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吐く息が白い。世間はまもなくクリスマスを迎え、学生は一様に終業式を心待ちにしている。ここ最近は期末テストに備えて参考書を開きながら下校していた修児も、試験を終えた解放感から少しばかり浮かれた足取りで帰路についていた。角を曲がれば、夏からこっち、世話になっている施設が見えてくる。お日さま園ほど大きな孤児院ではないが、こじんまりとしている分だけアットホームな賑わいもある。妹とふたりで一緒にいれるだけ、まだ幸運だと思っている。吐く息が白い。
「・・・アイキュー」
氷のように透明で硬質な、それでいて懐かしい声に懐かしい名を呼ばれて、弾かれるように振り向いた。小さな公園の入り口に、白い人影が立っていた。痩せたかもしれない。それでも忘れるわけがない。修児の、アイキューの手から鞄が地へと滑り落ちる。
「ガゼル様・・・!」
信じられない、そんな驚きにかの人は少しだけ瞳を細めてくれた。それが笑みなのだと、アイキューは知っている。半年振りに会うキャプテンは、やはり凍てつく冬の寒さに溶け入るような、美しいひとだった。





冬が泣いている





お日さま園での記憶は、良いものと悪いもの、二極端に分類される。施設を去る直前までの数年間は特に後者に分類され、半年を経てもなお、アイキューの中では些かの理不尽さを残している。もちろん、居場所を与えてくれた養父に対し、慕い続けたいという感情はあるのだ。それでも、同点で決して負けてはいなかったのに、ジェネシスを巡る争いからダイヤモンドダストが脱落させられたのは納得がいかない。処分として謹慎を言い渡され、そうしている間にすべてが終わってしまったからこそ、不燃焼感が未だアイキューの心に巣食っている。すまなかったと養父はグランたちを前にして謝罪したらしいが、それすら人伝に聞いたアイキューは胸にぽっかりと穴が開いたような無力感に襲われた。エイリア石ではない、何かを失くしたような、そんな気がしている。
けれど月日はゆっくりとアイキューを癒してくれた。新しい施設に移動して、妹のアイシーを守らなくてはという気概も一役買ったのだろう。環境に慣れることだけに精一杯で、過去を振り返る余裕がなかった。薄情と罵られるかもしれないが、エイリア学園のことを思い出したのは、フットボールフロンティアインターナショナルの最終予選で韓国と日本が対戦した時だった。与えられている部屋で勉強に勤しんでいたアイキューを、アイシーが引きずり出したのだ。年齢にしては大人びている妹の興奮している様に驚きながらテレビの前に座れば、そこに映っているのは見慣れていた姿だった。グランもバーンもいたけれど、アイキューの目に飛び込んできたのはたったひとりだった。ガゼル。アイキューの敬愛する、ダイヤモンドダストのキャプテン。
「ここは、空が低いな」
公園の寂れたベンチに腰かけて、天を仰ぐ様子はテレビの中に見た姿とは少し異なる。曇天は今にも雪を落としてきそうで、ええ、とアイキューは唇を綻ばせた。
「鳥取は意外と降雪量が多いんです。寒いのは平気だから構わないんですが」
「施設はどうだい」
「良くしてもらっています。高校も奨学金も貰えそうですし、不自由は感じません」
「アイキューは昔から努力家だったから、当然のことさ」
横目で眺めるガゼルの頬は、やはりアイキューの記憶より僅かに丸みを落としている。ダイヤモンドダストに属していた全員に言えることだが、やはり寒さに強いガゼルは年の瀬だというのに薄手のカットソーにジャケット姿だ。マフラーひとつ巻いてなく、所持品もジーンズの後ろポケットに差してある財布くらいしか見当たらない。まるで近所に買い物に出かけるような出で立ちに、アイキューの頭に疑問が過ぎる。お日さま園の子供たちは、それぞれ別の施設へと振り分けられた。それこそ日本全国を北から南、東から西へと。妹だからこそアイシーとは一緒に居られたが、アイキューは他の皆が今どこにいるのか全く知らない。なのにどうしてガゼルは、アイキューがここにいると分かったのだろう。分かっていて、その施設ではなく近場の公園で、まるで待ち伏せするかのように佇んでいたのだろうか。
ガゼルというひとは、アイキューにとって特別だった。アイキューだけではない。アイシーにとっても、ダイヤモンドダストに属する誰もにとって、ガゼルというひとは特別だった。キャプテンだからではない。それ以前の問題だ。勉強ばかりしていて、ろくに外で遊ばないアイキューは、バーンやネッパーなどの活発な子供たちに馬鹿にされることが多かった。おまえ、サッカーも出来ないんだろ。揶揄されることは毎日で、時には本や鉛筆を奪われて投げ捨てられることさえあった。今では他愛ないことだと笑えるが、当時は随分と彼らに対して怯えを抱いたものである。それでも力では敵わず、悔しさに奥歯を噛み締めていたアイキューをバーンたちは嘲笑っていた。そこにかけられた、声。
『サッカーが出来て何が凄いのか、是非とも教えてほしいよ』
皮肉にもその言葉は後の彼らの状況を否定することになるのだが、それでもそのときのガゼルの一言は、アイキューの救いとなった。冷ややかな瞳でバーンを見据え、静かで平坦な声で馬鹿にする。胸ぐらを掴まれてなお睥睨するガゼルもまた、アイキューと同じく読書などのインドアな遊びを好む子供だった。ダイヤモンドダストは皆、そういった子供たちの集まりだった。暗い、おとなしい、子供らしくない、そう評価される彼らは、自然とガゼルの元に集った。ガゼルは皆の個性を決して否定しなかったし、それは得がたいものなのだと認めてくれた。ひとり遊びを好む彼らは、ガゼルの為にだけ協調性を発揮した。その真骨頂が、ダイヤモンドダストだった。
言いたいことが山ほどある。感謝に懺悔に、それこそ数えたらきりがない。いつも冷静なアイキューの思考が空回り、うずうずと足が寒さではなく小刻みに揺れてしまった。ガゼルがベンチから立ち上がる。言葉と共に吐き出される息が白かった。
「会えて良かった」
雪の代わりに、曇天に消えてしまいそうな横顔だった。別れだ。本能的に悟って、焦りがアイキューの腕を伸ばす。ジャケット越し、触れた温度は分からなかった。立ち上がり、身長差が僅かに出来ていることに軽く驚く。中学三年生のアイキューは、ひとつ年下のガゼルよりも早く、成長期が訪れていたのだ。
「待ってください。この時間ならアイシーも学校から帰ってきています。呼んできますから、妹にも会ってください」
「いや、もう時間がない。よろしく伝えてくれ」
「ガゼル様!」
「アイキュー」
そっと拘束を解こうとする指先に、抵抗できるわけがない。苦しくて眉根が寄り、唇を噛み締めようとしたところで手のひらに何かが触れる。握らされたのは、メモ帳を破ったかのような小さな紙切れだった。視線を上げれば、ガゼルはすでに一歩離れた場所にいた。何故だろう。お日さま園にいた頃よりも育ち、青年へと近づいているはずなのに、ガゼルが纏うのは雄々しさとは無縁の今にも壊れてしまいそうな薄氷の美だ。ダイヤモンドダストの頂点に立っていたときも綺麗なひとだとは思っていたが、目の前のガゼルは尋常ではない。砕ける刹那の、氷の輝きを思わせる。
「私の連絡先だ」
意識を引き戻されて目を向ければ、ガゼルがアイキューをじっと見据えていた。折り曲げた指の中で、かさりと小さな音が鳴る。この瞬間に粗末なメモは、アイキューの中で確固とした宝となった。
「アイシーにも伝えてほしい。どうしようもなくなったときには電話をくれ。私は必ず、おまえたちを救い出す」
「ガゼル、様」
「連絡がないことを祈っているよ。どうか元気で」
「ガゼル様!」
声を張り上げても、背を向けた後ろ姿は肩を揺らすことさえしなかった。追って振り向かせても、何を言えばいいのか分からないからアイキューも追いかけられない。別れだと分かっているのに、行かせてはいけないと、あの崩れ落ちそうなひとをひとりにしてはいけないと気づいているのに、それでも追いかけることは出来なかった。ちらほらと、雪がガゼルの意を汲んだように彼の姿を遠ざけていく。アイキューは掌をきつく握りしめたくて、それでもメモがあるからそうすることも出来なくて、ただただ締め付けられる胸の痛みに耐えるしかなかった。ガゼル様。呟きはもう届かない。あのひとの心は砕かれてしまった。
・・・・・・ねぇ、ご存知でしたか、ガゼル様。私たちはお父様ではなく、あなたのために戦ったのです。あなたがいたから戦ったのです。あなたの幸せが、私たちの願いなのです。





文化系特化が集ったダイヤモンドダスト、体育会系特化が揃ったプロミネンス、無個性の子供を試したガイア。
2010年12月12日