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あの、狭い箱庭で。あなたは光でした。太陽でした。氷のように煌めき、私たちを導いてくださいました。
慟哭に満ちた、あなたの愛を忘れはしない
五年経ってようやく、お日さま園の子供たちは一堂に介することを許された。同窓会をしようよ。そう言って会場の手配からメンバーの招集まで、すべてを自ら請け負ったのはヒロトだった。雷門中・雷門高を卒業した後、彼はプロになる道を選ばず、大学へと進学した。教育を学ぶ傍らで体育会系のサッカーサークルに属し、今でもボールは蹴り続けているという。ジェミニストームにイプシロン、プロミネンスにダイヤモンドダスト、そしてジェネシスだったガイア。多くの子供たちが成人を間近に控え、集った。職に就いて自活している者や、学生として本分を全うしている者、状況は様々だったけれども皆が元気で、そして道を踏み外すことなく前に進んでいることに誰もが言葉にはせずとも安堵していた。レストランを貸し切って、立食形式でそれぞれが近況を綴り、笑い合う。時間がゆっくりと穏やかに流れる中で、ぽつりとリオーネが言葉を漏らした。
「やっぱり・・・ガゼル様は、いらっしゃらないのね」
かつては仮面をつけていた彼女は、年月を経てそれを外した。幼いころの記憶など、もう薄れているものも多い。だからこそ初めて目にする気持ちになるような素顔は、存外愛らしく、そして柔らかなものだった。リオーネは昔から絵を描くのが好きで、そして上手く、今は画家としての道を歩んでいるという。結婚したの。彼女はそうも報告していた。
「ごめん。風介だけ、連絡がつかなかったんだ。青森の施設も中学卒業と同時に出たらしくて、それ以降の足取りは施設のひとも知らなくて」
影を落としたリオーネに、申し訳ないとヒロトが頭を下げる。ほとんど全員が揃った中で、目立って不在を主張していたのはガゼルだった。あの、氷を思わせる澄んだ存在感が会場にない。再会を期待していたであろうダイヤモンドダストの面々の落胆を思い、ヒロトが眼差しを伏せる。しかし向けられたのは、どこかきょとんとした呆気に取られた空気だった。リオーネからだけではない。彼女と輪を作っていたクララとアイシー、そしてゴッカやドロルなど、ダイヤモンドダストに属した誰もが不思議そうにヒロトを眺める。困惑した彼の表情に、ああ、とリオーネが微笑んだ。
「あなた、知らないのね」
「え?」
「いいの。ガゼル様には、ちゃんと結婚したことをご報告したもの。もしかしたら来てくれるかもしれないと思っていたけど、でも、ガゼル様がお決めになったことならそれでいいのよ」
ねぇ、とリオーネが隣を見やれば、クララも瞳を細めて頷く。発言の意味合いが良く分からなくて、けれど気づいたヒロトははっと息を呑んだ。
「まさか・・・! 君たちはガゼルがどこにいるか知っているのか!?」
「知らないわ。私たちに教えられたのは電話番号だけ。今、どこで何をしていらっしゃるのかは知らない」
アイキューがそっと妹の背に添う。ベルガとバレンも歩み寄った。ブロウとフロスト、そうしてダイヤモンドダストの全員が終結する。中央の空けられたスペースは彼らが抱く唯一のキャプテン、ガゼルのための場所なのだろう。瞳の輝きは一様に強く、彼らは同じ意思を抱いているのだとヒロトに知らせる。レーゼやデザーム、他の子供たちも固まり始めた空気に気づき、コップや箸を置いて会場の中央にいる彼らに目をやる。揃い、何かを成すとき、冷ややかな雰囲気を纏わせるのはダイヤモンドダストの特徴だった。キャプテンであるガゼルが氷を体現したかのような容姿をしていたからだろう。彼らはガゼルに侍るのが相応しいように、その空気を換えていた。ひとり、壁際でバーンが、グラスを持つ手に力を込める。
「お日さま園を出て、少し経った頃。ガゼル様は私たちに会いに来てくださった」
「『元気か』と尋ねてくださった。俺たちに自分の電話番号を書いたメモを渡してくださった」
「『どうしようもなくなったときは必ず救い出す』、そう言ってくださった」
「そのお言葉が、どれだけ私たちの救いになったか」
行方は、得てして分からなかった。ヒロトが姉と慕っている瞳子から貰った資料の中には、フットボールフロンティアインターナショナルのアジア最終予選後、ガゼルは青森の施設に引き取られたとあった。実際に飛行機に乗ったところまでは見たと、バーンも証言している。しかし、その後のガゼルの足取りは掴めなかった。中学校卒業までは確かにいたのだと、施設のひとたちも言っていた。しかし大人しく手を煩わせなかったガゼルは、奨学金の貰える高校をひとりで決め、そして静かに施設を出て行ったという。ありがとうございました、最後にそう言ってくれたけれど、あの子は私たちに心を開いてはくれなかったわ。そう、施設長の老婦人はヒロトに語った。
「どんなときでも、ガゼル様と繋がっている、その事実が私たちを支えてくれた」
「悲しくても寂しくても、辛い目に遭っても、耐えられたのはガゼル様のおかげだ」
「あの方は俺たちを守ってくださった」
「・・・きっと、ずっと気に病んでおられたんだわ。ダイヤモンドダストが、私たちが、ジェネシスを巡る争いから外されて、お父様から冷遇されたことを」
ひゅっと息を呑む音が、複数響く。ヒロトとて喉を鳴らし、手のひらをきつく握り締めてしまった。個々としては緩やかに融解させてきた過去を、それでも互いに晒し合って確かめるのはまだ怖かった。だが、リオーネははっきりと口にした。競い合った昔。相手を蹴落とすことに必死になった。エイリア学園が設立されるまでは、手を取り合って共に遊んだ仲だったのに、枕を並べて同じ夢を見た仲だったのに。ヒロトとて、未だにその傷を抱え込んでいる。だからこそ会いたくて、会って謝りたくて、今は幸せだと笑って言ってほしくて、懸命にガゼルの痕跡を追った。けれど終ぞ捕まえることが出来なかった。バーンはサッカーを続けていたけれど、ガゼルは辞めてしまっていたのだ。
「これは、ガゼル様が俺たちにのみ与えてくださった、庇護」
力強く、彼らは笑う。
「私たちは、あの方の手足になれたことを誇りに思うわ。ダイヤモンドダストとして過ごした日々は、幸せだった」
それは、本来ならば誤った形の昇華の仕方だったのかもしれない。けれどあの日々を幸福だと言い切れることは、間違いなく強さだ。個性と関係によって分けられていたチームの中で、最も団結力があったのはダイヤモンドダストに他ならない。ガゼルは彼らのリーダーだった。脆さと強さを併せ持つ彼の下に集ったことを、幸せと言い切る仲間たち。いいな、とヒロトは寂しく微笑んだ。ガゼル、君は本当にチームメイトを愛し、そして愛されていたんだね。羨ましい。そう思ってしまう自分を、ヒロトは戒めた。思う資格などないと、分かっていたからだ。
失礼します、と顔を出したのはレストランの従業員だった。白いワイシャツに黒のベストとタイを締めている若い男は、その腕にエプロンには些か不釣り合いな満開の花のブーケを抱えている。
「リオーネ様はいらっしゃいますか?」
「はい、私です」
「花束が届いております。どうぞ」
にこやかに差し出して、ボーイは去っていく。誰からか見当もつかないし、リオーネというエイリア学園でのコードネームを名指ししてくる輩など、それこそ限られている。視線を向けられて、ヒロトは「俺は知らない」と慌てて被りを振った。オレンジ色の花々の中に隠れるようにして潜んでいたカードに気づき、リオーネはそっと拾い上げる。淡く色づけられた爪先がカードを開き、そして。
「リオーネ!?」
カードをクララに押し付けて、リオーネは花束を抱えたまま部屋から駆け出した。何が書いてあったの、と横からアイシーが覗き込み、ふたりして文字を追って身を固くする。けれど次の瞬間にはふたりも同じようにヒールを鳴らして駆けていた。
「ガゼル様・・・っ!」
アイキューやドロルたち、他のダイヤモンドダストのメンバーも、発された名に弾かれるようにして玄関に向かう。懸命にかの人の影を追った。はらり、動転して落とされていったカードを拾い上げ、一瞬の躊躇の後にヒロトは開いた。シンプルなカードに並んでいる、少しばかり神経質な印象を与える文字。忘れはしない、ガゼルのものだ。ああ、とヒロトは深く深く嘆息した。
五年の月日では、まだ彼の心を癒すことが出来なかったのだ。ごめん。そう思うけれども、告げることさえ侮辱になると知っている。だからこそ、ヒロトは口を噤むしかない。グラスを傾けながら、バーンはそんな会場の様子をじっと静かに眺めていた。
結婚おめでとう。どうか幸せになってくれ。
2010年12月12日