セプター4は伏見さんの私生活改善を試みたいと思います。(学習能力編)
秋山の手作り弁当、日高と食堂、弁財の差し入れ、道明寺と外食、榎本とコンビニ、加茂と食堂、アルファベットの数だけ以下略。とにかくそんな風に隊員に管理される形で伏見の昼食はローテーションすることになった。完全に手を回されていると理解したのだろう。伏見は嫌な顔を隠そうともしないが、そんなことに負けてはいられないと一致団結したセプター4の決意は固いのである。文句があるなら自分の食生活に言ってください。道明寺のそんな言葉に伏見は舌打ちをひとつ返し、抵抗することを止めた。それすら面倒くさいと思ったのかもしれないが、隊員たちにしてみれば伏見が食事をとる、その結果がすべてである。
「この中で韓国語に造詣の深い者はいる?」
本日は秋山手製のちまき弁当を振る舞われ、野菜が必要最低限しか入っていないそれを伏見が幾分か機嫌よく食べていたところに淡島はやってきた。執務室のドアを開いて室内を一瞥し、言われたのが上記の台詞である。仕事をしていた半数、部屋の片隅のテーブルで昼食を取っていた半数、すべての隊員が振り返る。彼らに対し、副長である淡島は再度同じ台詞を繰り返す。
「この中で韓国語を喋れる者は?」
「・・・確かこの前、榎本が韓流にはまってましたけど」
五島の言葉に、淡島も含めた全員の視線が榎本へと向けられる。ぴゃっと飛び上がった榎本は持っていたサンドイッチを慌ててテーブルに置いた。
「はまったって言っても字幕付きのドラマを見ていたくらいなので、喋るのは無理です・・・!」
「そう。他に、大学で韓国語を履修した者は?」
隊員たちはお互いに顔を見合わせ、ふるふると首を横に振る。セプター4はこれでも一応国家公務員だ。ほとんどの者が大学、あるいは高校を卒業してから国家試験を受け、仕事の都合上身体能力試験を受け、更に「青の王」である宗像直々の面接に合格した者のみがセプター4に属することを許される。つまりそれなりの学歴を有している者ばかりなのだが、所詮大学の第二外国語は第二外国語だ。本気で言語をやっている者が戦闘メインのセプター4への就職を希望するわけがなく、それ故喋れてもせいぜいが英語くらいのものだった。もちろん中には中国語やフランス語を操る宗像のような例外もいるが、彼もさすがに韓国語は範疇外だったのだろう。名乗り出る者がいないのを確認し、仕方ないわね、と淡島は溜息を吐き出した。そして視線を移して口を開く。
「伏見、昼食が終わってからでいいので室長のところへ」
「ちっ! ・・・分かりました」
嫌だ面倒くさいという印象を押し出しながらも命令には頷いて、伏見はちまきを箸で口に運ぶ。隣では秋山が甲斐甲斐しく、温かい烏龍茶を注いで渡していた。
午後一番で億劫そうな背中を弁財が送りだし、伏見は宗像の執務室へと向かった。今日も今日とて異能者が大人しくしてくれているため、セプター4はのんびりと仕事をすることが出来ている。十五分ほどしただろうか。かちゃ、という音に何人かが顔を上げると、扉を開けて伏見が入ってくるところだった。室長の用件が済んだのだろう。伏見は自身の頭を掻いた後、榎本、と部下の名を呼んだ。
「は、はい。何でしょうか、伏見さん」
「仕事が終わったら、おまえの持ってる韓流ドラマのDVD、全部俺の部屋に持って来い」
「・・・伏見さん、韓流お好きでしたか?」
「好きじゃねぇよ。無駄口叩くな。仕事終わったら飯食う前に持って来い。いいな」
「はい。分かりました」
榎本は首を傾げながらも上司の命令に頷いた。伏見が韓流に興味ないだろうことは、榎本でなくても察しが付く。というか、そもそも流行の事柄をしっかり知っているくせに大した興味を示さないのが伏見だ。あくまで知識として備えているだけで、自分に活用しようとはしないらしい。そういうところでも伏見さんって無趣味だよな、というのがセプター4内における評価である。とにかく、これ以上突っ込んで聞いても伏見は機嫌を悪くするだけで何も話してくれはしないだろう。そう察したため、隊員たちは余計なことは言わずにもくもくと仕事に打ち込んだ。
ぴんぽーん、と榎本はチャイムを鳴らした。応答はないが、少しの間の後で内側からドアが開かれた。出迎えたのは当然ながら部屋の主、制服から部屋着に着替えた伏見である。ウニクロだ。どう考えてもウニクロにしか見えない、非常にシンプルなグレーのスウェット上下だ。サイズが大きいわけではなく、身長に合わせたら横周りが余ってしまうのだろう。些かだぼっとしたスウェットに身を包んだ伏見は、もうどこにでもいる大学生にしか見えない。とてもじゃないが国家機関の第一線で働く優秀な公務員には見えなかった。
「どーぞ、上がってください」
「あ、はい。失礼します」
伏見は現場では上司、もしくは指揮官の面を押し出すために、年下の部下たちに対して対等な口利きをする。執務室では半々で、仕事を離れれば基本的に敬語だ。態度は変わらず不遜だけれども、最低限の礼節はきちんと弁えている。初対面での印象は悪くても、そういうところを知れば嫌いにはなれないんだよな、と考えながら榎本はスニーカーを脱いで初めて伏見の部屋へと足を踏み入れた。
「あの、伏見さん。これ」
「あ?」
「プリンなんですけど、間違って買い過ぎてしまったので一緒に食べてもらえませんか?」
榎本はそう言ってプリンの入ったビニール袋を差し出す。もちろんこれは買い過ぎたものではない。仕事が終わったらすぐに来いと言われたため買いに行く暇はなかったが、そこは伏見の食育を行っているセプター4だ。夜勤入りの隊員にメールして買ってきて貰ったものを、榎本が持ってきたのである。本当なら弁当でも差し入れするべきなのだろうが、それは不自然だろうということでプリンで妥協された。とにかく伏見さんに食べさせる、これが今のセプター4のモットーである。
「・・・どーも」
伏見自身も、最近食生活をコントロール、もしくは餌付けされている自覚があるのだろう。目を平らにしながらも、とりあえずはプリンを受け取る。任務を果たせたことにほっとしながら、榎本はちらりとキッチンに視線を走らせた。冷蔵庫は本当になかった。電子レンジもトースターも炊飯器もやはりなく、片隅のコンビニの袋からはカロリーのメイトさんが顔を覗かせている。今年の忘年会の景品は冷蔵庫かな、と榎本は思った。裏工作して伏見さんに当たるようにしないと、と考えながらワンルームの部屋に通される。
ぱっと目に入ったのはベッドだった。それと、フローリングの床に開いたまま放置されているノートパソコン。充電器に刺さっているタンマツ。積み重ねられていたり崩れたりしている本の山。ベッドに放り投げられている青い制服。窓にはカーテンすらついていない。駄目だ、この人。早く何とかしないと。いつかの道明寺と同じことを榎本は感じた。物が少なく、殺風景すぎる。テレビなどの娯楽や趣味の類が見当たらず、伏見さん、あなた日頃の楽しみって何ですか、と思わず聞きたくなってしまうような有り様の部屋だった。
「適当に座ってください」
伏見はそう言って、自らフローリングに腰を下ろす。何度も言うが、伏見の部屋には必要最低限のものしか存在しない。つまりクッションや座布団といったものもなく、伏見はその細く骨ばった身体で直に床に座るのだ。見てるこっちが何だか痛い。誕生日でもクリスマスでもバレンタインでも、この際商店街のくじ引きで当たったから、なんて見え透いた理由でもいいから今度クッションを差し入れしよう。榎本はそう思いながら、同じように座った。そうして片手に持っていた紙袋を差し出す。伊勢丹の袋だ。
「伏見さん、言われた通り韓流のDVDをお持ちしましたけど・・・」
「ああ、すいません。ってか、あんた結構持ってますね」
「お恥ずかしながら、はまると揃えたくなる性質でして」
呆れた様子で伏見が紙袋の中を覗きこむ。ご婦人方に人気のある韓流に榎本がはまったのは、もう一年近く前のことだ。それ以来テレビでやっているドラマを録画したり、映画をレンタルしたりを繰り返していたのだが、それがどうやら役に立つ日が来たらしい。何に役立つのだかは知らないけれども、伏見はDVDを取り出して物色を始めている。パッケージの裏に書かれているあらすじに目を通し、気が付いたようにプリンを一個榎本へ渡してくる。ありがとうございます、と礼を言って受け取った。
「どれが一番面白いですか? あんたの意見でいいんで」
「え? えっと、そうですね・・・現代物と時代物がありますけど、どちらが好みですか?」
「現代物」
「じゃあこれかこれか・・・」
記憶喪失を絡めたどろどろの恋愛物と、オフィスの陰謀蠢くどろどろの恋愛物と。どちらにせよラブストーリーを二本提示すれば、伏見は嫌そうな顔でオフィスラブの方を手に取った。パッケージからDVDを取り出し、パソコンへとセットする。DVDを持って来いと言ったのに、どうしてそんな嫌そうな顔で見るのだろうか。榎本は疑問に思ったけれども、伏見に習ってベッドを背もたれにし、プリンの蓋を開いた。ぷるぷるプリンととろーりプリン。伏見さんの好みはどっちか見て来い、と同僚から指令を受けていたのだが、とろーりプリンが榎本の手にあるということは、伏見はぷるぷるプリンの方が好みだということだろう。
音楽を奏でてドラマが再生される。日本人声優の声では作品の雰囲気が変わってしまうと榎本は考えるため、ドラマはどれも字幕スーパーだ。耳に入ってくるのは韓国語の発音で、パソコンの小さな画面に日本語訳が綴られている。榎本にしてみればすでに何度も見ているため些か退屈を感じ、くるりと室内に視線を走らせる。目に入ったのは山積みにされている本だった。タワーを作っており、一部は崩れて海になっている。
「伏見さん、あの本を見せてもらってもいいですか?」
「あ? あー、どうぞお好きに」
ドラマから視線を外さずに、答えだけで了承が返ってくる。空になったプリンの器を床に置き、榎本は膝立ちで本の山へと近づいた。わざわざ立ち上がって歩くほど広くはないのが社員寮というものである。本来なら二人で使う部屋を一人で使っているため、これでも伏見の部屋は広いくらいだ。物がなくて閑散としているから尚更である。というか、伏見さんは誰かと相部屋して食生活を管理してもらうべきなんじゃ、と思いながら榎本は大量の本と向き合った。背後からは韓国語が聞こえてくる。
乱雑に纏められている本の背表紙を見て、榎本は少し驚いた。そのどれもに図書館所有のシールが貼ってあったからである。試しに一番上の本を手に取って開いてみれば、中には区立図書館の文字とバーコード、蔵書ナンバーが刻まれていた。どうやら、これらはすべて図書館から借りてきたものらしい。伏見と図書館。何だか縁遠い二つのような気もするが、本はそれなりに値が張るため、買うよりも借りた方が得だと考えたのだろう。そう考えれば伏見らしいとさえ思えてきて、榎本は崩れている本を一冊ずつ手に取り重ねていった。何とはなしにタイトルを読んでいく。
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・・・伏見さんは、これで何で無趣味なんだろうか。むしろこれだから無趣味なんだろうか。榎本は本を綺麗に積み上げきった後に、ふと諦観めいた眼差しで部屋の主を見やった。伏見のことだから、気が向いただけ、という借り方はしないだろう。持って帰ってくる手間と再度返しに行く手間を考えれば、そんな面倒なことはしないに違いない性格をしている。つまり、この本はきちんと意図して選び出して借りたのだろう。伏見さん、あなたどうして不思議人。榎本は遠い目をしながら「無線通信の基礎知識電波と無線通信に憧憬とロマンとを感じるあなたへ」を手に取り、ページを開いた。
次に我に返ったとき、榎本は時計を見ようとしたけれども周囲にそれらしいものはなく、慌てて自身のカーディガンのポケットを漁ってタンマツを取り出した。時刻はすでに二十二時を過ぎ、まもなく二十三時に差し掛かろうとしている。本が意外と面白くて没頭してしまったが、流石にこれは居座り過ぎだろう。仮にも上司の部屋だ。榎本が焦って振り向けば、伏見は最後に見た体勢のまま相変わらずつまらなさそうにパソコン画面に向かっていた。韓国語が相変わらず流れている。
「ふ、伏見さん! すみません、長居してしまって・・・! あの、DVDはいつでもいいので」
見終わったらでいいので、と榎本が言えば、伏見は僅かに視線を上げて「おまえいたの」といった表情を浮かべた。
「別に。あんた静かだから気にならなかったし」
「プリンのゴミ、捨てておきますね。ちゃんと夜も食べてくださいよ?」
「あー」
駄目だ、これ。食べないな。榎本はそう思ったが、すでに時間は二十三時だ。これから食べて伏見が胃もたれでも起こそうものならそれも大変だし、とりあえずプリンは食べたので良しとしよう。自分自身を納得させて、榎本はフローリングにそのままになっていた空のカップを片付ける。ちらりと画面を覗き見てみれば、ドラマはようやく中盤といったところのようだ。全十二回なので、すべてを見るには徹夜しなくてはならないだろう。けれど伏見は明日も日勤だし、流石にそこまで無理はしないに違いない。何より、伏見のつまらなさそうな表情がそれを物語っている。そんな退屈そうな顔をするくらいなら見なければいいのにと思うが、何か理由があるのかもしれない。
「じゃあ伏見さん、失礼します。おやすみなさい」
「おやすみ」
玄関から一礼すれば、ひらりと手を振り返された。サンダルを履いて外に出れば、内側から鍵の閉められる音はしない。あの人、ちゃんと鍵かけて寝るかな。寝るよな。まぁこのセプター4の職員寮に強盗に入るような無謀な輩はいないだろうが。軽いゴミ袋をぶら下げて、榎本は一階下の自室へと戻った。夕飯どうしよう、なんて考えながら。
そして翌日。始業と共に室長である宗像が、特務隊の執務室を訪れた。全員が起立して姿勢を正す。伏見だけは相変わらず気怠そうだったけれども、カフェオレのカップを置いて立ち上がりはした。その様子を見やって微笑ましそうに笑い、宗像は話し始める。
「今日は韓国から防衛庁幹部の方が見学に来ます。対応は主に私がしますので、皆さんは通常通り業務に従事してください」
この部屋も少し覗くかもしれませんので、まぁそのときにちゃんとしていてもらえればいいですよ。宗像の言葉に、隊員たちは胸を撫で下ろした。対能力者組織の最前線として対処に当たっているセプター4に視察団がやってくるのは珍しいことではない。こうして当日に連絡されるくらいだから、今日は本当に大した視察ではないのだろう。時には事件の現場までやって来られたりするので厄介だったりもするのだが、事務仕事をちらりと見られるくらいならまだマシだ。今日は何も起こりませんように、と隊員たちは心中で祈る。
「それでは伏見君」
「はぁ」
「今日は一日お願いしますね」
「はぁ」
おや、と隊員たちが思っているうちに、伏見は残っていたカフェオレを飲み干してから席を離れて宗像へと近づく。代わりに後ろに控えていた淡島が、執務室にある自身のデスクへと向かった。ああ、今日は伏見さんが室長付きなのか。淡島不在のときなど、伏見が宗像のサポートに回るのは少なくないことなので、隊員たちは納得して執務室から出ていく二人を見送った。お偉いさんの相手をさせられるなんて伏見さんも気の毒に。そのときの隊員たちの考えはその程度のものだった。
しかしそれらが打ち破られたのは、宗像が伏見を伴った正確な理由が明らかになったのは、昼食時のことだった。
「俺は今! この衝撃をどう言葉にすればいいのか分からない!」
屯所の前にあるコンビニまで買い出しに行っていた道明寺がテンション高く戻ってきたかと思うと、非常に楽しそうな顔で喋り出す。
「伏見さんが韓国語の通訳やってた! あの人マジ、何者!」
「・・・は?」
きょとん。そんな空気が執務室に広がった。今日の伏見の昼食管理担当は五島なのだが、室長やお偉いさんと一緒に会食らしいのできちんと摂取できるだろうから良しとしている。問題は伏見の好き嫌いの多さだが、そこらへんは伏見も上手くやるだろうし、お偉いさんが余所見でもしているうちに宗像がぺろっと食べてあげるに違いない。それにしたって。え、何?
「・・・伏見さんが韓国語?」
「そう! 今食べに出る室長たちを見かけたんだけど、伏見さんが通訳してんの! アンニョンハセヨー! カムサハムニダー!」
「伏見さんって韓国語喋れたんだ?」
「すっげ。あの人事務や戦闘だけじゃなくて、そういうのもいけるんだ?」
「いやでも昨日、副長が『韓国語を喋れる人』って聞いたときは手を挙げていなかったような・・・?」
秋山が首を傾げて振り返れば、自身のデスクで弁当を食べていた淡島が顔を上げる。流石に食堂で売っている鶏のから揚げ弁当にあんこがトッピングされていることはなかったが、その横にあるコンビニスイーツのロールケーキが餌食になるのは想像に容易い。そうね、と箸を置いて淡島が答える。
「私も伏見が韓国語を喋れることは知らなかったけれど、室長はご存知だったみたいね」
「へぇ」
「『伏見君に任せましょう』と言っていたから。昨日、伏見が昼食後に室長に呼ばれていたでしょう? あれも今日についての話だったのよ」
「なるほど、そうなんですね」
「っていうか、伏見さんどんだけチートだよ」
「あの人本当に仕事が出来るよな」
わいわいきゃっきゃと隊員たちが話し始める中で、榎本だけは唯一首を傾げていた。彼にはどうしたって伏見が韓国語を喋れるようには見えなかったのである。昨日DVDを見ているときも字幕を目で追っていたようだったし、韓流ドラマにも特別興味があるようには思えなかった。うーんうーんと榎本は不思議に思うけれども、彼も午後、たまたま出歩いた廊下で伏見の姿を見かけて納得せざるを得なかった。宗像の言葉を訳して伝える伏見は、それはそれはとても流暢に韓国語を操っていたのである。
しかし、彼らは伏見猿比古という人間を知らなかった。まだ、その奥底を知らなかったのである。お偉いさんが帰ったことで解放されたのだろう。四時過ぎに特務隊執務室に戻ってきた伏見は、疲れた様子で椅子を引いて座る。すかさず弁財がブラックコーヒーを注いで差し出した。
「お疲れ様でした」
「・・・視察するなら金出せっての」
他国のお偉いさんを相手に少なからず猫を被らなくてはならなかったのだろう。ち、という舌打ちと共に辛辣なことを言って、伏見はコーヒーを啜る。報告書をぺいっと横に追いやって、日高が身を乗り出してきた。
「それより伏見さん! 韓国語喋れるんですね!」
「はぁ? 喋れねーよ」
「へ? だってさっき、宗像室長の通訳やってたじゃないですか」
俺たち見てたんですからね、と言えば、ちっと舌打ちして伏見はマグカップを置く。
「あんなの付け焼刃に決まってんだろ。何のために昨日、榎本から見たくもない韓流ドラマを借りたと思ってんだよ」
「・・・え?」
ああ、やっぱり見たくなかったんだな。榎本は頭の隅っこでそんなことを考えるけれども、隊員たちはぽかんとするしかなかった。伏見はそんな部下たちに気づかないのか、パソコンの電源をつけるでもなく、机に転がるボールペンを弄ぶ。
「韓流ドラマを一本ちゃんと見りゃ、誰だってそこそこ話せるようになんだろ。室長も前もって言えっつーんだよ。昨日の今日とか馬鹿なこと言いやがるから徹夜する羽目になったじゃねぇか」
「伏見、言葉が過ぎるぞ」
「そりゃーすいませんでしたー」
淡島の注意に、伏見はわざとらしく肩を竦める。え、と今度こそ隊員たちは榎本も含めて呆然とするしかなかった。
「・・・韓流ドラマで韓国語を勉強したんですか?」
「そうだって言ってんだろ」
「・・・一晩、徹夜で?」
「室長のおかげでな」
「・・・学校とかで学んだんじゃなくて?」
「おまえら俺の学歴知ってんのか?」
秋山の、日高の、道明寺の質問を、伏見は鼻で嘲笑った。
「俺の最終学歴は中卒だ。どこに義務教育で韓国語を教える学校があるんだよ」
全部独学に決まってんだろ。足りない頭で考えろ。はん、と嫌みたらしく笑って、伏見は空になったマグカップを隣の弁財の机に置いた。
「副長、室長から許可貰ってるんで今日は帰ります」
「業務のための徹夜なら仕方ないわね。お疲れ様」
「お先です」
立ち上がり、ひらりと制服のコートの裾を翻して伏見が去っていく。くぁ、と欠伸を噛み殺すことなく、目元を擦る様は確かに眠そうだった。もしかして、榎本が昨日部屋を辞したあれからも、伏見はずっと韓流ドラマを見続けていたのだろうか。非常に退屈そうだったけれども、耳から入ってくる韓国語と字幕で流れる日本語を照らし合わせて、単語や文法、活用を識別し暗記していたのだろうか。それは、何て、チート。
「そういや伏見さんって中卒だった・・・!」
今更ながらのことを再認識させられて、日高が頭を抱えた。伏見は中学を卒業してすぐに吠舞羅に入ったらしく、進学はしなかったらしい。約一年半吠舞羅に属していた後は宗像に誘われてセプター4に移ったとのことで、つまり大学は愚か高校に在籍したこともないという。最終学歴は中学。では、あの、セプター4の情報班に革命を起こしたと言われているプログラミングをはじめとした幅広い専門知識、社会人としての一応のマナー、報告書の書き方など実務全般はすべて。
「独学ってことかよ!」
「嘘だ! 嘘だー!」
「独学であそこまで出来るようになる人間がいてたまるか!」
「あの人どんだけチートなんだよ!」
「さすが伏見さん・・・」
うわああああああ、と執務室は喚き声で埋め尽くされ、それは淡島が「うるさい!」と怒鳴るまで続いた。榎本もがっくりと机に項垂れる。自分が楽しむしかしなかった韓流ドラマ一本で、伏見は韓国語を喋れるようになるのだ。人間って、やっぱり頭の出来に左右されるのかなぁ。榎本は顔を覆ってさめざめと泣いた。おそらく、あの部屋の片隅に積まれていた雑多ジャンル過ぎる図書館の本たちも、伏見が自分の知識量を増やすために借りてきたものなのだろう。きちんと読んで自分の糧とし、そうして今の出来る男・伏見猿比古が作られているのなら、もう感嘆するしかない。若くして自分たちの上司になるだけのことはある。学歴ではない。自分に何が必要なのか判断して、そして身に着けることの出来る人なのだ。
「伏見さん、尊敬します・・・!」
駄目だ、あの人、本当に凄い。でもちゃんと寝てください。セプター4の面々は、こうして伏見への敬愛の念をさらに強めたのだった。
公式で中卒ですよね、伏見君。でもあれだけ優秀って・・・どんだけチート。頭がいいって言うか、賢いんだろうなぁ。
2013年5月16日(pixiv掲載2013年1月3日)