日本は廊下を歩きながら、手に持っているプリントの枚数を数えていた。クラスメイト分あるのを確認しながら、顔を上げてのんびりと廊下を進む。今日の授業はもう終わったので、これを職員室に提出したらすぐに帰ろう。そんなことを日本は考えていた。中国は今日は生徒会に出なきゃいけないと心底嫌そうな顔で言っていたし、韓国は上司に呼ばれているらしく、HRが終わると同時に「明日の弁当は寿司がいいんだぜ!」と言い残して走って帰った。寿司。寿司。さすがに握り寿司を弁当に持ってくるのは危険なので、ちらし寿司にしよう。茶巾寿司なんかも良いかもしれない。そんなことを考えていたときだった。
「トルコ、死ね」
「てめぇが死にやがれ、このクソガキが!」
真横のドアが吹っ飛んで、二つの人影が勢いよく出てくる。このままでは巻き添えを食らうと思い、日本は振り向きながらも身をかわそうとしたけれど、はっと思い直して足を止めた。人影よりも先に、にゃーんと茶色の猫が日本に向かって飛ばされてくる。ここで避けたら、猫は開いている廊下の窓から落ちてしまう。猫とはいえ、さすがに五階から落ちるのは拙いだろう。というか普通に拙い。日本は手にしていたプリントを床に放り投げ、変わりに猫を受け止めた。そのまま二人の男子生徒にぶつかられて、スカートが窓枠を飛び越える。
丁度真下は昇降口だったらしく、宙を舞う女生徒に気づいた生徒たちの悲鳴が上がる。猫のふわふわの毛を感じながら、空が青いなぁと日本は思った。
窓の向こうで頭から落ちていく姿に、四階にいたイタリアは奇声を上げ、ドイツは蒼白になった。
窓の向こうでくるりと一回転した姿に、三階にいたオーストリアは息を呑み、ハンガリーは慌てて窓を開けた。
窓の向こうで校舎の壁を蹴った姿に、二階にいたイギリスは心臓が止まりそうなほど驚き、ペンを落とした。
勢いを殺して下校中の生徒にぶつからない位置に着地したけれど、やはり久しぶりの感覚に足がついてこず、身体がふらついてしまった。思わず後ろに倒れかけるが、誰かが両腕で支えてくれる。見上げると背の高い男子生徒がいて、日本は目を瞬いて礼を言った。
「ありがとうございます」
「・・・いや、わけねぇ」
「猫ちゃんも無事ですよー」
「本当ですか? 良かった」
横からもう一人の男子生徒が日本の腕の中の猫が落ちないよう、手を伸ばしてくれている。容姿からして二人ともヨーロッパ組だろう。背の高い方は眼鏡をかけていて怖そうな雰囲気だが、小柄な方はにこにこと人が好さそうに笑っている。ありがとうございます、ともう一度言って、日本はしっかりと地面に立った。がらりと二階の生徒会室の窓が開く。
「ににに日本ーっ! 大丈夫あるか!?」
「大丈夫です、中国さん」
「日本、すごいよ今の! ニンジャみたいだ!」
「ありがとうございます、アメリカさん。女性の忍者はくのいちと言うんですよ」
身を乗り出してくるハンガリーたちやイタリアたちにも大丈夫だと手を振り、日本はその上の階を見上げる。五階の窓、ちょうど自分が落ちたそこには二人の男子生徒がいる。驚いているんだか安心しているんだか表情は遠目で分かり辛いが、どちらも日本には見覚えのない生徒だった。一人は猫っ毛の黒髪で、もう一人は仮面をつけている。
「すみません。ちょっとこの子、持っていていただけますか?」
猫を隣の小柄な男子生徒に預けると、日本は五階を睨みつけ、だんっと地面を蹴り飛ばした。ローファーがアスファルトに打ち付けられて、大きな音が響き渡る。中国が心なしか顔色を青ざめさせた。
「・・・・・・そこのお二人」
ふたり、ふたり、ふたり、と日本の眼差しの先に、周囲の生徒たちも視線を向ける。ギリシャとトルコだ、と誰かが小さく呟いた。
「喧嘩をするな、とは言いません。何か事情もおありなのでしょう。殴り合いの喧嘩、ええ、ええ、結構じゃありませんか。どうぞどんどんなさってください。ですがそれも他人に迷惑をかけないという前提条件があってこそ、初めて許されるものなのです」
にゃあ、と猫が鳴く。きつく睨みつける横顔は、日本の静かな怒りを表している。
「今回だって、ぶつかった相手が私でなければ大事故に繋がっていました。人を傷つける責任を、あなた方は取ることが出来るのですか? 無関係な人を巻き込んでまで喧嘩がしたいのですか? だとしたら、そのような行為は許せません」
だんっと再度アスファルトが蹴り付けられる。びくりとほとんどの生徒が肩を揺らした。
「喧嘩をするならただっ広い野原で、半径500メートルに人がいないことを確認してからやりなさい! 学園なら建物内は不可! 無使用の校庭でやること! 武器の使用は禁止! 絶対に他人に迷惑をかけない上で喧嘩すること! 分かりましたか!?」
こくこくこくと五階の二人は蒼白な顔で何度も頷いているが、日本はすっと目を細める。より一層冷えた空気にロシアが嬉しそうに笑った。
「返事は声に出してしっかりと! 分かりましたか!?」
「「はいっ!」」
「・・・・・・よろしい」
びしっと直立しての返事に満足したのか、日本はふわりと眼差しを柔らげた。それだけで凛々しかった雰囲気が一転して穏やかなものになる。返してもらった猫の喉をくすぐって、摺り寄せられる鼻先に微笑む。
「この子も怖がっていましたよ」
「・・・・・・ごめんなさい」
「・・・・・・すいやせん」
「これからは気をつけてくださいね」
はい、とギリシャとトルコが頷くことで場は納まった。にゃあにゃあと嬉しそうにじゃれてくる猫に、日本は「可愛いですねぇ」とそれこそ可愛らしい表情で笑った。
その翌日、ギリシャは猫をたくさん引き連れて、トルコはアイスを持参で亜細亜組まで来て日本に再度頭を下げた。日本さんの領土にだったらなってもいいかも、という生徒が密やかに増え始めたのも、同じ頃だったという。
教育的指導だニャン!
WW学園一年ヨーロッパ組、ギリシャ君。いつも猫が引っ付いている。どこか気の抜けた喋り方をし、授業中は寝ていることが多い。トルコとは席も家も隣だが、仲は最悪。
WW学園一年ヨーロッパ組、トルコ君。常に仮面とターバンを身につけている。何故か江戸っ子口調だが、腕っ節はかなりのもの。ギリシャとは席も家も隣だが、仲は最悪。
2007年9月26日