【 『俺たち結婚します!』を読むにあたって 】
○ 伏見猿比古くんが生まれつき女の子です。
○ アニメ最終話より数年後、紆余曲折の末に伏見ちゃんと日高君はお付き合いを始めたようです。
○ そうして結婚することを決めた二人が、ウェディングドレスの下見に来ました。
ピクシブの素敵タグ企画「日猿結婚前夜祭」に参加したくて書いた結婚前の二人のお話です。
注意書きを無視して閲覧し、気分を害されても責任は負いかねますのでご了承ください。
それでは何でもいけるという方のみお付き合いくださいませ!
▼ GO!
俺たち結婚します!(前編)
その日、日高と伏見は連れ立って、都内にあるレンタルブティック店を訪れていた。正確に言えば、日高が伏見の右手を握り締めて逃がすものかとばかりに強く、それでも優しく拘束し、引き摺ってきたが正解である。いらっしゃいませ、と一糸乱れぬスーツ姿の女性店員たちに迎えられ、伏見はただでさえ面倒くさそうだった表情を更に歪めた。正反対に、日高は締まりのない顔で口を開く。
「すいません、予約してる日高ですけど」
「日高様ですね。お待ちしておりました、どうぞこちらへ」
ご案内させていただきます、と一人の店員が歩み出てきて奥へと促した。シンプルな黒のスーツに纏められた髪、完璧な化粧に嫌みのない笑顔はプロ意識を感じさせる。会場は三階らしくエレベーターに乗せられるが、その間も伏見は黙りこくったままで会釈すらしようとしない。店員は流石接客のプロであり笑みを壊さないが、日高が少しだけ困ったように身を屈めた。
「伏見さーん、いい加減に諦めてくださいよ」
「・・・こんなのいらねぇし」
「いやいやいるでしょ! っつーか俺が見たいんで!」
エレベーターが三階に到着する。店員のエスコートで降り立てば、そこは一面純白の世界が広がっていた。途端に日高がぶわっと頬を紅潮させ、目を輝かせて「ほら!」と伏見の手を引く。
「伏見さんのウェディングドレス姿、絶対綺麗ですから! 俺が伏見さんに一番似合うの見つけますから! ね!?」
一世一代の晴れ舞台は女性の方が気合を入れると言うが、目の前の日高はまるで犬のように尻尾を振っていて、伏見はそんな恋人を見やって深い溜息を吐き出した。何だか見ていられなくてそっぽ向く。好きにすれば、というつれない返事が照れ隠しであると分かるくらいには、ふたりの付き合いも長かった。
数年の交際を経て、日高の「俺は裏切りません! 伏見さんのことが好きだから!」という某ドラマのようなプロポーズが実を結び、ついに日高と伏見は正式に結婚することになった。籍だけ入れればいいじゃん、と言ってのけた伏見は本当にドライなのだろう。あるいはあらゆることに対して期待するのを止めているのか。その一言は日高だけでなくセプター4全体に衝撃を与え、伏見は今もなお未婚であるはずの淡島をはじめ、秋山や弁財、果ては布施や五島、更にはあまり親しくないはずの庶務課の女性や既婚者の年配男性などからこんこんと結婚式の重要性について説かれる羽目になった。最も面倒くさかったのは、室長執務室で宗像と相対した半日だ。正座を強要され、足が痺れて動けない伏見を良いことに、宗像は切々と「部下の晴れ姿を私に祝わせてくれないのですか」と恨めしく訴えたのである。「君たちが結婚すると聞いて、すでに白無垢と紋付袴を誂えているのですよ。もちろん伏見君と日高君のサイズで。ああ、すべて私のポケットマネーから出していますのでご心配なく。ですが着てもらえないというのなら・・・そうですね」と、そんなことを言って意味深に笑った宗像が口にした金額に、伏見は舌打ちして式を挙げることを了承した。どうしたって着物代の方が、式代より高くつくと思ったのである。勝手にしろ、と疲れた表情で匙を投げた伏見に、日高は万歳三唱で喜んだ。彼にしてみれば、自分の綺麗な恋人の晴れ姿を拝みたかったし、周囲に自慢もしたいのである。こんなに綺麗で美人な伏見さんが俺の奥さんなんだぞ、と。
そんなこんなで今日、ふたりは都内のレンタルブティック店を訪れていた。宗像の半ば嫌がらせに近い気がする強制で、すでに白無垢を着ることは決まっているが、日高としては伏見のウェディングドレス姿も見たいのである。俺も見たい俺も見たい、と飛び上がって挙手した道明寺をはじめ特務隊の中でも賛成多数、むしろ全員賛成で、非番の日を合わせて日高は伏見を引っ張ってきていた。式は神前のため白無垢で、その後のレストランを貸し切っての披露宴でドレスを着る予定である。披露宴もすんのかよ、と伏見は嫌そうな顔をしたが、子供のように乗り気の日高を見て、何を言うのも諦めたのだろう。以降は好きなようにさせており、今日も不承不承だがついてきている。
「花嫁さんの身長はおいくつですか?」
目の前に広がる純白の衣装に目を奪われていた日高が慌てて振り返る。黒スーツの女性店員たちはすべてスタイリストなのだろう。バインダーを片手に問われ、伏見は「百七十」と答えた。
「いつもお召しになられているお洋服のサイズは何号でしょうか?」
「あ、それなら俺が分かります! 七号っすよね、伏見さん・・・って、何で蹴るんすか!?」
意気揚々と答えたのに膝裏に蹴りを決められ、日高が喚く。伏見は舌打ちして顔を背けたが、スタイリストもこれには苦笑を浮かべていた。
「七号でしたら種類も豊富にご用意しております。ご試着は三着までとなっておりますが、はじめはどうぞ、お好きなドレスをお選びください」
「はい! 伏見さんはどんなの着たいっすか?」
「別に何でもいい」
「えー、じゃあミニとかでもいいんですか?」
「帰る」
「嘘! 嘘ですから、ちょっと待って! 真面目に選ぶんで、伏見さんはそこで座って待っててください!」
踵を返した伏見に飛びついて、日高が肩を捕まえる。そのまま近くにあったソファーに座らせると、自身のメッセンジャーバックを伏見に持たせ、純白のドレスの山へと突撃していった。タイプ別に分けられているのだが、とりあえず端からすべて見るつもりなのだろう。壁一面どころか、二面以上を埋め尽くすドレスの中に日高が埋もれていく。ハンガーに吊るされている一着一着を手に取っては、あーでもないこーでもないと言って戻していく。
「・・・あの、すいません」
日高が集中し始めた頃を見計らって、伏見はスタイリストの女性に声をかけた。
「どうかなさいましたか?」
にこりと微笑むスタイリストに、居心地悪そうに伏見は告げた。自身の左の鎖骨を軽く指で突いて。
「・・・ここらへんに傷があるんで、隠せるものがあったら用意してもらいたいんですけど」
スタイリストはぱちりと目を瞬いたが、すぐに笑顔で頷いた。
「コサージュなどは如何でしょうか? あるいはブーケと同じお花で飾るのも華やかですし、ドレスのデザインによっては首から胸元までをレースで覆うタイプのものも御座いますので、いくつかご用意いたしますね」
「・・・お願いします」
浅くだが下げられた頭に会釈を返して、スタイリストは小物が並べられている方へと消えていった。ちらりと視線を戻してみれば、日高の手にはすでに数着のドレスが重ねられている。あいつ、この短時間でどれだけ見繕ってんだ、とこれから着せ替え人形にならなければいけない伏見は、知らず溜息を吐き出した。時間を潰そうと思ってポケットからタンマツを取り出せば、榎本からメールが来ていた。文面に目を通し、伏見は舌打ちする。
「『日高、今日を物凄く楽しみにしてたんで、お疲れになるかもしれませんが出来るだけ付き合ってあげてください。』って・・・」
馬鹿か、こいつら。呟いてタンマツをポケットに戻し、立ち上がる。それに気づいたのか、日高が顔色を輝かせて振り向いた。伏見さんこっち、と手を振る恋人に、未来の夫に、伏見は何だかむず痒い心情を抱えながら近づいていく。
男子校育ちだからか妙に女に夢を見ているところがあるため、一体どんなひらひらふりふりのドレスを選ぶのかと伏見は密かに危惧していたのだが、日高が持ってきたのは意外にもシックでスタンダードな、どちらかと言うと可愛いよりも綺麗といった印象のドレスだった。ウエストの切り替えからふわりとボリュームのあるプリンセスラインでも、ボトムがなだらかに広がる最近主流のAラインでも、身体のラインがはっきりと出るマーメイドラインでもなく、日高が選んだ三着は、どれもが大人っぽいイメージのスレンダーラインのドレスだ。
「こちらのタイプはシルエットが細身なのでボディラインが出やすいのですが、背が高くすらりとしたスタイルの日高様でしたらとてもお似合いになるかと」
日高様って誰だ、と伏見は思ったが、二秒遅れてそれが自分のことかとようやく気づく。予約を日高の名前で取っているため、新婦である伏見のこともその名で呼ぶのだ。それがやけに気恥ずかしくて、伏見は眉間に皺を刻んでドレスを睨み付けた。険のある視線をどうとったのか、日高が不安そうな顔で窺ってくる。
「あ、あの、伏見さん・・・?」
「何だよ」
「えっと、気に入らないですか、ね・・・? 俺、これでも一応、いろいろ考えてきたんですけど」
困り顔で日高が頭を掻く。目の前に下げられた三着は、それこそ何百とこの場にあるドレスの中から日高が吟味し、選び出してきたものだ。そういえば確かに、全部のドレスに目を通していたけれども、手に取っていたのはどれも似たようなタイプだったと伏見は思い返す。変に夢見がちな日高だが、ドレスは所謂「花嫁さん」みたいな華々しいものではなく、とことん「伏見に似合う」を追求したらしい。そのことが目の前の三着のドレスからは感じられ、余計に伏見の顔を歪ませる。
「伏見さんは可愛い系、あんまり好きじゃないじゃないすか。派手なのとかごちゃごちゃしたのも嫌いだし、服とか小物とかシンプルなの選ぶから、ドレスもそういうのがいいんだろうなって。そんで、背が高くて細いから、やっぱりこういうシンプルなのが似合うと思うんすよ。これは背中にリボンがついてるけど、これくらいは妥協してもらって。えーと、後は俺としては別に傷とか全然気にしないんですけど、伏見さんが嫌だって言うなら隠したって構わないし。っつーかぶっちゃけ、伏見さんは美人だからどのドレスだって似合うんですよ! スタイルいいし! 俺の伏見さんだし!」
「何言ってんだおまえ」
伏見が呆れを混ぜて睥睨するが、日高はひとりで勝手に盛り上がっていく。
「エンパイアも悪くないんですけど、あれって妊娠中の人が多く着るっていうし、出来婚じゃないのにそう思われるのも心外っつーか。伏見さん細いくせに出るとこ出てるからマーメイドラインでも見栄えすると思うんですけど、でも伏見さんのセクシーな姿に親戚のおっさんとかが鼻の下伸ばしたりしやがったらぶん殴りたくなるし。そりゃあ、これは他のドレスに比べたら地味ですけど! でも総レースで綺麗だし、こっちはシルクに刺繍で伏見さんの雰囲気にぴったりだし! っつーか伏見さんはそれだけで綺麗だから、ドレスなんかシンプルでいいんすよ! むしろ下手にごちゃごちゃしてる方が伏見さんの良さを殺すから飾りなんか最小限で・・・って何で蹴るんすか!?」
「うっせぇ、黙れ!」
今度こそ、それでも意地で堪えつつ、耳の端だけを真っ赤に染めて、伏見は日高の脛を蹴り上げた。衝撃に涙目になる日高の手からドレスをひったくり、フィッティングルームへと向かう。スタイリストはやはり苦笑いで、それでも微笑ましいものを見るかのように眼差しが柔らかい。他にもドレスを選んでいるカップルは複数いたのだが、男の方は呆れたような、女の方は羨ましそうな複雑な表情を浮かべてふたりを見ていた。
「伏見さん!」
縋ってくる声に、伏見はぴたりと足を止めて少しだけ振り返る。
「・・・着ればいいんだろ」
「っ、はい! デジカメ持ってきてるんで準備して待ってますから!」
「・・・」
「そんな顔しても駄目っすよ! 室長とかに画像付きで報告しろって言われてるんで!」
本日最大の舌打ちをして、伏見は扉の向こうへと消えた。次いでスタイリストが日高に一礼してから、同じ扉へと消えていく。ここから先は男性陣は立ち入り禁止で、日高はメッセンジャーバッグからデジタルカメラを取り出して充電が満タンであることを確認し、先程まで伏見が座っていたソファーに腰を下ろした。けれどもすぐに立ち上がり、うろうろと周囲を回り始める。ティアラやネックレスが飾られているショーケースを順番に見回り、種々のブーケにふむふむと頷き、カラードレスを端から検分し、そしてメンズの衣装の前で「そういえば」と今更思い出したかのように自分のスーツを見繕い始める。タキシードかフロックコートか、あるいはモーニングか。日高にしてみれば伏見が第一で自分は二の次であったため余り重視していなかったのだが、せっかく一生に一度の晴れ舞台なのだから一番格好良く見える衣装がいい。後で伏見さんに選んでもらおう、と期待に胸を膨らませて、日高は待った。
余談だが、日高がこうしてひとり楽しく時間を潰している最中、フィッティングルームでは伏見がスタイリストの玩具にされていた。ウェディングドレスを纏う際には専用のブライダルインナーという下着を身に着けるのが基本なのだが、伏見はその必要がなかったのである。そもそもウェディングドレスは欧州の文化であり、ドレスの印象もスタイルの良い欧米女性に合わせて作られている。だからこそ凹凸に欠ける日本人は補正下着なしに着ることは難しいのだが、伏見は驚くくらいに細く、しかしスタイルが良かったのである。スタイリストもはっと息を呑むほどに余分な肉がない。胸元からウェストにかけてを細く見せるビスチェなど最もきつく締め付けたところで余裕があったし、ボリュームあるバストラインを高く保つにしても、そもそも若さゆえか理想的な形をしているので支える必要がない。上から覗ける柔らかな膨らみは寄せて集める必要性も、むしろ背中や脇の肉もなかったし、カップもCよりやや大きくDには少し至らないというベストなサイズだ。ガードルで押さえる下腹部の皮下脂肪などどこを探しても見つからず、ヒップこそ僅かに肉付きが薄かったが、そんなものトータルバランスの前では差しも取らない。とにかく伏見は美のための我慢の限界に挑戦するコルセットなどをつける必要がなく、スタイルが露わになるスレンダーラインのドレスを着こなすことが出来たのである。これにはスタイリストも驚愕し、羨ましげな吐息を漏らすだけだった。
ストッキングは元から履いていたが、ぺたんこのパンプスの代わりに差し出されたのは白いハイヒールだ。せっかくですから、と有無を言わせずに押し切られ、髪型も軽く弄られる。式を挙げることが決まっても伏見は髪を伸ばすことがなかったため、今もなおショートカットなのだが、スタイリストは器用にサイドを一房編み込みにすると、それを額に沿わせてピンで留めた。いつもは無造作な後ろ髪も撫でつけるようにして押さえ、露わになった耳にダイヤモンドのイヤリングを添える。ドレスがシンプルなデザインですから、ベールはマリアベールをお付けしてみますね、と端にレースがあしらわれている華美なベールを、これまたヘアピンで留められた。袖もストラップもないためデコルテが露わになるタイプのドレスなのだが、左の鎖骨あたりにある火傷の痕を隠すために、純白の大輪のコサージュをつければ、ネックレスをせずとも十分に華やかになる。自ら飾り立てておいて何なのだが、数々の花嫁のお手伝いをしてきたスタイリストでさえ、ほう、と見惚れるしかない。
「・・・帰りたい」
目の前の大きな鏡に映る自身をちらりと見て、伏見はすぐに手のひらで顔を覆った。そんな指先から肘までもグローブで包まれており、そのすべてが純白である。セプター4の青一色の隊服もどうかと思うが、これよりはマシだ。もうやだ死ねる。いっそ逃亡してやろうかと伏見が考えたとき。
「伏見さーん、まだですかー?」
フィッティングルームの扉が、明らかに期待に満ち満ちたと分かる声でノックされた。扉一枚隔てた場所にいる日高は、間違いなく大型犬のごとく尻尾を振って今か今かと伏見の登場を待ちわびている。そして、そんな彼を無下に出来ないほどには、伏見も彼のことを好いているのだ。例え言動には出さなかったとしても。
着替えが済んでいると気づいたのだろう。早く早くと急かす日高と、無言でドアを開けさせてなるものかと抵抗する伏見のやり取りは、横から割って入ったスタイリストという伏兵の所為で日高の勝利に終わった。ぎっと睨まれても意に介さないのは、いい仕事をした自負があるからだろう。フィッティングルームから転がるように飛び出る羽目になった伏見を、日高の逞しい両腕が抱き留める。慣れ親しんだフレグランスの香りに思わず顔を上げれば、がっちりと伏見と日高の視線がかち合った。見下ろしてくる目は真ん丸に開かれており、口も間抜けな形をしている。その割に大きな掌は伏見の背と腰を支えており、逃げ出そうにもそう出来ない。伏見は硬直するしか出来ず、ただひたすらに羞恥と戦っていたのだが。
「・・・何、で・・・おまえが照れるんだよ・・・!」
ぶわっと耳どころか顔面に首筋まで真っ赤になった日高に、伏見も釣られるように頬を紅潮させてしまう。
「だ、だって、伏見さん綺麗過ぎる・・・!」
それでも決して視線を逸らすことはせず、しばし赤い顔同士で見つめ合っていたが、うがぁ、と獣のように吠えて、日高は思い切り伏見を抱き締めた。何、と慌てふためく細い身体に、これでもかと幸せそうに頬擦りをする。
「伏見さん! 俺、絶対に幸せにしますから!」
うら若い新郎新婦の愛らしさに、スタイリストをはじめ周囲の人々が温かな笑みを浮かべた。
――そこで終われば何ら問題はなく仲睦まじいカップルのうふふあはは日高てめぇいい加減にしろ伏見さんマジ女神っすで済んだのだが、そうは問屋が卸さないのが世の中である。嫌がる伏見の姿をこれでもかと日高がデジタルカメラで撮影し、ついには動画まで撮り始めていたところに、その一報は届けられた。エレベーターから飛び降りてきた店員が、真っ青な顔で三階にいる全員に向かって告げた。
「あ、あの・・・! ば、爆弾・・・! テロリストが、道路に・・・っ!」
混乱しているのか要領を得ない言葉だったが、それでも瞬時に表情を改めた伏見と日高は、非番でも国家公務員、特に戦闘部隊に属する人間である。伏見が大股に店員に近づこうとしたが、長いドレスの裾が邪魔をして上手く歩けない。舌打ちして手探りで裾を持ち上げ、ハイヒールを鳴らして店員へと歩み寄る。日高もその背に続いた。
「爆弾ってどういうことだ? 誰が、どこで、何をしている?」
「落ち着いて、ゆっくりでいいんで」
「は、はいっ・・・! え、ええと、ば、爆弾を身に着けた男が、うちの店の前の歩行者天国で、自殺するって・・・! 周りを巻き込んでやるって!」
そこまで聞いて、ようやく事態を理解したのだろう。衣装選びに来ていた他のカップルの女性が短い悲鳴を挙げた。スタイリストたちも顔色を失くして右往左往し始める。伏見は忌々しげに舌打ちすると、すぐさま周囲に指示を飛ばした。
「全員、今すぐ一階へ移動しろ! エレベーターは止まる危険性があるから階段を使え! 誘導はあんたがしろ! 一階に降りたら裏口から出て、近くの公園でも何でもいいから、とにかく店から離れろ!」
指名されたのは伏見たちについていたスタイリストで、彼女はやはり動揺していたけれども、使命を与えられて従業員としてのプライドを思い出したのだろう。青い顔で首を縦に振り、「お客様から先に、どうぞこちらへ! スタッフはその後に続いて!」と非常階段への扉を開いた。泣きかけている恋人の肩を抱いて、男性が慌てて階段へと消えていく。他のカップルも我先にと向かおうとするため、日高が「危ないから走らないで!」と声を張り上げた。伏見はその間、正面の道路に面している窓を僅かに開き、外を検分する。大道路は休日であるため確かに歩行者天国となって解放されていたが、今は妙な空間が出来上がっていた。一台のワゴン車と、その前に立っているコート姿の男を中心に、人が輪を作っている。遠目にも男がコートの下に数多の爆弾を身に着けているのが見え、さっさと逃げろよ、と伏見は野次馬たちを睥睨した。そうしている間に客の避難が終了し、残すところ伏見と日高、他に数人のスタイリストのみとなっていた。
「伏見さん!」
「分かってる。屯所に連絡は?」
「しました! おそらくストレインじゃないだろうってことで、うちの出る幕はなさそうですけど」
「だからって警察が来るのを悠長に待つのかよ・・・。っつーか、この格好で逃げるのとか嫌過ぎるんだけど」
「緊急事態だから仕方ないっすよ」
日高が苦笑して手を差し出すが、伏見はそれを受けることなく自分でウェディングドレスの裾をたくし上げると階段を降り始めた。とはいっても露わになっているのは脹脛の部分だけで、膝は見えない。鞄は日高が持っているが、この分では店を出たときに嫌でも目立ってしまうだろう。緊急事態とはいえ、それは伏見自身許容しがたいことだった。店内の人間はすべてのフロアで避難が完了したのだろう。一階には先程誘導を任せたスタイリストと店長と思われる男性のみが残っており、ふたりは伏見たちに早口ながらも礼を告げ、裏口へと案内しようとした。その瞬間だった。爆発音と、野次馬たちのつんざくような悲鳴が轟いたのは。
「ちっ・・・! 行くぞ、日高!」
「はい、伏見さん!」
「お、お客様!?」
裏口から一転、正面入口へと駆け出したふたりに、スタイリストたちが慌てる。日高が振り向き、にっと歯を見せて笑った。
「大丈夫! 俺ら、ああいう奴を相手にするのが仕事なんで!」
そうして扉を開け放ち、ふたりは人で溢れる大通りへと飛び出した。伏見の纏うマリアベールが、太陽の光を浴びてきらきらと眩しく輝く。
レンタルブティック店の前は大通りになっており、十数メートルも行けばスクランブル交差点がある。その中央で爆発が起き、面白がって集まっていた野次馬たちが、今は阿鼻叫喚の悲鳴を挙げて逃げ惑っていた。腰が抜けて座り込んでしまった者も多く、余りの有り様に伏見の顔が激しく歪む。交差点の中央に停めてあるワゴン車のナンバープレートの平仮名は「わ」であり、つまりレンタカーだ。男は自身が身に着けている爆弾ではなく、小さな威嚇用のものを放って爆発させたのだろう。数メートル離れたアスファルトが黒く焼け焦げ、今なお煙をくゆらせている。あれ自体の殺傷能力は高くはなさそうだが、男が全身に身に着けている爆弾を一斉に爆破させたなら、被害は周囲に及ぶだろう。高く掲げられている手のひらが握り込んでいるのは爆破スイッチのようだ。その腕ががたがたと震えているのに気づき、だったらやるなよ、と伏見は忌々しげに吐き捨てる。
「おい」
「はい」
「俺が奴の注意を引きつける。おまえはその間に背後に回って、隙を見て捕えろ」
え、と日高が驚きの声を挙げる。伏見は逃げ惑う人波を掻き分けるように進んでおり、その盾になるべく日高が前に出ようとするのだが、邪魔だと腕で押し返された。犯人に見咎められたくないという思惑があるのだろう。
「それじゃ伏見さんが危険じゃないですか! あれくらい俺ひとりでも平気ですって!」
「サーベルも帯刀してないのにか? 俺の方がどう見たって囮に相応しいだろうが。何のためにこんな格好してると思ってんだよ」
「ええええ!? 俺のためですよね!?」
「試着は時間制だって言ったのはおまえだろ。さっさと終わらせて戻るぞ」
「っ、はい!」
命令に日高は言葉を呑み込み、気を付けてくださいよ、と念押しして人に紛れるように伏見の傍から離れていく。長身を屈めて動けば、この人々が動揺している空間だ。人目を引くことなく犯人の後ろ、ワゴン車の向こう側へ回ることが出来るだろう。そうして日高が絶好の場にスタンバイするまで、犯人に爆破スイッチを押させずにいさせることが伏見の役目だ。警察は歩行者天国に邪魔されているのか、パトカーの影はいまだ見えない。犯人の男は気弱なサラリーマンといった風体で、顔は青白く、頬はこけ、それでも目だけがぎらぎらと輝いている。今まで散々な扱いをされてきたけれど、最後に目に物を見せてやる、そういった間違った決意を抱いた犯罪者の顔だ。だったらひとりで死ねよ、と伏見は小さく吐き捨てた。何で俺たちの非番がてめぇなんかに潰されなきゃいけねーんだよ、と。
ハイヒールがアスファルトを叩いて、硬質な音を鳴らす。騒ぎの中心に近づけば近づくだけ座り込んでいる人が多くなるのは、生まれて初めて目にした爆弾の威力の凄まじさに腰が抜けたからだろう。子供が動けない母親の腕を懸命に引っ張りながら泣いていたし、彼氏を捨てて自分だけ逃げる女性の姿もあった。そんな中を伏見はまっすぐに歩いていく。抱えていたドレスの裾はすでに下ろした。アスファルトで汚れてしまうことは間違いないが、視線を引きたいのならこうするしかない。どうしたってこの場には不釣り合いな、上から下まで純白に染められている伏見の姿に、犯人が気づくのも早かった。窪んだ目が伏見を捉え、見張られる。伏見は何となく、こいつ恋人いないな、と失礼なことを思った。
「く、来るな! 来たらこいつを押すぞ!」
震える、というよりも半ば裏返った声で犯人が右手の爆破スイッチを高々と示してみせる。命令に従うわけではないが、伏見は歩みを止めてその場に留まった。犯人との距離は目算で約二十メートル。野次馬が作り出していた輪の先頭であり、伏見と犯人の間を遮るものはもう何もない。周囲でもちらほらと伏見に気づく人間が出てきたのだろう。何たって纏っているのがウェディングドレスだ。ベールにグローブ、そして僅かに見えるハイヒールの爪先さえも純白で、その清らかな衣装はどう考えたって今この場には相応しくない。足を止めてぽかんと見つめる人々も出てきており、もはや犯人の視線は自身と向かい合う伏見ひとりに固定されていた。だが、まだ時間を稼ぎたい。
「っ・・・!」
喧騒の中で、犯人をはじめ、確かに複数の人が息を呑んだ。ふわりと浮かべた笑みを崩すことなく、伏見は逆に深める。普段、職場や八田を前にしたときに見せる嘲笑するような、意地の悪い顔ではない。出来る限り純粋に、ただ優しく伏見は笑ってみせた。このウェディングドレスに相応しい表情になっていればいいと思うが、いまいち自信はない。それでも伏見は己の容姿が他よりも優れている自覚があったし、だからこそ犯人の油断を誘うために、優しく、美しい微笑みを作った。男のごくりと喉を鳴らしたのが分かる。
今の伏見ははっきり言って美人としか言い表すことが出来ない。伏見自身は己の姿を鏡で見たときに、それこそ手で顔を覆って余りの歪さに泣きたくなった。性格を知っていて、なお美人だと言える者がいたら眼科と精神科を勧めたいと心底思っている。だが、容姿だけなら極上なのは不服だが認めていた。問題は中身だから、伏見にとって自分自身は決して美人ではないのだけれども、容姿が優れていることは昔から理解していた。だからだろう。犯人が引っかかるのも早くて、逆に呆れすらしてしまう。
「お、おい、おまえっ!」
上擦った声に、うるせぇよ、と笑顔の下で吐き捨てる。
「お、おおお俺と結婚しろ! そ、そうすれば爆発は止めてやるっ!」
あ、こいつ童貞だな。伏見は脳内で勝手にそう決めつけた。けれども表情は殊更に微笑んでみせる。犯人の男は顔を真っ赤に上気させており、その気持ちの悪さに今すぐぶちのめしたくなったが、衝動を堪える。先程、視界の隅で日高がワゴン車の向こう側へ消えていくのが見えた。運動神経に問題はないから、割合とすぐに車体の上にでも現れるだろう。そのためにも犯人に後ろを振り向かれるわけにはいかない。
伏見は相手の気を引きつけるための二つ目の手段として、グローブに包まれた指先をそっとドレスに伸ばし、柔らかく摘まんだ。爪先しか見えていなかった白いハイヒールが、その姿を露わにする。追従して綺麗な形のくるぶしが、足首が静かに現れた。ゆっくりと持ち上げられていくスカートの裾に、犯人だけでなく、伏見に注目していた野次馬たちもが唾を呑み込む。ドレスの裾を摘まんで優雅に一礼、なんて淑女の仕草ではない。伏見が意識したのはストリップだ。純白のウェディングドレスとは正反対の、淫靡な行為。
先程、レンタルブティック店で階段を降りる時でさえも見せなかった膝が空気に触れる。伏見からは見えないが、中天に差し掛かる太陽の光を浴びて、おそらくストッキングが艶めかしく煌めいていることだろう。犯人は鼻息を荒くして、伏見の行動を食い入るように身を乗り出して見つめている。その背後、日高がワゴン車の上に姿を現した。持っていた鞄は当然ながらどこかに置いてあるのだろう。確認のためこちらを向いて、大きく目を瞠ったかと思うと、何やら真っ赤な顔でばたばたと両腕を振ってくる。上下に動くそれが自らの行為を止めるように訴えているのは分かるけれども、今更引くわけにはいかない。伏見が一瞬だけ鋭く睨めば、日高はぐっと背をのけぞらせて唇を噛んだ。そうしていつでも男に飛びかかれるよう、態勢を整える。
伏見の表情が刹那とはいえ微笑みを消したことにも気づけないくらいに、男は捲られるドレスに食いついているらしい。さて、そろそろ頃合いか。丈はすでに女子高校生のスカートに近くなっていた。太腿もすでに半ば以上が露わになり、日に焼けることのない内股の白さを周囲の目に焼き付けていることだろう。意識して優しくしていた唇の端を、伏見は思い切り吊り上げた。空気が変わったことに気づけたのは、この場では日高だけだ。今まで両手で緩やかに引き上げていた裾を、伏見は片手で大きく払った。ぶわっと純白のウェディングドレスが風に膨らみ、下着が見えたかもしれないが気にしない。右太腿のガーターベルトに挿していたナイフを一気に引き抜き、青の力を纏わせる。結婚しろだって? そんなのとっくの昔に。
「売約済みなんだよっ!」
投擲したナイフが、犯人が状況を理解するよりも先に、その手から爆破スイッチを弾き飛ばす。同時にワゴン車の上から跳んだ日高が、犯人の腕を背中に捻って拘束して抑え込んだ。駆け出していた伏見が懐に潜り込み、顎に掌底を食らわせる。純白のグローブ越しだろうとその威力は常と変わらず、脳震盪を引き起こして犯人は意識を失った。唇の端から泡を噴き、身体が地面に崩れ落ちる。万が一爆弾が暴発したら困るから、日高が受け止め、静かにアスファルトに横たえた。手首と足首をそれぞれ縛り上げれば完了だ。三十秒もかからない。
鮮やかな逮捕劇に、息を呑んで見守っていた群衆がようやく呼吸を取り戻してぶわっと歓声を挙げる。喜びの声に拍手喝采。老人の中には伏見と日高に向かって手を合わせて拝む者すらいて、交差点はまるでパレードのような盛り上がりを見せ始めた。ようやく遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえ始め、遅いんだよ、と思いつつ伏見はウェディングドレスの裾を見やる。
「あー・・・これは買い取りだろうな・・・」
散々アスファルトで擦った裾は、すでに純白を失って灰色だ。ドレスの相場がどのくらいだか知らないが、決して安くはないだろう。けれども日高はそんなことはどうでもいいのか、犯人から爆弾を剥がし終えると、両手で伏見の肩を掴んだ。マリアヴェール越しに厚い手のひらが訴えてくる。必死の形相の日高は、今にも泣き出しそうな、怒ればいいのか嘆けばいいのか分からない複雑な顔で叫んだ。
「っつーか伏見さん! あれ何なんですか! 何してんですか!? ド、ドドドドレスの裾捲り上げるとか、あんた本当に何してんすか!」
「あ? そんなのナイフを自然に取り出すための演技に決まってんだろ」
「そりゃ分かってますけど! 峰不二子みたいでエロくて格好良かったですけど! でもそうじゃないんすよ! 伏見さんの脚を見ていいのは俺だけなんすよ!」
「このドレス、室長に言ったら経費で落としてくれると思うか?」
「思います! って違うし! ちょっと聞いてます!? ああああああああ、もうっ!」
恋人としての訴えを無視してウェディングドレスの値段ばかりを気にする伏見に、日高は頭を掻き毟った。次の瞬間に感じた浮遊感に、伏見がぎょっとする。日高に抱きかかえられたのだ。所謂、お姫様抱っこ。膝裏に当たる逞しい腕は微塵も震えておらず、長いドレスもベールも絡め取って、確かにこれなら地面に着かず汚れることはないけれども。
「ばっ・・・! 何やってんだ、てめぇ! 今すぐ降ろせ!」
「駄目っすよ! 伏見さんは言っても聞かないんですから!」
伏見がもがこうにも、ドレスが邪魔で上手く逃げられない。日高は腕の中の恋人を見下ろして、先程までの不満を一転し、満面の笑顔になる。
「それに、ほら! 何か結婚式みたいじゃないですか?」
伏見を抱き上げたまま、日高がくるりとその場で一回転する。周囲を気にしない性質の伏見は、そこでようやく自分たちが数多の野次馬に囲まれていることを思い出した。事件の解決に喜んでいた人々が、今はふたりを祝福するかのごとく温かな拍手を送ってきている。結婚おめでとう、お幸せに、なんて声がいくつも飛んできて、ぶわっと伏見は全身を真っ赤に染め上げた。日高が照れながらも、そんな伏見の額にキスを落とせば、群衆が一層盛り上がって口笛まで吹いてくる。
「幸せになりましょうね、伏見さん!」
ぱくぱくと、もはや言葉すら出ない伏見に、日高は幸せ満面の顔で笑う。それは二人の仲が都内に限らず、全国規模で公認された瞬間だった。
何故全国規模で公認されたかは後編をお読みくださいませ(^o^)丿
2013年6月11日