十年後の不動を想像してみる。
最近、部室でよく見る知らない人がいる。
「よお」
「・・・こんにちは」
帰りのホームルームが終わると、神童は出来る限り早く部室に来るようにしている。それは部長である自分が鍵を持っているという理由でもあるし、部長であるからこそ誰より率先してボール出しなどの準備を行うべきだと考えているからだ。しかしここ最近、授業が終わって部室に来ると、何故かいつも鍵が開いている。最初はそれこそ泥棒か侵入者かと警戒して細く扉を開いたものだが、それが両手の指の数を超えれば流石の神童でも慣れてきた。雷門中サッカー部の部室をまるで自分の部屋かのように寛いでいるその人を、神童は知らないわけではなかった。自己紹介されたわけではないし、ましてや誰かに教えられたわけではないけれど、同じミッドフィルだーとして気が付いてしまったのだ。髪型は随分と変わったけれど、その鋭い目つきは変わらない。この男は、不動明王。十年前、日本のFFI優勝に貢献した紛れもない司令塔のひとりである。伝説のイナズマイレブン存在に、気が付いたときは神童も手を震わせて緊張したものだ。
どうやって部室に侵入しているのか、神童は手段を知らない。鍵は自分と監督である円堂、顧問の音無しか持っていないはずだから、きっと後者ふたりのどちらかが手引きしているのだろう。十年前の手癖の悪い不動ならば勝手に合鍵を作る可能性がなきにしもあらずだが、彼のプレーは知っていても人間性を知らない神童はそこまで考えるに至らない。不動は椅子に座り、机に肘をついて雑誌を緩慢にめくっている。娯楽の類の持ち込みは禁止されているから、あれは不動の私物なのだろう。何を読んでいるのか気になってロッカーに向かう振りをしながらちらりと覗いてみれば、そこに並んでいるのは日本語ではなかった。英語かイタリア語かは判断がつかなかったけれども、写真には大きくアフリカサッカー界のスターであるロココ・ウルパが映っている。くあ、と不動が欠伸をしたので、神童は慌ててロッカーに向き直り着替えを始めた。
不動はいつも、この時間に部室にいる。いつからいるのかは知らないけれども、帰る時間は分かっている。あと十分もして、部員たちが集まり始める前に彼は姿を消すのだ。コーチである鬼道が現れるその直前に、まるで彼の来訪を察知したかのごとく消え失せる。何故か? 以前に聞いたら、こんな答えを返された。『サッカーは鬼道だけど、器用なのは不動だから』と、円堂に。
「ごめん不動、お待たせ!」
「おせーよ」
神童がわざわざ内側からかけ直した鍵をがちゃがちゃと開けて入ってきたのは、雷門中サッカー部の監督である円堂だ。悪い悪いと頭を掻く彼に、不動は読んでいた雑誌を閉じる。神童に気づき、円堂は「相変わらず早いな!」と歯を見せて笑い、よろしくお願いします、と頭を下げれば、大きな掌でかき混ぜるように頭を撫でられた。そうしてパイプ椅子を引き、円堂は不動の向かいに腰を下ろす。そうして始められるのは大人同士の内緒話だ。
「フィフスセクターの本拠地が分かったぜ」
「本当か!?」
「ああ。送り込んでる奴らからの情報だからまず間違いない」
どれくらいの頻度で不動と円堂がこうして密会を重ねているのか神童は知らないが、それでも数回場に居合わせていれば話の全体像はおぼろげに見えてくる。不動は反フィフスセクターのレジスタンスの一員として、あるいは単独で動き回っているらしい。何人かの手塩にかけて育てた選手をスパイとしてフィフスセクターにもぐりこませ、シードとして聖帝の信頼を得るよう行動させ、そして情報を流させているのだとか。フィールドのトリックスターとされた、あの不動明王に育てられた選手だ。きっと、さぞかしサッカーが上手いのだろう。もしかしたら自分よりも。そんなことを考え、じわりと神童の思考が揺らぐ。たくさんのチームと対戦し、多くの化身使いたちと相対してきて感じているのは、いつだって「強くならなければ」という焦燥感だ。負けないように、負けないように、決して心折れたりしないように。何度も自身にそう言い聞かせ、神童はそっと円堂に視線を送る。太陽のように眩しい監督の姿は、いつだって神童の指針であり拠り所なのだ。
円堂が買ってきたのだろう。ブラックコーヒーの缶を開けてふたりは額を寄せるように話をしていたが、それもひと段落ついたのか、肩を掠める髪を払い、そういや、と不動が声を挙げる。
「月山国光中との試合、見たぜ。あそこの監督もいけそうだな」
「ああ、近藤監督だろ? 響さんがスカウトに行くって言ってた」
「雷門はまだオフェンスが弱ぇな。ディフェンスは随分マシになったけどよ」
「痛いところ突くなよ。でも天馬も倉間も成長してきてる。次の試合ではもっといいフォワードになるさ」
「剣城はどうなんだよ? あいつ、シードを離反したっていうのは本当なのか?」
「ああ、そう聞いてる」
「信じてんのかよ」
「信じるさ。俺の教え子だからな」
「・・・変わんねぇな。あんたは昔から」
「そうか? それは不動もだろ!」
どこか呆れを含ませて肩を竦める不動に、にしし、と円堂が笑う。何となく見てしまっていたことに気づかれたのだろう。目が合い、円堂はぱちりと瞬いた後で目尻を下げ、手招きしてきた。予想外の仕草に神童は全身で飛び上がり、慌てて着替え途中だったユニフォームの裾を直す。そうしてロッカーを閉めて駆け寄れば、ぽんぽんと空いている椅子を示された。円堂の隣、不動の対面だ。失礼します、と頭を下げた自分の声が明らかに震えているのが分かり、神童は尚更身を縮こまらせる。
「紹介しとくな。不動、こいつは神童。雷門中のキャプテンだ」
「よっ・・・よろしく、お願いします・・・!」
「神童、こっちは不動な。俺の仲間だ!」
「かなり今更って感じだけどな。どーも、神童ちゃん」
座った姿勢のまま頭を下げたら、返されたのはどこかからかいを含んだ声だった。恐る恐る顔を上げれば、不動が何か企んでいるような楽しげな顔で自分を見ており、ぴゃっと神童は緊張で背筋を伸ばす。円堂はそんなふたりを見てにこにこと笑っているだけだ。
「鬼道ちゃんが育ててる司令塔だろ。メンタルはまだまだみてぇだけど、技術は悪くない。鬼道ちゃん、あんなナリしてるけどサッカーの実力は確かだぜ? 精々鍛えて貰えよ」
「は、はい! 頑張ります!」
「不動が雷門にいればなー。鬼道とふたりで神童を育ててもらうんだけど」
「欲張りなこと言ってんじゃねぇよ。表は鬼道ちゃん、裏は俺。そう言ったのはあんただろ」
「裏が嫌になったらいつでも表に出てきていいんだぞ?」
「はっ! 面倒なのは御免だね。俺は自由に動けるこっちが性に合ってる」
肩を竦めて不動は立ち上がる。コーヒーの空き缶はそのままに、そろそろ姿を消すのだろう。見送るために円堂が立ち上がったので、神童も慌てて席を立った。ふたつの空き缶を手早く回収し、隅のゴミ箱に捨てる。サッカー部の中でブラックコーヒーを飲む部員はいないので、ふたつある缶の不思議にコーチである鬼道が気づかないことを祈った。
「大丈夫だと思うけど、気をつけろよ。スパイをしてくれてる子たちにもよろしくな」
「俺がヘマするかよ。あんたは雷門中が勝つことだけを考えていればいいさ」
「また今度飲みに行こうな!」
「はいはい。またな、キャプテン」
ひらりと後ろ手を振って、不動は部室から出ていく。気を付けてな、ともう一度繰り返して円堂は同じように手を振りながら見送った。時計を見上げればやはり約十分の時が過ぎており、まもなく鬼道も到着するだろう。同じイナズマジャパンの仲間だったのに、どうして不動は鬼道に会おうとしないのだろうか。聞いてみても良いだろうか。迷っている神童を読んだかのように、振り向いた円堂が苦笑を浮かべる。しい、と唇に指を立てて「鬼道には秘密な?」と言った後、彼は理由を教えてくれた。
「鬼道はまっすぐだから、フィフスセクターにもレジスタンスとして正面からぶつかっていく」
レジスタンスなのに正面からっていうのも変だけどな、と円堂は笑った。
「だけど、それだけじゃ駄目だ。相手がどういう奴らでどういう手を使ってくるのか。そういうことを調べて、時には狡い手も使って、相手の攻撃はかわしていかなくちゃいけない。俺たちの目標はフィフスセクターの打倒だからな。いくら準備したってし過ぎるってことはない」
そうだろ、と問いかけられ、神童も首を縦に振る。
「大まかな道を鬼道が作る。不動はそれを補強して万全にする。あいつらは互いに出来ないことを補完し合うことでゲームを組み立ててきた。だけど鬼道は不動の才能を何だかんだ言って認めてるから、不動が表舞台に立たないのを悔しく思ってるんだよ。だから会う度に説教して、不動はそれを嫌がる。子供みたいだろ?」
「ライバル、なんですね」
「ああ。俺の知る最高の司令塔たちだ」
語る円堂の顔は、自分たちを前にしてサッカーを説くときのそれとはまた違う。信頼とでも言えばいいのか。押し出されている強さに、いいな、と神童は思ってしまった。不動と、鬼道と、円堂。彼らはきっと、伝説に聞く以上に素晴らしいチームメイトだったに違いない。気が付けば神童の唇も綻び、微笑みを浮かべていた。
「円堂監督は、素敵な仲間がいるんですね」
きょとんとした顔をした後、円堂は笑って神童に手を伸ばしてきた。ぐしゃぐしゃに髪の毛をかき混ぜられる。馬鹿だなぁ、という優しい声が神童の耳をくすぐった。
「おまえにもいるだろ? 最高の仲間が」
ぐるん、と少し強い力で全身を反転させられる。後ろから肩に手を置かれ、慌てふためきながらも神童が前を向けば、フィールドの入り口付近に天馬の姿が見えた。隣には信助もいて、ふたりは神童たちに気づくと歩いていた足を駆け足に変えて近づいてくる。その顔に浮かべられているのは満面の笑顔だ。遠目には蘭丸や狩屋、三国たちの姿もある。全員が全員、神童に気づくと駆け出したり、あるいは手を振ったりしてくれる。キャプテン、と天馬の明るい声がする。ほら、と円堂が頭上で笑った。
「おまえの仲間だ。大切にしろよ?」
「はい・・・!」
神童は嬉しくなって頷いた。以前は苦しくて仕方のなかったサッカーが、今は楽しくて堪らなかった。みんなで勝ちたいと、心の底から思うのだ。
10年後の不動さんはシードに逆スパイを送ったりして裏で暗躍してればいいと思う。
2011年11月11日