10.八田美咲の焦燥
最初は苛立ちばかりが募っても、それが一ヶ月続けば困惑に代わり、二ヶ月にもなれば心配に変わる。セプター4は相変わらず巡視をしているけれども、その中に伏見の姿は二ヶ月経った今でもなかった。普通ならこの期間で少なくとも八回は顔を合わせて殴り合っているはずなのに、それがない。清々すると思っていたのは最初の一月で、今となっては八田はそわそわとしてしまい堪らなかった。何かあったのだろうか。怪我、とか。もしくはあの日倒れたことからするに、病気とか。あの伏見に限って、と想像を掻き消そうとする度に過ぎるのは、崩れ落ちた身体だ。かっちりとしたコートに包まれた身体は身長こそ八田と同じくらいだけれども、明らかに細く薄かった。あいつ、あんなに細かったか? 思えば思うだけ不安も日ごと増長していく。
「八田、最近上の空だね」
「へ?」
突然頭の中に入ってきた声に、八田は慌てて顔を上げた。見ればバーカウンターの一席から、十束がこちらを見やっている。その向こうではカウンター越しに草薙がワイングラスを磨いており、視線だけは八田へと寄越されていた。
「何か悩み事?」
「・・・いや、別に」
「伏見のことかな?」
端的な指摘に下げかけていた頭を思わず上げれば、十束がしてやったりといった表情を浮かべている。何で、と八田が呟けば、十束は自身の眉間に指先を当てて精一杯の、それでも怖くはない難しい顔を作った。
「ここにこーんな深い皺を作って。八田がそんな顔をするのは伏見のことを考えているときだからね」
「べっ、別に、そんなんじゃねぇっすよ!」
「鎌本に聞いたけど、伏見、前に会ったときに倒れちゃったんだって?」
「あの子、偏食やからなぁ。食べずに働いとるとかないやろな。心配やわ」
十束だけでなく、カウンターの中から草薙までもが呆れのような心配のような声をかけてくる。ぐっと言葉に詰まり、八田は口を噤んだ。吠舞羅を抜けてセプター4に移った伏見は確かに裏切り者なのに、目の前の彼らは憎悪や制裁といった内容を決して口にしない。それどころかむしろ、伏見の行動を受容している節さえあった。それは「赤の王」である周防も同じで、彼は自分を裏切った伏見について何を言うこともなく、報復を企てようともしない。そのことが八田は不思議で、そして腹が立って堪らなかった。あいつは俺たちを裏切ったのに、と。
かつん。ガラス球のぶつかる小さな音が八田の意識を引き戻す。カウンターではなくソファーに腰かけていたアンナの手元で、三つの赤いビー玉がくるくると円を描くように一定の速さで動いていた。ソファーでは周防が横になって寝ている。ビー玉が三つ、地図上の一点で重なり合う。
「・・・サルヒコ」
「ちょ、っと俺、出てくるっす!」
「気を付けてねー」
スケートボードを抱えて飛び出す背に十束の軽やかな声がかけられる。アンナの示した場所はセプター4の屯所ではなく、街中の一点だった。伏見が、出てきている。二ヶ月振りに会える。そのことにどうして唇が緩むのか、八田は欠片も自覚していなかった。カウベルを鳴らして閉まるドアのこちら、十束と草薙が仕方なさそうに苦笑しているのにも気づかない。ただ浮つく気持ちでボードを走らせる。小さな車輪が躍るように鳴った。急げ、急げと。
会いたいわけじゃねーよ! ただちょっと、気になるだけで!
2012年12月24日(pixiv掲載2012年12月23日)