キルアはゴンとお付き合いしたいようです。
「悪い、遅くなった」
笑みというには仄かな、それでも雰囲気だけは和らげて、クロロ=ルシルフルはベンチへと歩み寄った。存在には気づいていたのだろう。驚く様子は見せず、ゆっくりと視線を向けてくる少女の手前、ふたりの男が「何だてめぇは」とでも言うかのようにクロロを睨み付けてくる。纏さえ出来ていない、オーラを無駄に垂れ流しているだけの一般人に用はない。男たちを順に見やり、クロロは笑みの種類を変えた。
「俺の連れに、何か?」
「・・・ちっ! 男連れかよ」
「行こうぜ」
舌打ちして、男たちはやる気が削がれた様子で去っていく。その姿に見向きもせず、次の瞬間には記憶からも消去して、クロロは更に一歩少女へと近づいた。そうすれば分かる、綺麗な纏だ。余計な動揺も恐怖も見られない。それでいてクロロがどんな動きをみせようとも対処できるよう、適度な緊張感を帯びている。出会ったときとは雲泥の差だな、とクロロは感心した。それだけ見事な纏だったのだ。
「久し振りだな。もう三年、いや四年か」
「除念、したんだね」
「ああ。おかげさまで貴重な体験をさせてもらった」
駅前のロータリーは、夕方ということもあり多くの人で賑わっている。学生からサラリーマン、明らかに堅気ではない輩もちらほらと見え隠れしているのは、この街にマフィアの根城があるからだろう。東の空はすでに宵へと変わりつつある。これからはクロロのような、裏稼業に足を浸した人間の時間だ。
三人掛けのベンチに少女はひとりで座っている。真ん中のスペースを空けてクロロが腰かけても、じっと視線は外されない。それは探るようなものではあったが、畏怖も脅えも含んでおらず、クロロにしてみれば些か新鮮で興味深いものだった。足取り速く歩く人々を眺めれば、隣から声がかけられる。心なしか四年前よりも高く感じるそれは、少女の容姿があどけなさから大人びたものへと変化しているからだろう。
「クラピカを探してるの?」
「いや。探してはいない」
「何で? 仲間を殺した相手でしょ」
「確かに、今みたいにどこかの街で奴と偶然会うようなことがあれば、そのときは容赦しない。だが、わざわざ鎖野郎を探そうとは思わないな」
「?」
「俺たちにとって生かすべきは蜘蛛であり、個人ではないからさ。ウヴォーやパクにしても、心のどこかで覚悟はしていただろう。俺たちだっていつかは死ぬときが来る。それが自分で納得の出来る死に方かどうか、重要なのはそれだけだ」
クロロはちらりと少女を振り返り、笑みを浮かべる。
「もし鎖野郎と会うことがあれば、そのときはウヴォーとパクの敵を討つ。会わないうちは縁がないと考えよう。それでは不満か?」
「・・・ううん。いいよ、それで。ありがとう」
「何故礼を言う?」
「クラピカを殺さないでいてくれるから。だから、ありがとう」
純粋な瞳が、ゆっくりと笑みに細められる。笑った顔を見るのは初めてのはずだが、それはクロロの想像に違わなかった。時々、本当に時々だが、この四年間折に触れて思い出すことのあった子供たち。見事な策略と手腕で自分の家族とも言える旅団のメンバーをふたりも葬った鎖野郎。そして彼の仲間であるはずだが、結果的にクロロたちの敵ではなかった子供ふたり。あのヨークシンシティで過した数日は、クロロにとってさまざまな意味で忘れることの出来ない出来事だった。自分はまだまだだな、と久し振りに至らなさを感じた経験だった。
「改めて。俺はクロロ=ルシルフル。幻影旅団の団長だ」
「俺はゴン=フリークス。ハンターだよ」
「何を専門にしているんだ?」
「うーん。何だろう? 今はいろんな国を旅してるよ。新種の生物とか、あ、この前は遺跡も見つけたっけ」
「もしかしてヒディック遺跡か?」
「そう。発表されるのは先だって言ってたけど、よく知ってるね」
「古いものは好きなんだ。そうか、あれを発見したのはおまえだったのか・・・。今度行ってみるとしよう」
「うん、是非! って、発掘品とか盗むのは駄目だよ! 博物館に飾るんだから!」
「善処する」
くるくると表情が良く変わる。他愛ない、それこそ本当に世間話をしながら、クロロはつぶさにゴンを観察していた。四年前の幼さを少しずつ消し去り、今は子供というよりも少女という表現が相応しい。健康的にすらりと伸びた手足に、大きくはないけれど小さくもない胸元の膨らみ。身長は百六十センチメートルくらいだろうか。成長途中の者だけが持ちえる、瑞々しい気配をそこかしこに帯びている。黒い髪はカチューシャで押さえられ、露わになっている額がチャーミングだ。大きな瞳は変わらず透明な光を湛えているが、深く、底が見えない。飾ることのない自然体の姿に、魅了される輩は多いだろう。あと数年もすれば彼女自身の性質も相俟って、世紀の悪女になれるかもしれない。もちろんゴンの性格を考えれば、そのような可能性はゼロに近いが。・・・ああ、それにしても。
「・・・力勝負では、負けそうだな」
「クロロ、何か言った?」
「いや」
にこ、と笑うことでクロロは誤魔化す。全身をくまなく覆うオーラは、本当に、実に見事だ。十代半ばという年齢を考えれば、いっそ化け物と言っても過言ではない熟し方をしている。隙がないわけではないが、そこを攻めようとしたなら最後、問答無用で戦闘の火蓋が切って落とされるだろう。始まるそれは、全力を尽くしてのものになるに違いない。それだけゴンのオーラは洗練されており、限界を感じさせない。この四年間で彼女に一体何があったのか。うちのメンバーじゃ、もう手も足も出ないな。そう考えるクロロ自身、純粋な力勝負ではゴンに敵わないと悟っている。しかしその差を覆すのが念能力という個性だ。しかし出来れば戦いたくない。戦えば、それは命を賭けたものになるだろう。興味深い。クロロは改めて思った。見目が良くて、性格は純粋、何よりこの底知れない実力だ。いいな、と擡げたのは盗賊としての一面で、俺好みに育ててやろうか、と覗いたのは男の顔だ。
「おまえは」
唇の端を意識して持ち上げる。目尻を細めるクロロを、もし第三者が見ていたのならきっと顔を真っ赤に染め上げただろう。それだけ彼は男の色気を浮かべていたのだ。
「年上の男に興味はないか?」
「年上の男?」
「ああ。意味はもう、分かるだろう?」
「うーん」
少しばかり考えるように顎に手をやり、ゴンは首を傾げる。桜色の唇が返事を紡いだ。
「興味ないや。だって、キルアがずっと一緒にいてくれてるから」
ぴり、と視界を掠めた雷に反応することが出来たのは、ひとえにクロロが今まで培ってきた経験だろう。コートの裾が遅れて反応し、軽く跳躍して距離を取る。通行人の何人かが驚いたようだが気にしない。一瞬、否、刹那で割り込んできたのは、これまたどこか過去の面影を残した少年だった。背も伸び、大人びたなと思うと同時に、その全身を覆う半端じゃない殺気に背筋が震える。帯びているオーラは電気だろうか。ああ、本当に良い成長をした。まるで我が子を見守るような感慨を、何故かクロロは抱いてしまった。底を這う声さえ、もはや子供ではなく男のそれだ。
「・・・こいつに、何か用?」
「キルア!」
「いいや? 偶然再会できたから、少し世間話をしていただけさ」
「あっそ。じゃあもう二度とゴンに近づくな。次に何かしてきたら、そのときはただじゃおかない」
ぱり、ぱり、と放出されるオーラは彼の、キルアの怒りを表しているのだろう。ゴンを背に庇っている姿は爆発直前の危険物を思わせる。いや、危険物の方がよほど安全か。キルアの目はクロロの一挙一動を見逃すまいと鋭く吊り上げられており、その背中でゴンが瞳を瞬いている。ああ、とクロロは悪戯を思いつき、実行に移すことにした。
「ゴン」
「何?」
「独占欲の強い恋人を持つと、大変だな?」
ご丁寧にウィンクまでつけてやれば、目の前のふたりがきょとんと目を丸くする。キルアを覆っていた殺気までもが虚を突かれたかのように霧散した。そして、一、二、三、四、五。キルアの身体が小刻みに震え始め、首筋から耳へと肌が真っ赤に染まっていく。ぱく、ぱくと無意味に開閉される口は混乱の最中で、そこにはもう先程までの危険性など微塵もなかった。ただ、顔を真っ赤に染め上げた少年がひとり、いるだけで。
「っ・・・!」
吸い込まれた息に、予測したのだろうゴンが慌てて自身の両耳を手のひらで塞ぐ。クロロはただ、放たれる絶叫を受け止めた。
「こっ、こ、こっ、ここここここ、恋人じゃねーよ! ―――まだっ!」
屋根から屋根へと飛び移りながら、クロロは未だ込み上げ続ける笑いの余韻に脇腹を抑える。なんて情けない、それでいて愛に満ちた告白だろうか。真っ赤な顔は初心な少年のそれで、キルアの想いがどこにあるかなんて一瞬で理解することが出来た。惜しむべきはキルアが叫ぶのを察知し、ゴンは耳を塞いでしまったことか。あのまま彼女が彼の告白を聞いていたのなら、もっと面白いことになっただろうに。
「・・・本当に、楽しませてくれる」
再評価に満足し、クロロは今夜の獲物であるマフィアの根城に向かい、更に駆けるスピードを上げた。ああ、その前に。コートを漁って携帯電話を取り出し、ボタンを操作する。耳に押し当てればコール音が続き、やがて既知の声が応えた。
「ああ、もしもしイルミ? おまえの最愛の弟について、良い事を教えてやろうか」
はてさて、あのブラザーコンプレックスの塊である兄貴は、弟の恋路を知っているのだろうか。訝しむ声に、どう弄ってやろうかな、とクロロの唇も自然と歪んで吊り上る。
若いふたりに幸あれとは思うが、山あり谷ありを進む姿の方が、見ている側としてはずっとずっと面白い。飽きないな、とクロロは前途有望な少女と少年の未来に笑った。
盗賊は盗みが仕事。彼女がおまえのものになったら、俺も動かせてもらおうか?
2012年1月8日