パリン、音を立てて砕けたのはエイリア石か、それとも心か。彼はついに、本物の宇宙人になったのだ。
僕らの幸せとは何だろう
世界中の国が参加するサッカーの祭典、フットボールフロンティアインターナショナル。アジア地区最終予選の決勝で、韓国のファイアードラゴンと日本のイナズマジャパンは激突した。結果は、日本の勝利。アジア地区の一枠は、イナズマジャパンのものとなった。ガゼルの、サッカーは終わった。
帰るところがないなんて、そんな状況には二度と陥りたくないと思っていた。それでも現実は無慈悲で、帰るべき場所だった孤児院の「お日さま園」は、院長の吉良星二郎が警察に身柄を確保されたことで閉鎖を余儀なくされてしまった。施設で暮らしていた五十人にも及ぶ子供たちは、それぞれ親戚に引き取られたり、年齢が十六を超えていれば自活を始めたり、また他の施設に移って行った。バーンこと南雲晴矢と、ガゼルこと涼野風介も例には漏れず、彼らは韓国代表として大会に出場していたため、他の子供たちより少し遅れての退去となった。荷物など、もともと大して持っていない。厳選してしまえばボストンバッグひとつで済んでしまう、この身軽さ。
「あー・・・旅行客だらけだな」
「ライオコット島にでも行くんだろう。パックツアーが人気らしいからな」
「選手じゃないのに行ってどうすんだよ。観てるだけじゃつまんねぇっつーの」
空港は想像以上の人の多さで、南雲が嫌そうに顔を歪める。彼を盾にするように、涼野は一歩後ろの位置を歩いていた。国際線のターミナルには、大勢の人が搭乗しようと列をなしている。大きなトランクに、ブルーのレプリカユニフォーム。頬のペイントや揺れる小さな日の丸を横目で見やり、ふたりは国内線の搭乗口へと向かう。時間にはまだ余裕があるため、空いているベンチを見つけて腰を下ろした。前の席の親子連れはソフトクリームやジュースを購入して美味しそうに食べているけれども、南雲と涼野は売店を覗きに行こうとすらしない。贅沢は敵だと言い切ってしまうのはやり過ぎだが、それでも昔から我慢は常に身につけてきた。孤児院で育った彼らは、我儘を言わないことと他人に譲ることが得意だった。得意にならざるを得なかった、と言っても良いだろう。
ふたり並んで座っても、和気藹々と会話をするような仲ではない。最終的にはファイアードラゴンで一緒に戦ったし、その前はカオスという混成チームで組んだりもした。それでも互いにプロミネンスとダイヤモンドダストのリーダーであった時間が長すぎた。宇宙人を名乗り、エイリア学園を組織する前のことなど、もう朧にしか思い出せない。
わぁっと起こった歓声に、南雲は周囲を見回す。誰もが一様に上を見上げていることに釣られて顔を上げ、思わず身を強張らせてしまった。そこにいたのはグランだった。否、今は基山ヒロトか。南雲や涼野と同じように「お日さま園」で育ち、ジェネシスとしてエイリア学園の頂点に君臨し、彼らに辛酸を味わわせた張本人。そして今は、イナズマジャパンの一員でもある。
幼馴染よりも近く、家族と呼ぶには複雑な心境を抱いてしまう彼を前にして、南雲の心中に広がったのは反骨ではなく意外にも穏やかな静寂だった。フットボールフロンティアインターナショナルに参戦するイナズマジャパンの特集番組なのだろう。ひとりひとりの選手が紹介され、見たことのある顔が多いことを知る。彼らに、自分は敗北したのだ。映る、円堂守。彼がキャプテンを務めるチーム、雷門を負かせることがプロミネンスのキャプテンであるバーンの使命だった。映る、グラン。ガイアのキャプテンだった彼を負かして、自らがジェネシスとなることがバーンの信念だった。けれど、そのどちらも果たすことは出来なかった。それでも気持ちは不思議なくらいに落ち着いている。今はただ、彼らの行く道をこうして静かに見つめることが出来ている。言葉にはまだ出せないけれど、負けるんじゃねぇよ、と心中で呟くことも出来るのだ。
隣で腰かけていた涼野が立ち上がった。ネイビーブルーのボストンバッグを肩にかけ、その眼差しはオーロラビジョンではなく飛行機の発着陸掲示板を見つめている。北国行きの便の搭乗受付が始まった。行くのか、と横顔に声をかけることは出来なかった。
初雪のように白い、決して日に焼けることのない肌を眺める。澄み切った遠い晴天を思わせる色の髪を、こうして見上げることは少なかった。いつだって正面から相対していたからだ。空よりも海よりも深い青の瞳から、目を逸らすことは負けだと信じていた。ガゼルにだけは負けたくなかった。それはおそらく、グランに対するよりも強い思いで。
「最後だから言っておく。私は、おまえとしたサッカーが一番楽しかったよ」
「・・・・・・俺も。おまえと組んだサッカー、面白かったぜ」
「ありがとう。・・・・・・元気で」
振り返ることすらなく、笑顔を見せることすらなく、足を踏み出す涼野をじっと見送った。頭上のオーロラビジョンでは、ヒロトがシュートを決めている。空港で、彼らは分かれる。涼野は北へ、南雲は南へ、別々の施設に引き取られて、これから先を生きるのだ。これは、別れだ。
きっともっとたくさんの言葉を交わすべきだったのだろう。いつかの再会を約束するべきだったのか、それとも必ず会いに行くと言えば良かったのか、サッカーを続けていればまた会えると笑い合うべきだったのか。正解なんて分からない。それに、そうやって言葉に出来るほど、彼らはまだ現状を消化しきれていなかった。敗北したのに気持ちは不思議なほど穏やかだが、それでも南雲は知っている。自分の足元にある、ネットに包まれたサッカーボール。それと同じものを、涼野は持っていなかった。ボストンバッグに入らないから、置いてきた。そうして切り捨てたのだろう。同じフィールドに立つ日はもう来ない。南雲は何となく分かっていた。傷はまだ、馬鹿みたいにこの身体に残っている。そしてそれはきっと、敗者として切り捨てられたダイヤモンドダストのキャプテンであるガゼルの方が深いのだ。彼がまだ「あの方」と呼んだ吉良星二郎と、何より自分自身を許せていないことを南雲は知っている。
搭乗口に吸い込まれていく涼野の背中は、ついぞ振り返ることがなかった。完全に見えなくなってしまっても尚、南雲は家族に限りなく近しい彼のことを思う。新しい出会いに期待を、なんて思えない。おそらく涼野とは、もう会えない。
泣きそうなほど心細くて、やるせなくて、それでも涙は流れないし、目の奥すら熱くならない。途方に暮れて、南雲は画面を見上げる。一面の芝生、湧き上がる熱気。白と黒のボール。楽しさを追求するサッカー。
「・・・・・・遠い、な」
沖縄行きの搭乗が始まった。ボストンバッグを持ち上げて、南雲はオーロラビジョンから視線を外す。人生は続いていくのだ。人間も宇宙人も、勝っても負けても。
サッカーから離れるガゼルこと涼野風介がテーマです。
2010年12月10日