(注意)
このお話は、2013年2月3日「K」オンリー「King of colors Winter」でお送りした伏見君本「Allways With You」の基盤となった裏話です。本自体は、セプター4で情報課から特務隊に異動してきた伏見君がその才能を認められ、元吠舞羅ということが知られて距離を置かれ、けれど理解されて居場所を得るまでのお話でした。それらの始まりとなったシーンをお送りします。実はこういう経緯があったんだよ、という感じです。
Allways With You
からん。カウベルが乾いた音を立てて、バー『HOMRA』に客が来たことを知らせる。
まもなく日付も変わろうとしており、アルコールを扱うバーはこれからが営業時間といったところだが、今日の鎮目町は生憎と厳しい雨に見舞われていた。軒下から一歩踏み出そうものならたちまち濡れ鼠になりそうな激しい雨脚は、そのままに客足までも鈍らせている。
ウィスキーを振る舞う相手もおらず、カウンターの内側で静かにワイングラスを磨いていた草薙出雲は、顔を上げて入り口を見やった。そうして唇に笑みを浮かべ、グラスとクロスを置く。
「おこしやす」
柔らかな響きの京言葉に、客はコートの肩についた雨粒を振り払ってから、微笑みひとつで挨拶を返した。眼鏡の薄いレンズ越し、切れ長の眼がゆるりと細められる。脱いだコートを片手に抱えてバーの中を横切れば、かつん、かつんと靴底が木の床を鳴らした。凛としたそれは数歩で止み、代わりにカウンタースツールが小さく軋んで体重を受け止める。
「マティーニを」
「かしこまりました」
「あんこは抜きでお願いします」
付け加えられた注文に苦笑しながら、草薙はジンとベルモットの瓶を手に取った。
「お久し振りです、宗像さん」
カウンターの隅の椅子に腰かけていた十束多々良が、客――宗像礼司に向かって軽く頭を下げた。にこにことした穏やかな笑顔に、宗像も同じように言葉を返す。
「久し振りですね、十束君」
「お仕事で忙しいのに、わざわざここまで足を運んでもらってすみません」
「構いませんよ。何せ、他でもない周防の頼みですから」
ちらりとソファーに視線を走らせて、宗像は僅かに意地悪く笑みの種類を変える。
「赤の王に、借りを作っておくのも悪くありません」
「言われてるよ、キング」
「・・・うるせぇ」
「尊、愛想良くせぇとは言わへんけどな、青の王の機嫌を損ねるのだけはあかんで。『お願い』があるんやろ?」
どうぞ、おあがりやす。ステアして出来上がったマティーニをカクテルグラスに注ぎ、オリーブを添えて宗像の前に置く。ありがとうございます、と宗像はグラスを持ち上げ、その縁に唇を着けた。
優美な仕草だ。それだけで絵になるが、時間をかけて行われる所作は彼が見た目通りの優男ではないことを知らせるには十分過ぎる。十束が苦笑し、草薙が肩を竦めた。
マティーニを飲み干し、宗像は空になったグラスをカウンターに置いた。そうしてスツールを回転させて、ソファーにいる周防尊と相対する。沈黙がバーを満たした。窓の向こう、夜更けの闇の中でアスファルトを叩く雨の音だけが聞こえてくる。
「・・・おまえに、預けたい奴が一人いる」
周防の言葉に、宗像は表情から色を消した。人形のように整った無機質な顔で、推し量るように周防を見下ろす。
「赤のクランズマンだ」
「預けたい、とは?」
「あいつが戻りたいと言ったら、そのときは吠舞羅に戻せ」
「一時保育ですか。セプター4は託児所じゃないんですがね」
宗像は冷ややかに告げるが、周防はまっすぐに見て来るだけで何も言わない。元々冗談を言うような男ではないが、やはり軽口ではないらしい。それに、戯れに出来る話でもない。クランズマンが、クランを移るだなんて。一度選んだ王を変えるなど、そう簡単に出来ることではない。ましてや当の王同士がそれを相談し合うなど、笑い飛ばしたくなるほど滑稽な話だ。けれど、周防は本気で説いている。
「・・・そのクランズマンの名は?」
宗像は呆れた溜息を吐き出した。けれどそれもすぐに、怪訝なものにとって代わることになる。
「伏見」
「伏見? 吠舞羅の伏見といえば、ヤタガラスと並ぶ斬り込み隊長でしょう。そんな人物を手放すと?」
馬鹿なことを、という宗像の言葉に、十束が笑って口を挟む。
「その馬鹿なことをお願いしたいんだ。駄目かな、宗像さん」
「そうですね、まずは理由を聞かせてもらいましょうか」
「うーん・・・。何だろうね。何て言うか、言葉で表現するのは難しいんだけど、でも、多分」
惜しんでいる声音で、十束が語る。
「『伏見は吠舞羅に合わなかった』――それが、唯一にして最大の理由かな」
空のカクテルグラスを草薙が回収していく。宗像は周防から視線を外し、十束を振り返った。はは、と十束は乾いた声で笑う。
「もちろん、伏見は凄く良い子だよ。とは言ってもうちに属するくらいだから、素行が良いとはお世辞にも言えないけどね? でも、自分から問題を起こすような子じゃない」
「吠舞羅の参謀、草薙の秘蔵っ子だと聞いていますが?」
「せやね。頭が回るし、どないなときでも冷静に思考できる奴や。計画練るのも指示を飛ばすのも得意やし、ハッキングなんかの情報処理に関しては、うちでも右に出るもんはおらんやろ」
「それほどの優秀な人材を手放すと?」
「それがキングの決断だから」
十束が深く頷く。宗像は再び周防を見やった。
気だるげな様子を隠そうともせずソファーに身を落としている男が、どんな人物なのか。青の王として、互いに等しい立場に身を置く者として、宗像は正確に把握している。だからこそ知っているのだ。周防は、気に入らない輩をクランズマンにしたりなんかしない。気に入った輩しか己の傍には置かない。それなのに彼は伏見を手放そうとしている。
「おまえはそれでいいのか?」
宗像は問うた。周防が伏見を己のクランズマンにしたのなら、その行為にはそれに相応しい理由があったはずだ。力の強さは、それすなわちクランズマンと王の相性でもある。その点でも、斬り込み隊長を務めるほどに力を開花させた伏見は、周防と相性が良かったはずだ。そこまでしてなお、どうして伏見を手放すのか。
問うた宗像に、周防は緩く頭を左右に振った。獣が眠気を吹き飛ばそうとする、そんな所作だった。
「・・・あいつは俺より、おまえみたいな奴の傍の方がいいだろう。何も好き好んで息苦しい場所にいることはねぇ」
「本人がそれを望んでも?」
「ぐだぐだうるせぇな。要るのか要らねぇのか、どっちかにしろ」
「そうですね」
ふむ、と宗像は考える振りをして腕を組み、顎に指を添えた。周防の苛立たしげな視線を気にすることなく、素知らぬ顔で壁の古びたポスターなんかを眺めてみる。十束と草薙の苦笑する気配を感じながら、宗像は思考した。そうして三十秒後、優美な笑みを唇に載せる。
「いいでしょう。伏見猿比古君はセプター4で預かります」
「ありがとう、宗像さん」
「ですが、これは私が彼をセプター4に勧誘し、イエスの返事がもらえた場合です。彼自身が吠舞羅にいたいと言ったら私は手を引きます」
「ああ、それでええ。十分や」
「それと、うちの居心地が良過ぎるあまり伏見君が帰りたがらなくなっても、それは私の責任ではありませんので文句は言わないでくださいね」
笑いながらスツールから立ち上がり、宗像はマティーニの代金をカウンターに置いた。釣り銭が要らないちょうどの額に、今日はうちが呼んだんやしいらんよ、と草薙が言えば、ふふ、と笑みが返される。
「優秀なクランズマンを頂くんですから、これくらいはお支払いしますよ」
「・・・ほんま、えらい戦力ダウンやわ。伏見はうちでは貴重な頭脳派やったからなぁ」
「その分、私の力になってもらいますからご心配なく」
コートを着込む宗像は、どこからどう見ても隙がなく整っている。吠舞羅の本拠地に来ることを考えてか、それとも単純に勤務時間外だからか、コートは彼の代名詞である青色ではない。私生活で纏っているらしい和服でないのは、天気が雨だからか、それともこの密談のために人目を避けようとしたからか。
こつん。歩き出すと、また凛とした音がバーに響く。けれども宗像は来店したときとは異なり、途中で立ち止まるとテーブル越しにソファーを見下ろした。
「・・・残念だったな」
そのときの宗像の顔は、十束と草薙からは見ることが出来なかった。ソファーに座っている周防は表情を変えなかったけれども、宗像を見上げることはなく、何も置いていないテーブルをただ眺めていた。コートの裾を翻し、宗像がバーを出ていく。おおきに、と草薙がその背に二重の意味で感謝を告げた。
扉が開いた僅かな時間、降り続く雨の音がリアルに入り込んでくる。周防がソファーに横になり、靴を履いたままの足を投げ出した。
「キング、本当にいいの?」
宗像は「伏見がセプター4を選んだら」と言っていたけれども、そうなるだろうことは、すでにこの場にいる三人ともが確信していた。もはやそこまで来てしまったのだ。零れ落ちてしまった砂は戻らない。灰はどんなに握り締めようとも手のひらから溢れるだけだ。
返事をせずに目を閉じ、眠る態勢に入った周防を眺め、十束は「あーぁ」と声を漏らした。
「結局、伏見とは仲良くなれなかったなぁ」
呟きに草薙はそっと目を伏せ、磨き途中だったワイングラスに手を伸ばした。窓の外では未だ雨が激しく降り続いている。
本は完売しました。どうもありがとうございました!
2013年5月16日(pixiv掲載2013年1月23日)