田は腰に巻いていたパーカーを取って着込んだ。くぁ、と伏見が欠伸する。
「猿比古、これから仕事だろ? 寝なくて大丈夫かよ」
「さっき二時間寝たから平気。徹夜は慣れてる。美咲は今日は?」
「一眠りしたら草薙さんのとこに顔出して、目ぼしい情報がなけりゃローラー作戦だな」
「何かあったら連絡入れろよ」
「おまえこそ勝手に突っ走んなよ。あと、尊さんに何かあったらぶん殴るからな」
「三食昼寝付きの生活に何か文句でも? ないのはテレビくらいだろ」
雑多ビルを出れば、空は暗く未だ街灯が輝いている。アパートへ帰る八田は右へ、セプター4の屯所に戻る伏見は左だ。同じ目的のために共闘するとしても、やはり所属が違うから会うことは難しくなるだろう。今後は電話でのやり取りが主になるかもしれない。ならば、やはり今言っておかなければ。口ごもってしまう唇に力を入れ、八田は隣の伏見を見上げた。
「猿比古、ありが――」
「礼は全部終わってから聞く」
遮って、代わりに差し出されたのは拳だった。殴るためではなく緩く握られているそれに、八田は一瞬きょとんと目を瞬いて、そして自身も左手を掲げた。二つの拳がこつんとぶつかり合う。
「じゃあな!」
「ああ」
暫時の戦友に背を向けて、八田と伏見はそれぞれの持ち場へと戻っていった。くしくもそれは、物語が動き始める十二月十四日のことだった。
not吠舞羅な伏見君が吠舞羅な八田君と共闘して再編成。一度書いておきたかった、最終回回避のお話です。
2013年12月15日(pixiv掲載2013年2月12日)