「見つけたわ。あたしの運命のボウヤ!」
右手の親指と人差し指で作っていた丸から目を外し、女はうっとりと歓声を挙げた。緩やかなウェーブを描く髪を背中に払う。鮮やかな緑が波のように輝いた。女の視線の先には、雑踏の街並みを歩いているひとりの男がいる。青い隊服に身を包んだやる気のない怠惰な姿。それはセプター4のナンバー3、伏見猿比古だった。





K捏造二期:Krieg





だん、と机を叩いたのは誰だったか。少なくとも胸中は誰もが皆同じだったに違いない。ただ口に出すか出さないか、それだけの差でしかなかった。
「嘘だ・・・! 伏見さんがセプター4を裏切ったなんて! そんなの何かの間違いに決まってる!」
「事実だ。認めるしかない。・・・いや、認めなさい」
淡島が務めて冷静に、厳しく反論を封じるけれども、彼女自身割り切れていないのは一目瞭然だった。細い眉根が寄せられ、その表情には信じられない、信じたくないという思いが如実に浮かんでいる。それでも現状を見る限り、そうとしか考えられないのもまた事実だった。
「・・・今朝、室長室に辞表が置かれていた。そこには伏見の直筆で、一身上の都合によりセプター4を去る、と」
「っ・・・!」
「タンマツも置いてあったため、事情を聞こうにも連絡が取れなかった。けれどつい先程、情報班の探索により見つけることが出来た」
「伏見さんは今どこに・・・!?」
「――伏見は」
ぎり、と奥歯を噛み締め、手のひらをきつく握り込んで皮膚に爪を立てながら、淡島は口にした。情報班が街の防犯カメラから拾い上げてきた、一枚の映りの悪い写真を思い返して。荒い画像の中でもはっきりと見て取ることの出来た徴を思い返して。
「伏見は第五王権者『緑の王』、ヴェール・ウィリディスと一緒だった。頬には『緑のクラン』である徴が刻まれていたわ。・・・伏見は、緑のクランズマンになったのよ」
私たち青のクランから離れて。淡島が俯き、小さな声で呟いた。嘘だ、と力ない囁きが執務室に響き、散った。
同じ頃、宗像はひとり、室長室で伏見の置いていった辞表に目を通していた。癖のある右肩上がりの文字で、無機質にただ、当たり障りのない退職理由が記されている。朝から何度も読み返したそれを眺め、ついには堪え切れず、宗像はぐしゃりとその紙を握り潰した。炎よりも冷たい青い光が灰の欠片すら残さず消し去った後、上げられた眼鏡のレンズの奥、宗像の瞳は剣呑な輝きを湛えていた。



***



インスタレーションを行った瞬間、深い緑色の炎が伏見の身体を包み込んだ。はく、と動いた唇など意も介さずに、やっぱり、と「緑の王」は手を叩いて喜びの声を挙げる。二十代後半にも拘らず、落ち着きのない少女のように、その声音は喜色に満ち満ちていた。
「やっぱり! あたしの観た通り!」
伸ばされた手が伏見のネクタイを掴み、力任せに引っ張る。インスタレーションの衝撃が冷めやらない身体はされるがままになるしかない。息を荒く見上げてくる伏見の頬を、女は白い手で数度撫でた。うふふ、と口紅に彩られた唇が笑う。
「周防尊も宗像礼司も馬鹿ね。飼い犬はきちんと首輪をつけて、鎖で繋いでおかなくちゃ」
緑のマニキュアで隙間なく塗りたくられた爪先が、伏見の頬に突き立てられる。強く、強く、けれども皮膚を超えて滲み出したのは赤い血ではなく、緑の紋様だった。蔦を表すかのようなそれが伏見の左頬に咲く。遠目に見ても分かる証は、「緑のクラン」の徴だった。艶やかなそれに満足したように「緑の王」はうっとりと微笑む。
「これであなたはあたしのものよ。ねぇ、猿比古?」
強くネクタイを引き、ぎりぎりと締め上げながらの女の言葉に、伏見は荒く息を吐いて唇の端を吊り上げた。



***



からん、とカウベルが鳴って草薙は振り向いた。
「おこしやす。せやけど、今は営業時間外なんや。悪いけど夜にまた・・・」
言葉は最後まで発されることなく終わった。磨き抜かれたばかりのワイングラスが草薙の手元から滑り落ち、床にぶつかって悲鳴のような音を立てて割れる。けれどそんなもの、耳に入ってはいなかった。ただ、草薙の目に映っていたのは、バーの扉を開けて入ってきた男の姿のみだった。嘘だ。幻ではなかろうか。確かに幾度も、幾度も幾度も幾度もあの日が嘘だったかのように現れてくれたならと思っていたけれども、現実は無慈悲なことを草薙は知っていた。だけど今、彼は草薙の前にいる。あの白雪が舞い散った夜と変わらぬ姿で。
「・・・おめおめと戻ってきちまった」
低い声も、不遜な態度も、威圧と余裕を兼ね備えた空気も、すべてがあの夜と変わらない。自分自身を嘲笑うかのごとく失笑して、周防は草薙を見つめる。瞳だけはかつてと異なり、乾いた飢えの代わりに大きな包容力を秘めていた。
「俺はもう王じゃねぇ。それでもまだ、着いてきてくれるか?」
「っ・・・たりまえ、やろ・・・!」
年甲斐もなく、草薙の目尻からは涙が零れた。もはや「白銀の王」のおかげとかそういうことは置いておいて、ただただ感情が溢れて仕方なかった。周防が生きて自分の前にいる。もはやそれだけで十分だ。
「おまえは、俺たちの最高の王や・・・!」
差し出された手を縋る思いで草薙は握った。あの夜に消え去った徴が再度刻まれることはなかったけれども、異能なんていらない。生きていてくれるだけで十分だった。おかえりやす。草薙の言葉に、ただいま、と周防も穏やかに応えた。



***



「第五王権者『緑の王』、ヴェール・ウィリディス。・・・返してくれますか。彼は、私の部下です」
サーベルを抜刀し、話すことなど何もないと言った宗像の言葉に、女は堪え切れない様子で笑い声を挙げた。豊かなウェーブの髪が彼女の仕草に釣られて大きく動き、緑色の輝きを光放つ。ドレスのように長いスカートの裾が翻り、うふふ、うふふ、と余韻を残して女が笑いを収めると同時に、釣り上がった唇から白い歯が覗く。
「私の部下? 笑えない冗談! そうね、前はあなたの部下だったのかもしれない。でも今の猿比古はあたしのものよ!」
ねぇ、と女が振り返った背後には、伏見が沈黙して立っている。その服装は緑一色に染められており、頬に咲いている蔦も手伝い、まるで精巧に作られた人形のようだった。睫毛を震わせて伏見が眼差しを上げる。彼の失踪からこちら、随分と久し振りに八田は伏見を見た。かつて自分の横にいたときの赤でも、自分の前にいたときの青でもない、緑に包まれたその姿には違和感ばかりが募って仕方がない。ぴりぴりと肌で感じるのは頭上にあるダモクレスの剣が理由だろう。青い光に煌めく王の証は、まだ落ちてくる気配はない。けれども宗像が放つのは苛立ちを帯びた紛れもない殺気で、それは「緑の王」ただ一人に向けられていた。
「猿比古はあたしの計画に必要な人材なの。あたしなら、あなたよりも周防尊よりも、ずっとずっと彼の才能を引き出してあげられる! そんなあたしを選んだからこそ、猿比古はこうして『緑のクラン』になったのよ!」
ねぇ、と女はいやらしい仕草で伏見の左頬に指を這わせる。ぞわ、と鳥肌が八田の全身を襲った。笑う女は美しい容姿をしているのに、八田にはそれが禍々しいものに見えて仕方がなかった。何で、と思わずにはいられない。以前に伏見が吠舞羅を去ったときは怒りと憎しみの気持ちが強かったが、今はただ、どうして、何で、という困惑の思いばかりだった。
「でも、そうね。彼があたしのものだっていうのが信じられないのなら、証を見せてあげるわ」
女が伏見の頬から手を離す。全員が抜刀しているセプター4は気色ばんでおり、淡島が片手でそれを制していた。場に居合わせることになった周防や草薙は、両者を冷静に見やりながらも、やや「緑の王」に対し警戒を強くして成り行きを眺めている。そんな中、女が己のスカートを摘まんで僅かに持ち上げた。
「猿比古」
甘すぎる声が名を呼ぶ。スカートの裾から覗いたハイヒールは、女の容姿に相応しく装飾のついた華美なものだった。女の命令を受けて、伏見がふん、と小さく笑う。
「我儘な女王様ですね。まぁ、いいでしょう」
慇懃無礼な丁寧語を紡ぎながら、伏見が女の前に膝を折る。何をしようとしているのか八田には見当もつかなかった。だが、誰かのはっと息を呑む音がして、止めてください伏見さん、とセプター4の悲痛な叫びが挙がる。けれどもそれを無視して、伏見は身を屈めた。女の足元へ向かって。汚らしい地面を踏み締めてきたハイヒールに向かって首を垂れる。
「やめろ・・・」
理解なんて後からついてきた。ただただ嫌な予感がして、見たくなくて、八田は叫んでいた。
「やめろ、猿比古!」
そんなおまえを見たくはない。心の底からそう願ったのに、周囲の悲鳴を無視して伏見は這い蹲り、女のハイヒールに口付けを贈った。サーベルを握る宗像の手が震えていた。「緑の王」が高らかに声を響かせて勝利を謳った。



***



「おまえにはでけぇ借りがあるからな。返してやるよ、宗像」
堂々とセプター4の屯所に現れ、そこらへんにいた隊員を脅して室長室まで案内させた後、周防は不遜な態度でそう言ってのけた。今は「赤の王」の力を失い一般人になったとはいえ、未だ警戒対象である周防のその行動に、宗像は顔を歪めて厳しい視線を向ける。いつもならそれなりに穏やかさを取り繕う「青の王」の苛立ちの表情に、周防は面白いものを見たといった様子でくつくつと肩を揺らした。
「『緑の王』とやり合うんだろ? あの女の属性は傍観。過去と現在と未来、そのすべてを見通す力だ。おまえ一人で勝てる相手じゃねぇ」
「だとしても、おまえの力を借りるつもりはない。大体、もはや王でないおまえに何が出来る」
「相変わらず固い頭してんな、おまえ」
伏見が宗像の精神的支えのひとつであったことを理解していない周防ではない。自分に草薙や十束がいたように、王は強大であると同時に孤独であり、だからこそ無意識のうちに寄り添ってくれる存在を求める。これは、王でなくなった周防だからこそ言えることなのかもしれないが、仲間の存在に救われていたことは紛れもない事実だ。きっと同じように、宗像も伏見に救われていたのだろう。特に伏見は最後の最後、どうしようもなくなったときに王を斬ることを躊躇わない稀有な存在だ。副長である淡島には決して出来ないだろうその責を任せられる伏見は、宗像にとって最後の砦だったに違いない。だからこそ宗像は伏見を取り戻そうと画策している。なぁ、と周防は声をかけた。
「『クランズマンは必ずしも王に服従する必要はない』・・・だったか?」
「っ・・・まさか!」
周防の言いたいことを理解したのだろう。宗像が机を叩いて立ち上がる。信じられない、と表情は語っており、周防は椅子にふんぞり返って鷹揚に足を組み替えた。
「てめぇには借りがあるからな。伏見を取り戻すまで、おまえのクランズマンになってやるよ」
「馬鹿なことを言うな。周防、おまえは自分が何をしようとしているのか分かっているのか?」
「ああ、分かってるさ」
ジャケットのポケットから煙草を取り出し、口に咥える。癖で指先を弾いて火をつけようとして気づき、周防は苦笑しながらポケットを漁ってライターを取り出した。じりじりとペーパーを焦がしていく煙草に口をつけ、吸い込んだ後に吐き出す。立ち上る白い煙越し、周防は宗像に語りかけた。
「俺は俺の好きなようにした。今度はおまえがそうする番だろ?」
たまには暴れてみろよ、宗像。吸いかけの煙草を、フィルターを向けて差し出してやる。宗像は忌々しげに周防を睨み付けていたが、ちっ、と舌打ちをして乱暴に煙草を奪っていった。その様がやけに伏見に似ていて、周防は思わず声に出して笑う。
「俺のクランズマンになるんだ。規律は守ってもらうぞ」
「あー・・・そりゃあどうかな」
秀麗な顔に似合わず煙草を吸い上げる宗像に、周防は笑って椅子から立ち上がる。そうしてインスタレーションを行うために宗像の手を取った。相見えるばかりだった青の光は、周防の想像以上に心地良く、彼の身体に徴を刻んだ。



***



「だから近づくなって言っただろ、みさきぃ?」
ただでさえ暗い路地裏は、日付も変わったことで更なる暗がりになっていた。もう、互いの輪郭さえ朧にすら見えない。けれど八田には確かに見えていた。夜目が利くからではない。もしここに第三者がいたのなら、その人物にも目にすることが出来ただろう。伏見の右手から立ち上る、赤い炎に似た光を。周防が「赤の王」でなくなったため、吠舞羅のすべてのメンバーから失われたはずの炎を、どうして今もまだ伏見は有しているのか。驚愕する八田に、伏見は笑みを深くする。
「驚くのは早ぇよ」
くるり、回転した左手が青い光を纏う。ここまでなら、まだ分かる。伏見は吠舞羅とセプター4の両方に所属していた過去により、二色の力を使い分けることの出来る存在だった。だが。
「っ・・・!」
三つ目の、緑の光が心臓の位置で輝く。そして信じられないことに四つ目、紫の光が伏見の額で輝いた。クランズマンの力が、四つ。
「猿っ・・・! おまえ、それ・・・!」
二つの色を同時に有することさえ有り得ないとされているのに、伏見は今、四つのクランズマンの異能をその身体で体現している。何だよそれ、という言葉は声にならない。四色の炎に照らし出され、揺らめく中で伏見が笑う。
「みさきぃ、おまえには特別に教えてやるよ」
一歩近づき、伏見の手が八田の顔に伸びてくる。頬に触れる赤と青の炎は不思議と熱くなく、八田を害する気配は欠片もなかった。間近で、伏見がにたりと唇の端を歪める。紫と緑の炎が揺らめいて気持ち悪くなるほどの光景の中、伏見がそっと囁いた。
「俺はただの人間じゃない。ストレイン――王の出来損ないなんだってさ」
予想もしていなかった告白に、八田は思わず目を瞠る。声を挙げて伏見が笑った。



***



「王はドレスデン石盤によって選ばれる」
高層ビルの屋上からは、眼下に宝石箱のようなネオンの輝く街を見下ろすことが出来る。ぶわり、女の長いスカートが風によって膨らむ。伏見はその様を付き従う背後から眺めている。
「王は石盤に選ばれる際に、石盤と繋がり、この世のすべての理と記憶を見せられる。そして理解させられるのよ。自分が如何にちっぽけな人間なのか。所詮、おまえたちは盤上を賑やかにするための駒でしかないのだと。見せつけられて理解させられて、そして生きていくしかないのよ」
緑の髪が風に遊ばれてばらばらと散る。女は頑なに前を見つめ続けている。
「あたしは『緑の王』として、過去と現在と未来、すべての出来事を観ることが出来る。だからこそ分かるのよ。あたしたち人間は、石盤の意思によって運命を左右されているって。強大な力を持つ王も同じよ。すべては決められていること。あたしたちはその役割を果たしているに過ぎない」
かつん、とハイヒールの踵が音を立てる。明るすぎるこの街では、夜でも星を拝むことは出来ない。
「そんな茶番――あたしには耐えられない」
女の拳がきつく握り締められるのを、伏見は黙って見つめていた。風が吹く。左頬に刻まれた徴が、少し疼く。
「あたしの人生はあたしが決める。王なんて肩書きも力もいらない。ただの無力な人間に成り下がっても、勝手に決められた道を歩くよりずっといい。だからあたしは、ドレスデン石盤を破壊する」
くるりと女が振り向く。スカートの裾が円を描くように翻り、緑の瞳が伏見を見つめる。長い睫毛に縁どられた瞳は真摯で、懇願を帯びて伏見を捕えた。
「石盤は、七人の王が揃わないと壊すことが出来ない。でも、そんなの無理だわ。すでに『赤の王』は失われたし、全員の同意を得ることなんて不可能」
「だから俺が要るんでしょう?」
「そうよ。伏見猿比古。複数のクランズマンの異能を内に留め、使うことの出来るストレイン。最高レベルのベータ・クラスでも複数のクランの能力を使うことの出来る人間はそういないわ。だけど猿比古、あなたは七色の光をすべて受け止めることが出来る」
「で? 七色集めた俺が七人の王の代理として石盤を壊す、と。そう上手くいくんですか?」
「あなたは試してくれるだけでいい。及ばない箇所はあたしが補うわ」
女はそう言うが、試して五体満足で終われると思うほど、伏見は楽観主義者ではない。自分たちのしていることは、女の言うことが正しければ世界に対する反逆だ。目に見えないものを相手に戦いを挑めば、待つのはちっぽけで無力な死ばかりだろう。それすら世界にとっては些事でしか有り得ないのだろうから、いっそ笑うしかない。
女が再度前を向く。そびえたつのは御柱タワー、第二王権者「黄金の王」である國常路の居城だ。ここを攻め落とし、伏見が問答無用で國常路とインスタレーションを行ってしまえば、残すはひとつ。先日生まれたばかりの無垢な「無色の王」からは、すでに徴を奪った。だから後は現在行方の知れない、第一王権者「白銀の王」を残すのみとなる。
「行きましょう」
女が力を解放すれば、頭上には美しい輝きが満ちて緑の光に包まれたダモクレスの剣が登場する。馬鹿みたいな夢物語だ。勝算の低い女の計画を、伏見は本気で支持しているわけではない。セプター4と再結成されたらしい吠舞羅は自分たちを追ってきているし、彼らを交わすのは骨が折れることだろう。けれど伏見は女に、「緑の王」に付き従う。己の身に訪れるのが破滅であったとしても構わない。吐き捨てるのはあの日、二色の剣がぶつかり合った夜に再認識した本音だ。
「――王の要る世界なんて、死ねばいい」
これ以上ないほどの嫌悪を露わに、伏見は「緑の王」の背を追った。誰もが唯人であればいい。そうすれば、世界はもっと。言葉にされないそれが伏見の本心であり、願いだった。





まぁこんなで最後にクロとネコがヴァイスマンもといシロを連れてきて、緑の王と伏見君と他のみんなといろいろあったりするんだと思います。以上! 二期が楽しみです! お付き合いくださりありがとうございました!
2012年12月31日(pixiv掲載2012年12月30日)