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5.九月中旬
がぁん、と激しい音を立てて開かれた体育館のドアに、及川は肩をびくつかせて振り向いた。そこにあったのは今日はいるはずのない幼馴染の姿だった。
「だからオーバーワークだって言ってんだろ、このボゲェ! さっさと着替えろグズ及川! 今すぐ帰んぞ!」
「い、岩ちゃん!? 何でいんの!? 今日は大学で練習の日じゃ・・・!」
「どうせこんなことだろうと思ったから帰りに寄ったんだよ! 練習のし過ぎで怪我でもする気か!」
「い、岩ちゃんだって練習いっぱいしてんじゃん!」
「俺は自制してるからいいんだよ! てめぇは自制するどころか限界突破するだろうが! 殴られたくなきゃ今すぐ着替えろグズ川!」
「悪口略さないで!」
入り口近くにまで転がっていたボールを容赦なく投げつけられた。ぼん、と二の腕に当たったそれに「痛い!」と叫べば、二個目のボールが掲げられているのが見える。攻撃されたら堪らないと、及川はタオルとドリンクを拾って逃げるべく部室へと駆け込むことにした。そうして慌てて着替えて電気を消して鍵をかけて戻ってくれば、体育館の片付けは岩泉がしてくれたのだろう。ボールはなくなり、床にもモップがかけられていた。
「ごめん、岩ちゃん。ありがと」
「おう。さっさと帰んぞ」
くい、と顎で示される。守衛室に立ち寄って鍵を返却し、また明日、と挨拶して校門を出る。時刻はすでに夜の十時を回っていた。あのまま練習していたら、きっと巡回の警備員にお小言を食らったに違いない。むしろここ数日、及川は警備員と顔を合わせない日がなかった。それはすべて岩泉が大学チームの練習に混ざりに行っている日ばかりだったが。
「・・・岩ちゃん、何で戻ってきたの?」
オーバーワークが見咎められて居心地が悪く、視線を逸らして尋ねれば、岩泉は事も無げに言ってのけた。
「どっかの馬鹿が自分の限界も考えずに無茶な練習をするからだろ」
「何それ。誰から聞いたの」
「聞くまでもねぇよ。何年一緒にやって来てると思ってんだ」
こういうとき、ずるい、と及川は心底思う。日頃は言葉使いは荒いし暴力は振るわれるし粗雑に扱われたりするけれど、岩泉はこうして時々、本人はおそらく無意識だろう言動で、及川への信頼を露わにする。他の誰かに言われたのなら及川だって反論しただろうが、岩泉に関してばかりは何も言えない。自分の一番近くにいる存在が岩泉であることを、及川とて理解しているからだ。
「この前話したときから嫌な予感はしてたんだよ。おまえ、何か変な顔してたから」
「変な顔って失礼な。この女子に人気の及川さんを捕まえて」
「・・・・・・」
「ちょ、無視は止めて! 無視は止めて傷つくから!」
「だったらちゃんと自制しろよ。おまえ、ただでさえ昔からオーバーワーク気味なんだから」
「・・・うん」
ごめんね、と言えば、別に、と返される。だけど理由を言うつもりは及川にはなかった。ちらりと向けられた視線にも曖昧に笑みだけ返せば、岩泉は眉根を寄せて、けれども追求はしてこない。ごめんね、岩ちゃん。心中でのみ及川は付け足した。だってずっと一緒にやってきた相手が急にいなくなって寂しいなんて、高校生男子が口に出来るわけがない。それに朝練は一緒だし、放課後の部活も一緒で、週に三日は居残り練習も共にしているのに。それでも振り向いたときに岩泉がいることに慣れ切ってしまっている及川にとって、その存在がないことは不安材料へと繋がってしまうのだ。離れた場所で岩ちゃんも頑張ってるんだから。そう自身に言い聞かせているけれども、やはり何も考えたくなくてひたすらに練習に打ち込んでしまう。そうしてオーバーワークとなって岩泉に迷惑をかけてしまうのだからどうしようもない。
「明日から、駅で待ち合わせるか」
それなのに岩泉はこうして掬い上げてくれるのだから、本当にどうしようもないと、及川は心底思う。
「高校と大学からなら、駅まで同じくらいの時間だろ。よし、十時に駅で待ち合わせにすんぞ」
「え? でも学校からなら駅を通らずに帰った方が早いでしょ」
「んなことしてたら、おまえいつまで経ってもオーバーワークを止めねぇだろ。一秒でも遅れやがったらどつく」
「理不尽!」
ぎゃあ、と大袈裟に嘆けば、岩泉がにやりと笑った。悪戯が成功したときのような顔だが、それに嬉しくなって及川もつられて笑う。きっと明日、は一緒に自主練を出来る日だから、明後日から及川は毎晩、律儀に時間になったら自主練を切り上げて、そして帰るには遠回りになる駅まで行ってしまうのだろう。そうして岩泉と合流して、他愛ないことを話しながら帰路に着くのだ。今までと同じように、何ら変わらずに。
及川徹は知っている。自分がバレーボールを続ける上で欠かせないもののひとつが岩泉一であることを。及川のバレーボールの根幹を作り上げたのが岩泉であることを、身に染みて理解している。
怒られることが嬉しいなんて、言ったら怒られるだろうから言わない。君は知ってるかもしれないけれど、言わないよ、岩ちゃん。
2014年1月5日(pixiv掲載2014年1月3日)