13.八田美咲の思い出
八田が伏見を確かに「女」として認識したのは、中学を卒業して高校に入学し、吠舞羅に入り、十束が「せっかく女の子なんだから、可愛い格好をすればいいのに」と伏見に向けて言ったときだった。否、本当はもっと前から気が付いていた。そうなのかもしれないと思うことは何度かあったし、まさかな、と自身の考えをもみ消したことは何度もあった。気が付いてしまったら、そうと知ってしまったら、もう戻れないと思っていたのだ。戻れない? どこに? 違う。もしかしたら壊れてしまうと思ったのかもしれない。今まで、自分と伏見の築いてきたものすべてが。失うのが恐ろしくて、気づかない振りをしていた。
けれどあんなに大きな声で言われてしまったら、聞かなかったことにすることは出来なくて、八田はついに伏見が女であることを認めなくてはならなかった。嘘だろ、と悪あがきのように漏らした声が震えていたことに、果たして伏見は気が付いただろうか。彼は、違う、彼女はじっと、自分のことを見つめていた。眼鏡のレンズ越しの瞳に観察されていることを知り、ごくりと八田は唾を飲み込んだ。毎日見ていた長い睫毛は、確かに女のそれだった。認めてしまったら、もうどうしようもなくなってしまった。
元より八田は、異性が苦手だった。気が強くて腕の立つ女なら、まだどうにか話すことは出来る。けれども例えば小さくて細くて折れそうな少女を前にすると、どうすればいいのか分からなくなってしまうのだ。少しでも触れようものなら傷つけてしまいそうな、そんな恐怖感に襲われる。だから話しかけることもしないし、話しかけられてもあたふたした挙句にダッシュで逃げてしまう。情けない、ヘタレ、と何度伏見に嘲笑われただろうか。八田自身どうにかしたいと思ってはいるけれども、どうしようもないのだ。女は苦手だ。だけど、伏見は八田の苦手なその女なのだ。中学時代からずっと隣にいたのに、その日々が嘘だったかのように接し方が分からなくなり、八田は逃げた。逃げたのだ、伏見から。
そのうち大丈夫になるだろう。八田自身、自棄のように楽観視をしていたけれども、一週間経っても、二週間経っても、三週間経っても、一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、三ヶ月経っても、伏見を前にぎこちなさを失くせる日は来なかった。それどころか時間が経つにつれて、どんどんと意識してしまう自分に気づき、八田は慌てた。伏見はあんなに細かっただろうか。身長はあるのに、あんなに折れそうな姿態をしていただろうか。声もあんなに高かっただろうか。瞳は大きかっただろうか。色は白かっただろうか。指先は煌めいていただろうか。腰は細かっただろうか。胸はあんなに柔らかそうだっただろうか。目にすれば目にした箇所に今までは気づくことのなかった女らしさを感じてしまい、何でか八田は泣きそうになった。伏見が伏見じゃない気がして堪らなかったのだ。ついにはいい加減にしろと胸倉を掴まれ、けれど近づいた瞬間に甘いいい匂いがするものだから、視線なんて合わせられない。吐き出された溜息は八田の耳には届かなかった。
女だと認識したら、伏見が途端に華奢に見えて仕方がなかった。だからか、動揺してしまっていた八田は失念していたのだ。今まで自分の背を任せてきた相手は誰だったのかということを。伏見が女でありながらもナイフを駆使して、確かに吠舞羅の勝利に貢献してきたのだということを。忘れてしまっていた。だからある日の抗争のとき、後ろを振り向いてぎょっとした。何でおまえがここにいるんだよ、と今までの月日を忘れて八田は叫んでしまったのだ。
「着いてくんじゃねーよ! っ・・・女のくせに!」
おまえは女なんだから喧嘩なんかすんなよ。後ろで待ってろ。俺が、守るから。言葉には出来なかったし、しなかったけれども、伝わっていると思った。だが、それは過信だったのだろう。次に八田が振り向いたとき、そこに伏見の姿はなかった。隣にも、伏見の姿はなかった。慌てて周囲を見回せば、どこにも伏見の姿はなかった。
けれど彼女は降り立ったのだ。八田の前に、互いに向かい合う敵対者として。みさきぃ、と憎悪をたぎらせて、サーベルを八田に向けてきたのだ。
何で、どうして。
2012年12月24日(pixiv掲載2012年12月23日)